前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

モンゴルメディアの変容

   

民主化後のモンゴルメディアの変容
前坂 俊之 (静岡県立大学国際関係学部教授)
Ⅰ はじめに
大草原と遊牧の国モンゴル。NHK 大河ドラマ『北条時宗』の蒙古襲来の放送もあって
このところ日本でモンゴルへの関心が高まっている。
モンゴルは人口二百五十万人と少ないが、面積は日本の約四倍と広大で、自給自足
の遊牧民が人口の約半分を占める。ロシア革命以後、旧ソ連の衛星国として七十年
にわたって社会主義国であったが、ソ連、東欧諸国の崩壊によって九十年に人民革
命党(共産党)が一党独裁を放棄して民主化、九二年に新憲法を制定し国名をモンゴ
ル人民共和国からモンゴル国に変更し、それまでの計画経済の社会主義から、私有
財産を認める市場経済化へ移行した。アジアで最初の社会主義国からの転換だが、
現在、国民一人当たりのGNPは年間約4万円という低所得国である。
民社化後約十年が経過したが、グローバル化、市場経済化の大波に翻弄され国づり
は依然混乱と停滞を脱していない。経済は一向に上向かず低迷し、産業の中心であ
る遊牧は社会主義的な共同飼育体制の喪失により崩壊しつつある。
今年も雪害によって百万頭以上の牛や羊が凍死、廃業する遊牧民が増加し、草原の
荒廃、自然破壊が進行。廃業した遊牧民がなだれ込んだ首都ウランバートルの人口
はここ10年で30万人近くも増加し70 万人を突破した。同市周辺部には貧困層のス
ラム化したゲル(住居)が目立つ。
同市内の道路は未舗装の部分が多く下水道の整備なども進んでおらず社会主義時
代のインフラは未成熟のまま。ビルや建物も老朽化がひどく、電力不足で度々停電が
起こっている。 中国、韓国などから安い日常品が流入して同市内には後楽園球場3
倍もの広いザハ(自由マーケット)が出来、大変にぎわっているが、市民はインフレと
失業に苦しみ、貧富の格差が一段と開いている。
そんな中で、民主化後、最も大きく変化したのはメディアである。政治、経済などの改
革、民主化、市場開放、自由化と並んでメディアの自由化がこの10年間、重要なテー
マであった。今回、駆け足であったが、メディアのこの10年間の変化とその現状につ
いて直接多くの関係者から取材することができた。
Ⅱ 調査の方法と内容
現地調査は2001年8月25日から9月1日まで、モンゴルの首都・ウランバートルを
筆者を含めて4人のマスメディア研究者が訪れて、以下のモンゴルを代表する新聞、
テレビ、通信社、ジャーナリスト同盟の幹部、大学研究者23人から直接ヒアリングを
行い調査した。本稿では調査期間が短く資料収集も十分でないため、このインタビュ
ーでの発言を含む第一次情報の提示とその分析に中心に考察した。
取材したのは次の人たちである。
1 週刊誌「セルーレグ」社長・バャルムンホゥ氏
2 国立モンゴル大学ジャーナリズム学科長・ZULKAPIL Maulet(ズルカピン)教授
3 モンゴル・ジャーナリスト同盟代表・BAT ORSHIKH(バトオルシフ)氏
4 「モンゴル・メディア・レビュー」編集長・Demberel TSERENJAV(ツェレンジャブ氏
5 国営モンゴル・テレビ局(MRTV)長・Tsend ENKHBAT(エンヘバット)氏
6 国営モンゴル・ラジオ局編成部長・エンヘトゥヤー氏
7 国営モンゴル・ラジオ局国際放送部長・ナラントウヤー氏
8 国営モンゴル・ラジオ局国際放送日本語課長・アマルザヤ氏
9 国営モンゴル・テレビ「MM」通信社編集長・D ENKHTUYA(エンヘトゥヤー)氏
10 週刊誌「ビジネス・タイムズ」編集長・Batsukh SARANTUYA(サラントゥヤー)氏
11 日刊紙「ゾニー・メデー」(世紀ニュース)社長・ツェツェグチェルーン氏
12 「チャンネル25」(民放テレビ)局長・Zorigiin ALTAI(アルタイ)氏
13 国営「MONTSAME(モンツァメ)」通信社社長・Tugalkhuu BAASANSUREN(バーサ
