知的巨人たちの百歳学(165)ー『一億総活躍社会』『超高齢社会日本』のシンボル・植物学者・牧野富太郎(94)植物学者・牧野富太郎 (94)『草を褥(しとね)に木の根を枕 花を恋して五十年』「わしは植物の精だよ」
94歳 植物学者・牧野富太郎 (1862年5月22日~1957年1月18日)
「日本の植物学の父」といわれた牧野が植物研究半世紀年を回顧して詠んだ歌である。「私は植物の愛人としてこの世に生まれてきた。草木の精かも知れんと自分を疑います。」(『牧野富太郎自叙伝』=長嶋書房)。
高知県佐川町の造り酒屋の跡取り息子。子どものころから大の植物が好きで小学校を中退、植物学にのめり込み、20歳から東京帝大理学部植物学教室に出入りして31歳で帝国理科大助手となるが、学歴がないために長く不遇に苦しんだ。
77歳で東大講師を退任するまで北海道から南は遠く台湾、さらに満州(中国東北部)まで足をのばして植物採集。三十歳のころ「ヤマトグサ」を世界に発表して以来、日本産の植物は約六千種だが、このうち千五百種を発見、記載するなど生涯、発見した新種は六〇〇種にのぼり、採集した標本は約五〇万という超人的、世界的な研究成果を上げた。
この間、生活は「火の車」となり学者貧乏の極地。助手時代は十五円の安月給で、牧野宅は子供が多く大世帯の上、標本箱で少なくとも八畳二間が必要なので、小さな家に住むわけには行かない。二、三年で借金が二千円を突破。
借金取りにおわれて家財道具が競売され、食卓すらなくなったことも。家賃が払えず、何度も家主から追いたてを食った。毎年、大みそかになると、本郷かいわいを引っ越す生活が長く続いて、計十八回も引っ越した。
借金取りを避けるため家の門に赤旗が出し、妻が借金とりが来ているという赤信号にして知らせて、赤旗をみると、牧野は家に入らず、まわりをブラブラして、帰るのを待ったという笑えないエピソードがある。
こうした貧乏ぐらしの中で、大学では万年、助手生活という不遇と戦いながら、前人未到の業績を上げたのである。
-
「わが姿 たとえ翁と見ゆるとも 心はいつも花の真盛り」
植物学者や本草学者には長寿者が多い。日本最初の理学博士で近代植物学の父と呼ばれた伊藤圭介(1803-1901)も98歳で、芸術家、学者らで好きなことを続けていると生涯現役の百寿者となるケースは、この本の中でも何人も紹介されている。中でも植物学者は、山野をフィールドワークして植物を採集するので、晩年まで元気になる。牧野は子供のころは病弱だったが、晩年まで健康だったのは「草木に恋して」山野を歩き、足腰が鍛えられたおかげだと述懐している。
そして、健康については86歳の時に生涯をふりかえり、次のように書いている。
学問のためにいつまでも自分の体力を支え行かねばならんと痛感し、特に心を平静に保つ事を大切にしている。私は老人、翁などと呼ばれるのが大嫌いで、
「わが姿 たとえ翁と見ゆるとも 心はいつも花の真盛り」の心境です。
食事は少食で何んでも食べる、胃腸が丈夫なのでよく食物を消化する。
昔は余り魚類を好きではなかったが、この頃はよく食べます。牛肉はスキだが、ニワトリはそうでもない。
コーヒーと紅茶は好き、抹茶はあまり飲まない。酒もタバコも嫌いで全く飲まない。
これが、どれほど健康に良かったか、この歳になっても少しも手がふるえず、字を書いても若々しく、また眼も良い方で老眼鏡は不用で、書いたり、精細な模写するとき場合も肉眼で描きます。
歯は虫歯なし、ただ、耳が大分遠くなって不自由です。頭痛、のぼせ、肩の凝り、体のだるさ、足腰の痛み
などは絶えてなく、指圧などは全く不用です。このように健康なので、別に養生法もしていないし、処世訓もない。
『いつまでも生きて仕事にいそしまん、また生まれ来ぬこの世なり
せば 何よりも貴とき宝もつ身には、富も誉れも願わざりけり』
Wiki牧野富太郎
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A7%E9%87%8E%E5%AF%8C%E5%A4%AA%E9%83%8E
牧野記念庭園
http://www.makinoteien.jp/03-makino/
高知県立牧野植物園
http://www.makino.or.jp/dr_makino.html
関連記事
-
-
世界/日本リーダーパワー史(901)米朝会談への参考記事再掲ー『1993、94年にかけての北朝鮮の寧辺核施設疑惑でIAEAの「特別査察」を拒否した北朝鮮がNPT(核拡散防止条約)を脱退したのがすべての始まり』★『米軍はF-117戦闘機で寧辺の「核施設」をピンポイント爆撃し、精密誘導爆弾で原子炉を破壊する作戦を立案した』
2009/02/10掲載 有事法制とジャーナリズム-1993年の北朝鮮核疑惑から …
-
-
片野勧の衝撃レポート(70)★『原発と国家』―封印された核の真実⑧(1960~1969)『アカシアの雨がやむとき』(上)
片野勧の衝撃レポート(70) ★『原発と国家』―封印された核の真実⑧(1960~ …
-
-
日本の最先端技術「見える化』チャンネル『CEATEC JAPAN 2017』★『muRata(村田製作所)の「チアーリーダー部の応援ロボット」は可愛いいね』★『OKI(沖電気)の交通・防災・製造などの各種ソリューションを紹介』
日本の最先端技術「見える化』チャンネル 「CEATEC JAPAN 2017」( …
-
-
日本リーダーパワー史(276)『原敬と小沢一郎を比較すれば』①『日本の歴代首相でリーダーシップNO1は原敬であるー
日本リーダーパワー史(276) 『原敬と小沢一郎を比較する』① 『 …
-
-
日本メルトダウン脱出法(681)「アトキンソン氏、「新・所得倍増計画」を提言ー2030年、訪日客8200万人」ドローンが新聞配達までやる」など6本
日本メルトダウン脱出法(681) アトキンソン氏、「新・所得倍増計画」を …
-
-
『Z世代のための明治大発展の国家参謀・杉山茂丸の国難突破力講座⑬』★『杉山の「バカとアホウの壁」解説③」★『始皇帝の「バカ息子」の行動を学べというのではない。馬鹿阿房学の真の意味を理解せよ』
そこで、庵主(私)は諸君に勧めて辛棒や我慢や忍耐の好きになる方法の「馬鹿阿房学」 …
-
-
日本リーダーパワー史(521)『「明治の国家参謀・杉山茂丸に学ぶ」⑤そのスピーチ力・プレゼン力」はどこから生まれたか。
日本リーダーパワー史(521)   …
-
-
日本リーダーパワー史(295)-3.11福島原発事故から1年半-②メディアの原発報道は『過去の戦争報道の教訓』を生かせ②
日本リーダーパワー史(295) –3.11福島原発事故 …
-
-
日本リーダーパワー史(708) 日中韓150年史の真実(11) 「福沢諭吉はなぜ「脱亜論」に一転したか」⑪<記事再録>『福沢諭吉の「脱亜論」と時事新報の主張に全面的に賛成した』上海発行の英国紙「ノース・チャイナ・ヘラルド」1884(明治17)年5月2日
日本リーダーパワー史(708) 日中韓150年史の真実(11) 「 …