前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本風狂人伝(27) ウナギ狂で老らくの恋におぼれた斎藤茂吉

      2016/02/22

日本風狂人伝(27)
ウナギ狂で老らくの恋におぼれた斎藤茂吉
                     前坂 俊之(ジャーナリスト)
                                  
さいとう・もきち(1882-1953) 山形県生。大正、昭和歌壇の巨人。伊藤左千夫に師事。昭和以後も青山脳病院長。「アララギ」を編集。『赤光』 『あらたま』などの歌集を刊行。代表作は『柿本人麿』。昭和26年に文化勲章受章。作家北杜夫は二男。『斎藤茂吉全集』 (全37巻・岩波書店)、歌論書や万葉研究書も多く、随筆でも一家をなしている。
茂吉は貧しい少年時代を過ごしたため、食事にはうるさかった。ミソ汁が好きで、前の日から、翌日のミソ汁の具を何にするかを指示しており、その通りしないと不機嫌になった。うまいものへの異常な執着は若いときから。十四歳で山形から上京した。当時、山形には寿司屋はなく、東京にいけば「寿司というとても旨いものがある」と聞いて是非食べたいと思った。
 上京した最初の夜、屋台で「一個一銭」の寿司屋があった。フトコロには三銭あった。三個だけ食べようと思って、食べるとうまい。またたくまに四十個以上食べてしまった。そのうち腹も痛くなり、払うお金がないと、気をもんでいるうちについに気絶してしまった。
 
 歌人の斎藤茂吉は学生時代、舌を出してペロリとなめるので、「ペロリさん」とニックネームをつけられた。無口で、精神病院の院長になってからも、会議で全くしやべらず、下を向いて一人ブッブツ言を言っていた。このため周囲から「よく、あの人に院長がつとまるね」と言われた。
 
1・・ウナギが大好物、スタミナの秘訣はウナギ
一番の好物はウナギ。ウナギをダイヤモンドのように好んでいたが、最高級の店には行かず、どこの町にもある、並みのウナギ屋を愛していた。ウナギを食べた茂吉は五分も経つと、目が輝いてきた。「ゆうぐれし 机のまえにひとり居りて 鰻を食ふは楽しかりけり」と昭和二年に歌っている。
 茂吉の長男茂太は精神科医、エッセイストとしても有名だが、昭和十八年十月に銀座の『竹葉本店』でお見合いをした。戦争中でウナギがなかったため、主人がわざわざ釣ってきたウナギを出した。
 茂太の未来の花嫁はうつむいたまま、ウナギにハシをつけない。〝ウナギ狂″の茂吉はいきなり「そのウナギ、僕にちょうだい」と花嫁が恥ずかしそうにモジモジして返事をしない間に、サッと、食べてしまい、周囲はアッケにとられた。
太平洋戦争下の疎開中のこと。食事にたまたま大好物のウナギが出た。茂吉は自分のウナギと隣のものを、しげしげと比較。隣のが大きいと見たのか「チヨットかえて……」と交換、やっぱり元の自分のが大きかった、とまた気が変わり「また、かえてちょうだい!」と取りかえた。
人前でしゃべる講演など大嫌いで、断っていたが、ある時「講演がすんだあとにウナギを出す」と言われて、コロリと態度をかえて引き受けた。最初は「十五分しかしゃべりませんから」と言っておきながら、結局、ウナギにつられて四十五分間もしやべり続けた。
2・・ボンレスハムはダイヤモンド以上の貴重品
 
