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日本リーダーパワー史(45)国家戦略・リーダーシップ・インテリジェンスの日露戦争と現在の比較論―長岡外史について②

   

日本リーダーパワー史(45
 
国家戦略・リーダーシップ・インテリジェンス
の日露戦争と現在の比較論―長岡外史について②
       前坂俊之(ジャーナリスト)
 
今から100年以上も前、1904年(明治37)日露戦争当時に、陸軍参謀本部の建物は現在の千代田区永田町1目1番地、国会前庭南地区にあった。
 
本来、「大本営」は宮中にあるべきものだが、参謀本部に陸軍の大御所、山県有朋が参謀総長として執務し指揮していたので、この西洋式建築の参謀本部が一般には「大本営」と呼ばれていた。
 
明治天皇が軍の統帥者だが、実質は山県が最高指揮官であり、その下の参謀本部次長は長岡外史が座っていた。長岡は写真をみると驚くが世界第二位という60センチの髭を蓄えた奇人変人参謀であった。その実、大変有能で機略縦横の川上操六、児玉源太郎の子分だった。
 
日露戦争にかかわった軍人では大山厳、児玉源太郎、乃木希典、山本権兵衛、東郷平八郎、秋山真之らは有名で何十冊も研究書が出ているが、「大本営」参謀本部のナンバー2にすわった長岡は余り知られていない。
 
長岡は長州出身で、陸大一期生。同期の藤井茂太とともに、陸軍の首脳を説得してメッケル少佐統率の参謀旅行を実現し、派閥に凝り固まった陸軍を打ち破るため軍事研究が目的の研究会「月曜会」を8年間主宰した偉才で、ドイツに3年間留学し、参謀本部の川上操六から薫陶を受けた。
 
川上の命令で日露戦争に備えてウラジオストック・ハバロフスクへの軍事視察にいき、ドイツ留学からの帰路もシベリアを経て旅順を見てきており、ロシアについては誰よりも研究をしいた。
 
児玉源太郎参謀次長が満州軍総参謀長として戦地に赴くに際して、広島から長岡を呼び、「俺のあとに大本営参謀次長になれるのはお前しかいない」と長岡を抜擢して後事を託したほどだ。
このとき、参謀本部次長の候補にのぼったのが伊地知幸介である。
 
大本営では山県総長は病弱で判断力にも欠くことも多かったので、実質的な戦地への連絡などは長岡外史の次長名で出す場合が多かった。当時の通信機関は脆弱を極め、、大本営が的確に情報を掴んで命令を下ためのコミュニケーションの混乱も何度も起こっている。
そんな統帥機構の未熟な中で日露戦争で全軍を実質指揮したのは児玉源太郎であり、陸軍内で発言力でも児玉が完全に牛耳っていた。
 
第一回旅順要塞の総攻撃が失敗に終わったことに長岡はカンカンに怒っていた。20万タルのセメントで固められ日本の最新式の攻城砲ではびくともせぬ難攻不落の203高地の要塞について、乃木率いる第3軍はバカの1つ覚えの白兵戦の正面攻撃、正攻法をくりかえしては屍の山を築いた。
 
長岡は少しでも陥落を早めて、それだけ兵士の犠牲を少なくするため、「有坂砲」で知られる有坂成章少将の提案によって東京湾で担海岸砲として取り付けられていた「28サンチ砲」をはずして、旅順攻撃に使うように第三軍に指示した。
 
ところが、何度指示しても、第3軍の伊地知幸介参謀長からは「送ルニ及バズ」と拒否の返事が返ってくる。伊地知は大山巌元帥の姪と結婚しており、フランス、ドイツに留学、その後日清戦争時には大本営参謀・参謀本部第1部長。旅順要塞攻撃で編成された第3軍の参謀長に抜擢された。長州出身の乃木大将との藩閥均衡人事で、薩摩出身の伊地知が任命され、白兵突撃に偏った作戦に終始した。
 
続く第二回旅順総攻撃でも突撃に次ぐ突撃、肉弾に次ぐ肉弾の猛攻を加えたが、ごく一部を占領しただけで「死傷者3803人」を出した。「25サンチ砲」では効果がなかったことにも気付かず、「28サンチ砲」の発送を『送ル二及バズとはどういう了見か、頑固な奴め!。兵をこんなに犠牲にだすとは・・』と長岡は腹が立て仕方がなかった。
 
伊地知は薩摩藩士伊地知直右衛門の長男である。武勇でなり、死をいとわぬ薩摩の伝統を引き続ぎ、戦争は侍がするもので百姓町人の関与するものではない、との思想があった。一方、子供のころ見た高杉晋作の奇兵隊などの流れをくむ長岡は軍隊は民衆から支持されるものでなければならない、人的損害は許されぬとの近代的な軍隊、兵器思想の持ち主だった。
伊地知参謀長は頑固に自説を変えず、部下の幕僚や回りの進言にも耳を貸さず正面攻撃から二〇三高地への攻撃を変えなかった。犠牲者は増える一方だった。
 
しかし、当時の陸軍の指揮、命令のシステムにおいて他から参謀長をさしおいて司令官への直言はできなかったのである。
 
今のようなインターネットのグローバルなスピード時代と違い、日露戦争当時の大本営(東京)と満州・旅順(中国)との通信手段はまことに幼稚なもの。国運をかけた戦争遂行の最高指揮官の連絡、命令、報告などの通信・コミュニケーションには時間がかかり、情報通信には困難を極めた。
満州軍総司令部と大本営間の電報では早いと一時間で到着したが、遅いと九時間半もかかった。ベルリンからの「露軍攻勢転移の情報」との電報が三時間三五分でくるのに比べれば、総司令部と大本営間の通信連絡は海底電線を通したものなのでいかに不安定で時間がかかったかわかる。
この電信回線によって、軍事通信のかたわら、新聞・通信社記事をふくむ一般公衆電報も取り扱ったので、内外の新聞、通信社とのトラブルもいろいろ発生するのもやむをえない。
 
 
 
                                                                                     (続く)
 

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