「Z世代のための日本リーダーパワー史研究』★『電力の鬼」松永安左エ門(95歳)の75歳からの長寿逆転突破力③』が世界第2の経済大国』の基礎を作った』★『人は信念とともに若く、疑惑とともに老ゆる』★『葬儀、法要は一切不要、財産は倅(せがれ)、遺族に一切やらぬ。彼らが堕落するだけだ」(遺書)』★『生きているうち鬼といわれても、死んで仏となり返さん』
「日本史決定的瞬間講座⑫」記事再録
★「松永の先見性が見事に当たり、神武景気、家電ブームへ「高度経済成長」へ驀進した。
この世間からは高すぎるとみられていた電気料金がいざふたを開けてみると、好景気の神風が一斉に吹いてきて、松永の見通しの正しさを証明した。1950年6月の朝鮮戦争によって、日本経済は急速に回復してきた。それまで3、40円台を低迷していた電力株は高騰して額面(50円)が軒並み100円台に上ってきた。これに連動して、電機メーカーの株も一斉に連れ高となった。
電力界は一躍、好景気にわいた。2年もしないうちに、200余万キロヮットの電源開発に成功し、九州、関西、中部各電力は4020万ドルの外資導入に成功した。まさに松永案の勝利を告げる景気上昇と、株価上昇が連続的に起きたのです。
1955年(昭和30)以来、世界景気の好転を背景として、1956年度の経済白書は「もはや『戦後』ではない」と銘打って戦後のの目ざましい復興ぶりを表現した。56年度の民間企業設備投資は名目で58%、実質で39%と、戦後最高の伸びを示し「神武景気」と名づけられた。
この神武景気は、「三種の神器」といわれた白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫の家庭電化ブーム、大衆消費社会の幕開けを告げた。
自由民主党が結成されたのは1955年(昭和30年)11月で、この政治的な安定と経済発展により、高度経済成長は1955年から1973年までの18年間続いた。
1968年にはGNP(国民総生産)当時の西ドイツを抜き第2位へ。この年、東京オリンピックが開幕と同時に東海道新幹線、東名高速道路も開通した。戦後、焼け野原で何もないところから世界第2位の経済大国まで上り詰めたのは世界史でも例がなく「東洋の奇跡」と絶賛されました。
80歳代となった松永は電力中央研究所理事長や産業計画会議を主宰しながら、『東海道新幹線』「東名高速道路」「新エネルギー政策」などのビックプロジェクトを次々に政府に提言、実現させた。池田勇人内閣で「所得倍増計画」のシナリオを書いた経済学者で大蔵官僚の下村治とともに影の参謀役を果したのです。
- 92歳でトインビーの「歴史の研究」の日本語版を刊行
松永の目は世界にも向いていた。「井の中の蛙」、島国根性の日本人に一番欠けているのは世界的な視野の歴史観であり、世界の中の日本という複眼的な視点です。
そう考えた松永は『日本人への遺書』として、鈴木大拙から教えられた当時、世界を代表する歴史家の英国のアーノルド・トインビー博士の「歴史の研究」【全24巻】の翻訳日本版の刊行を決意する。同書は世界史、比較文明論の名著で、20世紀で最も難解といわれた歴史書です。
1954年(昭和29)9月、80歳になった松永
ははるばるロンドンまで飛んで、トインビーと交渉し、東西の文明の対話をかわして、全巻の翻訳権を獲得した。この時、「宗教的、霊的に立ち上がるのに、東洋はスピリチュアル(霊的)に物事を考え、西洋では合理的に考える。現在の日本人は、科学的に冷静に、さらに客観的に物事を考える能力を欠いております。ぜひ日本においで願いたい」と訪日を要請し、トインビーは2年後の来日を約束した。
この翻訳を最晩年のライフ・ワークとして取り組み、日本語版『歴史の研究』の第1巻刊行は1966年(昭和41)、松永92歳の時です。この「刊行の辞」を書くためにシュペングラーの『西洋の没落』の原書を読んで、アンダーラインを引きながら毎夜、勉強に余念がなかったというから、その努力はまさに超人的です。
これも、90歳代の話だが、周囲からの「疲れましたか」といういたわりの言葉に『疲れるということは敗北主義であって、僕の一番嫌う言葉だ』と一喝したというから、すさまじい。
-
「人は信念とともに若く、疑惑とともに老ゆる」
92歳の松永と当時70歳の松下幸之助のビッグ対談が『週刊朝日』(昭和41年1月21日号)に掲載された。松永が「ふつうは酒が弱るんですが、あたしの場合は酒が、むしろだんだん強くなる(笑)。
松永ー「医者にいわせると、内臓がとくに強いようです。酒を飲んでも、いっこうに害をなさん」というと、松下は「去年お目にかかったときからみたら、ひじょぅに若返っていますな。青春ですな。こういうものをもってきたんですがな。
松下ー「これはマッカーサー元帥の座右銘です。
『青春』というものをもってきたんですがな。『人は信念とともに若く、疑惑とともに老ゆる』『希望あるかぎり若く、失望とともに老い朽ちる』とかね。ちょうどあなたのことをいうてるな、と感じたんですよ。」と2人は大笑いした。
生存者叙勲制度は1964年(昭和 39)から復活し、昭和戦前までは官吏及び軍人中心だったのが、国民の各界各層を対象とするものに改められた。
その第一回の勲一等瑞宝章に. 松永が内定したが、池田首相から伝えられると「人間の値打ちを人間が決めるとは何ごとか」と激怒し、受章を拒絶した。
松永は『栄典の類はヘドが出るほど嫌いだ』と遺言にも書いたほど。松永の弟子を任じる永野重雄(新日鉄会長、日商会長)が「あなたがもらわれないと後のものが困ります」と粘り強く説得し、松永はしぶしぶ叙勲を了承したが、勲章授与式には欠席した。
- 松永は亡くなる10年前の1958年(昭和33)12月に遺書を書いた。
