日本リーダーパワー史(645) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(38)『陸奥宗光外相のインテリジェンスー暗号戦争に勝利、日清戦争・下関講和会議の「日清談判」で清国暗号を解読
2016/01/20
日本リーダーパワー史(645)
日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(38)
<陸奥宗光外相のインテリジェンスー暗号戦争にも勝利、
日清戦争・下関講和会議の「日清談判」での清国の暗号解読
前坂俊之(ジャーナリスト)
川上操六の戦略は次の通り
① 戦いにおいて重要なのは「インテリジェンス」、それ以上に重要なのは『ロジスティックス』である。大部隊を朝鮮に投入するために日本郵船(近藤簾平社長)に依頼し、大型船10隻を1週間でチャーターして先発隊に間に合わせた。あとは児玉次長が国内船舶の調達と大部隊の膨大な武器、軍需、食糧物資の輸送をぬかりなく手配し鉄道➡船舶によって朝鮮へピストン輸送した。
② 情報通信でも川上、児玉と逓信省通信局長・田健次郎が協力し、東京―下関間の直通電信線、釜山―ソウル間の電信線、鴨緑江の海底電線を布設、派遣軍に附随する電信隊、郵便隊の人員、材料を準備させた。
③ 地理統計、測量課は清国(中国)と朝鮮の戦場となると予想される地域には情報部員、その他を送り込んでひそかに測量し、二十万分一縮尺の地図を作った。日露戦争でのロシア側の地図の精度を大幅に上回わった。
④ これに対して、清国側の対日インテリジェンスはどうだったのか。『清国は日本を『小日本』(「大中華」に対する取るに足らないちっぽけな日本と見下した表現)とみていた。明治維新後の歴代駐日公使の報告では、「日本は西洋文明の模倣に浮身をやつして財政は困難を極め、民党(野党は政府に反抗し、国内の結束力は著しく弱い、国力・経済力・兵力などあらゆる面からみて、清国の勝利は始めから疑う余地がない)』(日本近代戦争史①日清、日露戦争編、東京堂出版、平成7年)だった。
さて、今回は外交インテリジェンスにふれる。
これまで日清戦争での軍事インテリジェンスには紙数をさいてきたが、陸奥宗光の外交戦についてはあまり触れてこなかった。「日清戦争は明治天皇は反対の意向だったが、川上操六、陸奥宗光がタッグを組んで引き起こした戦争である」と評されている。たしかに、そうであり、日本外交史に燦然と輝く陸奥宗光の外交戦略にここで触れたい。
日清戦争・下関講和会議の「日清談判で」の暗号解読
<以下は児島襄『大山厳④』文春文庫183-190Pの概略である。>
伊藤首相たち日本全権は、講和談判が成功することについては100パーセントの自信はなかった。しかし、交渉そのものにかんしては、日本側の有利を確信していた。なぜなら、清国側の外交暗号を解読していたからである。
外国の大使、公使が本国と連絡するために暗号を使うことは、外交特権として国際的にみとめられている。日清講和のさいには、講和使節の暗号使用について清国から2月29日に照会がきた。
これにたいして日本政府は
「…日本国政府ハ該全権委員ノ其ノ本国政府ト暗号電信ニテ往復スルコトヲ許スへシ……」という返事を3月1日付で出した。
どうやって、清国暗号を解読したのか。
外相秘書官・中田敬義によれば、
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000092055
清国暗号に注目したのは1886年(明治19年)に清国水兵が長崎で騒擾事件(長崎清国水兵事件)をおこしたことからだ、という。
http://www.maesaka-toshiyuki.com/war/4297.html
http://book.maesaka-toshiyuki.com/book/detail?book_id=183
http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/3258.html
「この事件の際、呉大五郎という人が支那の電信を解読したことがある。支那はアルバベットのない国であるから、余り使用されない文字を除いて、よく使用される字と数字を併記して使うのである」
つまり、清国は表意文字である漢字の国であり、アルファベットのような表音文字をもたない。
暗号も、漢字を四、五桁の数字であらわす、比較的に簡単な換字式暗号であった。
明治27年6月22日、陸奥外相から駐日公使・汪鳳藻に覚書を手渡している。覚書は、外交顧問デニソンが英文で書き、これを書記官長伊藤巳代治が和文になおし、さらに秘書官中田敬義が漢文に訳したものである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%84%9B%E9%BA%BF
