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『リーダーシップの世界日本近現代史』(286)/★『高杉晋作のインテリジェンス突破力②』●『上海租界地には「犬と中国人は入るべからず」の看板。ここは植民地である』★『内乱を抑えるために、外国の経済的、軍事的援助を受けることは国を滅ぼす』★『大砲を搭載した蒸気軍艦を藩に無断で7万両で購入幕府軍を倒すことに成功した、倒幕の第一歩!』

   

 

  「戦略思想不在の歴史⑼」記事再録

1862年(文久2)5月6日に上海についた高杉一行はほぼ2ヵ月間、上海の植民地の状況を調査する。

その時の調査日記が「遊清五録」などで鋭く上海の植民地状況をとらえており、インテティジェンスの高さがうかがえる。

上海の港に近づくと、多くの外国商船や軍艦で埋まって、煙突や帆柱が林立、埠頭には、城郭のような高層建築がずらりとならび、アジアではなくヨーロッパ流の都市が建設されていたのに、一行は度肝を抜かれた。

「上海の実情と奴隷状態の中国人」ー表面はイギリス,フランスの植民地の威容、一歩裏に入ると塵糞の山、黄浦江には動物,人間の死体が浮いている酸鼻極まる」大宅壮一著「炎が流れる②」文芸春秋、1964年刊)

 

「千歳丸」が波止場にくると、中国人が大勢見物にやってきた。日本人が町を歩くと、あとからゾロブロとつきまとった。

中国人は日本人の頭のマゲをみて、これを指さしてわらいこけた。、日本人のほうでも、中国人は「頭に50㎝以上のしっぽをたれ(弁髪)、その姿に腹を抱えて笑いあった。

上海を豪壮だといっても、表通りだけで、裏街に入ると「塵糞(ゴミ・くそ)がうずたかく、足をふむところなし。人またこれを掃除することなし」というありさまであった。

一行がいちばん困ったのは水である。『黄浦江はきたなく濁っていて、イヌ、ウマ、ヒツジなどの死体が浮かんでいるが、これに人間の死体もまじっている。

しかも中国人はこの水をのんでいるのだ。当時、上海にはコレラがはやっていて、日本人のなかからも三人の死者が出た。

死体はムシロに包んで道ばたにすてられていて、炎暑のおりから「臭気鼻をうがつばかり、清国の乱政、これをもって知るべし」と「炎が流れる②」に書いている。

ところで、高杉らは、上海滞在中には精力的にあちこち見学してまわった。

町を歩いていて、西洋人が向こうからやってくると、中国人はたいてい道をゆずっているのを見て、高杉は憤慨した。租界地には柵があり『犬と中国人は入るべからず」の看板があった。ここは、植民地なのである。

「ここは中国の土地であるが、実質はまったくイギリス、フランスの属国である。もっとも、首都北京は遠く離れているから、あるいは中華の美風が残っているのかもしれないが、しかし、これは中国だけの問題ではない。

いまに、日本もこの国の二の舞いをふむことになりそうだから、ゆだんは禁物だ」と高杉は日記に書いた。

上海の城壁は、高さは約五メートル、周囲が約6キロ、ヤグラには清国旗がひるがえり、大砲をそなえつけているが、城門を守っているのは、英仏の軍隊である。そこにいあわせた中国人たちに向かって、高杉と同行したサムライが「中国では、どうして外人に城を守らせているのか」ときくと、みんなだまりこんだ。そのうち、一人が答えた。

「この前、〝長髪賊″(大平天国の乱)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E5%A4%A9%E5%9B%BD%E3%81%AE%E4%B9%B1

が攻めこんできたとき、李鴻章https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E9%B4%BB%E7%AB%A0#.E8.AB.B8.E5.A4.96.E5.9B.BD.E3.81.AE.E5.A4.96.E4.BA.A4.E3.81.AB.E5.A5.94.E8.B5.B0

はこないし清国軍は遠くはなれたところにいたので、やむをえず英仏の力を借りたのだ」という。

「それにしても、どうして外人のバッコをおさえないのだ。これでは、かえって清朝が外人におさえられていることになりはしないか」これにはだれも答えるものはなかった。

以下、大宅本によると、別な日に、城内を見物してかえろうとすると、すでに城門がしまっていた。しかし、フランス人たちは日本人と見て、門を開いて通してくれた。

すると、土人(中国人)がこれに便乗して通ろうとしたが、許さなかった。ちょうど、そこへ中国の役人が外からカゴにのってやってきて、フランス人が制止するのもきかず、通りぬけようとしたので、仏人はムチでたたきのめし、ひききがらせた。

これを見みた高杉は「ああ清国の衰弱ここにいたる。嘆ずべきことなり」

と書き留めている。上海で高杉らの見たものは、日本に迫りつつある危機であった。

日本への侵略に危機感を一層募らせた高杉晋作。

高杉の上海滞在は約2ヵ月に及んだが、帰国すると『政治、軍事対策の報告書』を長州藩庁に提出した。

①西欧の近代的な軍隊組織、兵器、訓練を、清国軍や〝太平天国軍〃と比較して、日本軍の方が強いと結論したが、このままでは日本軍といえども、西欧の軍隊に歯がたたないから、兵器ばかりでなく、軍隊組織の大改革の必要である。

②新しい陸軍とともに、強力な海軍を持たねばならぬ。鎖国以後、日本には、幕府や各藩にも海軍がなかったので、そのあいだに世界の海軍は異常な進歩した。

③ 〝長髪賊〃【太平天国の乱】をめぐる内乱の実態と、西欧のアジア侵略との関係を研究し、近い将来に迫りつつある日本の姿をそこに見た。

内乱をおさえるために、外国の経済的、軍事的援助を受けることは、結局、国を滅ぼすことを痛感した。

この「自立,自尊,独立」「他力本願ではなく自力本願」「知合合一の吉田松陰,松下村塾の革命思想」を受け継いだ高杉のインテリジェンス、行動力こそが明治維新への原動力になり、日本の植民地化を防いだ。

凄い!高杉の行動力。帰港した長崎で即実行した。

上海港で、英仏の大砲をのせて蒸気軍艦の威力を目の当たりにした高杉は、外国船との海戦では、これがなければ太刀打ちできないと、藩庁の了解もとらずアメリカ商人から12万3千ドル(日本金にて約7万両)の蒸汽船を独断で買いつけた。

これには藩庁も唖然憮然。どこにそんな金があるのか、とかんかんに怒り高杉に破約を命じた。高杉は「破約せよというなら、腹をきるほかない」と断固拒否した。

この件で高杉と長州藩が大もめの事情を知ったアメリカ商人は驚き、自から破約を申し出たので、この取り引きは破棄されてしまった。

ところが、その後、日本を取り巻く軍事的な緊張は一層高まり、長州藩も横浜の英国商「1番館」を通じ、15万ドル(約8万両)を投じて、300馬力の「壬戎丸」を購入し、幕府軍を倒すことに成功するのである。

高杉のインテリジェンスと決断力、それに大胆不敵な行動力と突破力がなければ、維新の回天はあり得なかった。

                                                                     つづく

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