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『ガラパゴス国家・日本敗戦史』㉖ 『大日本帝国最後の日(8月15日)米内海相の突破力「陛下一人残して死ねない」

      2017/08/15


『ガラパゴス国家・日本敗戦史』㉖

 


『大日本帝国最後の日―

1945815日)をめぐる攻防➉』


 <米内海相の不退転の和平説得と海軍省・軍令部➁


米内海相は「陛下一人残して死ねない」

 

 

前坂 俊之(ジャーナリスト)

 


米内海相は「陛下一人残して死ねない」


終戦が刻一刻と近づき、緊張がピークに達するにつれて陸軍軍務局の少壮将校たちのクーデターのウワサは海軍省にも伝わってきた。
「霞ヶ関の襲撃は八月十四日午後六時に予定されており、海軍の腰抜けどもを焼き打ちにする」


とのまことしやかなウワサも流れた。


万一を心配した大本営海軍報道部では、この日は部員以外は早めに帰宅させ、警戒に当たるという騒ぎがあった。
この混乱期に当たって、終戦への能力を維持していたのは海軍しかなかった。陸軍に対等にものが言えて、陸軍をおさえられるのも海軍しかない。
米内海相を支持していた数少ない和平派の一人、井上成美は「終戦のためには海軍の名誉も何もいらぬ」とまで言い切っているが、米内も同じ心境であった。


米内は後の回想で、「自分の長い海軍大臣の生活のうちで、八月十四日から二十三日までの期間ぐらい苦労したことはなかった」と述懐している。
十四日の最後の御前会議の席上、阿南陸相、梅津参謀総長に続いて豊田総長も反対意見を述べた。


米内は意見を求められると、「外務大臣と同じ」とあっさり告げただけで、あとは全く何も言わなかった。そつけない米内らしい態度であった。
この時の心境を後に小泉信三(慶応塾長)に「もう落ち着くところは分っていましたから、私はあまりしやべる必要はありませんでした」
と語っている。


十四日正午の第二回目の聖断で終戦は決定したが、天皇は涙ながらに「陸海将兵の動揺も大きいであろう。どうか私の心持をよく理解して陸海軍大臣は共に努力し、よく治まるようにしてもらいたい。必要あらば、自分が親しく説き諭してもかまわない」と述べた。


天皇が自らが陸海将兵を諭さなければ局面は収まるまいと考えていた背景には、阿南陸相がそう望んでおり、「そうでもして頂かないと部内は容易に収まらない」との陸相の意向があった。

米内は最後まで阿南がわからずじまい


米内は断固として、これをしりぞけた。陸軍がどうであろうと、海軍は辞退すると。
「自分が部下である将兵に対して、そのようなことまでお上にお願いするとなれば、海
軍大臣として輔弼の任はつとまらぬ」
と自己の全責任で押え切ると断固反対したのである。このため、陸軍もこれにならった。

阿南陸相は十四日夜から十五日朝にかけて自決するが、その直前に竹下中佐に「米内を斬れ」との謎の言葉を残した。米内も戦後、「自分はとうとう阿南という人物がわからずじまいだった」ともらしている。


太平洋戦争の開戦から終戦まで陸海軍がことごとく分裂、反目したように、最後まで米内、阿南も互いを理解することがなかった。
十四日夜、宮城は反乱軍に占拠された。侍従武官室と海軍省を結ぶ電話以外はすべて通信が切断されたため不通となってしまった。
私邸でクーデター騒ぎを伝え聞いた米内は「夜が明け次第、御機嫌奉伺に参内する」と海軍省に出向いた。


「一番狙われているのは大臣ですよ」といさめられたが、米内はきかなかった。この反乱軍も第十二方面軍の鎮圧で十五日早朝には解決し、米内は参内した。
玉音放送があり、一息ついた時、第三〇二航空隊(厚木航空隊)の司令小薗安名大佐が全海軍に向かって激励や命令の電報を発信した。全海軍に徹底抗戦を求め、決起を促す電報であった。


そればかりか、航空隊員を使って、関東一円から東北、九州に至るまで「国民諸子に告ぐ、海軍航空隊司令」と題した戦争継続を訴える宣伝ビラを大量にバラまいた。
小薗大佐はマラリアに冒され、病床についており、正常な精神状態ではなく、混乱していた。

 

中央の終戦命令に服しない状態を心配した天皇は「海軍航空隊がもし命令に服しないならば、高松宮を厚木に差しっかわしてはどうか」と米内海相に伝えたが、米内は言下に
「それには及びません。大丈夫です。もし間違った者でもあれば、厳罰に処しますと申し上げていただきたい」と断わった。


米内は一貫して、自らの責任で断固収拾する態度に変わりはなかった。十五日、海軍省内でも「米内さんも阿南陸相と同じく自決するのではないか」と心配する者もあった。


特攻隊の生みの親・大西次長は割腹自殺


自重するように言う人に対して、米内は「いや、私は自分では死なない。陛下一人残して死ねない」ときっばり言い切った。
一方、十五日夜、国定謙男少佐ら軍令部有志が大西次長官舎を訪問した。
痛飲した抗戦派の大西は「これから日本はどうなるかわからない。君たちは日本人として恥じないように行動してもらいたい」と涙ながらに語った。


国定少佐は宿舎の第一ホテルに帰り、「降伏とは残念だ。俺はもう生きてはおれない」と同期の少佐に話し、二十二日に「降伏後に妻子をつれて路頭に迷うような恥は受けたくない」として妻と二人の子供を道連れに茨城県土浦町の善応寺で自決した。


大西も官舎で十六日午前二時四十五分に、割腹自殺した。


遺書は2通あり、妻へは


「百万年の仮寝かな」と末尾にあり、もう一通の「特攻隊の英 霊に目す」では、
「吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす」
 とあった。

 


<『大日本帝国の最期』 新人物往来社 2003年7月刊、自著より転載>

つづく

 

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