前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(361)国難突破の日本史最強のリーダーシップー山本権兵衛『海軍建設経営CEO」の決断力①』

   

日本リーダーパワー史(361
 
       <国難突破の日本史最強のリーダーシップ
<山本権兵衛『海軍建設経営CEO」の決断力①
 
 
 前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
● 山本権兵衛が『日本海軍建設の父』
 
海軍大記者の伊藤正徳は「日本海軍は山本権兵衛がつくった、という説に反対する人はないであろう。

日清戦争も、日露戦争も、五十%とまでは山本の力で勝ったといっても、過言ではない。大海軍を語る前提は、いかに省略しても、数項目を彼の政治力と統制力と、豪胆と精智とがうんだ事実にふれないわけにはいかない」と高く評価している。
山本の人材抜擢の慧眼によって、日本は興ったといって過言ではない。

 
予備役編入寸前の東郷平八郎を救い、また日露戦争の直前に大抜擢したことである。
 
東郷元帥といえば、山本権兵衛、加藤友三郎とともに、日本海軍の三祖と呼んで何人も異議のない提督であるが、明治21年から26年にわたって健康すぐれず、大佐でクビの予定だった。

すなわち、明治26年11月の予備役編入のリストには、末尾に東郷平八郎の名がのっていた。これは「こんにゃく版」と通称された整理供補の名簿で、凡才や病身者は大佐どまりなのである。大佐で整理するには、とくに海軍大臣の承認を得る必要上、リストをつくって提出する習慣であった。そのとき、整理される十六人の末尾に東郷平八郎もいたわけだ。

 
 当時の海相は陸相でも海相でもなんでもござれの大度量の西郷従道で、部下の海軍主事(高級副官)だった山本権兵衛を呼び、二人でリストを検討し、赤鉛筆で順々に○印をつけていった。
 
 
◎東郷平八郎を連合艦隊司令長官に一躍大抜擢
 
最後に東郷のところへくると、山本が、「この男はもう少し様子を見ましよう」とすすめた。西郷は「よかろう、どこかはめておくところはないか」と人事局長にたずねた。

局長が考えていると、山本が、あたかも任命するような口ぶりで、「横須賀につないである『浪速』へでも乗せておこう」といった。同艦は当時、予備艦としてつながれていた。東郷は、その艦長の辞令をもらって、首をつないだのであった。

 
 翌年、日清戦争になると、「浪速」は第一遊撃隊の前線に編入されて出陣し、たちまち、豊島沖の高陞号事件」を起こして、一躍その名を天下に知らしめたという訳である。
 
しかし、その後は鳴かず飛ばずで、日清戦争の論功行賞には男爵の恩典にもあずかれなかった。一度は、待命の名簿に書き出されたのを、山本海相が「なにか使い道がある」と思ってにぎりつぶしたのだが、舞鶴鎮守府司令長官でとまりだろうとは、みんな考えたことだった。

それが千載一遇の日露戦争を前にして、連合艦隊司令長官に一躍大抜擢されたので海軍では驚かぬ者がなかった。

「いずれ二番ダマの戦死要員としてだろう。

今度の戦争では、司令長官の替えを三、四人もつくっているということだから」という受け止められ方だった。

 東郷平八郎は、しょっちゅう風邪をひいて、水ばなをたらす不景気な海将だったので、いよいよそれが適合艦隊司令長官として、旗艦「三笠」に乗りこんできた時は、「これが自分たちの親分か」と、少壮将校連はみな、心細い思いをしたものだったと、のちに語っている。
(木村毅『明治天皇』文芸春秋社、昭和42年)
 
 日本がロシアの満州への居座りと朝鮮への侵攻に対して、ついに、勘忍袋の緒が切って、いよいよ戦う以外に策はないということを覚悟したのはー九〇三年十月。

戦争開始は一九〇四年二月でいよいよ戦いは避けられないと判断した時、山本海相は一九〇二年秋以来最も有能な海将であった常備艦隊司令長官・日高壮之丞中将を更迭して、舞鶴鎮守府司令長官だった東郷平八郎中将をその後に大抜擢した。

日高壮之丞は1902年10月に司令長官になってから未だ一年、当然まだ一年の任期が残っている。艦隊長官としての技量は、部下が敬服していた。つまり立派な海将で、しかも兵学校では山本氏と同期だった。その人をなぜ動かしたのか。彼はそれを日本人には話さなかった、という。 

 
 東郷平八郎は、山本権兵衛海相から、連合艦隊司令長官に就任の内諾をもとめられた時、
 
「おいどんが、そぎゃあな晴れの役についたら、故障いう者とわすまいか」と遠慮した。しかし海軍の大長老井上良馨大将、

伊東祐亨大将(日清戦争の連合艦隊司令長酔)にも話し、すべて内諾を得てあるのだと話してきかせると、「みんなが、おいどんでええちゅうなら、やってもようどわす」と言って、やっと引き受けたという。(木村毅『明治天皇』文芸春秋社、昭和42年)

