日本リーダーパワー史(517)『「明治大発展の国家参謀・大軍師/杉山茂丸の戦略に学べ①「黒田官兵衛など比較にならぬ」
2015/01/01
日本リーダーパワー史(517)
『「明治大発展の国家参謀・杉山茂丸の国難突破力に学ぶ」
今こそ杉山の再来の<21世紀新アジア主義者>
が必要な時」』①
前坂 俊之(静岡県立大学名誉教授)
(以下の文章は2014年3月9日、福岡県筑紫野市生涯学習センターで開催された「夢野久作と杉山3代研究会」の第2回研究会での講演録をベースに、大幅に訂正、加筆、修正したものであります)
講演のタイトルは『「明治大発展の国家参謀・杉山茂丸の国難突破力に学ぶ」今こそ杉山の再来<21世紀新アジア主義>者が必要な時」』―という、少しオーバーなタイトルとなっていますね。しかし、これは杉山フアンの私にとっての本音なんです。その理由を、この講演でお話ししたいと思います。

←写真は杉山(左)と児玉源太郎(右)の満州軍現地本部で
今(2014年3月の時点)、NHKの歴史ドラマは「軍師・勘兵衛」です。黒田勘兵衛は豊
臣秀吉の軍師ですが、では明治時代の日清・日露戦争での軍師、国家参謀は一体誰だったのでしょうか。司馬遼太郎の「坂の上の雲」<日清戦争(明治27年1894)、日露戦争(明治37年1904年)勝利でアジアで唯一先進国の仲間入りを果たした物語>の真のヒーローはだれか、考えてみたいと思います。
司馬遼太郎は、この物語では秋山真之を主人公にしていますが、広瀬武夫、東郷平八郎、児玉源太郎、伊藤博文,山県有朋、陸奥宗光らの軍人、政治家を中心にその日露戦争勝利のベクトルを描いています。
確かに、これらの人物の果たした功績は大きいと思いますが、私は明治建設の思想的なトップリーダーとしての福沢諭吉の存在はそれ以上に大きいと思います。また、あえて言えば、明治天皇の客観的な評価は昭和戦後の歴史学会や一般世論では天皇制否定の風潮の中で、タブー視され過小評価されすぎていますが、同時代の各国の帝王、国王と比較すると名君であったと思います。
同じく、昭和戦後の歴史認識の中で、右翼、極右、やくざ、A級戦犯のレッテルをはられてダブー視されてきた玄洋社とその頭山満、杉山茂丸の両巨頭、大陸浪人の連中(この中の多くに支那ゴロ、大陸ゴロが含まれていた点を差し引いても)その果たした役割は決して小さくないと思います。それ以上に、日清、日露戦争の勝利の陰で果たした玄洋社、杉山の活躍は120年以上経過した今こそ、正当に評価されなければ「明治の実像」ますます見えなくなるというのが、本日の講演の趣旨です。
かびのはえた左右のイデオロギーにまみれた明治史、玄洋社観、杉山茂丸観のをきれいさっぱりと取り払い、「もぐら」のしっぽを捕まえて、白日の太陽のもとにさらしたいというのが私の長年の念願でした。
「もぐら」を自称して、歴史の地下で巨大な歯車を回した杉山茂丸の戦略的思考と超人的な行動がなければ、果たして、日清・日露戦争の勝利はあったかどうか、疑問に思えるほどです。その点で、「明治大発展の国家参謀」「大軍師」こそ杉山であったのではないかと思い、この会に出席させていただきました。
杉山の長男・夢野久作の「近世怪人録」や『百魔』を読んだのは、私の大学時代ですから、すでに半世紀も前のことですが、鮮烈な印象が残っています。当時はマルクス的な歴史観が全盛の時代で、玄洋社、黒龍会はA級戦犯に指定された超国家主義団体として、研究することもタブー視されていましたので、私はこの過激な危険人物に対して、強烈な魅力を覚えたものの、手を出すと火傷して、『右翼のレッテル』をはられるぞという恐怖心と「この怪物の実像を何とかとらえたい」というアンビバレントな気持にさいなまれました。
そして、こわごわ見ていた次第で、いつの間にか半世紀が経過しました。「少年、老い易く学なり難し」と小学4年の時に先生から教わり、一体なんのこっちゃと、若い時には気が付きませんでしたが、まさにその通りとなってしまいました。茂丸は70歳で亡くなっていますが、私も馬齢を重ねてその年になり、「茂丸は『ほら丸』ではなく『本物丸』である」との確信を得て、今回の研究会のメイン公講演をやらせていただきたいと、満丸氏に申し出た次第です。
