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日中北朝鮮150年戦争史(21)世界史『西欧列強の植民地争奪合戦』 の中での日清戦争勃発〈1894年)③清国(中国)との交渉は『無底の釣瓶(つるべ) を以て井戸水をくむが如く、いつも その効なく、無益に終わる」(パークス英公使)

      2016/08/17

 日中北朝鮮150年戦争史(21)

世界史『西欧列強の植民地争奪合戦』

の中での日清戦争勃発〈1894年)③ー

清国(中国)との交渉は『無底の釣瓶(つるべ)

を以て井戸水をくむが如く、いつも

その効なく、無益に終わる」(パークス英公使)

 

陸奥宗光は『蹇々録』(けんけんろく)で、日清戦争の経過について、次のように書いている。≪以下は『蹇々録』の第五章 朝鮮の改革と清韓宗属との問題に関する部分の現代訳である。

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日清両国が友隣の邦国として互いに往来、交際したのは大昔からであり、政治、典例(法令、前例、手本)、文学、技芸、道義、宗教など数多くの文化は中国から来たものであり、その恩恵を受けた。当時まで、清国は先進国で有り、日本は後進国だった。

 

ところが、近来、ヨーロッパ列強が勢力を東洋にのばして、西欧的文明は極東まで流入してきた。特に日本は維新以来27年余の間、政府も国民も一生懸命、西欧的文明を採用するこに努め、社会諸制度の全面改革を実行し長足の進歩をとげた。その結果。古来の日本の面目、文化、制度を一変して新日本として発展し、先進国の欧米各国から驚嘆の目で見られるようになった。

ところが、清国は依然、昔ながらの悪い習慣、旧体制をかたくなに守りし、すこしも内外の情勢の変化に応じて改革することができず、わずかに一衣帯水を隔てる日中両国で、日本は西欧的文明を代表し、清国はアジア的な旧体制(遅れた政治、社会システム、風俗習慣)を保守する正反対の国家となった。

かつてはわが国の知識人たちは常に清国を「中華または大国」として尊敬し、清国は日本を野蛮として蔑視する屈辱も気にせず、清国を崇拝してきた時代が続いた。

ところが今は、日本は清国を『頑迷愚昧の一大保守国』とあなどり、清国は日本をみて『軽佻躁進(軽佻浮薄)、みだりに欧洲文明の皮相を模倣する一小島夷(1小国の野蛮人)』と日本人を嘲り、両者の感情は氷炭相容れず(パーセプションギャップの拡大、一大紛争)を起きる状態になっていた。

外面の対立、争いは如何なる形跡となっても、その原因は必ず西欧的新文明とアジア的旧文明との衝突』であることは明らか、国土を相接し国力の均等した日清間には相互の功名心、猜疑心は日に日にエスカレートして憎悪と嫉妬とが燃え上がり、両国が互いに実態のない不信感、疑念、軽蔑感を増幅し、いまはまだ兆候はないものの、いつ何時、ちょっとした契機で爆発するかわからない。

 

かの琉球問題、台湾問題は今ここに詳述する必要はないが、明治15年の後は日清両国がその競争の焦点を朝鮮国内に集める形となり、以来。朝鮮の事といえば日清両国とも互いに嫉妬の眼をもって相にらみ合う状態となった。

今回の事件においても、朝鮮の内乱を機として双方にその権力を該当国に張り自家の功名心を満足させたことは事実である。

さて帝国政府の提案した共同委員の説は清国の拒絶する所となり、わが政府は独力を以て朝鮮を改革することになったが、これが衝突のきっかけとなることはある程度、覚悟していたが、騎虎の勢いは如何ともしがたい情勢となった。

 

そもそも日清両国の争点は、

①  第一は朝鮮内政の改革を実行する手段方法、

②  第二に清韓宗属の決定如何にあった。

私は朝鮮内政の改革の政治的必要以外は、全く意味のないものと思った。,朝鮮内政の改革は、第一に我が国の利益を主眼とする程度に止め、敢えて我が利益を犠牲とする必要は認めなかった。

また、朝鮮のような国柄が果して善く満足なる改革をなし遂げることができるかどうか疑問があった。しかし、朝鮮内政の改革は今や外交上の死活問題となり、我が政府はともかくこれを実行をせざるを得なくなった。

 第二に清韓宗属の決定如何については

が今回の事件に対し、派兵につき互いに行文知照すべしとの規定ある外、他に何ら直接の関係のない天津条約の解釈を詳述したのは、同条約締結後、日清両国政府が朝鮮へ出兵するのは今回の事件が初めてであり、清国政府は果してこの天津条約に従い、我が政府に行文知照するかどうかを確認することが外交上最も緊急の課題と考えたためだ。