物資が著しく欠乏していた一九四七(昭和二十二)年のこと。東京世田谷区代田の茂吉の家に、岩波書店の小林勇が〝ボンレスハム″を持って見舞いに訪れた。当時のボンレスハムは、それこそダイヤモンド以上の貴重品。茂太、二男の北杜夫らは喜び勇んで、舌なめずり。
 ところが、茂吉は家族全員を集めて「これはオレだけのもので、オレが食べる!」と高らかに宣言。二人は腹をすかせたまま、指をくわえて見ていた。 茂吉はというと、このボンレスハムを何と飼ネコのクレーバー・キャットに惜しげもなく与え、茂太らを「われわれはネコ以下か……」となげかせた。
茂吉は子供にはカミナリ親父として恐れられていた。カンシャク持ちで、怒る時は本気で爆発し、周囲はふるえ上がった。
 ある時、新聞記者が原稿依頼に訪れた。茂吉は昼寝中で、女中が「お留守です」というと、記者は「居留守だろう」と言って帰らない。
玄関の真上が寝室で、これを聞いた茂吉は烈火の如く怒り、玄関に出てきて「留守といったら、留守なんだ。帰れ」とドナり、記者を追い返した。しかし、その新聞にはその後、原稿を書いた。
茂吉の妻てる子も、晩年は世界各地を一人旅してほとんどの国を回ったという奇人だが、茂吉が五十一歳の時に、新聞にその奇行ぶりが報じられ二人の仲は決定的におかしくなってしまった。
食に関して、てる子も変わっており、クマゴのからがカルシュウムが含まれているというので殻粉砕機を買ってきて粉々にして食事に出したり、茶殻を出したり、野菜は煮すぎると栄養が逃げるとしてニンジンを生のまま出だした、りして、息子の茂太や北杜夫らが栄養失調になったこともあった。茂太はこの原因を「母原性悪憧消化不良症」と呼んでいた。
 
3・・53歳で30歳下に老らくの恋
 
 こんな直情径行で情熱家の茂吉が、娘ほど年の離れた永井ふさ子と熱烈な恋に落ちたのは、茂吉が五十三歳、ふさ子が二十四歳の時である。
永井ふさ子は茂吉が主宰の『アララギ』 に入会、短歌の指導を茂吉から受けていたが、昭和九年九月に初めて茂吉の前に姿を見せ、茂吉はその美しさに心を奪われた。ふさ子も師に思慕の念を抱くようになる。
一九三六(昭和十一)年一月十八日、浅草の瓢箪池の藤棚の下で、茂吉は初めてふさ子とキスをしたが、巡査の不審尋問にあった。茂吉の恋心は青年のように燃え上がった。ふさ子にあてた情熱的なラブレターの一節。
「御手紙いま頂きました。実は一日千秋の思いですから、三日間の忍耐は三千秋ではありませんか。その苦しさは何ともいわれません。……ふさ子さん! ふさ子さんはなぜこんなにいい女体なのですか。何ともいえない、いい女体なのですか……」
 こんな熱烈なラブレターを、茂吉は五月末までに計三十通も出したが、読んだら必ず焼くように、くり返し指示していたという。
昭和十二年春、ふさ子は四国の松山で婚約した。茂吉の落胆ぶりははた目にも気の毒なほどであったが、あきらめ切れないのか、「キスの場所と時を知らせてほしい」と手紙を出した。
「涙が出てしかたがありませんでした。もう観世音に感謝の涙を流して、御あいしないことにいたします。……これも失礼になるかとおもいますが、僕との間ですから、M氏 (婚約者) と最初のキスの時と場所をおっしゃってくださいませんか。岡山でなさった時、あるいは松山、あるいは御旅行、又は海浜というように場面もちょっと御書き下さいませんか」
4・・・熱烈なラブレターを出す
昭和三十八年、斎藤茂吉が永井ふさ子にあてた書簡八十通が、ふさ子によって『小説中央公論』で公表された。
「ふさ子さん、何といふなつかしい御手紙でせう。ああ恋しくてもう駄目です。しかし老境は静寂を要求します。忍辱は多力也です。忍辱と恋とめちやくちやです。……ふさ子さんの小さい写真を出しては島日、また出してはみて、為ことをしています。今語呂房子さんは寝ていらっしやるか。あのかほを布団の中に半分かくして目をつぶってかすかな息をたててなどとおもふと、恋しくて恋しくて、飛んででも行きたいやうです。ああ恋しいひと、にくらしい人」
結局、永井の縁談はの三角関係でこわれてしまい、茂吉とふさ子の関係は終わる。永井ふさ子は生涯独身を通し、平成四年に亡くなった。

 - 人物研究 , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『Z世代のための昭和政治史講座・吉田茂の長寿逆転突破力の研究』★『吉田茂が戦争反対で憲兵隊に逮捕されたが、そういう政治家でないと本当の政治家ではない。佐藤栄作、池田勇人は吉田学校の優等生だが、彼らは政治上の主義主張で戦って、迫害を受けて投獄されて屈服しなかった本物の政治家じゃない』(羽仁五郎)』★『いまや自民党の2世、3世の政治屋家業が約30%、封建時代、江戸時代に逆戻!?』