さて、本論に入りたいと思います。
夢野久作が父茂丸を表した有名な「近世快人録」の中で、次のように書いています。
「彼は目的のためには手段を選ばなかった。子分らしい子分を一人も近づけないまま、万事ただ一人の知恵と才覚で成功してきた。いつも右のポケットに二、三人の百万長者を忍ばせ、左のポケットにはその時代時代の政界の大立者を四、五人も忍ばせて、『俺の道楽は政治だ』と言いながら彼一流の活躍を続けて来た」―「この杉山のポケットに入った巨頭が後藤象二郎、伊藤博文、山県有朋、松方正義、寺内正毅、桂太郎、児玉源太郎、明石元二郎、後藤新平らで、実業家では藤田伝三郎らである」
夢野のいう通り、この話が本当かどうかを杉山本人が書いた「俗戦国策」「百魔」と他の文献と証言と突き合わせて、検証してみたいと思います。
明治のトップリーダーを「あやつり人形」のように動かしたという記述は、下村海南(1875.5~1957.12。本名下村宏。台湾総督府民政長官。朝日新聞聞副社長、情報局総裁)が新聞、雑誌でも書いています。下村は児玉源太郎、後藤新平、杉山とも交流が深く、杉山が亡くなった時、朝日新聞に追悼記、雑誌でも「杉山茂丸と秋山定輔」を書いています。
「維新の元勲として、伊藤博文あり、山県有朋あり、次いで新日本興隆の舞台に立役者として活躍せる者に、桂太郎あり、児玉源太郎,寺内正毅あり,後藤新平あり、田中義一あり、これらの人形を躍らした文五郎、栄三にたとえるのは言葉が過ぎるかも知れぬ。
しかし、少くとも絶えず、政界の裏面に活躍し、殊に日清、日露の二大戦役の前後を通じ、奇策縦横、彼の春秋の蘇秦、張儀にも比すべく、こうした立役者の帷幄に活躍せる者に杉山其日庵がある」(『杉山茂丸と秋山定輔』下村海南著『はきちがえ』四條書房(昭和八年五月刊)
伊藤痴遊<本名・伊藤仁太郎、1867(慶応3)4-1938(昭和13)9、71歳、講釈師、自由民権運動家で、政治家)もその膨大な幕末、明治維新の人物論の中で、何度か、杉山を取り上げています。坂上知之氏が主宰されているWebSite「夢野久作をめぐる人々」
で、坂上氏が杉山茂丸の膨大な文献資料の精緻極まる調査と紹介がおこなわれております。
また、上記の関係者の書簡集の刊行が相次ぎ、その中で杉山との密接な関係をしめす、書簡も数多く見かっているところから、茂丸が書いていることが「ホラ話」ばかりではないことはわかります。
明治の元老のトップ山県と茂丸の交際については、日露戦争当時、大本営高級副官を勤めていた堀内文二郎中将は「茂丸は山県を週二回は訪ね、その都度いろいろな新しい情報を伝えていた」、と記録していますので、2人の関係はとても親密あったことがわかります。(杉山茂丸関係資料80)―野田美鴻「杉山茂丸伝』島津書房、1992年刊」
そして何よりも参謀役・軍師の証拠は、一介の浪人であり、肩書もない杉山茂丸がなぜ、わが国の運命を賭けた日清、日露戦争の決定的瞬間の「トップシークレット」(最高機密会議)の場面に影のごとく付き添っていた事実からも証明できます。
日露戦争の8ヵ月前の明治36年4月に山県有朋の京都の別荘で対露戦争方針を決定する元老による無鄰庵会議が開かれます。出席メンバーは元老の山県、伊藤博文、桂太郎首相、小村寿太郎外相ですが、杉山茂丸、児玉源太郎(の2人は控えの間で待機しています。 (「明治軍事史」(下)原書房1966年刊)
また、日露戦争の終結、講和にいたるターニングポイントの情報は杉山からであった、という。
日露戦争の講和は明治38年3月の奉天陥落によって、今が潮時とみた児玉参謀長が上奏したものというのが定説ですが、この背後にも杉山がいた。
もともと茂丸は児玉とはツーカーの兄弟以上の関係、秘密結社を結んでおり、児玉が満州に渡る際、「どんな情報でも逐一自分に知らせてほしい。仔細な情報こそ戦略上、役立つのだ」と茂丸に依頼していた。
(つづく)
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