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片野勧の衝撃レポート(38)太平洋戦争とフクシマ⑪<悲劇はなぜ繰り返されるのか「ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ」

      2015/01/01

  

 

  片野勧の衝撃レポート(38) 

 

太平洋戦争とフクシマ⑪

≪悲劇はなぜ繰り返されるのかー

★「ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ」

 

原発難民<下>「軍国少女として・・」⑪

 

 

NHK朝の連続テレビ小説「おひさま」

 

大震災のあった2011年、NHK朝の連続テレビ小説は「おひさま」だった。舞台は信州・安曇野。主人公・陽子の視点から太平洋戦争時の銃後の生活と戦後の復興を描いていたが、なかなかの人気だった。人気の秘密は舞台を都市から遠く離れた地方に置いたところにあったらしい。

 

戦争の悲惨さ、空襲や戦死の報に接するときの辛さ……。その「遠い」戦争が3・11「東日本大震災」に重なり、共感を広げていたのだ。教師の陽子先生は真珠湾奇襲攻撃成功に歓喜する一方、軍国主義教育に疑問を抱きながら、自分一人では何もできないもどかしさを感じていた。

 

また陽子先生が児童たちに教科書の墨塗りをさせ、戦争中の教えを謝るくだりがあった。東電の福島第1原発の事故時運転操作手順書などの大半を黒く塗って開示したことと重なる。

 

東電が開示した資料は、「1号機運転操作手順書(シビアアクシデント)」の表紙と目次で、A4判3枚。50行のうち48行が墨塗りだった。「社内文書なので一般公開するものではない。知的財産、核物質防護上の面もある」というのが東電側の非開示の理由。

しかし、原発事故で国民に不信を与え、不安に陥れたのは放射性物質の飛散と、政府と東電の隠ぺい体質、情報の信ぴょう性に対する疑問だったのに、さらに輪をかけて墨塗りとは国民を侮辱するも甚だしい。この東電の隠ぺい体質は戦後69年たっても、なんら変わっていない。

 

陽子先生は、教科書に墨塗りさせた、その苦渋の心境をこう表現していた。

「ああ墨で塗られているのは私なんだな」

GHQ(連合国軍総司令部)ににらまれるのが怖いので、せっせと塗ったのだろう。もし、アメリカ軍に異議を申し立てれば、どうなるか。それは何も過去のことではない。今も日本は完全にアメリカの支配下にあるのだ。

 

東電の木で鼻をくくるような墨塗り開示は、まるで戦時中の黒塗りと似てはいないだろうか。東電の中で、待ったをかける人がいなかったとしたら、本当に空恐ろしい。しかし、今の子どもたちは、こうした大人たちの姿をじっと純粋な目で見つめているのだ。

 

NHKの朝ドラの人気の秘密は何なのか。津波という名の「戦場」を見て、何かをしたくてもできずにいる人たちは多い。しかし、何もできない、このいらだち。しかも、政府の対応は後手に回るばかりで、復興への道のりは果てしなく遠い。その遠さを、このNHKの朝ドラで重ねて見ていたのだろう。

 

また墨で塗って、真実を覆い隠そうとする大人たちの変身を自分たちの姿に重ね合わせて見ているのかもしれない。そうした中で、困難な時代を善良な人々が懸命に生きている、その姿が人気を呼んでいたのだろう。

 

日本軍による大虐殺

 

長い歳月が経過しても戦禍の傷は消えるものではない。福島県あけぼの会の訪中団の一人、三浦和子さん(85)は胸えぐられる思いで『続々 花だいこんの花咲けど』に日本軍による大虐殺のことを書いている。

 

――この日は旧の8月15日の仲秋の名月で、恒例の月餅を供え、平和を祝っていた。と、その時、日本軍が突如として村を襲ったのである。昭和7(1932)年9月16日、中国撫順郊外の楊柏堡村――。

平頂山の麓にあるこの村は400世帯、3000人の小さな村だった。静かな平和な村に日本軍が押し寄せて、村の家々を焼き尽くし、村人を崖下の窪地に集め、機関銃を浴びせて皆殺ししたのである。この大虐殺で生き残ったのは7人。

三浦さんは平頂山事件の生存者から貴重な聞き取りを果たした。その一人、趙氏の証言から。

 

――「その日、母は弟を背負って行った。わたしは洗った靴を家に置いてきたのでそれを取り戻しに行った。家の前に兵隊がいて入れてくれず、しかたなく又戻った。村には1人もいなかった。その時銃声が聞こえた。柔らかいところへは銃弾が撃ち込めないと聞いたことがあるので、わたしは畑の中に隠れた。家族8人いたがみんな殺された。わたしは遅れて行ったので会えなかった(劉氏はここまで話して号泣し、しばらくは続けられなかった)。

 

日本兵の乗ったトラックが去ったので『お母さん逃げよう』と誰かが言った。その声を聞いてトラックが止まり、2人1組になって剣で刺した。

わたしの前にいた5、6歳の子が銃で撃たれ、死ねなかったら銃で刺し殺した。わたくしは息をひそめていたが、車が去ったので山を越えて逃げようとしたら、そこにも兵隊がいたのでまた戻り、夢中で歩いたら高粱畑だった。どしゃぶりの雨の中、ころげるようにしてやっと道に出て助けられた」

 

三浦さんは、ほかにも2人から証言を得ているが、いずれも大虐殺証言である。

夏氏の場合――。彼は当時3歳。トラック4台が村に入ってきた。丸1日、ガソリンをかけて焼き尽くした。それでも飽き足らず、山に砲弾を撃ち込み、土をかけて埋めた。

畑氏の場合――。当時16歳。日本軍は村人を追いだした。銃は高いところから撃ったので、しゃがんだ人たちは頭を剣で刺された。生きているかを確かめるために銃で叩き、ビクッとすると、剣で刺した。恐るべき日本軍による虐殺行為である。

 

最近、河村たかし名古屋市長が表敬に訪れた中国南京市の共産党委員会幹部に「一般的な戦闘行為はあったが、南京事件というのはなかったのではないか」と発言し、再び日中関係がぎくしゃくしている。

南京事件では日中歴史共同研究委員会で、犠牲者数などで日中間に認識の違いはあるが、日本側が虐殺行為をしたことでは一致しているのに、なぜ、こんな発言が飛び出してくるのか。

今年は日中国交正常化42周年。河村市長の「なかった」発言は歴史研究の積み重ねに水をさすものだ。

 

 

 

片野 勧

1943年、新潟県生まれ。フリージャーナリスト。主な著書に『マスコミ裁判―戦後編』『メディアは日本を救えるか―権力スキャンダルと報道の実態』『捏造報道 言論の犯罪』『戦後マスコミ裁判と名誉棄損』『日本の空襲』(第二巻、編著)。『明治お雇い外国人とその弟子たち』(新人物往来社)。

 

                               (つづく)

  

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