『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㉛ 「日本人のよくその職務に勤(いそ)しむを論ず」(明治20年12月)
2015/01/01
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』
日中韓のパーセプションギャップの研究』㉛
1887(明治20)年12月11日光緒13年丁亥10月27日「申報」
日本人のよくその職務に勤(いそ)しむを論ず
日本は近年,西洋の学問を尊重し,西洋のやり方を模倣しているが.それは政府のみならず,民間でも盛んに行われ,争って西洋のやり方に倣っている。
作り出すすべての製品は独創的なものか.あるいは西洋の方法を参考にして,その特徴をよくつかんだものだ。たとえば石版や銅版の精緻さは,天の技を盗んで模写したかのようで活字は紙の上で生き生きとして.墨跡もみずみずしく,あたかも毛筆で書いたばかりのようだ。
これを見た人は,直筆で書いたものと思い,印刷したものとはわからない。また渲(せん)染も彩り鮮やかで,ほかには磁器.鉄器,銅器,漆器などのようなものも.ますます善美を尽くしている。最近では,ヨーロッパの制度も取り入れるようになったが,これも新たな成果をあげている。今までマッチを製造する所が数軒あるが,一様に高い利潤をあげている。
そして,日本という国は商業の研究に専念し,だれもが努力して,甲乙つけがたいほどで,他の国と比べても確かに群を抜いていることが理解できた。しかし,わが国の商人は,このように熱心にできるだろうか。鹿島氏は大富豪でありながら礼節を心得ている。北海道の海岸では,皆コンプが多くとれるが,これによって大変な利益を得ている。また北海道には.ユソウポクが多くあり,鉄道の敷設などの需要を十分賄える。その他の種類の木材も豊富で.自給に十分足りる。日本の関税にかかわる審査は実に厳密で,輸入の際には.特にアへンには全力を注いで捜査を行うので.持込み,携帯とも.なかなかできない。
日本の決めた規定は非常にすぐれており,国民がアヘンを吸ったら,たちどころに法に基づき罰せられ,今まで法を曲げて目こぼしなどしたことがない。税務を取り仕切っているのは,すべて日本人で.日本人で管理していて.西洋の人材を借りることは決してない。毎年の収入は,たとえわずかでも国庫に納めており.当初は汚職が続出するとか.密輸して脱税を図る事件などが起こっていないと聞く。ところが中国は.30余年来,なお西洋人に頼りきっていて,西洋人がいなければ,1日たりともたちゆかないという有様をどうしようもできない。
外部の者から見ると,このような状態は理解しがたいものだ。確かに,楚国の賢才を晋国が用いた故事のように.外国の人材を登用することは.昔から行われていた。
技芸の学習や,軍人の訓練,戦陣法の教授.生産方法の習得などは,短期間では糸口さえもつかめないので,大金を使って西洋人を招かざるを得ない。しかしながら税務は.法律にのっとって税を徴収すればいいのだから,簡単なことではないだろうか。30年以上の長期にわたって,中国には西洋人に代わってこのことをやれる人物がどうして1人もいなかったのだろうか。まさか中国には税務を管理する人材がいないというのではあるまい。堂々たる大国の中国たるものが,税務管理の能力が,日本に及ばないとあっては,日本人の嘲笑の的となる。
日本の政府の慣例では,臣民が罪を犯し,自害を命じられると,自ら刀を抜いて切腹することになっていたが、最近では西洋の方法を取り入れ,重い罪を犯した者は,銃殺に処することにした。刑事執
行の官吏は法を堅く守り,勝手な裁量や手ごころを加えたりしない。法を犯せば必ず罰せられ,その厳しいこと中国にまさる。
その半面.日本人の自負心は異常に高く.常に中国人を蔑視し,恐れるに足らぬと考えている。それでいながら,経世済民に詳しい中国人にたまに出会うと.非常に敬服して自分と志を同じくする仲間であると勝手に決めっけてしまう。
浮薄高慢で,なにかにつけ日本は自らを強くすることができ,西はヨーロッパを制圧し.東は中国を掌握できると主張する。その夜郎自大の態度は.恥を知らぬのも甚だしく,中国の土地が広大で,人口も多く.物産も豊かであって,日本などと比べものにならないのを知らないのだ。中国という国は,外見はたいしたことはないが,内実は充実して余裕があるのだから,日本などとても太刀打ちできるものではない。牛はやせていても,それが家の上に倒れたならば.家は胆をっぶして死んでしまうというではないか。
日本がしきりに大言壮語しても,ヨーロッパの公平に物事を判断する国々は,これを傍らで見て,日本が中国に勝つことなどできないのは明らかだとわかっている。
あるとき,中国人と日本人が共に朝鮮に行ったが,両者の気概は全く異なっており,あるイギリス人は,このことをあてこすった歌を作った。「日本人は愚かな猪.中国人は病んだ獅子,猫さん猪さん.身を慎みたまえ,獅子になれなれしくするなかれ.病身故に.猪のされるがまま,いったん病癒えれば,首をあげ奮い立つ,猫さんあんたに勝てるかね.まあネズミさんとでも楽しく遊んでいる方が,りこうというものさ」。
もちろんこんな歌は,戯言ではあるが,この詩から,日本が中国の相手ではないことがよくわかるし,西洋人もまだこれを理解している。
