前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本の〝怪物″実業家・金子直吉

   

n1

―鈴木商店を日本一の商社にした「財界のナポレオン」―
静岡県立大学国際関係学部教授 前坂俊之
1・鈴木商店の大番頭
金子直吉は慶応二年(一八六六)に高知県の没落商家に生まれた。丁椎奉公の後二
十歳の時、神戸の鈴木商店に入った。当時の同店は砂糖、石油、大豆カスなどを扱う
小さな貿易商に過ぎなかった。
九年後主人が死亡、未亡人の鈴木ヨネの下で金子が大番頭となって、経営を実質上
任された。
この時の年商は五百万円であったが、金子の大胆、積極的な事業展開で鈴木商店
は大発展していく。
日清戦争で台湾は日本領土となった。当時、虫除けとして必需品のショウノウの一大
産地である台湾に、目をつけた金子はここに製造工場を作り、販売権の六十五パー
セントを独占し欧米に輸出して大儲けした。
砂糖製造にも進出して、その工場を六百五十万円で転売して、この金で多角化を進
めて鈴木商店が飛躍する引き金となる。さらに、大正三年(一九一四)の第一次世界
大戦の軍需景気で鉄と船の思惑で大儲けした。
2・三井物産を抜いて日本一の商社に
大正六年、三井物産を抜いて商社日本一となった鈴木商店は年商十五億円を突破、
約二十五年で三百倍に大発展したのである。
事業はいっそう拡大し、鉄鋼、造船、人絹、毛織、セルロイド、窒素肥料、染料、皮革、
製糖、製塩、製粉、製油、ゴム、ビール、タバコ、鉱山、海運、倉庫、保険まで手をひろ
げて一大コンツェルンを形成した。
2
ところが、大戦後の長期不況によって、あまりに広汎に事業を広げすぎた拡大路線
が裏目にでて資金難に陥り、台湾銀行の破綻を契機とした金融恐慌で、昭和二年
(一九二七)四月に倒産した。
鈴木商店は自己資金の不足、金融機関を持っていなかったのが要因の一つで、借入
金五億円のうち三億八千万円が台湾銀行から借りていた。
当時、世界三大倒産の一つといわれた。「もし、金子が米国で生まれていたならば、
カーネギー、ロックフェラーと並んで偉大な事業家として成功していたであろう。二人
には科学的な頭脳はなかったが、金子は持っており、無から有を作る事業家であっ
た」と評されている。
3・買い占め作戦の大成功
大正三年七月、第一次世界大戦が勃発する。ヨーロッパ全体が戦場となり、戦争は
長期化していった。ドイツの潜水艦によって連合国の船舶は一日約五万トンも撃沈さ
れ、軍需品はもちろん生活用品、食糧など、あらゆる物資が欠乏していった。
開戦と同時に日本経済は大混乱に陥り、深刻な恐慌に突入した。戦場から遠く離れ
た日本はそのうち一大供給国になり、しばらくして鉄鋼、船舶、繊維、食糧などがいっ
せいに暴騰していった。
当時、すでに大商社になっていた鈴木商店は大番頭・金子直吉の海外戦略でロンド
ン支店=高畑誠一支店長(後の日商岩井社長)=があり、アメリカ、オーストラリア、
ロシアなどにも海外駐在員を派遣し、どこよりも早く世界各地の商品相場をキャッチす
る世界的なネットワークを築き上げていた。
ここから、戦争と物資、商品についての情報が逐一入ってきた。
金子は国内外の情報を総合判断して、すべての商品、一〇〇〇泊に対していっせ
いの買い出動の大号令を出した。
世間では「ついに、金子は気でも狂ったか」と噂したが、鈴木商店が買って買って、買
いまくった約三、四カ月後、予想どおりの大暴騰が始まった。
金子は物資輸送のため、まず船舶が不足することを見込んで、「鋼鉄と名のつくも
3
のなら何でも買いまくれ」と指示する一方、貨物船も大量に発注した。食糧品など各
国の産地で買いつけたものを船ごと売り渡す「一船売り」を行うなど、買っては売りまく
った。
ロンドンで実際に商売に当たった高畑は弱冠二十歳代だったが、英国政府や連合
国の軍需品購買局で、最も知られた商人となり、鈴木商店は欧州で最も有名な商社
となった。一時、スエズ運河を通る船の一割が鈴木商店のものといわれた。
金子の買い占め作戦は、見事に成功し、大正五年には約三千万円以上の利益をあ
げるなど、鈴木商店は巨利を得た。
4・「天下三分の宣言書」
大正六年秋、金子は高畑に対して約十メートルという長い書簡を送り、その中で
「天下三分の宣言書」を書いた。三井・三菱を上回るか、この三つと天下を三分する
かという、意気天を衝く内容であった。
「商人として、この大乱の真ん中に生まれ、世界的商業に関係する仕事に従事しえる
は無上の光栄。この戦乱の変遷を利用して大儲けをして三井、三菱を圧倒するか、さ
もなければ、彼らと並んで天下を三分するか、これ、鈴木商店の理想とするところな
り」