≪注・天津条約は3項からなり,その3項目の条文が『将来朝鮮に出兵する場合は相互通知(行文知照)を必要と定める。派兵後は速やかに撤退し、駐留しない』とある。

これまで、儒教国家・清国は朝鮮を500年以上、属国化して、あらゆる政治行為に内政干渉してきた。中華思想の華夷序列のなかで朝鮮は自らを『小中華』と称して、宗主国清に朝貢し、礼を尽くし、忠誠を誓ってきた。

明治以来の日朝交渉、日清交渉はいつもこの宗属関係をめぐっての「朝鮮は独立国か」、「清国の属国か」の確認から始まっている。清国は宗属を認めたり、否定したり、立場をころころ変える。一定ではない。日本側は属国と認めれば、朝鮮との交渉は清国側としなければならない、独立国であるならば、朝鮮との直接交渉になるが、そこが清国流の言を左右にして、1定していないので(ダブル、トリプルスタンダード)、交渉は延々として進まない。

現在の北朝鮮との交渉、中国との交渉のすれ違い、両国の交渉詐術を見ればよくわかる。100年後もあまり変わっていない中華思想、中華行動形式なのである。

清朝間では数百年の長い宗属関係から、中華思想では下位の新興国日本の躍進には敵対感情が強く、ことごとく邪魔を入れ、妨害する。壬午事変(1882年、明治15年)、甲申事変(同17年)ではいずれも清国が兵士を大量動員して、日本公使館」などを焼き討ちにして,邦人多数が虐殺され、2度も煮え湯を飲まされた。

陸奥外相は今度こそは失敗できないと清国側の「行文知照」の天津条約を実行するかを注視していたのである。

明治27年6月7日に、清国側は公文を以て、政府訓令として、同国が朝鮮国王の請求に対し、東学党鎮圧のため若干の軍隊を朝鮮に派出する旨を照会してきたが、その書中「我朝保護属邦旧例」の一句があった。

日本政府は直ちにこれを承知して、日本側の派兵を決定したが、文書中の「保護属邦(国)」の語については「日本政府はいまだかつて朝鮮国を清国の属邦と認めておらず」と抗議を清国側に付言した。

これに対して清国は「朝鮮の要請により援兵して、属国を保護する旧例によるものなので、内乱平定の上は直ちにこれを撤回する。ところが、日本政府の派兵の理由は、公使館、領事館、商民を保護するというのであれば、多数の軍隊を派出する必要はなく、朝鮮政府の請求によるものでなければ、断じて日本軍隊を朝鮮内地に入り込ませて人民を驚かせるべきではない。

また、万一清国軍隊と遭遇した場合に、言語不通等のために、紛争が生ずることを恐れるがために、日本政府へ電達してほしい」と小村寿太郎代理公使に要求した。

これに対して、日本政府は

①  天津条約の規定に従い、朝鮮に出兵することを行文知照する外、清国よりくる何らの要求にも応ずべき理由はない。

②  清国が朝鮮に軍隊を派出するのは属邦を保護するためというが、わが政府は朝鮮を清国の属邦と認めたことはない。

③  政府が朝鮮に軍隊を派兵して、両国の軍隊が朝鮮国内において、相対して言語不通であっても、我が国の軍隊は常に紀律節制が保たれているので、決してみだりに衝突する虞(おそれ)のない―と反論、両国間で数多くのやり取りがあった。

結局、国際法の遵守、条約順守の日本に対して、旧令、慣例、中華思想の重視の清国側のすれ違い、対立のエスカレートが続き、衝突に発展していくが、南シナ海の紛争、東シナ海尖閣諸島をめぐる紛争はこの120年前の原型的なパターンの再演である。

幕末の日本で活躍したパークス英公使

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9

は清国との交渉、話し合いは「無底の釣瓶(つるべ)を以て井水をくむが如く、いつもその効なく、無益に終わる」と嘆いたが、まさしく、近代社会、近代国家同士の基本である『話し合い外交』で対応しても、『話せばわかる』ではなく「話してもわからない」国に対しては、いかなる対応ができるか―という問題である。

陸奥宗光の『蹇々録』のなかで、『一触即発』の風雲急を告げる情勢の中で≪わが政府はなおこの危機一髪の間にも、なるべく現在の平和を破裂させず、国家の名誉を維持する道を求めんとして汲々としている≫と述べているが、中国から『侵略した張本人のイギリス」と非難されたパークス英公使とまるで同じ心境で苦しんだことであろう。

 

 - 戦争報道, 現代史研究

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