日本風狂人伝① 1人3役のモンスター作家・長谷川海太郎
2015/01/02
日本風狂人伝 08,12,20
1人3役のモンスター作家・長谷川海太郎
前坂 俊之
(静岡県立大学関係学部教授)
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(はせがわ・かいたろう・1900―1935)作家。新潟県生まれ。ペンネームは谷譲次、牧逸馬、林不忘の三つ。渡米した体験をもとに昭和2年『テキサス無宿』を発表、同年『新版 大岡政談』で丹下左膳を登場させヒーローに。牧逸馬で家庭小説『この太陽』も発表、一人三 役として評判に。35歳で急死した。
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時代とともに次々に流行作家が登場するね。1つのペンネームで膨大な作品を発表して、数十巻の個人全集を残した作家は数多いし、いくつものペンネームをもって書きまくった作家も少なくない。
しかし、3つの独立したペンネームを使い分け、全く異なったジャンルの作品を、どれもハイレベルで描いた作家は、後にも先にも長谷川海太郎のみじゃないかね。
長谷川海太郎はまさしく「昭和のモダンボーイ」であり、時代の寵児。あの時期、軍国日本に傾斜していく前の昭和の初期では日本人では稀有のコスモポリタンだったんだよ。
『文壇のモンスター(怪物)』と呼ばれた長谷川海太郎は牧逸馬、谷譲次、林不忘の三つのペンネームで、それぞれ独自の分野の小説を発表したのよ。
谷譲次では主に翻訳や外国もの作品、「めりけんじゃっぷ」シリーズ。米国留学と働いた体験から日系人の単純労働者の生き方をユーモラスに描いたもの。
牧逸馬では現代の恋愛小説や推理小説、海外旅行で集めた欧米の犯罪本からの翻訳、犯罪小説、ミステリー、都会のしゃれた風俗小説。
林不忘では、ご存知、片目、片腕のニヒルな剣士の『丹下左善』の時代小説といった具合で作品を書き分けた。確かにペンネーム2つを使い分けた作家は何人かいることはいるが、3つというのはないのよね。
長谷川海太郎は佐渡に生れたことからこの名前となった。父・長谷川淑夫はのち函館新聞主筆となり、1歳のときに函館に移住した。このため、海太郎は函館中学に進んだ。
中学時代の海太郎は、教師の物まねと習字を早く書くことが得意だった。口マネを日本人の先生は叱ったが、ラングマンというイギリス人の英語教師は、海太郎をほめて、大変かわいがった。このため、海太郎はラングマンを尊敬して英語を熱心に勉強して、函館港にイギリスの軍艦などが入港すると水兵と友だちになり、英会話を練習し、イギリスの銅貨や銀貨をもらい、中学の仲間に見せびらかしては得意がっていたという。
同中学校、卒業直前にストライキ事件が起こり海太郎は退学し、上京し、ついで渡米、働きながらオペリン大学、オハイオ・ノーザン大学などで学んだのです。
彗星のごとく登場して書きまくって、しかも新聞、雑誌で毎号のように登場するその作品は、いずれもスピーディーな文体とストーリーの展開で当時の大衆小説の水準をはるかに抜く一級のエンターテイメント。特に林不忘の『丹下左膳』は空前のベストセラーになり、大河内伝次郎主演の映画と共に、日本中を席巻し、子供たちがこぞって、片目片腕の左膳の真似をして遊んだほどの大ヒット、大ヒット・・。
昭和2年から1年間にわたって、中央公論社特派員の名目で夫婦でヨーロッパを旅行して、「新世界順礼」として同誌に連載され、その後に「踊る地平線」で単行本化されて、大ヒットした。
長谷海太郎の書斉には古色蒼然とした机と朱塗りの机と外国から持ち締った合計三つの机があり、それぞれの机の上で林不志、牧逸馬、谷譲次の作品が執筆される」とまことしやかに噂となった。