 
その東郷はふたを開けると、日本海海戦でパーフェクトゲームを達成した。
 
明治天皇から東郷の抜擢について理由を聞かれると、「東郷は運のいいやつですから」と答えたいわれる。
山本はこの人事については機微に触れる問題なので日本人には話さなかった、とも次の文章に紹介されている。
 
『日露戦争が終った翌々年、すでに海軍大臣の職を退いて軍事参議官に補せられていた山本氏は、英国に派遣された際
にフィッシャー元帥に会いました。その場で元帥が最初に発した質問は、あの大事な時になぜアドミラル日高を更迭したのか、
ということだった。
 これに対する山本大将は英語ではじめて、次のように明らかにしたといわれる。
 
Togo is a little Better than Hitaka」(東郷は日高よりちょっと少しばかりいい」)といったのです。
この「a little」は非常に意味深長。ちょっとというのは何か。日本海々戦を戦ったあの武勲赫々たる偉大な東郷大将が
「ちょっとばかり」いいとは一体何であろうか。
 
(島田謹二『東郷平八郎の、どこが本当に偉いのか」(『東郷』東郷神社創建50年記念特集号、平成2年5月刊)
 
                       (つづく)
 

 - 人物研究 , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『オンライン/日本の戦争を考える講座➅/ ★ 『 日本議会政治の父尾崎咢堂の語る<150年かわらぬ日本の弱体内閣制度のバカの壁』★『日本政治の老害を打破し、青年政治家よ立て』★『 明治初年の日本新時代の 当時、参議や各省長官は30代で、西郷隆盛や大久保利通でも40歳前後、60代の者がなかった。 青年の意気は天を衝くばかり。40を過ぎた先輩は何事にも遠慮がちであった』

   2012/03/16  日本リーダ …

no image
日本リーダーパワー史⑱ 1億のインド不可触民を救う仏教最高指導者・佐々井秀嶺

日本リーダーパワー史⑱   1億のインド不可触民を救う仏教最高指導者・ …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(120)/記事再録☆『今年は中国建国70周年だが、中国革命の父は毛沢東ではなく、孫文である」☆『その孫文を全面支援した宮崎滔天を中国に派遣して日本に亡命させて来いと指示したのが犬養毅(木堂)です』★『中国革命のルーツは・・犬養木堂が仕掛けた宮崎滔天、孫文の出会い』

日本リーダーパワー史(116) 中国革命のルーツは・・犬養木堂が仕掛けた宮崎滔天 …

世界が尊敬した日本人ー『世界のミフネ』となった国際スター・三船敏郎』★『世界で最も有名な日本人映画監督は黒澤明だが、黒澤とコンビの三船敏郎への評価が日本ではあまり高くないのが不思議である。』

2009/12/27 「世界が尊敬した日本人」記事再録再編集  前坂  …

no image
近現代史の復習問題/記事再録/日本リーダーパワー史(498)-『 2018年は明治維新から約150年、大東亜戦争(アジア太平洋戦争)から73年目を前に― <日中韓の対立激化を戦争へ発展させるな!>

2014年5月13日/ 日本リーダーパワー史(498)  & …

no image
日本リーダーパワー史(918)記事再録『憲政の神様/日本議会政治の父・尾崎咢堂が<安倍自民党世襲政治と全国会議員>を叱るー『売り家と唐模様で書く三代目』①『総理大臣8割、各大臣は4割が世襲、自民党は3,4代目議員だらけの日本封建政治が国をつぶす』

  2012/02/23 日本リーダーパワー史(236)転載 < …

『鎌倉釣りバカ人生30年/回想写真録』㉑★『『コロナパニックなど吹き飛ばせ』★『10年前の鎌倉沖は豊饒の海だった』★『珍味ホラ貝を食べたよ、本当のホラ日記』ー鎌倉材木座沖でとれたホラガイを食す。アワビにおとらず旨

2010-09-16 、記事再録『これが本当のホラ日記」    テーマ …

no image
『オンライン講座』「延々と続く日中衝突のルーツ➈の研究』★『中国が侵略と言い張る『琉球処分にみる<対立>や台湾出兵について『日本の外交は中国の二枚舌外交とは全く違い、尊敬に値する寛容な国家である』(「ニューヨーク・タイムズ」(1874年(明治7)12月6日付)』

    2013年7月20日/日本リーダーパワー史 …

no image
『オンライン/新型コロナウイルス・パンデミック講座』(下)「コロナリバウンド・変異ウイルスの増加・東京五輪の女性差別発言ドタバタ劇の3月狂騒曲(下)」

コロナ・変異ウイルス・東京五輪の3月狂騒曲(下)」             前坂 …

no image
日本リーダーパワー史(67) 辛亥革命百年⑧孫文と国民外交を展開したパトロン・犬養毅②

日本リーダーパワー史(67) 辛亥革命百年⑧孫文と国民外交を進めた犬養毅② <鵜 …