前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(88) 経済最高リーダー・渋沢栄一の『道徳経済合一主義の経営哲学に学べ』

      2015/01/02

日本リーダーパワー史(88)
経済最高リーダー・渋沢栄一の『道徳経済合一主義の経営哲学に学べ』
 晩年は社会慈善公益事業に財産を還元せよ
 
  前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
渋沢栄一ときいて、古いと感じる人こそ古いのです。不易流行です。リーマンショック以降、アングロサクソン流の強欲資本主義、企業のCEOが年間ボーナスを何百億もフトコロにいれる利益至上のぶったくり資本主義こそ糾弾され問題となったのです。
ここで、強欲資本主義を否定する21世紀の新しい資本主義の再生は一体可能かーという問題提議に対して、渋沢栄一の「論語とソロバン」の道徳経済合一主義が注目されているのです。資本主義と社会主義と倫理主義がミックスされた西欧ではなくアジアでうまれた仏教資本主義といってもよい「渋沢経済哲学」は今ナウいテーマなのです。もっともっと進化させましょう。
それと、渋沢は91歳と言う経済人ではもっとも長寿な経済人であり、晩年に社会、慈善事業に全財産を投げ出しています。三菱、三井のような財閥を作ろうと思えば渋沢財閥はすぐ簡単にできましたが、企業の社会的な責任を自覚していた渋沢は、子孫に美田は残さずで、渋沢財閥は作りませんでした。われわれ団塊世代の人間にとって大きなテーマである晩年をどう生きるかにも示唆を与えてくれます。
3流4流の小粒のリーダーしかいなくなった現在の日本、大人の真に老成した智慧をもち、社会の手本となるような長老がいなくなった今の日本で、過去150年の歴史の中で、手本となり尊敬すべき経済の最高、最大のトップリーダーが渋沢栄一なのです。
 
 
今、日本は21世紀の世界のグロバリゼーションの大波にほんろうされ沈没寸前ですが、もう一度スタート地点にもどってどこまで流されたのか、振り返るべきですね。
現在日本のルーツを明治維新にさかのぼって、政治、経済、社会のリーダーがどのような哲学、思想をもって、なぜ立ちあがったのかをもう一度再検討することが必要です。坂本竜馬や西郷隆盛、吉田松陰、福沢諭吉たちが封建制度に沈滞していた徳川幕藩体制をチェンジしたが、その後の明治政府の「富国強兵」「殖産振興」の先進国をめざした道で、経済のトップリーダーとなったのは渋沢栄一です。
 
渋沢は「わが国の近代資本主義を築き上げた人物」「日本資本主義の父」「日本株式会社のゴットファーザー」であり、営利事業約五〇〇、社会事業などの非営利事業は約六〇〇にのぼり、彼の息のかからぬ事業はなかった。
 渋沢は、幕府に仕えたあと、慶応三年、徳川昭武に随行して渡欧。帰国後、株式会社の前身である合本組織の商法会所を静岡に設立。明治二年大蔵省に入り、大蔵大丞となったが、明治六年に退官して実業界に入った。
 
 同年、第一国立銀行(後の第一銀行)を設立、近代的な金融、信用制度の確立に尽力した。翌七年には抄紙会社 (後の王子製紙)、〓ハ年には共同運輸(後の日本郵船)、日本鉄道会社(JRの前身)、サッポロビールのほか、セメント、ガス、土木、印刷、製油、製糸などあら起業に関係した。明治四二年に財界引退を声明。以後はもっぱら社会事業、慈善事業に全力を注ぎ1身1家の富の蓄積を考えず、社会、国家の繁栄を念頭に置いた。ソロバン片手に論語の精神で取組んだ。91歳で亡くなった。
 
「右にソロバン左に論語」「道徳経済合一主義」

この言葉は有名で、明治、大正を通じて一つの格言になったほどだ。渋沢は孔子の「論語」の熱心な信奉者であり、また実践家として彼の右に出るものはなかった。
渋沢はフロックコートのポケットに、いつも小さな「論語」の本を入れており、ちょっとした時間があれば、そのポロポロになった「論語」を読み返していた。
「論語とソロバンは一つである。道徳と経済は一体である。義の中に利を求め、利の中に義を行う、これこそ其の実業である。正しい事業を行い、適当の手段によって得た個人の利益は、公益と同じである」
事業の成立には、①国家社会に有益なこと、②担当者に人を得ること、③それ自体で儲かること~の三点をあげ、渋沢は「こんなに儲かります」という事業には決まって「国家社会に役立つか」と質し、「こんなに有意義です」という会社には「それだけではいけない。どれだけ儲かるか」と必ず念を押し、「論語」と「ソロバン」を一致させた。
大正5年、渋沢は『論語と算盤』を著し、その中で「道徳経済合一説」という理念を打ち出した「論語」の思想から倫理と利益の両立を掲げ、経済を発展させ、利益を独占するのではなく、富は全体で共有するものとして社会に還元することを説くと同時に渋沢自身もそれを実践した。『論語と算盤』にはその理念が端的に次のように述べられている。「富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」「道徳と離れた欺瞞、不道徳な商才は、真の商才ではない」
 