ンスレン)氏
14 英字週刊紙「モンゴル・メッセンジャー」編集長・Borkhondoin INDRA(インドラ)氏
15 日刊紙「オドリィーン・ソニン」(毎日新聞)秘書室長・バトムンホゥ氏、報道部長・ア
マルジャガル氏
16 モンゴル・オンライン編集長・Akim Gotov(アキム)氏
17 「FM107.5ラジオ局」(民放)局長・アリウナ氏
18 モンゴル報道研究所所長・Donoin TSEDEN-ISH(ツェデンーイシ)氏、メディア調査
プロジェクト長・MyagmarMUNKHMANDAKH(ムンホゥバンダフ)氏
19 日刊紙「UNEN(ウネン)」(真実)社長・編集長・Tserensodnomiin GANBAT(ガン
バット)氏
20 週刊紙「ホンゴルズル」編集長・バダムスレン氏
21 トゥグーメル外国語・ジャーナリズム大学学長・KHURELBAATAR Urjin(ホゥレル
バータル)氏
コーディネーターはモンゴル・ジャーナリズム同盟秘書長・Davaasambuu
MANDAKHBAYAR(マンダフバヤル)氏、通訳はモンゴル・ラジオ局国際放送日本語課
長・アマルザヤ氏によった。
Ⅲ 社会主義下のモンゴルの新聞メディア
民主化後のモンゴルの大きな変化は新聞、雑誌などのメディアが一挙に増えたことで
ある。それまで1920年以降、人民革命党(以下・人革党)の一党独裁の社会主義時
代は言論、報道の自由はなく、事実上、日刊紙は党による「ウネン」(真実)1=人民革
命党機関紙=一紙という状態であった。社会主義時代は党は厳重な検閲体制を敷い
ていた。政府と人民革命党は出版物に対して二重の厳しい監視の目を光らせ、出版
承認の権限を持つ特別部署の「出版物文芸監督局」が新聞、出版、思想を監視する
一方、人革党中央委員会イデオロギー局、当該問題担当中央委員会書記も厳重な
検閲、チェックをしていた。2
人革党の政策を批判したり、イデオロギーに反したものは即座に告発され、逮捕され
た。記者が書いた記事は五段階の検閲を経て初めて活字になった、といわれる3
一九五〇年ごろには日刊紙は「ウネン」(真実)=モンゴル人民革命中央委員会、モ
ンゴル閣僚会議合同機関紙=だけで、そのほか新聞は「ザルチュドゥイン・ウネン」
(青年の真理)=モンゴル革命青年同盟中央委員会機関紙=、「フドゥルムル」(労
働)=モンゴル労働組合中央評議会機関紙=、「ウラール・オド」(赤い星)4=国防
省・公安省合同機関紙=の四つしかなく、いずれも旧ソ連の新聞をコピーしたもので
あった。
例えば、「ウネン」(真実)=は「プラウダ」(真実)のモンゴル版であり、「ザルチュドゥイ
ン・ウネン」(青年の真実)=は「コムソモリスカヤ・プラウダ」(共産青年同盟の真実)、
「フドゥルムル」(労働)=は「トルード」(労働)、「オトガ・ゾヒヨール・オルトガ」(文芸新
聞)は「リテラトゥールナヤ・ガゼータ」(文学新聞)の、「ウラール・オド」(赤い星)=は
「クラースナヤ・ズヴェズダー」(赤い星)という旧ソ連の新聞の題名を翻訳、内容もそ
っくりまねていた。5
ロシア革命の影響を最も強く受けたモンゴルのメディアは社会主義時代は「ウネン」が
唯一の日刊新聞であり、その中心であった。部数も多いときは十五万から二〇万部
に達した。人口比では一〇%以上という圧倒的な独占メディアで、ソ連が「プラウダ」
を一党独裁維持の手段としてマスメディアコントロールに最大限利用したように、「ウ
ネン」もモンゴルでは全く同じ役割を果たした。民衆から陰で「ウネンにウネンなし」(真
実に真実なし)と揶揄されたほどで、社会主義時代はどの新聞を読んでも内容的には
ほとんど違わず、あくびがでるほどの社会主義、党の宣伝媒体そのものであった。モ
ンゴルの新聞は「プレスは完全に国家統制に従属し、その機能は政府に奉仕するこ
とである」6とする旧ソ連型メディアを忠実に実行していた。
1960年中ごろ、党政府最高指導者ツエデンバルが人革党の一部の中央委員会委
員や最高幹部から批判されるという政治闘争があったが、批判組は全員追放され流
