前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

★10『50年前の中国文化大革命の衝撃スクープ』ー荒牧万佐行氏(写真家、元毎日写真部カメラマン)の写真展を見に行った。『粉雪が舞う北京で、三角帽子をかぶされた実権派幹部が、 首から罪状の看板を下げてトラックの荷台 の先頭に乗せられ首根っこを押さえられていた』

      2016/10/17

 

写真展『中国文化大革命( the Great Proletarian Cultural Revolution)と今日』

荒牧万佐行氏(写真家、元毎日写真部カメラマン)の写真展を見に行く。

粉雪が舞う北京では、三角帽子をかぶされた実権派幹部が、

首から罪状の看板を下げてトラックの荷台

の先頭に乗せられ首根っこを押さえられていた。

           前坂 俊之(ジャーナリスト)

 

10月14日、私は日本記者クラブで開催中の荒牧万佐行氏(写真家、元毎日写真部カメラマン)「中国文化大革命50年と今日」(後援・毎日新聞社)を見に行った。

中国文化大革命とは毛沢東の指導で起きた権力奪還の党内闘争で、実権を握った(実権派)の劉少奇国家主席、鄧小平総書記らが追放され、紅衛兵を大動員して粛清の嵐が1966年から毛沢東死去の76年まで国内すべてで吹き荒れた。

政治指導者や知識人にとどまらず、職場の幹部、教師が攻撃を受け、文化遺産が破壊された。犠牲者数は、第十一期三中全会)において「文革時の死者40万人、被害者1億人」ともいう。文革時の死者数の公式な推計は中国共産党当局の公式資料には存在せず、内外の研究者による調査でも40万人から1000万人以上と諸説ある。

荒牧氏は当時はフリーカメラマンとして、観光ビザで入り、バスの中か隠し撮りで、北京、上海、武漢で街頭で繰り広げられる文革の嵐、その大衆動員のすさまじさ、紅衛兵に糾弾され三角帽子をかぶせられ市内引きまわしの共産党運動の人権無視、残酷さを、余すところなくカメラに収めている。

現在、中国では文革や天安門事件はインターネットで検索できないように厳しい検閲体制を国内で引いており、この動画ももたぶん中国国内ではみることができないであろう。

体制保持のためにいくら情報を検閲し、隠しても『真実はベルリンの壁を壊す』ように、インターネットの情報の自由、ボーダレスは『万里の長城』などあっという間に超えていくことは習近平政権も知らないはずはなかろう。

荒牧氏のこの写真は世界にとっても中国にとっても歴史「記録遺産」「記憶遺産」となるものだし、中国が真の民主主義国家になった場合には国立公文書館にまず飾るべきものであろうーそんなことを考えながら、この時代をこえた記録写真の傑作にみいった。

荒牧氏の『中国革命50年と私』(『アジア時報』 2016年9月号

騒然とした光景に衝撃

50年前、世界の目は文化大革命の嵐に包まれていた中国大陸に注がれていた。私は毎日新聞社中国特派員視察団の一員として1967年1月から2週間、故林健太郎氏(元東京大学教授)、故村松瑛氏(元慶応大学教授)、故土井章氏(元経済評論家)と共に探洲、広州、北京、上海を訪れる機会を得た。

 

粉雪が舞う北京では、三角帽子をかぶされた実権派幹部が、首から罪状の看板を下げてトラックの荷台の先頭に乗せられ首根っこを押さえられていた。

 

地方ではトラックの数が少ないのか、三角帽子をかぶせられ街中を歩かされていた光景も目撃した。その要人の周りを何人もの子供が一緒に取り囲み、チンドン屋でも見ているようだった。

 

夜具や生活必需品を背に、地方から出てきた紅衛兵の姿もあった。ドラや太鼓を打ち鳴らし、毛沢東国家主席の肖像を掲げて行進する人民解放軍の男女兵士。騒然とした光景を目撃し、強い衝撃を受けた。

 

壁新聞は中国全土に氾濫していた。空港のロビーや通路の紡績工場の入り口、作業場にもベ夕べタ張られていた。閉店した百貨店の二階にまで壁新聞は張られ、集まった群集がそれを読みながら大声で討論する光景が深夜まで続いていた。

 

老人や子供にも分かる風刺漫画まで登場し、バスやトラックにもスローガンが張られていた。朝、ホテルの窓から道路を見ると、路面に新しく書かれたばかりのスローガンが見えた。

紅衛兵が権力を奪取していた北京公安局が、軍の管理下に入った。地方から都心に向かう子供たちは国からお金を受け取り、夜具や鍋を背負って修学旅行気分で旅を続けていた。

 

 革命中も恋が生まれる

 