人間の本当の評価は晩年で決まる

 渋沢は還暦60歳から古希70歳を過ぎて数百にのぼる企業、団体での活動を打ち切って、社会事業、慈善事業、社会貢献事業、民間外交にも努力し、日米親善のため、三度もアメリカを訪ねた。晩年の活動を「ソロバンから論語」に移したのである。日本の企業家で渋沢ほど独自の経済哲学をもって、倫理的な経済実践をおこなった経済リーダーはいない。今の日本は超高齢化社会となり、晩年を如何に生きるべきかを考えている人が多いで渋沢は絶好のお手本である。


 その渋沢は言う

「人の生涯をしてた重からしめるか、軽からしめるかは、一にその晩年にある。人は晩年が立派でありさえすれば、若いうちに多少の欠点があっても、世間はこれを許してもくれる。立派な晩年の生活によって、若いうちの欠点失策は、帳消しにすることができるが、いかに若いうちが立派であっても、晩年がよくなければ、その人はついに芳しからぬ人で終わってしまうものである。〝天意夕陽を重んじ、人間晩晴を貴ぶ″と」

77歳で実業界から引退し、余生は社会公共事業に専念した。
 
 渋沢は大正五年(一九一六)七十七歳の時に、第一銀行の頭取を辞してすべて実業界から引退し、余生は社会公共事業に専念した。
 渋沢が社会公共事業に熱心であったのは、若い頃に学び、彼の生涯を貫いた論語の教えと、母親のえいの影響が大きかったといわれる。彼は五歳の時に父親の市郎右衛門から読書を授けられ、七歳の時には従兄の尾崎惇忠のもとに通って論語や四書五経などの中国の古典や日本外史などを学んだ。
 彼の生握を貫いているヒューマニズムの精神や現実的な合理的思想は、意外にも幼い頃に学んだ論語や中国古典からの影響が大きい。母親のえいは並はずれて優しい親切な人であったといわれ、慈悲深い逸話が多く残されている。
 
 渋沢の関係した多くの社会公共事業の、ナち、彼が一番力を注いだのは東京の養育院の仕事だった。彼は明治七年、三十五歳のとき、東京府からの要請で「東京市養育院」を設立し、以来九十二歳の天寿を全うするまで、五十六年間も熱心に養育院の院長を務めた。養育院も身寄りのない子供や老人を救済し、養う施設である。彼は養育院の運営に自分でお金を出すだけでなく、人に出させることにも熱心であった。
 
「私には、事業を楽しむ癖がある。これまで種々の社会事業に奔走し、寄付金集めをやってきたが、また渋沢の寄付取りかと、しかめっ面をする金持ちもいたらしい。こう思われてもあまり良い気分ではないが、私はちっとも苦痛とは思わない。これは私が社会事業のために尽力するのを無上の楽しみにしているからである。もし、これを楽しみにしてかからなければ、とても寄付金集めで駆け回れるものではない」と彼は語っている。
 
何度も大病を患う
 
 渋沢は生来、身体は丈夫で健康に恵まれていた。晩年に、健康長寿の秘訣を聞かれたとき、彼は「書をたしなむことと、国際交流である」と語っている。健康のため、晩年まで書をたしなみ、直筆による書簡や掛け軸なども多い。
 
 彼は身体丈夫で健康のため節制に務めていたが、それでも長い生涯の内には何度も大きな闘病経験をしている。不思議なことに、彼は戦争のあるたびに大病を患い、それを克服している。明治二十七年日清戦争のときに頬の辺りに痛ができたが、外国人医師による手術で克服し、明治三十七年の日露戦争のときには肺炎を患い、重態に陥ったが、やがて健康を回復した。
 
 昭和六年(一九三一)九月の満州事変のときは腸閉塞を患い手術を受け、健康を回復するかに思われたが、気管支炎などを併発して次第に衰弱していった。数日間昏睡状態が続いたが、同年十一月八日には奇跡的に意識が回復した。
その時、彼は好きな中国の詩人陶淵明の「帰去来辞」 の一節、一節を口ずさみながら、周囲の人たちに暗諭して聞かせたという。そして、渋沢は十一月十一日午前一時五十分に永眠した。享年九十一歳であった。看病していた者はみんな号泣したという。
 
老人になっても楽隠居をして休養するなど絶対にするな
 
 渋沢は八十七歳のとき、新聞のインタビューで健康法を聞かれて、次のように答えています。
「若返って元気になるには、不断の活動が大切です。つねに計画を立て、六十から九十のあいだに実行することです。同時に節制も大事で、活動が過度にならないように注意しなければなりません。活動と節制とが、車の両輪のように調和してこそ、元気の要素がえられるのです。
 
 また精神的に、憂いかあってはいけません。現状に満足し、穏健で平和な毎日を送る。イギリスの学者は、この活動、節制、平和が完全に行われたら、
人間は百四十歳まで生きられると言っています。煩悩、苦悩、すべて快活に愉快にというのが、わたしの秘訣です。酒は飲まない、たばこは三十三年前に
やめ、食物に好き嫌いはない。暇を見て経書(儒学の経典)を読むくらいですね」
 
