<日中韓三国志・新聞資料編>『朝鮮王妃・閔妃暗殺事件の新聞報道』(『ノ―ス・チャイナ・ヘラルド紙』1896年1月31日付)
2015/01/01
<日中韓三国志・新聞資料編>
『日清戦争の原因となった朝鮮王妃・閔妃暗殺事件の新聞報道』
(『ノ―ス・チャイナ・ヘラルド紙』1896年1月31日付)
(『ノ―ス・チャイナ・ヘラルド紙』1896年1月31日付)
三浦梧楼子爵の免訴
10月8日ソウルで演じられた王妃殺害の悲劇の後に.王妃殺害劇に関与した日本人が全員(例外は別の罪で捕らえられている1人だけ)が免訴になる茶番劇が演じられた。これほど完ぺきな司法の怠慢は前代未聞と言っても過言ではない。
いやしくも法廷を名乗る機関がこのような判定を出すほど堕落することがあるとは信じがたい。この間われわれは.疑うことのできない有力な証拠に基づいて,三濾子爵が王妃殺害に至る王宮襲撃事件に裏で関与していたと主張してきた。
ジャパン・メールル紙がこれを否定し,三浦子爵の罪は義務怠慢以上のものだということを信じようとしないのは、おそらく情報不足によるものと思わざるを得ない。彼はクーデターを阻止すべきだったので、メール紙は彼が本国召還されたとき.自殺すると予想したのだ。だが,われわれはさらに,三浦子爵はこのクーデターを実行するためにソウルに派遣されたのだという確信を表明した。
これを証明することは.もちろん不可能だが、三浦が自殺しなかった事実と,彼を裁いた法廷が彼の有罪を全く疑わなかったにもかかわらず免訴されている事実とを考え合わせると,彼はその行為が引き起こす結果から保護されることを知っていたと思えるのだ。
すでに述べたように,楠瀬中佐はじめ7人の軍の囚人は,広島の軍法会議で無罪になっている。軍人たちは.公使すなわち三浦子爵の命令に従わざるを得なかったから というのがその理由だった。軍法会議で明らかになったところによれば、三浦子爵が日本兵に下した命令は.王妃殺害当日の朝、外国人を除き、男女を問わず、王宮への出入りを一切阻止せよという内容のものだった。
さらに,彼は「対話の中で」馬屋原少佐に「大院君が王宮に入る結果、王妃の退位が行われるかもしれない」と語り、馬屋原少佐は「王宮の各所の門を警鐘する各中隊の指揮官に女を1人も出すなと命じた」。
以上はジャパン・メール紙からの引用だが,非運の王妃の脱出を阻止すべくあらかじめ三浦子爵が,あらゆる手立てを尽くしていたことが分かる。「故に当法廷は王宮内で生じた殺害事件において,被告人たちのとった行為は.主犯,従犯のいずれの罪をも構成しないと結論し.無罪を宣告する」
三滴子爵本人の裁判は,今月20日、吉岡美秀予書判事のもとで,広島地方裁判所で行われた。判決には長い前文がついていて、それによると.三浦子爵は「朝鮮の情勢が日に日に悪化していくのを見て、耐えがたいほどの悲憤を覚えていた。宮廷による影響力の乱用国政への干渉は甚だしいものであり,日本政府の好意的な尽力で改革され始めたばかりの諸法律を乱し、日本人将校が苦労して組織した訓練隊を解散しようとしたばかりか,その将校を処罰しょうとした。
こうしたことすべてが納鮮宮廷の日本に対する冷淡さを示している。さらに.朝鮮の独立を実質的にしようと鋭意努力している閣僚たちを処罰ないし処刑しようとの企てが宮廷側にあることも耳にした。朝鮮宮廷のこうした処置は朝鮮のために労力と資金を費やしてきた日本の好意に対し,朝鮮の進歩を阻害し朝鮮の独立を危うくするだけでなく、日本の利益にも反すると彼は考えた。
彼がこうして朝鮮の誤りを正し,朝鮮の独立を守り,併せて朝鮮における日本の威信を保つべきだとの確信に達したとき,やはり朝鮮の現状に憤りを持っていた大院君から宮廷改革と国王への助言を強行する企てを捷助するよう,内密の請願を受けた」。
そこで三浦子爵は.日本公使館書記と朝鮮政府軍事顧問を呼んで相談し、彼らは大院君の王宮襲撃に加わり.「同時にソノウルの日本部隊にひそかに自分たちや動きを助けるよう指示し、この機会に宮廷で最大の権力をふるっている王妃を殺すことを決めた」。
決起の日は10月中旬と決められていたが、10月7日.朝鮮軍部大臣が三浦子爵を訪れ