➀死後一切の葬儀、法要は大嫌い、墓碑一切、法要一切が不用、線香も嫌い。
②死んでの勲章位階はへドが出るほど嫌い。友人の政治家が勘違い尽力することを固く禁ず。
③財産は倅(せがれ)および遺族に一切くれてはいかぬ。彼らが堕落するだけ
④衣類など形見は親類と懇意の人に分けるべし。
➄小田原邸宅、家、美術品、必要什器は一切、記念館に害付する。
これほど厳格に自己を律し、「子孫に美田を残すな」を貫き通した人はいなかったのではないか。
松永は死の直前「歴史の研究」を出版した経済往来社の下村 亮一社長に対して、一幅の書『不失恒心、不守恒産』を与えている。
『恒産とは』一定の職業や財産のこと。「恒心」とは、正しさを失わない心。金、財産があれば「「恒心」を持つことはよくあることだが、一定の生業がなくても安定した道義心(モラル)を保つことができるのは、学問修養のできた「士」(サムライ)しかいない、という意味です。
1981年(昭和46)6月、95歳で大往生した。遺言により「葬儀、告別式は一切せず」。
生前、「生きているうち鬼といわれても、死んで仏となり返さん」とよく詠んでいた。
関連記事
-
-
“Lecture on Japanese Political History for Generation Z” ★ “Fifty-year collusion between the former Unification Church and the Liberal Democratic Party as seen from the perspective of foreign newspapers such as the New York Times” ★ “Using pseudo-religion and anti-communist movement as signboards, it is practically an anti-Japanese inspirational rip-off” Business” to form a “conglomerate” (giant global enterprise)”
2022年9月10日 『Z世代のための日本政治史講座』★『ニューヨークタイムズな …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(3)記事再録/日本国難史にみる『戦略思考の欠落』③「高杉晋作のインテリジェンスがなければ、明治維新も起きず、日本は中国、朝鮮の二の舞になっていたかも知れない」
2015/11/22  …
-
-
日本メルトダウン脱出法(682)「私が決して日中友好パーティーに出席しない理由」●世界経済の減速の兆し:円安のインパクト」(英エコノミスト誌)の7本
日本メルトダウン脱出法(682) 私が決して日中友好パーティーに出席し …
-
-
速報(121)『日本のメルトダウン』『前原氏は論外、野田氏も不適格』『日本原子力学会という責任を逃れようとする人たち』
速報(121)『日本のメルトダウン』 『前原氏は論外、野田氏も不適格―次の首相に …
-
-
『日本世界史(グローバル・異文化・外交コミュ二ケーション史』生麦事件、薩英戦争は英国議会でどう論議されたか①英国「タイムズ」
『日本世界史(グローバル・異文化・外交コミュ二ケーショ …
-
-
日本の「戦略思想不在の歴史⑼」『高杉晋作のインテリジェンスと突破力②』●『上海租界地には「犬と中国人は入るべからず」の看板。ここは植民地である』★『内乱を抑えるために、外国の経済的、軍事的援助を受けることは国を滅ぼす』★『大砲を搭載した蒸気軍艦を藩に無断で7万両で購入幕府軍を倒すことに成功した、倒幕の第一歩!』
1862年(文久2)5月6日に上海についた高杉一行はほぼ2ヵ月間、上海の植民 …
-
-
『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ回想録①』★『「パリぶらぶら散歩/ピカソ美術館編」★『ピカソが愛した女たちー画家の精力絶倫振りは、超弩級、地球人とも思えません。』
『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(111)』 「ラ・セレスティー …
-
-
知的巨人たちの百歳学(139)植物学者・牧野富太郎 (94)『草を褥(しとね)に木の根を枕 花を恋して五十年』「わしは植物の精だよ」
知的巨人たちの百歳学(139) 『一億総活躍社会』『超高齢社会日本』のシンボル …
-
-
「日本風狂人伝⑥歌人・若山牧水「生来、旅と酒と寂を愛し、自ら三癖と称せしが命迫るや、静かに酒を呑み・」
日本風狂人伝⑥ 2009,6,22 歌人・若山牧水 「生 …
- PREV
- 「Z世代のための日本リーダーパワー史研究』★『電力の鬼」松永安左エ門(95歳)の75歳からの長寿逆転突破力②』★『戦時下は「渇しても盗泉の水をのまず 独立自尊の心証を知らんや」と隠棲し茶道三昧に徹する』★『雌雄10年、75歳で「電気事業再編成審議会会長」に復帰』★『池田勇人と松永安左エ門の「一期一会」』★『地獄で仏のGHQのケネディ顧問』』
- NEXT
- 「Z世代のための日本リーダーパワー史研究』★『幕末、明治維新から約170年、日本を近代国家に発展させる基礎を築いたのは誰か?』★『勝海舟(76歳)であり、その大国難(徳川滅亡→明治維新を平和裏に遂行)突破力を学ぶ』『政治家の秘訣は正心誠意、何事でもすべて知行合一』★『すべて金が土台じゃ、借金をするな、こしらえるな』★『1千兆円(2012の時点)を越える債務をふくらませた政治を一喝、直ぐ取り組めと厳命)