刑になった。これ以来、党、政府への批判や討論は一切禁止された。党の政策、行動
などを会議の席上はもちろん出版、報告で批判することは決して行われなかった。も
し、批判すれば不満分子とされ、非難、告発を受けることを恐れたためである。1970
年代には何度か反イデオロギー、民族主義的な思想を持つものとして著者が告発さ
れ、出版物が廃棄される事件が起こった。7しかし、1980年代後半、社会主義のモン
ゴルを40年近く独裁してきたツエデンバルが追放されて以来、自由な意見の表明が
可能になった。8
Ⅳ 民主化運動、メディアの夜明け
八〇年代後半にソ連のペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(情報公開)の大波がモン
ゴル社会主義の根幹を揺るがせた。89年12月10日、学生、知識人、作家らで構成
された『モンゴル民主同盟』は約1千人の市民を集めて、70年ぶりの反政府デモをお
こない、民主化、人権尊重、言論・出版の自由を求めた。以後、デモ、集会が続き、9
0年3月、人民革命党は政治局員全員が総辞職して、同党の指導的役割を放棄し複
数政党制を認めた。「出版物文芸監督局」も廃止となり、七十年間にわたる人革党の
一党支配は崩れ去り、社会主義体制は打ち倒された。90年2月に人民革命党以外
に初めての野党「モンゴル民主党」が誕生し、野党が次々にできて人革党の紙と印刷
の独占体制が崩れた。党によるメディアの独占は崩壊した。9
その民主化の主体となった民主党と民主化同盟は九〇年四月、機関紙として「アラド
チラル」(民主化)を創刊した。社会民主同盟は「ウグ」(言葉)、民族進歩党は「ウンド
スニー・デブシル」(民族の発展)、緑の党は「ユルトンツ」(宇宙)といった具合に野党
系の新聞が誕生する一方、政府も「ザスギーン・ガズリーン・メデー」(政府ニュース)、
国会は「アルディン・エルフ」(国民の権利)を創刊するなど、政党機関紙以外にも、政
府、団体、組織も続々と機関紙、新聞を発刊した。九〇年以降、言論出版、思想への
厳しい監視は緩和され、そしてなくなった。人々ははじめて自分の意見を自由に言え
るようになった。民主化運動は言論、出版の自由と同時進行してきた。
民主化後、メディアは一挙に息を吹き返して、数年間に法務省に登録した新聞だけで
も二百紙から三百紙以上にも増えた。題字に検閲を受けていないという意味の「自由
出版」の文字が掲げられた。しかし、新聞用紙の不足によって発行が不定期なものや、
実際発行されていないものも数多い。民主化後、民族文字の復活運動が盛んになり、
新聞の題字にもモンゴル文字が使われるようになった。
90年4月に民主同盟と民主党の機関紙として創刊された「アラドチラル」は当初10万
部を発行したが、半年後「党の利益ではなく、国民のためにモンゴルに第一号の民間
の新聞を発行しよう」として、独立した。同紙は「ウランバートルから北東のマルダイで
ソ連がウランを密かに20年間発掘していたこと。モンゴルの地下資源の管理権はソ
連にあること」などをスッパ抜いた。10同紙は人民革命党下の数々の秘密を次々に暴
露、スクープし、民主化の波で生まれた新聞はすっぱ抜き合戦によって、言論出版の
自由を謳歌した。11
一方、反体制の人物が民主化後、暗殺されたり、殺害、病死するという謎の事件も少
なくない。「ウネン」の元記者ツェデンドジルが1991年12月に「死の敷居を歩いて」と
いう本を出版した。同記者は検閲を受ける前のオリジナル原稿を日記に書き記してい
たが、それを密告され反体制記者として投獄された。民主化によって自由の身となり、
その体験記の「死の敷居を歩いて」を出版したのだが、その直後入院先の病院で謎
の死を遂げた。12「チンギス・ハン」の生誕800年祭を準備したため1962年、政治局
員から失脚したトゥムルオチルも民主化により30年ぶりに名誉を回復する時、何者
かによって惨殺される事件があった。13
以後10年間、政治は変転し、1992年は人革党の政府ができ、96年には初めて民
