日本リーダーパワー史 (28) 国家破綻をストップせよ②ー『鳩山民主党』に国難突破のリーダーパワーはあるのか
日本リーダーパワー史 (28)
国家破綻をストップせよ②ー『鳩山民主党』に国難突破のリーダーパワーはあるのか
前坂 俊之
(静岡県立大学名誉教授)
この原稿は総選挙の前の8月15日の締め切りで書いた原稿です。日本の政治、行政システムが完全に破たんしており、この全面的な改革なくしては日本の再生はないこと、坂道を転げ落ちている国家破綻の現状をストップすることは容易でないことを歴史的に論じたものです。
今の日本の現状は昭和10年代の日本軍部〈現在の官僚制度と同じ〉の中国大陸への進出、侵略。泥沼に足をとられてニッチもサッチもいかなくなった上に、さらに太平洋戦争に突っ込んでいった軍部の暴走と同じ官僚国家の暴走が続いて、国借金は800兆円を超えて世界最悪〈先進国の2倍〉という大敗北を招いてしまいました。
太平洋戦争の末期の敗北に次ぐ敗北の惨憺たる状況と同じ状況が、現在のあらゆる経済最先端分野ではみられます。今一番必要なものは敗北をいかに最小にとどめて、撤退するかの方法論です。
成功学、発展学ではなく、敗北学、撤退学こそ求められています。その、参考になればと思います。
政友会から60年自民党権力闘争史から滅亡史へ
話を本題に戻そう。「総理を作った実力者』は誰かというテーマでは、元老政治に終止符を打った原敬の場合は松田正久(衆議院議長、法相)であり、山県有朋の秘蔵っ子・田中義一は、外相役を引き受けて大陸政策を取り仕切った森恪(もりかく)である。
近衛文麿は西園寺の最後の切り札として、最近の小泉人気以上の圧倒的な世論の支持を受けて登場し、リベラルな知識人も右翼も近衛のブレーンに参集した。しかし、期待の近衛内閣は10日後に起きた日中戦争での軍の暴走を抑えきれず、逆に「国民政府を相手にせず」という外交的大失敗の声明を出し、戦争を泥沼化させてしまった。
昭和16年6月に成立した第3次近衛内閣では日米戦争の露払いの役割を果たす2重3重の失敗を犯した。
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」「陸相をもって陸軍を抑える」と、東條英機を指名したのは最後の元老西園寺にかわった重臣・木戸幸一だが、これが天皇、木戸の意に反して太平洋戦争に突入する「開戦内閣」となってしまった。
1945(昭和20)年8月、焦土の中から再出発し、興亡の2サイクル目に入る。廃墟の中から立ち上がりGHQの主導で現憲法に改正し、日本の民主化がすすめられた。
政治体制も一新され、吉田茂内閣がスタートする。昭和30年11月、保守合同で自由民主党が誕生した。いわゆる「55年体制」の始まりで、昭和30、40年代の自民党対社会党の2大政党対決時代がはじまった。
以後、自由民主党の総裁が総理大臣となり、鳩山一郎以後,石橋湛山,岸信介,池田勇人,佐藤栄作,田中角栄,三木武夫,福田趣夫,大平正芳,鈴木善幸,中曽根康弘と11代にわたって保守長期安定政権を担当した。
キングメーカー吉田学校の教え子たちが次々に総理になった。吉田は官僚を愛し、官僚からこれはという人材を次々に引き抜いて、いきなり大臣に登用するなど吉田内閣では大臣を粗製乱造した。明治に内務省を作り、陸軍と官僚政治を牛耳った山県閥の支配とウリ二つの保守本流の吉田閥がここに誕生した。
もともと、吉田はタナボタで総理を拾った。鳩山一郎が総理になる寸前に追放となったため、吉田に白羽の矢が立った。吉田はこの時66歳だが、政治への野心はなかった。
鳩山は松野鶴平(政友会幹事長、のち衆議院議長)を同道して吉田に総裁就任を要請するが、吉田は拒否し、代わってお願いした古島一雄(貴族院議員)にも断わられ、古島は吉田を推した。
吉田は「人事に口をはさむな」「やめたいときはいつでも辞める」など虫のいい条件を出していやいや引き受けた。吉田を口説き落とし、吉田総理を作った第一功労者は松野であり、7年2ヵ月にわたる長期の吉田政権を維持できたのも影で「政界の寝業師」・松野が支え切ったためであった。
