記事再録/日本リーダーパワー史(68) 勝海舟の外交コミュニケーション術・「至誠と断固たる気骨で当たれ』★『勝海舟は幕府とか、藩とか小さなことには全くこだわっていなかった。日本の行く末が第一であった。「オレは、(幕府)瓦解の際、日本国のことを思って徳川三百年の歴史も振り返らなかった」(勝海舟直話『氷川清話』』
日本リーダーパワー史(68)
前坂 俊之(ジャーナリスト)
勝海舟は幕末・明治に活躍した稀代の戦略家であり、政治家・外交家であり、なんといっても明治維新のトビラを開いた偉人である。坂本竜馬も「日本第一の人物・勝麟太郎の弟子なり」といっており、西郷隆盛も「勝海舟は初めて面会したところ実に驚き入った人物で、どれだけ知略これあるやら知れぬ」、「英雄肌で、佐久間象山よりもより一層、有能であり、ひどく惚れ申しそうろう」と書いているほどだ。
勝海舟は幕府とか、藩とか小さなことには全くこだわっていなかった。日本の行く末が第一であった。「オレは、(幕府)瓦解の際、日本国のことを思って徳川三百年の歴史も振り返らなかった」(勝海舟直話『氷川清話』)といている。
明日( 11日)は参議院選挙の投票が行われるが、各政党党首の演説を聞いていて、そのあまりの小人物、小政治家の経綸の低さ、世界観のなさにうすら寒くなってきた。自分の党のPRに終始した話ばかり。まさしく「人物がいなくなった日本の悲劇」による「国家倒産」のカウントダウンが始まっている。
ここで、もう一度、明治維新を起こした偉大な先人たちの政治力・外交力・交渉力を振り返ってみよう。勝海舟の『氷川清話』は政治家、外交官ばかりでなく、いま、国難にぶつかっている国民1人1人にとって必読の本であるといえる。
勝海舟の外交談
維新前のある年に、幕府が海軍制度を定めるついでに、制服をも定めやうという議が出た。おれは兵式さへ知らぬ中から、制服などはまだ不要だとは思ったけれども、おれの上には上役もあって、おれを嫌っておったところだから、おれも強ひて反対せず、ともかくも海軍総裁や軍艦奉行などと共に、その頃来ていた英国のアドミラル・キッベル(将軍)に制服の事を相談に行った。このキッベルは英国海軍の中でもなかなかの出来る男で、顔つきから話方まですこぶるやかましい男だったが、先づわれわれに向つて、日本海のことを種々聞き始めた。しかしこちらには一人も完全に答への出来るものがなくて、上役の人もすこぶる窮した様子だったから、おれも見兼ねて問に応じて進んで答をして、ようやく日本人の顔を立ててやった。しかし、このために逆に彼等に軽侮せられて、いよいよ制服のことを話すと、「日本海のことさえ知らぬ人の多い貴国の海軍に、制服を定めて何にするか」と一本やられて、制服のことはまづは廃止になった。
その時におれはキッベル等の高慢が気にくわなかったから、一つカタキを取ってやろうと思って、突然彼に向い、「貴国の軍鑑を見るにアドミラル(将軍)が八十人もあるが、あれは実際か」と尋ねたら、彼は得意になって実際だと答へた。そこでおれは答えながら「その八十人は何れも年功で昇進せられた御老人たちで、実地に軍艦を指揮できるものではあるまい。実際に軍艦を指揮できるのは何人いるのか」、と突っ込むと、彼もまさか八十人揃って指揮できるとはいい兼ねて「いや、それは私と今一人とあるばかりだ」と正直と答えた。厳しくやつつけられたり、馬鹿されたりする中で、、時々、こちらから反撃して見せるのも、中々苦しかったよ。
この制服のことを始めとして、海軍の事は何もかも外国人が相手だから、おれもこの時分は随分苦心したよ。何年だったか、幕府に伊豆の下田と相模の観音崎と、その外二ヶ所ばかりへ、灯明台を設けやうという議があった。幕府は役人を英、米、仏三国の軍艦へ派遣してこの事に関する相談をさせようとしたけれども、役人共が饗応の費用をおしんだりして、三国の軍人をうまく待遇しないから、彼等も不平で、キャップテン(船長)は一人も相談に来ない。役人も余儀なく帰って来たが、また他の一人を派遣しても同様であった。
そこで幕府にも協議の上とうたう俺の出番となった。夜中に使者をおれの宿へよこして、この談判を命ぜられた。おれはすぐに出て行って、まづ費用を少しも惜まず、第一等の御馳走を出し、その上に自分はわざわざ彼等の船へあいさつに行ったものだから、彼等もすこぶる満足して早速おれの船へ来て答礼をした。
それから約束通り彼等とおれの船に会して、灯台設置の商議を遂げたが、さてここに困ったのは、彼等はその夜おれの船へ泊るというのに、三人のところへ上等の寝室が二つよりなかったことだ。当時英国のキャプテンはテツビヨルドとかいって、年は若いがセバストボールの戦に功があつたからこの身分になったという人だ。
米国はコルドゾバラといって六十余りの老人で、フランスのもこれと同じ年輩の人物だった。さて前にいった通り上等の寝室はわずかに2つで、その他は下士官の寝るべき階下の室ばかりだから、おれが若しあくまで威厳を保って上等室に寝るとすれば、三人の中の一人は、是非共下士の室に寝かさせねばならぬ。米国のとフランスのとは老人で、英国のが若いからといっても、彼も英国政府からわざく東洋に派遣せられて、とにかくに英国を代表している人だから、他の老人たちと優劣をつける訳には行かない。