主連合が政府を組織、さらに2000年には再び人革党政府になるなど二転三転し目
まぐるしくかわり、混乱した。メディアも民主化後すぐ創刊された有力日刊紙は国営や
準国営の新聞が大部分で「アルディン・エルフ」(国民の権利)=国会発行=「「ザスギ
ーン・ガズリーン・メデー」(政府ニュース)=政府発行=、「ウランバートル」=首都市
議会発行=などはいずれもトップの人事権は国ががっちり握りメディアを支配して、野
党系の新聞には新聞紙を支給しなかったり、入手難を利用してメディアをコントロール
した。14
もともとモンゴル国内にはパルプ工場がなく、輸入するしかないため、新聞の激増に
よって新聞用紙の価格が高騰して、92年には価格は十倍以上にハネ上がった。この
ため、新聞を発行できないところが続出、95年ごろからは300以上の新聞が登録さ
れながら、実際に定期的に発行された新聞は10紙ほどに激減ってしまった。15
95年以降は新聞紙の輸入量が増え、新聞も増えたが、大部分が裸やヘアーヌード
の写真が載ったエロ新聞になった。「ハローン・ホンジル」(暖かい布団)がその代表
的な新聞だが、街頭でのスタンド売りでは80%という状態までになった。人革党は選
挙の論評や批評は政党機関紙や政府系新聞しか掲載できないという法律を可決し
た。
96年に初めての野党の民主連合が誕生した結果、エロ新聞は一掃され、国のコント
ロールからメディアの自由を守り、すべてのメディアを民営化する「プレス法」が緊急
の課題となってきた。16
自由なメディアのあり方を全く経験しなかったモンゴルのメディアにとって、民主化後
の十年はいわば模索の十年であった、といえる。九五年にデンマークの肝いりで誕生
した「モンゴル報道研究所」17はメディアの調査、モニタリング、ジャーナリストの教育、
訓練を行い、メディアの民主化を支援しているが、そのツェデン・イシ所長(四八)はこ
の十年を次ぎのように振り返る。
「最初は三百近くの新聞がどっと増えて、野党系の新聞が誕生して前政権の不正や
弾圧の状況、スキャンダルを暴露するもの、人権侵害や名誉毀損の記事を確認せず
平気で載せたり、ヘアーヌードの写真や裸ばかりの質の悪い新聞が大量に出回った。
これらも三,四年で淘汰された。野党系の新聞も政権の二転三転によって誕生、廃刊
するものが多く、民主化によるメディアの変化、変転が相次いだ」。
また、外国語大学学長で元ウランバートル新聞編集長のホュレルバータ博士(四七)
も指摘する。
「九〇年以降、熱狂的な民主化とその反動、マイナスとしてジャーナリズムの未成熟
が一挙に噴出した。うわさや風評を確認、裏付け取材することなく書き飛ばしていくス
キャンダル、ゴシップ記事が横行し、そんな新聞が大部分となった。七十年におよぶ
社会主義時代によって厳しい検閲下におかれていた新聞は人権、メディアの自由、そ
れに伴うメディアの責任と倫理を全く知らなかったのである。」
Ⅴ モンゴルメディアの現状・新聞
モンゴルの新聞の正確な部数は「モンゴル報道研究所」の調査によって初めてモニタ
リングできるようになったが、二〇〇〇年の日刊紙は次の五つである。18(表1)
①『オドリーン・ソニン』(毎日新聞)=国会発行の「アルディン・エルフ」(国民の
権利)を九九年一月から民営化した新聞。(部数一万七千
部 報道研究所調べ、)
②『ズーニィー・メデー』(世紀ニュース)=政府発行の「ザスギーン・ガズリーン・メデ
ー」(政府ニュース)=を九九年一月から民営化した
新聞。 (七千七百部、同)
③『ウネン』(真実)19=一九二〇年創刊=、人民革命党機関紙。(不明、同)
④『ウヌードル』(今日)=一九九八年創刊=(モンゴルニュース社発行)エレルという
モンゴル最大のメディア会社が経営=(=(七千部、同)
⑤『モンゴリン・メデー』(モンゴル・ニュース)=九八年創刊(不明、同)
以上の日刊紙のほかに週刊紙として「セルレーグ(目覚まし)」20「ウランバートル・タイ
ムス」21「シャル・ソニン」(黄色い新聞)「フミュス(人々)」「デーツィン・フレーヒン(上流