渋沢の九十のときの日課を見てみると、午前六時から七時に起床。午前八時から八時半に朝食。午前九時から十一時まで読書し、午後は仕事で外出。昼食はとらない。午後五時から六時に帰邸し、午後六時から七時に夕食。食後は十時まで読書して、十時から十一時までに就寝する。ちなみに渋沢は、昼寝、仮眠などをいっさいしなかったそうです。
 
「老人になれば、楽隠居をして休養するなどということは、絶対にしてはいけません。逆に、死ぬまで活動をやめないという覚悟が必要なのです」
 渋沢栄一が生涯現役でいられたのは、健康にたいする心遣いのほかに、こうした老いに負けない気力、気迫があったからに違いありません。
 
 

 - 人物研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

 日本リーダーパワー史(821)『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、 インテリジェンス㊱『日本史決定的瞬間の児玉源太郎、山本権兵衛の決断力⑧』★『軍事参議院を新設、先輩、老将軍を一掃し、戦時体制を築く』★『日露開戦4ヵ月前に連合艦隊司令長官に、当時の常備艦隊司令長官の日高壮之丞ではなく、クビ寸前の舞鶴司令長官の東郷平八郎を抜擢した大英断!』

  日本リーダーパワー史(821)『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」 …

『オンライン/日本恋愛史講座』★『今年は日米戦争から80年目』★『1941年12月、真珠湾攻撃を指揮した山本五十六連合艦隊司令長官が1日千秋の思い出まっていた手紙は愛人・河合千代子からのラブレターであった』

日本リーダーパワー史(60) 真珠湾攻撃と山本五十六の『提督の恋』   …

鎌倉カヤック釣りバカ日記』回想録『人生とは重荷を負うて、遠き道を行くが如し』=「半筆半漁」「晴釣雨読」の「鉄オモリ」のカヌーフィッシング暮らし』★『15年後の今、海水温の1,5度上昇で、磯焼けし藻場も海藻もほぼ全滅、魚は移住してしまったよ!』

2025/02/05     2011/07/07記事再編集 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(11)記事再録/副島種臣外務卿(初代外相)の証言④ 『甲申事変後の対清政策意見』1885年(明治18) ★『➀日本で公法(万国法、国際法)をはじめて読んだのは自分 ②世界は『争奪の世界(植民地主義』で、兵力なければ独立は維持できない。 ③書生の空論(戦争をするな)を排する。 ④政治家、経済人の任務は国益を追求すること。空理空論とは全く別なり。 ⑤水掛論となりて始めて戦となる、戦となりて始めて日本の国基(国益)立つ。』

 日中,朝鮮,ロシア150年戦争史(52)  副島種臣・外務 …

『新型コロナウイルスのパンデミックの影響で2020年慶応大学入学式(当初は4月1日,3日に予定)は9月入学式(学部・大学院)に、4月入学者も参加する形で開催することを検討している』★『2017年度慶應大入学式ー清家篤塾長の式辞(動画)』★『2019年度慶応大入学式-長谷山彰塾長の式辞(動画)』★『福沢諭吉先生』の旧居、福沢記念館(大分県中津市留守居町)(動画)』★『日本近代化の父・福沢諭吉に関する論考、雑文一覧 』

 前坂俊之(ジャーナリスト) 新型コロナウイルスのパンデミックの影響で2020年 …

no image
『 地球の未来/2018年、世界の明日はどうなる』ー「2018年はAIが最重要になる」(MITメディアラボの伊藤穣所長)★『人工知能やロボットには奪われない「8つの職業」』★『AIが人類を超える意味—カーツワイルの予言』★『 レイ・カーツワイル 「加速するテクノロジーの力」(動画)』★『 レイ・カーツワイル:今後現れるシンギュラリティ(動画)』

 『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 2018年の世界経済、社会はどうなるか …

『大迫力!台風24号接近中の怒涛の稲村ケ崎サーフィン10分間動画決定版(2018年9/29am720-8.30の圧縮版)-怒涛の大波とサーファーの対決決闘編!だれが勝つか!

  2018/10/02 大迫力!決定版◎台風24号接近中の稲村ケ崎サ …

no image
日本リーダーパワー史(472)日本最強の外交力>「明治国家の参謀」杉山茂丸はスゴイ!黒田官兵衛どころではないよ

  日本リーダーパワー史(472)   <日本最強 …

『Z世代への昭和史・国難突破力講座⑩』★『吉田茂編⑥』★『『笑う門には福来る、ジョークを飛ばせば長生きするよ』★『昭和の大宰相・吉田茂のジョーク集』 ③ 吉田首相は五次にわたる内閣で、実数79人、延べ114人の大臣を『粗製乱造』した。その『吉田ワンマン学校」で、「果たしてステーツマン(真の政治家、国士)を何人つくったのか?」』

2019/05/08   知的巨人の百歳学(163)/ 20 …

no image
日本リーダーパワー史(281)社会貢献の偉大な父・大原孫三郎ー百年前に企業の社会的責任を見事に果たし希有の経営者②

日本リーダーパワー史(281)   <クイズー日本で最も偉かった財界人 …