「これがため、寿命を五年や十年早くするもいとわず。おそらく、ドイツ皇帝カイゼルと
いえども、小生ほど働いていないであろう。この書を書いている心境は日本海海戦に
おける東郷大将の 『皇国の興廃この一戦にあり』 と同じなり」
この年、すでに鈴木商店は三井物産を抜き、三菱商事をはるかに凌駕して、商社の
日本一の座に躍り出た。
貿易額は十五億四千万円にのばり、十二億円の三井物産を抜き、当時のGNP の何
と約一割を占めており、いかに巨大かがわかる。
今に換算すると、GNP 五百兆円の一割として五十兆円で、三井、三菱、伊藤忠の三
大商社を合計した額以上になる。
5・台湾銀行の破綻による倒産
こうして、もうけた利益を金子はそっくり事業につぎ込んだ。
4
商業家とそれ以上に事業家の性格の強かった金子は、大日本製糖、神戸製鋼所や
人造絹糸製造(後の帝人)と全く未知の事業に矢継ぎ早に手を広げた。も守もと、ショ
ウノウの製造を手掛けていたが、これからセルロイド、人絹の製造に初めて取り組み
「資源のない日本にとってはどうしても必要」と、大金を投じて失敗を繰り返しながら、
ついに成功させた。
最盛期の鈴木系列の企業集団は六十五社(資本金総額五億六千万円)、従業員総
数二万五千人にのぼり、支店、営業所も国内、世界中に百五十ヵ所が張りめぐらされ
た一大コンツェルンを形成し、「日本一の鈴木商店」とうたわれた。
この時、金子によって育てられた企業群の中には日商岩井.(鈴木商店の後身)、
帝人、神戸製鋼、豊年製油、石川島播磨重工業、三井東圧化学、三菱レーヨン、昭和
石油、日産化学工業、日本化薬、日本製粉、サッポロビール、ダイセル、大日本製糖
など日本を代表する企業として、今でも発展している。
「事業の鬼」 の金子は儲けた金をすべて事業に注ぎ込み、次々に工場を建設したが、
こうした金子の旺盛な事業欲が鈴木商店の屋台骨を揺るがせる結果となった。
鈴木コンツェルンは台湾銀行をメーンバンクにしており、この破綻で鈴木商店も潰れ
てしまった。
三井、三菱財閥などのように固有の銀行を系列化していなかったことや、金子が政
治家に政治献金をあまりしていなかったことなどが没落につながった。
6・事業の鬼の奇行
ところで、明治以来では三井・三菱・住友など財閥や組織として巨大になったものはあ
るが、一個人として金子ほど巨大な仕事をした企業家はいない。
一代にして日本一のコンツェルンを築き上げた怪傑・金子は「財界のナポレオン」 に
たとえられた。大帝国を築き、悲劇的な最期を遂げたナポレオンと似ているというわけ
だ。
金子はそのスケールの大きさ、怪物性、その強烈な個性から世間ではとかく奇人変
人扱いされたが、確かにその種のエピソードには事欠かない。
金子の頭は仕事のことでいつもいっぱいで、それ以外になく、散髪した床屋に二時
5
間後にまた行って注意されたり、ある日の帰宅途中、電車のなかで婦人がお辞儀を
する。誰かと思いながら仕事のことで夢中で気にも止めず、家路を急ぐと道までこの
婦人はついてくる、家にも入ってく見ると自分の女房であった、という笑い話がある。
学校をろくに出ていない金子はまず質屋に丁稚奉公、ここで質入れされた本を片っ
端から読みふけって勉強し、あらゆる商品知識を身につけた。これが役立った。
金子は身長一五八センチ、体重五五キロほどの小柄で、貧相な醜男だった。ひどい
やぶにらみで、面と向かっていても、どこを見ているのかさっぱりわからない。
服装も粗末なことで有名で、背広よりも詰め襟の服を着ており、冬も頭に氷のうをのっ
けて、それがおちないように室内でも破れた帽子をかぶっていた。「頭をクールにして
おくため」 で、その奇行が金子のカリスマ性をいっそう高めた。
どんなに忙しくても、電車、汽車、車などの中で寸暇を惜しんで読書をしており、夜
汽車の中でも知り合いはないかと探して,会って知識を得ていた、という。
また、記憶 力が抜群で、一度聞いたことは地獄耳でけっして忘れなかった。
7・最後までボロ家に、なくなったとき所持金は十円
金子は日本一の金持ちとなったが、「鈴木商店のため、国家にとっての事業を興す」
という使命以外に私利私欲はまったくなかった。自分や家族のために金を残すことな
ど逆に罪悪と思っていた。
月給をもらっても引出しの中に入れて、三、四カ月も忘れており、夫人が思い余って
言ったのであわてて調べてみると、袋にはいったまま出てきたり、記念にもらった五千
円の小切手も期日がすぎて使えなくなったのが出てきたりした。
鈴木の全盛期でも金子は自宅を持たず、会社のオンボロ貸家に住んでおり、倒産
後、見るに見かねた部下たちが金を出し合って老後の自宅を提供したほどであった。
亡くなった時、十円しか持っていなかった。
<以上は「歴史読本」1997年6月号に掲載>