自由に歩き回って撮影することは出来なかった。中国側が用意したマイクロバスの車窓からの撮影が主だった。 上海では深夜、上海大酒店の前を行きかう群集や紅衛兵の姿が窓から見えた。

 

オーバーコートの中に率㍉レンズ付きのカメラを隠し持ち、鍵の開いていたホテルの厨房から外に出た。黄浦江の河口近くで仲良く語り合う二人の男女の姿があった。

 

「革命中も恋が生まれる!」。いい被写体だと思い、コートのあいだからシャッターを押した。その瞬間だった。公安が私の腕をつかんだ。「何をした! パスポートを見せろ!」。私を取り囲んだ20~30人の群集からも「われわれの問題だ」「フィルムを出せ」と脅された。とっさの判断でカメラから取り出したフィルムとポケットの中にあった新しいフィルムをすり替えて渡し、写真は無事だった。

今年6月、二人連れが休んでいた同じ場所を訪れた。モダンな高層ビルが立ち並び、50年の歳月を思わずにはいられなかった。

文革の写真は毎日疎開、サンデー毎日、カメラ毎日、米ライフ誌に掲載され、一連の写真で1967年度の写真協会新人賞を受賞した。これを期に毎日新聞写真記者に採用され、恩師の元日大芸術学部教授、故渡辺義雄先生も大変喜んでくださった。

日本写真家協会会員(JPS〉荒牧万佐行氏。

 - 戦争報道, 現代史研究, 最先端技術『見える化』動画 , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー史(305)『日韓外交衝突の歴史を検証する② ーアジアの観察者・ベルツの『日中韓』の500年史

  日本リーダーパワー史(305)   『日韓外交衝突の歴史 …

no image
速報(456)『日本のメルトダウン』 『規制改革の方針―岡素之議長 の会見動画』●『市場に広がるアベノミクス賞味期限切れの声』

   速報(456)『日本のメルトダウン』 &nb …

no image
日本メルトダウン,カウントダウン(905)「舛添問題は金にケチな人格などではない。 政治家に一番必要な『危機管理能力」の全くない東大(無灯台)組が 『無防備都市・TOKYO」のトップに居座っていること」★『政府は約3千億円を つぎ込み熊本地震まで38年間の『 巨大地震』の予知に全部失敗した<ロバート・ゲラー東京大学理学系教授の 正論>』

  日本メルトダウン,カウントダウン(905) ①舛添問題は金にケチな人格などで …

no image
『オンライン現代史講座/2・26事件とは何だったのか①』-「日本最大のクーデター」2・26事件でトドメを刺された新聞』作家・広津和郎の新聞批判「八百長的な笑い」★『2・26事件の3か月後に起きた阿部定事件、お定は<世直し大明神>と旋風を起こす』

『2・26事件とは何だったのか』(戦時下の愛のコリーダ」 前坂俊之×「2・26事 …

no image
速報(335) 日本の未来は原発事故をどう収束・廃炉にするかにかかるー-昭和前期の陸軍の暴走を処罰しなかった失敗に学べ

速報(335) 『日本のメルトダウン』   8月15日「無条 …

no image
日本メルトダウン脱出法(603)【2014総選挙結果ー自公で3分の2超えの大勝】は何をもたらすか『武田信玄の遺言」

  日本メルトダウン脱出法(603)   【201 …

no image
石田勇治 東京大学大学院教授の「ドイツの戦後和解」(ナチズムの克服)の講演動画(120分)

石田勇治 東京大学大学院教授の「ドイツの戦後和解」(ナチズムの克服) の講演動画 …

no image
日本リーダーパワー史(627)日本の安保法制―現在と150年前の「富国強兵」政策とを比較するー「憲法で国は守れるのか」×「軍事、経済両面で実力を培わねば国は守れない」(ビスマルクの忠告)

   日本リーダーパワー史(627) 日本の安保法制―現在と150年前の「富国強 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(61)記事再録/国難の研究― 日露戦争開戦までの外交交渉の経過と政府の対応①『児玉源太郎が2階級降下して参謀次長に就任、全軍を指揮、病気静養中の桂太郎総理の決意、参内し上奏、旨趣

―国難の研究― 日露戦争開戦の外交交渉の経過と政府の対応①   &nb …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(124)/記事再録★『終戦・敗戦で自決した軍人は一体何人いたのかーガラパゴス日本『死に至る病』★『東京裁判ではA級戦犯の死刑はわずか7人、BC級裁判では何と937人にものぼり、下のものに圧倒的に重罰の裁判となり、「復讐の裁判」との批判を浴びた』★『『日本軍人と降伏』【徳富蘇峰)』★『『戦陣訓』で、捕虜になるより自決を強制した東条英機の自殺失敗のお粗末、無責任』

    2015/03/22 &nbsp …