ただ,次のことは言える。日本は小国であっても,日本人は国を大切にし.勤勉で怠けることをしない。職に就いては,公を第1とし,そろって実事求是の態度で事にあたり.才能ある者をどんどん登用し,粉飾や欺瞞に頼らない。確かに欠点はあるが.それだけでむやみに批判できない。最近,日本では官吏の選抜には必ず試験を受けさせ,その実力を試し,実務にあたらせ試用してから.正式に官吏とする。刑をつかさどる官吏は,法律を熟知していなければ,裁判官になれない。
だから下級官吏は慎重にやるのだ。中国の科挙試験が論文,詩賦で人材を選び.官を授けているのと比較すると.日本の方が一段とすぐれている。たとえば,遊歴のしかた1つとっても明らかだ。私は以前にも指摘したが,20年前に日本の派遣した文武の官吏が赴いた
が.その中で中国に来た者も後を絶たず実情を謝査し,情勢を偵察している。
困難や危険をいとわず.避地でも必ずその足跡が残されている。わが国が,今日本のようにやっても,時すでに遅しというが,中国には必ずそれをやりきる力があるのだ。外国の情勢を詳しく探り.友誼を固め,事に先んじて友好を結び.準備を整えておくことは,国家にとって利益のないことではない。
日本人の遊歴者には,政府が派遣してくる者と.志願してくる者がいる。たとえば,曽根俊虎は政府の命で来た者であり,北条鴎所は兵役を逃れるため留学を申し込んで,中国に来た者だ。この人たちは,それぞれが任を果たし,見聞したことを逐一国に報告している。このことを見るに日本人の勇んで公務に邁進するところは,他の国の中でもいちばんであることがわかる。外国人に対して,誇らしげにうぬぼれた態度をとるのも無理はない。なぜわれわれ中国人は日本の長所に学ばず.その欠点を反面教師としないのだろうか。国土が狭く,人口も物資も乏しいなどと言って,日本を軽く見ることはもってのほかだ。
関連記事
-
-
『Z世代のための昭和100年、戦後80 年の戦争史講座』★『『日本で最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ起きたか④』★『 文永の役はモンゴル軍の優勢のうち、『神風』によって日本は侵略から助かった』』
2017/12/01日本の「戦略思想不在の歴史」⑷ 1274年(文永11)10 …
-
-
日本リーダーパワー史(679)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(58) 『戦略情報の開祖」福島安正大佐ー 明石元二郎の「明石謀略」は裏で英国諜報局が指導、福島、宇都宮太郎(英国駐在武官)がバックアップして成功した。
日本リーダーパワー史(679) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(58) …
-
-
日本リーダーパワー史(506)目からウロコの名講義『日中韓150年戦争史の背景』 前田康博国際ジャーナリストが語る
日本リーダーパワー史(506)   …
-
-
裁判員研修ノート⑧ 冤罪、誤判と死刑を考える②-裁判官と法務大臣の胸の内
裁判員研修ノート⑦ 冤罪、誤判と死刑を考える②-裁判官と法務大臣の胸の内 …
-
-
日本リーダーパワー史(196)『明治天皇のリーダーシップ①』ー大津事件で国難を未然に防いだ決断力(上)
日本リーダーパワー史(196) 『明治天 …
-
-
人気記事再録『「新聞と戦争」の日本史』<満州事変(1931年)から太平洋戦争敗戦(1945)までの戦時期の新聞>
2009/02/10 「戦争と新聞」を検証する 講演録 1995年2月15日 …
-
-
『オンライン講座/日本興亡史の研究 』⑫』★『児玉源太郎・山本権兵衛の電光石火の解決力⑧』★『軍事参議院を新設、先輩、老害将軍を一掃し、戦時体制を築く』★『日露開戦4ヵ月前に連合艦隊司令長官に、当時の常備艦隊司令長官の日高壮之丞ではなく、クビ寸前の舞鶴司令長官の東郷平八郎を抜擢した』
2017/06/05 日本リーダーパワー史(821)記事再 …
-
-
日本リーダーパワー史(708) 日中韓150年史の真実(11) 「福沢諭吉はなぜ「脱亜論」に一転したか」⑪<記事再録>『福沢諭吉の「脱亜論」と時事新報の主張に全面的に賛成した』上海発行の英国紙「ノース・チャイナ・ヘラルド」1884(明治17)年5月2日
日本リーダーパワー史(708) 日中韓150年史の真実(11) 「 …
-
-
百歳学入門(193)―『発明王・エジソン(84歳)ーアメリカ史上最多の1913の特許をチームワークで達成したオルガナイザーの人生訓10か条』
百歳学入門(193) 発明王・エジソンーアメリカ史上最多の1913の特許をチーム …
-
-
『Z世代のための明治大発展の国家参謀・杉山茂丸の国難突破力講座⑦』★『古旅館のボロボロの6畳間で「玄洋社社主」頭山と会談、意気投合』★『才は沈才たるべし。勇は沈勇たるべし。何事も気を負うて憤りを発し、出たとこ勝負で無念晴しをするな』★『名誉を欲せず富貴を求めず終生、黒衣に徹し、国家国民のために奔走する決意を固めた』
1887年(明治20)3月。杉山茂丸(23歳)は同郷の大先輩で「怪物」「玄洋社代 …