吉田内閣の功績は飢餓から国民を救い、マッカーサーと五分にわたりあって、世論におもねず単独講和により早期に独立を果たしたことだ。吉田ワンマンに強いリーダーパワーがあったことは確かだが、一方、牧野伸顕(大久保利通の二男)の女婿というエリート外交官出身で貴族趣味でわがまま。
政党嫌い、党人派政治家嫌いの性格で民主的な宰相ではなかった。キングメーカーとなった吉田は山県そっくりの元老タイプで官僚を偏重して、114人もの大臣を粗製乱造した。中でも池田勇人、佐藤栄作を最も可愛がって、総理につけて、現在に引き続く自民党官僚主導政治の基礎を作った。
これでは明治の軍閥政治、官閥政治と低流ではつながっており、西欧先進国の議会制民主主義国の中では例のない、遅れた封建的な官僚政治主導国家になってしまった。
続いて、吉田官僚政治を一見打ち破ったかのように登場したのが、田中角栄である。
「昭和の今太閤」「金権腐敗の巨悪」「コンピュータ付きブルドーザー」「闇将軍」などさまざまなレッテルのはられた田中角栄だが、日中国交回復をその抜群の行動力でアッという間に実現し、国内的には「日本列島改造論」を唱えて公共工事最優先の土建国家を目指した。カネと度胸と親分肌の面倒見のよさで強力な自民党最大派閥「田中軍団」を築いた。
1972(昭和47)年の福田赳夫との一騎打ちで田中内閣は誕生したが、この時の最大の功労者はその二年前に死去していた川島正次郎・前自民党副総裁であり、「趣味は角栄」といってはばからなかった二階堂進(木曜クラブ会長)である。
田中の取り巻きには大平正芳、鈴木善幸、久野忠治、瀬戸山三男、西村栄一、竹下登、金丸信らの実力者がズリラと並び、次には7奉行といわれる橋本龍太郎、小渕恵三、梶山静六、羽田孜、小沢一郎、渡部恒三らの「田中学校」優等生が控えていた。
最盛期の田中軍団は総勢110人に達して自民党最大派閥を長く形成し、ロッキード事件で逮捕、有罪になってからも田中は「闇将軍」として政界に隠然たる勢力を保ち、影のキングメーカーであった。
その点では、昭和戦後から平成までの自民党長期政権は吉田中時代(吉田・田中支配の時代)といって間違いなく、党人派政治家のチャンピオンの田中も官僚王国をうまくコントロールして、明治以来の官僚主導政治を続けただけで、時代の進歩に合わせた保守政治の改革を怠ってしまった。
1974年12月の田中内閣後の椎名裁定による三木武夫内閣の誕生は三木本人が「青天の霹靂」といって話題になったが、「事前に佐藤栄作が目白(田中角栄)を訪れて、『椎名裁定で行く、次は三木だ』と告げていた。
田中も仕方なく受け入れるしかなかった。三木内閣の仕掛け人は佐藤だった」との秘話を佐藤昭子「田中角栄」(経済界、2005年刊)が明らかにしている。
中曽根内閣を作ったのも田中で、マスコミは田中曾根内閣と命名した。田中は「中曽根は遠目の富士だ。遠くに見る富士は諷爽として美しい。近くに行けば瓦礫の山さ」(佐藤前掲書)と評したが、「政界の風見鶏」といわれた中曽根内閣は5年の長期政権となり、レーガンとの日米外交に成功した経済大国日本の存在感を世界に示した数少ないリーダーパワーのある総理大臣であったことは確かである。
田中軍団は竹下登「創世会」の登場で内部分裂し、以後、竹下登、海部俊樹、宮沢喜一、羽田 孜、村山富市、橋本龍太郎、小渕恵三という総理の流れは、田中軍団幹部の金丸、小沢一郎、野中広務、青木幹雄らが中心となって、バトンタッチしながら粗製乱造してきたのである。
その田中軍団が四分五裂、雲散霧消(うんさんむしょう)した2000年以降、「清和会」(森喜朗派)に政権が転がり込み、青木、野中、亀井静香ら5人の密談で森喜朗の「森蜃気楼内閣」が誕生。このあと、「小泉自民党ぶっ壊す内閣」「小泉郵政省解体内閣(5年半)と続いて、賞味期限のきれた自民党政治を逆に延命させてしまった。
小泉総理を誕生させたのは政治家ではなく、「古い、古い日本の政治をチェンジしてほしい」という国民の願いであった。
その民意をくみ取れず、2世3世議員のお坊ちゃん安倍普三の「お友達内閣」、福田康夫の「とりあえず内閣」というダメ総理たちが、国民のための政治ではなく、派閥、官僚政治を繰り返したために、ついに自民党のご臨終となったのである。
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