「1人で3人の驚異的大全集というキャッチフレーズで昭和8年10月に新潮社から全16巻の全集が出された。「一人三人全集」を出したその全盛期、その完成後二週間目に、三十五歳の若さで忽然と急死してしまったので、これまた文壇にセンセーションを与えた。
新聞の朝夕刊に一人で同時に二つの小説を連載したのも、長谷川が空前絶後であろう。一九三〇(昭和五)年、長谷川は「毎日新聞」(当時は「東京日日」「大阪毎日」)と独占契約を結んだ。
昭和五年十月から牧逸馬の名で『この太陽』を三年間朝刊に連載した。このあと、『七つの海』『新しき天』と朝刊に連載を続けたが、夕刊でも『新しき天』が完結しないうちに、林不忘名で『丹下左膳』の連載を始めた。約1ヵ月間にわたり、朝夕刊、同時に書いて、文壇の連中を驚かせた。
その長谷川の〝文壇活躍術〝の秘訣がおもしろい。作家を志す人間はメモじゃ。
① 頼まれたら、何でも引き受けて書く
② 期日までに必ず届けて、編集に手数をかけさせないこと
③ 作品の善悪などは少しも問題にしないこと 以上の三ヵ条であった。
林不忘名で『丹下左膳』を新聞連載していた頃、さし絵で刀を右にさした武士が出てきた。さし絵画家が間違ったのだが、締切りが迫っていて、直している時間がなかった。新聞社の編集部が林に泣きつくと、林は「わかりました」と一言した後、原稿の一節に「彼はあわてた。左にさす刀を右にさして、立ち上がるほどあわてていた」とつけ加えて一件落着した。これこそ作家の本分じゃね。
長谷川は大正15年に結婚し、鎌倉・材木座のお寺で新婦生活をはじめた。昭和4年に外遊から帰り、帝国ホテルに滞在しながら執筆していたが、その後、材木座に戻り、鎌倉文士として、生活したが、その生活ぶりは文壇などとは隔絶したゴージャスなものだった。
長谷川がその莫大な印税で建てた大邸宅は「唐金(からかね)御殿」と呼ばれていた。鎌倉鶴岡八幡宮の裏(現、雪ノ下)の傾斜地に、敷地は約3300平方メートルに豪華絢爛の大邸宅を建てた。
昭和はじめの頃。父の怒りを買って当初の計画の三分の一に縮小したが、それでも当時、初めてといわれる冷暖房を完備し、建物を京都から職人を呼んで遣らせるなど、文壇はそのスケールの大きさに度肝をぬかれた。自宅でゴルフ練習場を作って、原稿を送ると息抜きに撃ちっぱなしの練習をしていた。
客室にはモロッコの皮革をはった真っ白なイスやテーブルが並び、中にはシャレたバーもあった。彼の妻はマレーネ・デートリッヒのフアンで、ヨーロッパ旅行で彼女の家の中を見せてもらい、そっくり同じ化粧室を作っていた。床、天井、引出しも全部鏡張りで、入った客は驚いて飛び出す者が多かったというのじゃからね。
長谷川の新邸のガレ-ジには、ピカピカのパッカードがあり、東京へ行く近道だというので山をブチ抜いて、トンネルを計画していたというから驚くね。
長谷川には支配人がおり、厚い台帳に月日、小説名、原稿枚数をキチンと書き込み、鎌倉駅から原稿を送る時は東京駅到着時間と原稿料が届けられる日を確認した。
ぎっしりいっぱいの台帳の、完成した原稿には赤インキで「済」と書かれていた。原稿が完成すると、帝国ホテルから引き抜いた腕自慢のコックが、栄養十分な献立で主人を迎えた。
『一人三人全集』を出したが、その完成後二週間目に、三十五歳の若さで急死した。
一九三五(昭和十)年六月二十九日に三十五歳の若さで心臓マヒで急死した。カルモテンなどを服用した自殺死体によく現れる班点が頚部や下半身に多数あったため、警察が検視にくる騒ぎがあった。
ちょうど前日脱稿した怪奇小説の主人公も心臓マヒで急死するストーリーとなっており、謎の死として、自殺ではないか、と話題になった。
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