『リーダーシップの日本近現代史』(88)記事再録/★ 『拝金亡者が世界中にうじゃうじゃいて地球の有限な資源を食い尽し、地球環境は瀕死の重傷だ。今回のスーパー台風19号の重大被害もこの影響だ』★『9月23日、スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンペリさん(16)が「人々は困窮し、生態系は壊れて、私たちは絶滅を前にしているのに、あなたがたはお金と永続的経済成長という『おとぎ話』をよくも語っているわね!若者は絶対に許さない』と国連に一堂に介した各国の首脳たちをチコちゃんにかわってをしかりつけた。会場に突然、現らわれたトランプ大統領を刺すような強烈な視線でにらみつけた。。彼女にこそノーベル地球賞を与えるべきだったね』★『 今回も百年先を見ていた 社会貢献の偉大な父・大原孫三郎の業績を振り返る②」 つづく
社会貢献の偉大な父・大原孫三郎を見習いたい。100年前に企業の
社会的責任をこれほど果たし経営者はいないね②
『黎明を駆け抜けた世界的なメッセ王』大原孫三郎の生涯②
社会的責任をこれほど果たし経営者はいない
米ロックフェラー病院などを見習い、倉敷市内に敷地三万五千平方メートル、建坪一万平方メートル、二百二十ベッドの最高レベルの病院を建設した。約二百万円(現在だと四百億円)の建設費その他はすべて大原が負担。大正十二年(一九二三)六月に開院式が行われた。倉紡中央病院(昭和二年に倉敷中央病院と改称)である。
時代を先取りした「シンクタンク」を創設
政府は「社会問題」は不穏当であるとして「生活問題研究所」に変更するよう圧力をかけたが、大原は屈しなかった。経済人としての大原の勇気と社会正義への信念は土性骨が入っていた。孫三郎は設立に当たって「この研究所を世界的に立派なものにしていきたい。自分はもうけた金は全部社会のために使い果たすつもりである」と述べている。
大正八年(一九一九)「大原社会問題研究所」が設立されたが、高野所長のもとに櫛田民蔵、・森戸辰男、久留間鮫造、大内兵衛、細川嘉六、笠信太郎、長谷川如是閑、河上肇らの当時の日本での最高の知識人、代表的な社会科学者そろってスタッフに加わった。
同研究所から、「大原」の名前をはずすように言われても、応じなかづた。今でいう「シンクタンク」や「企業研究所」の先駆的なケースだが、大原の構想は一実業象のワクをはるかに超えた国家的な事業を先取りしていた。世界的なレベルの社会問題研究所を一企業家がつくもので大原の世界を視野におさめたスケールの大きさと、哲学を感じる。
現在の日本とくらべて、これまで世界第2の経済大国になったといっても、天下り役人の受け皿の政府系や民間企業のシンクタンクはたくさんあるが、世界的に通用するシンクタンクは皆無であった。
大部分が企業発展、経営、利潤追求のための予想や研究などを主な業務としており、大原が今から100年前につくったこの研究所を上回るものはないと言って過言でない。いかに大原孫三郎が偉大であったかの証明である。
近藤万太郎博士のもとで、種芸、農芸、化学病理、昆虫の四部門を科学的に研究。岡山を代表する温室ブドウのマスカットや桃の「すいみつとう」、タタミ表の原料である「イグサ」も、品種改良によって生まれた。
大原は大正十年(一九二一)正月の倉紡幹部の集まりで所感を述べた。この時、大原は四十歳で事業面でも、精神的にも一番、脂がのり切っていた時であった。そこで、彼の思想哲学を吐露している。
「私の仕事の中では、自己本位のこともあり、間違ったやり方もあるであろうが、ただ自分の家とか、子孫のためとか、という考えは毛頭持ちたくないと思っています。家に子供のあることをむしろ不幸だと考えるくらい自分のことを全然客観的立場に立って一生を過してみたい。私の仕事が社会的に意義を持ち、多少社会のお役に立ち得るならば、それで私は満足であります」。
大原社会問題研究所とは、大正八年から昭和十二年まで大阪天王寺の裏門の前にあったわが国最初の、そしておそらくは当時もっとも有力な社会問題研究所のことであります。この研究所の跡はいまもなお天王寺の裏門のところにベルギーのソルベー研究所と全く同じ形をして残っております。
そしてその書庫には、世界にも少いぐらいりっぱな経済学の文庫があり、それを大阪の諸大学の先生が利用しております。これが全部、大原孫三郎の出資によってできたものである。その事業そのものは、今日法政大学によってうけつがれ、法政大学大原研究所となっています。
民間の研究所で、しかも、資本主義の世の中からややもすれば一白い眼で見られでいたこの研究所が、四十年もこの生命を保っている、そして少しもその目的を変えないということは、この学問、社会科学のために誇っていいと思います。
大原孫三郎は学問の偉大なパトロン
これは全くのウソであり、この事業によって、大原さんは一厘寸銭も儲けたことはあるまい、それどころか年々巨額の金、今でいえば二千万円にも当る金をこの研究所に投じておったのであります。
つづく
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