「花子とアン」のもう1人の主人公・柳原白蓮事件(5)「愛人宮崎龍介との出会いー青春の力に恋の芽生え」(東京朝日)
2015/01/01
「花子とアン」のもう1人の主人公・柳原白蓮事件(5)
NHK連続ドラマ「花子とアン」のもう1人の主人公・柳原白蓮事件は
どう描かれたか・
柳原白蓮事件は大正デモクラシーのエポックを告げる事件である。
明治維新後、一応士農工商は廃止され、四民平等になったとはいえ、
実質上は天皇制の立憲華族主義の実態、日本の旧弊の家族制度、
男尊女卑、女性差別、公娼制度、男女自由恋愛の御法度など
封建的身分制度、きびしい男女差別、女性の非参政権は
1945年(昭和20)8月の全面敗戦によって、米国に大改革される
までは、日本人の手によって民主化、獲得することは
できなかったのである。
「花子とアン」のもう1人の主人公・柳原白蓮事件では、日本の
近代史な負の部分、柳原白蓮が戦ってきた封建的な
男女差別、身分制度、公娼制度、女性の就職口といえば
女工哀史か、女給や女中位しかななかった影の部分に
このドラマはほとんど光を当てていない。
BSによる海外のドキュメンタリーやドラマ
と比較するとNHKや韓国ドラマもそうだが。ディレクター
に歴史的、民主的な的な視点が欠落しているの
ではないかと思う。
華族とはいえ妾の子にうまれて「不幸な差別された人生を
送った柳原白蓮は大正デモクラシーの一端に触れて、社会の影
で抹殺されていた男女差別の実態、人権蹂躙に
目覚めて、西欧社会ではすでに獲得されていた
人間の平等、自由、権利の主張に立ち上がったのである。
当時の新聞、資料でその影の部分をそのまま紹介する。
柳原白蓮
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%8E%9F%E7%99%BD%E8%93%AE
白蓮事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%93%AE%E4%BA%8B%E4%BB%B6
宮崎龍介
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E9%BE%8D%E4%BB%8B
<1921年(大正10)10月22日「東京朝日」>
愛人宮崎龍介との出会い
青春の力に恋の芽生え‥
こうした背景に立った筑紫の女王も、いたずらな名門の出という退っ引きならぬ因襲的の桎梏にしっかりと因われて、煩悶と襖悩の日を、血も滲み出るような人知れぬ涙の裡に送って居た。かよう黄金の針金に編まれた龍に飼われた小鳥の不自由さは、やがて慰めの歌となって現われた。
それは心の底から迸る血の結晶であった。熱い涙の滴りであった。滾々(こんこん)として湧き出ずる夫人の詩才は自由を求め、真の愛に到達すべき対象を求めたものが多かった。
筑紫の歌人白蓮の名はいやが上に高くなった。
たまたま大正七年の雑誌『解放』に白蓮女史は、更に新作脚本「指髭街道」の1編を発表した。そしてこの「解放」の編集をして居たのは、宮崎龍介君等の吉野(作造)博士を中心とする帝大法科新人会の1派であった。
評判のよかったこの脚本は単行本として刊行することになったので、別府に居る白蓮夫人と打ち合わせのため社員を派することになった。
その役目は宮崎君であった。これがそもそも二人の相知る機会となったのである。その時分には宮崎君はまだ大学法科三年の学生で新人会が新しき社会運動の源泉として活躍して居た黄金時代で、宮崎君はその中心となって活躍し、若い溢るるばかりの元気に充ち満ちて居た。そして梅も散った大正八年の一月末、
九州湯の町に遥々孔雀のような女王白蓮女史を訪ねた。
「現在の生」に対する心の底の悩みを誰と打ち明けて語るべき周囲を持たなか
った夫人も、宮崎君の素直な元気な態度にひどく感激した。夫人の心の中に久しく憧れのあるものは、冷え切って居た心の奥土に新たな芽ばえを感じて来た。
その翌る日もその翌る日も、夫人と宮崎君とは別荘に語り合った。
折柄、今は吉井伯爵嗣子勇氏に嫁いだ柳原伯の令嬢密白蓮夫人の姪福子や令妹徳子為泊まり合わせ居たので、一夜加留多会を開いた。
歌に理解を持つ白蓮夫人が一「読み」の合間に、「人知れずこそ思ひそめしか」恋歌の札数を宮崎君にも説いたりした。歌ならなくに白蓮夫人の心にもそれは知るよしもないが、こうした春の別荘のひと夜をいまも宮崎君は忘れ得ぬ印象の1つとして語って居る。
別府に二、三日を滞在して宮崎君が帰郷の途に就くその日、白蓮夫人は門司行きの宮崎君を同じ汽車に小倉まで見送った。腰うちかけて並んだ夫人は車中に初めて生に対する苦悶の叫びを発したと云っている。
「伝右衛門氏別邸は福岡にあるので、白蓮夫人は門司行の本邸にかえる道序い
であったのです」
宮崎君はそう云って居るそうだが、それはそう聞いておこう。
電報で恋の歌.