かつは不公平な事でもすると、彼等の感情を害して、この商議が破れるかも知れないものだから、おれも断然決心して三人の者に向い、「私は腹蔵なく申上げるが、実はこの船の寝室はかくかくの次第なれども、君等の中一人を下士の室に導くということも出来ぬので、主人たる私は下士官室に寝るゆえに、賓客たる君等は上等2つの中に寝られよ」といったら、彼等もおれに腹蔵のないのを感心して、「その御心配には及ばぬ」ものをといって、おれの厚意を謝した。
これで灯台に関する商議も済んだが、当時の英国公使パークスもこの始末を聞いて、きわめて満足に思ったか、その後は何事もおれを指名して談判するようになった。
この時分の外交についての苦心は平生とは随分違ったものさ。今日外交の方針だとか何とか云って騒いでいるけれども、全体何をしとるのか、おれには分らない。飯の上の蝿をおうような事ばかりやるのに、方針も何も入るものか。世間の人も人だ。西洋に行って少しばかり洋書が読め、英語で談判でも出来れば、はや第一の外交家と仰いでおる。上も下も似たり寄ったりのものさ。こういう風では矢張り幕府の末路と同じようになるかも知れないから、しっかりやってもらいたいものだ。
おれなどは昔からずるい奴だから、この六畳の室に寝てばかりおるけれども……。
要するに外交上の事は随分困難ではあるが、なに我れに一片の至誠と断固たる気骨さへあるならば、国威を宣揚することも決して難しくはない。それをこの頃の人達は、公報学などをこね食って、朝鮮とか支那(中国)とかロシアとか英国とかいって、これを各別に見て、其の貧富強弱に因って種々手加減をするから、やり損ないが多いばかりではない、経倫もまた極めて小さくなるのだ。
それだから百年の長計などと言ってもとても駄目だ。彼の人達のする仕事は十年は愚か、たった一年先きの事さへも見透しがつかないではないか。おれなどは貧富強弱に因って国々を別々に見るということはしないで、公平無私の眼を以て、世界の大勢上から観察を下して、その映って来る儀にこれを断ずるのだ。それだから今の外交家のする仕事は己れの日には、丸で小人島の豆人間が動いて居るように見えるのだ。
『氷川清話』より。
関連記事
-
-
『Z世代への昭和史・国難突破力講座⑲』★『アジア・太平洋戦争下」での唯一の新聞言論抵抗事件・毎日新聞の竹ヤリ事件の真相④」★『この事件のまきぞえの250名は硫黄島に送られ、全員玉砕した。』
大東亜戦争下の毎日新聞の言論抵抗・竹ヤリ事件④ 以下は新名記者が自ら語る『竹槍事 …
-
-
池田龍夫のマスコミ時評(28)「抑止力」一辺倒の危うさ- 新防衛大綱の「動的防衛力」
池田龍夫のマスコミ時評(28) 「抑止力」一辺倒の危うさ̵ …
-
-
●<記事再録>巨大地震とリーダーシップ①3・11から5年目に熊本地震発生―危機突破の歴史リーダーシップに学ぶ①関東大震災と山本権兵衛、渋沢栄一
2011/04/06―日本リーダーパワー史(137) (再録)関東大震災での山本 …
-
-
『オンライン講座/真珠湾攻撃から80年➅』★『 国難突破法の研究➅』★『真珠湾攻撃から70年―『山本五十六のリーダーシップ』ー★『最もよく知る最後の海軍大将・井上成美が語るその人間像』★『山本五十六追悼』(2010年 新人物文庫)』★『きわめて日本的な人情大将で、勝つための戦略ではなく元帥のためならたとえ火の中、水の中、死んでもいいという特攻、玉砕、戦陣訓の「死のヒロイズム」である』
2011/09/27<日本リーダーパワー史(195)記事再録 以下は前坂俊之監修 …
-
-
書評 「静岡連隊物語―柳田芙美緒が書き残した戦争」静岡新聞社編 静岡新聞社刊(2009年7月刊)
書評「静岡連隊物語―柳田芙美緒が書き残した戦争」 静岡新聞社編 静岡新聞社刊(2 …
-
-
世界が尊敬した日本人ー『世界のミフネ』となった国際スター・三船敏郎』★『世界で最も有名な日本人映画監督は黒澤明だが、黒澤とコンビの三船敏郎への評価が日本ではあまり高くないのが不思議である。』
2009/12/27 「世界が尊敬した日本人」記事再録再編集 前坂 …
-
-
日本メルトダウン脱出法(570)●「日本で育つ資本主義の「新しいカタチ」●「日中韓の原発規制当局者が日本で“極秘会合”
日本メルトダウン脱出法(570) ●「 …
-
-
百歳学入門(158)★『昭和戦後日本経済成長の立役者』松下幸之助(94) 『病弱だったことが私の成功の最大の秘訣!ー『私1人でできんのでみんなに任せてやってもらった。」
百歳学入門<158> 『昭和戦後日本経済成長の立役者』松下幸之助(9 …
-
-
近刊(4月1日)の『明治三十七年のインテリジェンス外交』(祥伝社刊)の紹介します
明治三十七年のインテリジェンス外交―戦争をいかに終わらせるか …