 - 人物研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

  関連記事

no image
『リーダーシップの日本近現代興亡史』(218)/日清戦争を外国はどう見ていたのかー『本多静六 (ドイツ留学)、ラクーザお玉(イタリア在住)の証言ー留学生たちは、世界に沙たる大日本帝国の、吹けばとぶような軽さを、じかに肌で感じた。

 2016/01/28 /日本リーダーパワー史(651)記事再録 &n …

no image
  日本リーダーパワー史(773)『金正男暗殺事件を追う』●『金正男暗殺に中国激怒、政府系メディアに「統一容認」論』◎『北朝鮮が「韓国の陰謀」を主張する真意は? 韓国側の指紋・入れ墨情報提供で計画にほころびか』◎『北朝鮮崩壊の「Xデー」迫る!金正恩は、中国にまもなく消される』●『金正恩の唯一の友人が明かす平壌「極秘会談3時間」の一部始終 「私は戦争などする気はないのだ」』★『金正男氏殺害、北朝鮮メディア「幼稚な謀略」』

   日本リーダーパワー史(773)『金正男暗殺事件を追う』   金正 …

no image
日本のリーダー・初代の総理大臣・伊藤博文は政治力もあったが『好色一代男』

1 日本のリーダー・初代の総理大臣・伊藤博文          04年1月 前坂 …

no image
日本リーダーパワー史(222)<明治の新聞報道から見た大久保利通 ② >『明治政府の基礎を作った男』

 日本リーダーパワー史(222)   <明治の新聞報道から見 …

no image
日本リーダーパワー史(87)尾崎行雄の遺言/『敗戦で政治家は何をすべきなのか』 <尾崎愕堂の新憲法スピーチ>

日本リーダーパワー史(87) 尾崎行雄の遺言・『敗戦で政治家は何をすべきなのか』 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(185)-「財界巨人たちの長寿・晩晴学①」渋沢栄一、岩崎久弥、大倉喜八郎、馬越恭平、松永安左衛門―『<〝晩成〟はやすく〝晩晴″は難し>』★『晩晴は人生そのものを第一義とし、事業はその一部にすぎず、真に老いに透徹した達人でなければ達し得ぬ人生最高の境地こそ〝晩晴〟である』

    2012/12/29 &nbsp …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(91)記事再録/★日韓歴史コミュニケーションギャップの研究ー『竹島問題をめぐる』韓国側の不法占拠の抗議資料』★『竹島は日本にいつ返る、寛大ぶってはナメられる』(日本週報1954/2/25)

    2018/08/18/日韓歴史コミュニケー …

ダウンロード
日本リーダーパワー史(651) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(44)日清戦争を外国はどう見ていたのか、『本多静六 (ドイツ留学)、ラクーザお玉(イタリア在住)の証言ー留学生たちは、世界に沙たる大日本帝国の、吹けばとぶような軽さを、じかに肌で感じた。

日本リーダーパワー史(651) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(44)   …

no image
日本リーダーパワー史(126)辛亥革命百年(28) 内山完造の『日中ビジネス論』「民間外交力』『前事不忘 後事之師』(2)

日本リーダーパワー史(126) 辛亥革命百年(28)内山完造(2)の『日中ビジネ …

no image
近現代史の重要復習問題/記事再録/「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、インテリジェンス⑦」★『人間、万事金の世の中、金の切れ目が縁の切れ目、これが資本主義のルール』★『米中覇権争いもGAFA、国家、企業、個人の盛衰、格差拡大、階層の二分化もこの原則に従う』

「国難日本史の歴史復習問題」ー 『山座円次郎の外交力』●『山座が「伊藤公を叩き殺 …