訓練隊を即時解散する意向を伝えたのでもはや一刻の猶予もなくなり,陰謀を企てた者たち直ちに行動に移ることを決意した。
数人の日本人が大院君の王宮侵入を援助するために派遣された。(ジャパン・ガゼット紙が翻訳した判決文の引線を続ける)「ソウルの日本部隊指揮官.馬星原務本少佐に訓練隊を監督し,彼らを励ますために指揮下の部隊をそのそばで率いて,大院君の王宮侵入を容易にするよう指示を与えた。三浦はまた安達謙蔵と国友重章を公使館へ招き,友人を集めて龍山の岡本柳之助のもとへおもむいて大院君を王宮まで護衛するよう要請した。
彼らはまた断固たる行動により20年束の繚恵の根源を断つべく王妃を殺害するよう教唆された」。
判決文はさらに続く。「安達と国友は三浦の教唆に基づき王妃殺害を決意し,直ちに友人を集めにかかった。(中略)ソウル城の外門前せ岡本は配下を集め,『首都のキツネ』は必要あらば処分すべしと命令して王妃暗殺を教唆し.境はほか数人の陰謀を知らなかった者たちに殺害計画実行を決意させた。(中略)
翌日明け方に彼らは光門から城内入り.後宮に侵入した」。この後に判決最も注目すべき部分が続く。
「上述のあらゆる事実にもかかわらず,いずれのも犯罪を実行したことを証明する証拠分ではない。(中略)以上の理由によここに全被告に対する訴訟を却下する」
この判決文は今月24日のジャパン・ガゼット紙に掲載されたが,翌日のジャバメール紙には.肯定的、否定的、いずれの論説説記事による言及もない。だがこれが正しくないことは国民新蘭に裁った要約記事に示されている。その中で同紙は次のように述べている。「三溝子爵の教唆に従った者たちにより王妃殺害が実行されたこと証明するに足るだけの十分な証拠が出なたことは確かだ。
しかし.ソウルにおいても伊藤内閣を代表する公使が王妃殺害の意図を内心に秘めていたこと。配下その意図の達成を容易にするようとるよう命令したこと。他人に教唆し、その者たちに同様の考え方をもたしたこと。
さらには王宮の奥の部星に武器をもって入ることをまざれもなく黙許しと。以上の事実に関して,法廷の事は,一般に広まっているうわさを強固に確認するものだ。要するに,この判決は1月8日の事件で日本が被った汚名をそそぐ役には全く立たないものだ。それどこ
か.今や全世界に対して.伊藤内閣により任命されたソウル駐在公使が王妃殺害に至るクーデターの原動力であり扇動者だったことを裁判によって宣言してしまっただ。
刑事法廷が証拠不十分で被告を釈放したという理由だけで、だれの責任も問われないというようなことが一体全体あっていいものだろうか。それは正しいことだろうか。もしそうだとすれば.全世界から!10月8日の事件は日本国および日本国民の意に沿うものと理解されてもやむを得ないだろう」
ジャパン・メール紙は臆面もなく次のように主張する。
三浦子爵の「免訴は正義命ずるところに完全にかなっているようた思える。純粋な事実は,三浦子爵の有罪を立証しようとする試みが失敗に終わり・彼は依然として外交で大変無謀なへマを犯した人物以上の何物でもないということだ。
/
こうした過ちに対して科すことのできる罰は官職のはく奪と公生活からの永久的引退だけであり,この2つを科すことで日本政府は,その官吏のとった行動とは一切のかかわりがなくなるのだ」。
これこそ世間を欺こうとする厚顔無恥な試みだ。三浦子爵はもともと外交官ではなかった。元陸軍将校で.すでに公生活から退いて数年になっていた。彼を引退生活から呼び戻したのは井上伯爵でそれには特別な目的があった。その目的がかなったので本国へ召遷され,彼が数年間の年月をささげながらその人間性の向上に資するところがなかったように思える仏教研究に戻ることを許されたのだ。
これでは,罰を受けたと見なすことはできない。それどころか・日本の公使は信任状を持って派遣された国でその王妃を殺害する陰謀を成功裏に企て,それを実行しても処罰を受けずに済む可能性があるということを.今や全世界が知ったわけだ。
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