前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

★『明治裏面史』 -『日清、日露戦争に勝利した明治人のリーダーパワー,リスク管理 ,インテリジェンス㊼★『児玉源太郎のインテリジェンス』★『袁世凱と太いパイプを持つ青木宣純大佐に満州馬賊団を起して鉄道破壊のゲリラ部隊の創設を指示』●『青木大佐と袁世凱の深い関係』

      2017/08/02

 

★『明治裏面史』 -『日清、日露戦争に勝利した

明治人のリーダーパワー,リスク管理 ,

インテリジェンス㊼★

 

児玉次長の決断、行動は素早かった。福島から「満州馬賊の利用」について適任者が青木宣純大佐と知ると、早速、翌日には青木邸を和服姿のままで尋ねていった。

当時の児玉次長宅は牛込区の薬王寺にあり、青木大佐の自宅は市ヶ谷の念仏坂上でさほど遠くはなかった。

明治3611月のことである。青木は急を告げる日露戦争を前に、突然の陸軍トップの児玉将軍の来訪に驚いたが、2人は縁側に座って会談した。

児玉は「日露の関係は既に極度に緊張してきた。開戦はもはや時間の問題だ。福島安正から聞くと、君は今、砲兵の聯隊長をしているのだな。日露戦争になれば部下を率いて奮戦したい気持ちはわかるが、それよりか何倍も大きい任務がある。

その任務を果たせるのは清国北洋の実力者の袁世凱と緊密な関係を有し、その十分な援助を期待できる人物でなければならない。福島安正がわしに語ったところでは君が一番、袁世凱と親しいということなのでお願いに来た。

支那の公使館附武官を既に数回はたしている君にとって再び,支那に行くことを希望していないかもしれないが、この重大任務の達成できるのは君以外にはいない。ぜひともお願いしたい」と膝を屈し誠意をもって話した。

そして、その任務遂行の3項目を指示した。

①日支協同して敵情探知(対ロシア情報謀略工作)の機関を設置する

 ロシア軍の背後、交通線を破壊工作すること

馬賊団を起して敵の側背を攻撃し、ゲリラ活動で脅威を与える

 青木大佐はこれを聞き、容易ならぬ重大任務と感じながら直ちに就任することを快諾した。国の命運を一手に握り、陸軍大臣から2階級降下して全軍を指揮する児玉将軍が直々に訪ねてきて、熱情をもって懇願されたことに深く感銘したのである。

児玉も青木の決断を大いに喜んで帰宅した。数日ならず青木には在支公使館附武官の辞令が出た。

 ここで青木大佐の略歴を紹介するとー

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E5%AE%A3%E7%B4%94

1859年(安政6)6月19日生、宮崎県出身。陸士士官生徒第3期生。清国に関する情報の第一人者として、早くから参謀本部に勤務した。明治26年、日清戦争の終結に当たり、清国の蓑世凱将軍との交渉の責任者となり、後に将軍の顧問となって清国の建設に当たる。

明治30年、川上大将のハバロフスク総督訪問に随行した。日露戦争の特別任務班で殊勲を立て後に陸軍中将となる。

 

青木宣純大佐と袁世凱の深い関係

 青木大佐が袁世凱と初めて会見したのは明治30年のことで大沽側の小站での袁世凱の軍隊視察に始まる。

当時、袁は清軍司令部の小宴にまねかれ青木中佐を一見するや、自ら手を伸して握手し「余は君をずっと前から知っているぞ。今日、君を実際に見るのははじめてだが・・」と大声で話しかけて、周りの者を驚かせた。

『ちようど、三年前に、君は日本軍の軍使として鞍山站を出て北方に向い前進したことを覚えているだろう。当時、予は軍需品の輸送供給の任務にあったが北京政府よりの急電があった。「急ぎ遼陽に到り日本軍より特派せる軍使を迎えこれを優遇すべし」と。

このため、急ごしらえに洋酒,かんずめなどおいしい接待品を準備させて支那馬車に乗って二昼夜兼行の辛苦を経て遼陽に到着し、直ちに書面を送って君の来駕を促がしたが、君は言を左右にして、この誘いに応じず、会見は引き延ばされて今日に至った。

 

ここに参列するものは新建陸軍の将士にして 祺瑞(だん きずい)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%B5%E7%A5%BA%E7%91%9E

段芝貴、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%B5%E8%8A%9D%E8%B2%B4

王士珍、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%A3%AB%E7%8F%8D

(そうこん)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E3%82%B3%E3%83%B3

あり何とぞ、大いに飲んでください」と歓迎した。

 袁世凱は明治27年の日清戦争中は駐在員として朝鮮にいた。明治28年の日清講和時には野津第1軍は軍使として青木参謀を派遣し、鞍兵站を発し白旗を振りラッパを吹奏しつつ進んだ。