宮崎君が東京に帰ってから間もなく、白蓮夫人かちの音信は「解放」の編輯室に届いた。三通、二通と日として欠かさぬことはない有様だったので、周囲の若い同人連にはその頃から噂が高くなった。便りのたび重なるにつけて巻きこめた夫人の精けは、だんだんと熱く、年長けた夫人妙心持ちを詩才に任せて青春の宮崎君の心を掻き乱したことも多かった。
「南無帰依仏まかせまつりし一筋の心としらば.救はせ給へ」とか「伏姫の犬にてもよし誠あらば 身を寄せむとし思ふ一時」とか、愛を求めて切なる悲痛の声はこの頃夫人の作として世に現われた。或る時はまた心急がるるままに,
激しい情感を電報で歌を宮崎君に寄せたことさえある。少時も耐え得ぬ心の悶えを訴えてきたのである
その間には幾枚かの短冊も宮崎君の机上に郵送されて来た。今では溜まり溜まって優に1巻の「踏絵」ともなろう、優に一巻の「几帳の蔭」となろうほどに達した。
春秋に上京の時
桜の咲く頃と別府の紅葉がやや色づく頃二なると、伝右衛門氏夫妻は東京に出て来る慣わしとしていた。その春の1日。加留多の一夜に想い出の跡を辿って居た夫人は伝右衛門氏とともに、その年早々上京した。
白蓮美人は.その翌る朝、実家柳原家に出かけると云って、l市外高他村雑司ケ谷の宮崎君の宅へ密かに訪ねた。2人の前にもはや何物も破壊の威力を揮い得なほどになっていた。
久しく求めて得た愛の情熱は到底、醒めがたいほどに極めて高きものであった。白蓮夫人の柔かなる懐からはその日までは何人にも秘めたあまたの手紙が取り出された。女王を恋うて言い寄る、仇し男の数々の名があった。
数年の間に夫人が恋しと忍んだ男の名も自ら告白した。それは元宮内省書記官松根豊次部氏であった。白蓮夫人と宮崎君との偽なき二人の告白は、初めて美わしい恋愛と相結んで互いにいささかのわだかまりもなく諒解を得たのであった。
それからの二人の伴れ立つ姿は、秋の夜の日比谷に春の夕の銀座の賑わいに時折見られた。ある夜は帝劇のボックスに芸術を語り合うこともあった。一年ただ二度の逢瀬ではあったが、その間に往復の便りはいつも変わりなき真情の流露であった。
無論歌に思いを濃やかに含めては、自由に会い得ざる窮屈さを侘しがって居た。ある時は京都の東山あたりに両人の姿を見たという者さえある。神戸あたりにそれらしい女王の姿を見受けたとも噂されて居る。
特に若い人々の記憶に残っているのは昨年の春、「指髪外道」を坪内博士の女婿飯塚法学士が主事となっている創作劇場で公演された時、ちょうど夫人は日本橋の末広に催された本読みの集まりに出た。黒紋付の羽織をすらりと撫で房に流した夫人の蔭には、良人と先夫人との間に生れた長女初枝子も来て居た。
そしてその傍らに宮崎君も心あり気に立って居た。この光景を思い出したものは、なるほどと膝を打つであろう。
最後の手紙
白蓮夫人が因襲的結婚の反逆者となろうとした決意は、今度の上京を機としてにわかに固くなった。福岡を出発する以前、夫人はすべて.いっさい後顧の憂いなきよう整頓を終えた。そして永年侍らせた小間使いにも他所ながら暇乞いをした。
良人伝右衛門氏に送るべき最後の手紙をも認めた。巻紙二本に細々と自分の伊藤家を去るべき理由を述べた。その内容はかなりに露骨に伝右衛門氏の愛なき理解なき態度を難じ、更に夫人に反感を抱く家族との精神的争闘に耐え得られ
ぬ悲しみを述べてあるそうだ。
