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日中北朝鮮150年戦争史(11) 日清戦争の発端ー陸奥宗光の『蹇々録』で読む。日本最強の陸奥外交力④『陸奥が徹底したこだわった宗属関係の謎とはー』李朝は、宗主国「清朝」の代表的属国。 朝鮮国王は、清国皇帝の奴隷のまた奴隷である。

      2016/07/12

日中北朝鮮150年戦争史(11)

 日清戦争の発端ー陸奥宗光の『蹇々録』で読む。

 日本最強の陸奥外交力④

『陸奥が徹底したこだわった宗属関係の謎とはー』

李朝は、宗主国「清朝」の代表的属国。

朝鮮国王は、清国皇帝の奴隷のまた奴隷である。

   

 ①陸奥宗光の『蹇々録』は旧漢字カナ交じりの文語体であり、大変読みにくい。日中朝鮮の歴史について知っていなければ、ほとんど理解することはできないほどの難解な書である。

②この『蹇々録』や、日清関係、日朝関係、三者の外交史の戦前の古書をこの数年間勉強していたが、台湾出身の歴史家・黄文雄氏の一連の労作を読んで、にがりを入れると、『固まって』豆腐が出来るように「もつれにもつれ」『ねじれに、ねじれた」3国関係の対立、戦争史の謎が一挙に解けた。

③『中華思想』「華夷序列』「事大主義」「中国と朝鮮の宗属関係」

『朝鮮の小中華』などのキーワードがすべてわかりやすく解読されている。

④以下は黄文雄『歪められた朝鮮総督府、光文社カッパブックス、1998年』から、参照、引用しながら、『蹇々録』を読み解きたい。


 

李朝は、宗主国「清朝」の代表的属国だった。

 

①明治維新直後の対朝鮮外交での『衝突』

明治維新の直後、新政府は、対馬藩を通じて李朝へ使節を派遣して、王政復古いを通知したが、たが、その外交文書(書契)に「皇祖」「皇上」「奉勅」といった「皇」の字のあることが問題となった。「皇」や「勅」のような文字は、李朝にとっては、宗主国である「清」の書だけが使用しうる文字である。それをそのまま受理すると、「清」に背くことになる。、やがて累がが李朝に及ぶことにもなるので、「清」の属国の朝鮮としては拒むことが、当然のことだったのだ。

支那(中国)と朝鮮半島との朝貢・冊封関係は、ただ「象徴的」なもので、朝鮮人が独立を失って、国を滅ぼされたのは、「日帝の三十六年」が初等である、という朝鮮近代史論が一般的、常識的である。

しかし、この見方は歴史に対する無知であり、真っ赤な嘘だ。いわゆる歴史歪曲である。(同40P)

清帝国の時代には、李朝の地位が清帝国の奴隷

というよりも、奴隷のまた奴隷である。

中華帝国と朝鮮半島との関係は、有史以来、外藩というよりも代表的な属国・藩属である。とくに清帝国の時代には、李朝の地位が清帝国の奴隷というよりも、奴隷のまた奴隷で、「1君万民」制の「民」は、よく「民衆」あるいは「生民」として理解されるが、江戸時代の町民は、近現代国民国家の「国民」と同じではないことは確かであろう。

そもそも「民」の字源は、眠、盲と同源で、目を針でつぶされた盲目の奴隷である。清帝国時代の「庶民」だけではなく、宮廷内の大臣・重臣も、地方の軍・政の長官である

巡撫(省の軍政長官)も総督も、皇帝に対しては、奏文の冒頭は決まって「奴才」(奴隷)と自称している。

つまり清帝国時代の「一君万民」制度とは、へーゲルの社会形態の類型分類でいえば、一人だけが自由人で、万民が総奴隷の体制である。

 

 朝鮮国王といえどもその地位は、皇帝の奴隷のまた奴隷である。

清王朝の天下朝貢秩序体制の構造でいえば、李朝は清帝国の属国であり、この国家の管理は、皇帝の廷臣によって実質的に統治支配されていたのだ。李朝は、朝鮮半島では最高の主権者(権力者)であっても、その地位は、皇帝の廷臣の下にあった。つまり朝鮮国王といえどもその地位は、皇帝の奴隷のまた奴隷である。

清帝国に臣服するとは、つまり「正朔しょぅさく(臣民となる)を奉ずる」ことである。清帝国の天暦・冊暦(年号)を使用することである。また毎年、決められた貢ぎ物を年貢として清帝国に奉納し、回腸(返礼)をいただかねばならなかったのだ。