敵線より歩哨の射撃にあい制止すれども聞かず、随行の満州人が死んだため軍使は中止のやむなきに至った。

この件を野津将軍より急報をうけた大本営は、講和委員・李鴻章に伝え、李はこれを清政府に転電し、ここに袁世凱を派遣することになった。

これ以来、袁世凱と青木大佐は親密の度を加え、32年に袁世凱が当時の公使館

附武官室に2度、青木大佐を訪ねて、新建陸軍の教官に就任してほしいと懇望し、ここに青木大佐の就任となり、公使官武官の職を柴五郎中佐に譲り自らは天津に向かった。

 以来、青木大佐は天津に密かに滞在し、袁世凱のため典範令の翻訳等に従事し、専ら新建軍の編制企画に従事した。その後、袁世凱は山東巡撫として済南府に転任となったが、青木大佐をここにも招致した。

この時、青木がまさに出発しようとした際、山東で匪賊が蜂起したので出発を見合せていると、これが義和団事件に発展し、柴五郎中佐の北京龍城となった。

ここで初めは天津一般居留民となっていた青木大佐が再び現れての後に福島支隊とともに義和団事に参戦することになる。

その後、柴中佐に代わり再び公使館武官となったが、再び袁世凱より軍事顧問として保定へ赴任しないかとの要請があった。

青木大佐は今回こそ本国隊附勤務に従事したき希望をもって固辞し、野戦砲兵第十四聯隊長に転じたのが明治35年のことである。

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本のメルトダウン(534)◎「今後10年間でインターネットが 世界を変える9のポイント」「東ウクライナの世界恐慌回避は ロシア系住民の自制心頼み」

   日本のメルトダウン(534)   …

no image
日本メルダウン脱出法(635)「日中戦争」をどう終わらせるか?太平洋戦争の二の舞に離島防衛を考える」など6本

日本メルダウン脱出法(635) 「日中戦争」をどう終わらせるか?―構想がなければ …

『Z世代のためのウクライナ戦争と日露戦争の共通性の研究』★『国難がいよいよ切迫、万一わが軍に勝利あらざれば、重大なるご覚悟が必要です。ロシアの侵圧を許せば、わが国の存立も重大な危機に陥る』

『オンライン講座/日本興亡史の研究 ⑭ 』021/09/01/記事転載2017/ …

no image
速報(474) ビデオ緊急座談会(60分)●「2020 年東京オリンピック開催を『新生日本』 のスタートダッシュにせよ。

 速報(474)『日本のメルトダウン』   ビデオ …

no image
★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < 米国メルトダウン(1053)> 『パリ協定を離脱した米国の孤立化』★ 『トランプの連続オウンゴールで中国が『漁夫の利』を占めた』●『PM2.5などの大気汚染、水質汚染、土壌汚染、汚染食物など史上最悪の 『超汚染環境破壊巨大国家」中国に明日はない。』

 ★『 地球の未来/世界の明日はどうなる』 < 米国メルトダウン(1053)> …

no image
日本リーダーパワー史(627)日本の安保法制―現在と150年前の「富国強兵」政策とを比較するー「憲法で国は守れるのか」×「軍事、経済両面で実力を培わねば国は守れない」(ビスマルクの忠告)

   日本リーダーパワー史(627) 日本の安保法制―現在と150年前の「富国強 …

no image
速報(356)『日本のメルトダウン』日中ディープ動画座談会『元中国特派員,研究者が尖閣問題と日中関係を語る①

速報(356)『日本のメルトダウン』   日中ディープニュース動画座談 …

no image
日本のメルトダウン(526)「エネルギー革命と地政学:アメリカ石油国(英エコノミスト誌) 「アベノリンピック」で景気拡大(竹中平蔵)

  日本のメルトダウン(526)   ◎「エネルギ …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(197)『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』㉘『開戦1ゕ月前の「独フランクフルター・ツワイトゥング」の報道』ー「ドイツの日露戦争の見方』●『露日間の朝鮮をめぐる争いがさらに大きな火をおこしてはいけない』●『ヨーロッパ列強のダブルスタンダードー自国のアジアでの利権(植民地の権益)に関係なければ、他国の戦争には関与せず』★『フランスは80年代の中東に,中国に対する軍事行動を公式の宣戦布告なしで行ったし,ヨーロッパのすべての列強は,3年前,中国の首都北京を占領したとき(北支事変)に,一緒に同じことをしてきた』

    2017/01/09 &nbsp …

no image
梁山泊座談会『若者よ、田舎へ帰ろう!「3・11」1周年――日本はいかなる道を進むべきか』②『日本主義』2012年春号

  《日比谷梁山泊座談会第1弾》 超元気雑誌『日本主義』2012年春号 …