『リーダーシップの日本近現代史』(339)-<国難を突破した吉田茂の宰相力、リー …

no image
日本リーダーパワー史(918)記事再録『憲政の神様/日本議会政治の父・尾崎咢堂が<安倍自民党世襲政治と全国会議員>を叱るー『売り家と唐模様で書く三代目』①『総理大臣8割、各大臣は4割が世襲、自民党は3,4代目議員だらけの日本封建政治が国をつぶす』

  2012/02/23 日本リーダーパワー史(236)転載 < …

no image
『オンライン/田中角栄のリーダーシップ研究』★『昭和戦後宰相列伝の最大の怪物・田中角栄の功罪』ー「日本列島改造論』で日本を興し、金権政治で日本をつぶした』★『日本の政治風土の前近代性と政治報道の貧困が続き、日本政治の漂流から沈没が迫っている』★「土光臨調」で示した田中角栄の最強のリーダーシップを見習えー『言葉よりも結果』』

 田中角栄×前坂俊之=71件   『オンライン/新型コロナパ …

no image
世界、日本メルトダウン(1017)ー「トランプ操縦の『エアホースワン』は離陸後2週間、目的地も定まらず、ダッチロールを繰り返す」★『仏大統領選 ルペン氏が首位 左派アモン氏低迷 世論調査』→『トランプ大火災は「パリは燃えているか」(第2次世界大戦中のヒトラーの言葉)となるのか!

  世界、日本メルトダウン(1017) トランプ操縦の『エアホースワン』は離陸後 …

no image
日本リーダーパワー史(818)『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、インテリジェンス㉝『日本史決定的瞬間の児玉源太郎の決断力⑤』★『児玉は日露外交交渉は不成立の見通しを誤る』★『ロシア外交の常套手段である恫喝、武力行使と同時に、プロパガンダ、メディアコントロールの2枚舌外交に、みごとにだまされた』

 日本リーダーパワー史(818)『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」し …

『鎌倉絶景チャンネル』★『鎌倉材木座・由比ガ浜海岸ダイヤモンドビーチの朝の歌でいやされる(2023年1月7日)-太陽光発電・砂浜浴・潮騒(海の鼓動)で体と心のバッテリーが急速充電される。

鎌倉材木座・由比ガ浜海岸ダイヤモンドビーチの朝の歌でいやされる(2023年1月7 …

no image
●「日本の新聞ジャーナリズム発展史(下)-『 昭和戦前期 ・軍ファシズムと新聞の屈伏』★『新聞と戦争「新聞の死んだ日」』★『 昭和戦後期・占領時代の検閲』★『「60 年安保からベトナム戦争まで」』★『「安保で死んだ新聞はトベトナム戦争でよみがえった」』

「日本の新聞ジャーナリズム発展史」(下)   2009/02 …

 『リーダーシップの日本近現代史』(70)記事再録/日本リーダーパワー史(241)空前絶後の名将・川上操六(29)★『戦いで最も重要なのは「インテリジェンス」 それ以上に重要なのは「ロジスティックス」』

 2015/02/17日本リーダーパワー史(241) 空前絶後の名将・ …

no image
近現代史の重要復習問題/記事再録/『大日本帝国最後の日ー(1945年8月15日)をめぐる攻防・死闘/終戦和平か、徹底抗戦か?⑥』<8月14日の最後の御前会議―昭和天皇の言葉とは!>『御前会議が終ったのは正午,ついに終戦の聖断は下った。』

  2014/11/01 『ガラパゴス国家・日本敗戦史』㉑ …

no image
『オンライン/新型コロナパンデミックの研究』-『コロナ共存社会は数十年続く』(英大学教授)★『世界人口の10%が新型コロナ感染の可能性 WHO推計(10.07)』★『WHO、新型ウイルスの死者200万人は「かなりあり得る」ワクチン開発でも』

『コロナ共存社会は数十年続く』   前坂 俊之(ジャーナリスト) 7月 …