こうして東京への旅に上ったが、彼女が十年の過去に於いて伝右衛門氏から与えられた衣類も調度もいっさいを返却して仕舞う決心で、伝右衛門氏の福岡に帰った後を追うて、身に纏える一枚一枚の絹物も、三個のダイヤモンド入りの指輪も三個の、真珠入りも、外に三個の金指輪の八つは、その長い手紙と同時に送り返すとか返したとか。
関連記事
-
-
記事再録/日本リーダーパワー史(980)-『昭和戦後宰相列伝の最大の怪物・田中角栄の功罪ー「日本列島改造論』で日本を興し、金権政治で日本をつぶした』★『日本の政治風土の前近代性と政治報道の貧困が続き、日本政治の漂流から沈没が迫っている』
2015/07/29 /日本リーダーパワー史(576) …
-
-
日本メルトダウン脱出法(855)日本人を元気にする岡崎慎司(レスター)のウルトラ・スーパーゴール/オーバーヘッドで決勝ゴール‼︎(決定動画)スゲーよ★☆
日本メルトダウン脱出法(855) オーバーヘッド弾で評価一変!岡崎がこじ開 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(175)★『中曽根康元首相(101歳)が11月29日午前、死去した』★『中曽根康弘元首相が100歳の誕生日を迎えた』★『昭和戦後の宰相では最高の『戦略家』であり、<日米中韓外交>でも最高の外交手腕を発揮した。』
田中角栄と同期で戦後第1回目の衆議院議員選挙で当選した中曽根康弘元 …
-
-
「パリ・ぶらぶら散歩/ピカソ美術館編』①」(5/3日)周辺の光景 ー開館前から行列ができ、終日長蛇の列、20世紀最大の画家・ピカソの圧倒的な人気がしのばれる。
2015/06/01 記事再録 『F国際ビジネスマンのワ …
-
-
世界を制した日本人ー「ハリウッド」を制したイケメン・ナンバーワンは-「セッシュウ・ハヤカワ」とは何者かー②
世界を制した日本人 映画の都「ハリウッド」を制したイ …
-
-
「Z世代のための日本最強リーダーパワーの勝海舟(75)の研究④』★『危機管理を忘れた国は崩壊するのが歴史法則』★『ペリー黒船来航の情報に対応できず、徳川幕府崩壊へ』★『阿蘭陀風説書でオランダ国王から黒船来航予告にまともに対応せず、 猜疑心と怯惰のために,あたら時間を無駄 にすごした」(勝海舟)』
2020/04/10   …
-
-
★『コロナパニックによる外出自粛令で、自宅で閉じこもっている人のためにお勧めする<チャップリンと並んでハリウッドを制したスーパーパーソン>の人物伝>超面白いよ」★『20世紀に世界で最高にもてた日本人とは誰でしょうか!-「セッシュウ・ハヤカワ」
★20世紀に世界で最高にもてた日本人とは誰かー 『映画の都「ハリウッド」を制した …
-
-
『日本リーダーパワー史』(1236)『トランプ次期大統領、石破首相の内憂外患② 』★『トランプ政権始動ー閣僚人事で報復、復讐か!』★『トランプ氏との会談を求めた石破首相』★『石破首相の「リーダパワー?」が問われている』(11月15日までの情報分析です)
●「お前はクビだ!」 (B)「この人事は大変な問題になるそうですね!?。トランプ …
-
-
『日本の運命を分けた<三国干渉>にどう対応したか、戦略的外交の失敗研究』⑱』★『なぜ「黄禍論」は「日本禍」となったか 』★『日本の予期せぬ日清・日露戦争での勝利に恐怖したヨーロッパ』★『皇帝ウイルヘルム2世の「大ダコ(黄色人種)がヨーロッパ(白色人種)を襲 う恐怖図』
逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/11/18am700) 190 …