朝鮮国王は、「清」の皇帝によって任命され、その位階は皇帝の廷臣の下である。国王に対する生殺与奪の権は、名目的には皇帝にあるが、実質的には清の廷臣にある。(42P)

 

清朝皇帝の使者に対して、 朝鮮国王は、はソウルの迎恩門まで出迎えなければならない。

清朝皇帝が来訪するたびに、国王は自ら郊外に出迎え、宴会では、慕華館で世子(皇太子)が酒を供する町が通例で、いわゆる、これが臣下の礼である。

<こうした清国の宗主国意識から、日本が朝鮮の独立を求めて修好条規をもとめても、ことごとく横やり、反対するのは言うまでもない。>

また、李朝国内に発生したすべてのことの委細を一つ一つ細かく清朝朝廷に報告しなければならない。公職追放、停止者の官吏任用禁止などの国内政治人事問題は、宗主国が一つ一つ容喙(そばから口を出す)するのである。

さらに宗主国に対する忠誠心を示すため、たとえば崇徳七年(一六四二)、日本の日光東照宮に燭台を送ることでさえ、清朝朝廷の許可を上奏していた。もちろん朝鮮国内だけの事情ではなく、いわゆる「倭情」(日本の動向)あるいは日本への使節派遣についても、朝廷への報告・許可を義務づけられていた。

朝鮮国王から送られた朝貢使は、清帝国に入っても、辺門城門を通る資格がないので、遠回りに迂回しなければならなかった。もちろん定例の朝貢使だけではなく、清王朝の冠婚葬祭などの行事にも慶弔使を派遣しなければならない。

朝鮮国王は、清皇帝が使用する色彩や、皇冠に類似するものも使用を厳しく禁止されていた。

また、清皇帝に奏文を上奏し、許可を得るためには、朝廷の重臣に賄賂を贈るのが習わしになっていた。今日の韓国社会の賄賂の習慣も朝貢冊封体制からくる伝統文化の一つである。

 朝鮮半島を管理・監督するのが北洋大臣の李鴻章

で、甲申事変後、実際に李朝を支配したのは、

李鴻章腹心の衰世凱だった。

 

『光緒大清大典事例』(巻五〇二)によれば、中華帝国の朝貢国の中でもっとも回数の多いのは李朝であった。

大清帝国では、朝鮮半島を管理・監督するのが礼部であったが、一八八一年から、その権限が北洋大臣の李鴻章(1823-1901)に移された。甲申事変後、実際に李朝を支配していたのは、李鴻章腹心の衰世凱(1859一1916)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%81%E4%B8%96%E5%87%B1

であった(林明徳著『衰世凱与朝鮮』・中央研究院近代史研究所)。

その地位は、朝鮮国王の代理・監国であった。

たとえば1882年の壬午軍乱後、大院君の連行について、清王朝の伝統からすれば朝鮮国王を指図するのは、朝廷の廷臣であり、実質的にその権限は、当時の直隷総督、李鴻章の指令によるものだった。

そもそも、朝鮮国王の冊立・廃位は、清朝朝廷によるものであり、朝鮮国王の実父・大院君のごときものが勝手に朝鮮の国権をわが物にすることはできない。だから、李鴻章の配下たちが秘謀して、大院君を京城から天津へ強制運行したのである。

それは清国の宗主権の回復というよりも、清王朝の冊封秩序の維持がより大切だったからである。

李鴻章の指令により1882年の壬午事変後、

大院君を連行して拉致、幽囚した。

「清」の李朝支配は、「元」の高麗支配ほど、朝鮮国王に対する廃立はなかった。国王の廃立のことを、朝鮮では「反正」というが、李朝の場合は、過去二回ほど知られている。

大院君の逮捕は、北洋水師提督・丁汝昌、道員・馬建忠、南洋水師提督・呉長慶の三人の密議の結果、北洋大臣代理、張樹声の同意を得て、実行された。

大院君は1882年八月二十六日夕刻、三人の訪問の答礼として、五百騎の兵士とともに呉長慶の営所を訪問した。陣中に入ったとき、兵士が隔離され、筆談を行なっている最中に、筆談が1挙に訊問に変わり、その後「烏龍」に入れられ、天津まで強制連行されたのだ。

(以上は黄文雄『歪められた朝鮮総督府、光文社カッパブックス41-44P』

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