「23日、注鳳藻は非常に長文の電信を総理衛門にあてて打った。佐藤電信課長は、これはきっと昨日の手紙を打電したに相違ないと考えて、いろいろ調べて見た結果、ついにその「キイ」を発見したのある。その後、清国側においては何らの「キイ」を変更しなかったので、ことごとく、電文を読むことが可能になった、という。
宣戦布告されたのは8月1日だが、清国も同日に布告しており、日清談判の時でも極めて都合良く運んだ。このことは話としては残っているかも知れないが、記録には残っていない」と中田は述べている。
この日本の支那暗号にたいする優位は、後年にも維持される。
日本は、こと暗号にかんしては、軍縮会議で解読されたのをはじめ、太平洋戦争開戦前の日米交渉では機械暗号も読解され、苦い記録をつみかさねるが、対支那(中国)戦争での支那暗号については、終戦まで一方的に解読しつづけたのである。
清国全権、まさか暗号が解読されているとは気づかず、到着と同時に電報料9000円を下関電信局に前納して、北京とさかんに電報を往復させた。
当時は、北京あて電信は、下関から長崎に送られ、送受信についても多少の時間稼ぎも意のままであり、下関電信局が受けつけた清国代表電は直ちにコピーが外務省に配達され、解読電が日本全権に伝えられた。
おかげで、伊藤首相たちは、休会中の季鴻章と北京との意見交換を承知し、会談再開にさいして李鴻章が休戦より講和を提案することも知っていた。
伊藤首相は3月24日に第三回談判が開始されると、李鴻章は休戦要求を撤回して講和条件の提示をもとめた。伊藤首相は、翌日にしたい、と応えた。
談判終了後、李鴻章は、午後4時すぎ、下関の会場の「春帆楼」を出て宿舎・引接寺に四面にガラス窓がついた輿(こし)にのり、ひきあげた。
その途中、引接寺近くで群馬県邑楽郡在住の小山豊太郎(26歳)によって、拳銃で狙撃された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B1%B1%E8%B1%8A%E5%A4%AA%E9%83%8E
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/773708/158?tocOpened=1
小山は輿に飛び乗り、ガラス越しに1発発射したが、弾丸は左眼下部に命中した李鴻章は重傷を負った。幸い李鴻章は1命を取り留めた。小山は政治的な背景はなく、日清戦争を起こしたのは李鴻章と思いこみ、李のいる東洋の平和は保てない」と兇行に及んだものであった。
李鴻章遭難のニュースは、日本政府に1大衝撃を与えた。
これで、「日清戦争の勝利も帳消しになるのでは!」「講和談判も打ち切りとなるのか!」と伊藤首相らは愕然とした。早速、伊藤首相と陸奥外相は引接寺に李鴻章を見舞ったが、面会は謝絶されてしまう。
「なんたることか。一暴漢の愚行がわが国家の運命を左右するとは……」
「問題は清国の出方じゃ。これ以上に世界の同情をさそい列国の干渉をさそうに便利な口実は、めったに見当らんじゃろう」
と嘆き、怒り狂いながら、大至急に対策を立てなければならないのがトップリーダーの務めである。
事件が発生して間もなく、下関港内の李鴻章全権の乗船「公義」「礼裕」号は、にわかに黒煙を吹きあげて出航準備を始めた。もし引き揚げを北京に請訓して、それが許可されれば万事休す。
明治天皇は軍医総監・石黒忠悳(いしぐろ ただのり)、同・佐藤進
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E9%80%B2_(%E8%BB%8D%E5%8C%BB)
下関に急行させた。
陸奥外相は25日、下関に急行してきた石黒総監に指示した。
「もし李鴻章が帰国することになれば、たちまち、談判は破裂するので、その帰国を断念させるように尽力願いたい」
李鴻章にたいする診察は、李鴻章侍医林聯輝、駐白フランス公使館医師が参加して行われた。陸奥外相は、清国全権の北京あて電報内容を注視「帰国をにおわすような電文訓令があるかどうか」に神経をとがらせた。
診察では 左眼一帯は脹れあがって眼をあけることはできない様子だが、眼球に異常はないと診断された。佐藤軍医総監は弾丸を摘出を進めたが、李鴻章も侍医も随員たちも一致して手術を拒否した。佐藤博士は「手術はしなくても治ることは治る」と診断し、石黒総監も「安静が最良の治療である」と説得した。
この診断結果がどう出るか!、陸奥は下関電信局を発着する清国側電報暗号に最大限注意して、解読、チェックした。
電報の内容は「李鴻章全権の帰国についてはふれず、北京からは、膏薬で銃弾を吸いとる名医が上海にいる、その者を派遣する、といった見舞電報が主になっていた」
これをみて陸奥外相は、ホット一安心。なんとか、帰国、談判破裂はこれで回避できたと判断した。
この日清戦争での暗号解読成功とその継続は、敗北続きの日本の暗号戦争の歴史の中では数少ない成功事例である。
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