社会)」などがある。『ウヌードル』を発行するモンゴルニュース社はモンゴル最大のメ
ディア会社で、25チャンネル・テレビやその他四つの週刊新聞などを持っている。
同研究所の調べでは、「二〇〇〇年の一年間では一一一の新聞、二四の雑誌が新し
く法務省に登録され、九〇年以来だと合計で千二百七十紙、誌になった。新聞の種
類では日刊紙五紙(九九年は五紙)、週刊紙二八(同一八)、隔週刊紙六(同四)、月
刊紙三七(同二八)、隔月刊紙五四(同四五)その他の二ヶ月以上に一回の新聞三三
(同二三)などで、五つの日刊紙がモンゴルの全新聞発行部数の60%をしめ、日刊
紙の中では『オドリーン・ソニン』が五五%(一九九九年)を独占て他を圧している。」22
日刊紙で最大の『オドリーン・ソニン』は九〇年七月に「アルディン・エルフ」(政府ニュ
ース)として創刊され、九八年にプレス法が批准された結果、政府新聞社は廃止され
自由新聞となり、その名前も「オドリーン・ソニン」に変わった。同紙の発行部数は最大
で二万部。このうち一万五千部は予約、残り五千部がスタンド売りだ。
バトムンホゥ同紙秘書室長は「自由新聞の前は政府の命令で法律案を掲載して、本
紙に載ったあとに法律が批准される、といった具合でした。今は政府からの指示は一
切なく、われわれの意思で自由に書いている。最大の変化は民主化前のベテランの
記者が半分以上若者に変わったことです。二,三〇歳代の記者が全体に七,八〇%
です」と説明する。
Ⅵ プレス法をめぐる論議
モンゴルにおける言論の自由の度合いはプレス法によって知ることができる。
民主化後の十年、多党化、複数政党化、私有財産制、市場経済化など政治、経済の
改革、開放化は進められたが、もう一つの大きなテーマであるメディアの自由をめぐ
る「プレス法」はなかなか制定されなかった。国会での論議が続き九二年、九八年に
も「プレス法」が成立、一部改正されたが、政府や人革党からのメディアの支配を排し
て、真のメディアの自由を確保するものにはならなかった。
1998年のプレス法は8月28日に批准され、99年1月から施行されたが、その内容
は次のようになっている。23
第一条「法律の目的」法律の目的はモンゴル憲法に規定されている自由な表現、意
見、言論、印刷、出版を行うモンゴル国民の権利を保障するも
のである
第2条 「メディアの自由」メディアの自由とメディア独立を制限すること、そうした法
律を制定することを禁じる。
第3条 「メディアコントロールの禁止」(第一項)メディアは表出物、情報について、出
版されたもの、放送されたものに責任感を持たねばならない。公共的な情報

内容についてコントロールや検閲をしてはならない。(第二項)政府はメディ
アが出す出版、放送をコントロールしたり、国によって財政を援助してはなら
ない
第4条 「政府メディア組織の禁止」政府がメディアを持つことを禁じる。
このプレス法で唯一実現したのはそれまでの政党、政府などの新聞はすべて民営化
して、自由新聞となり、国や党からの助成がなくなったことだ。このプレス法では不十
分とメディア関係者は強く批判している。24
98年のプレス法が施行された以降も「新聞は相変わらず党派性から脱せず、大部分
が政党や政治的な組織と結びついたまま」25の現状が続いている。モンゴルの国民
はメディアを信頼していない、との次の指摘もある。
「国民の期待する政治改革の兆しはない。改革の端緒を開く上でのマスメディアの果
たす役割が大きいわけだが、その責任を十分果たしていない。モンゴルの場合、有力
新聞がそれぞれ政党と深く結びついているために国民の信頼を得られていないので
ある」26
五つの日刊紙の政治的な性格について、イシ所長は「モンゴルニュースは民間の自
由新聞だが、社長が人革党員です。だから、『ウネン』とあわせて二つは人革党の新
聞と思います。『ウヌードル』だけが新しい民間の自由新聞といってよい。他の三紙は
『ゾーニィー・メデー』『オドリーン・ソニン』が民主連合の悪いことは書かない新聞、『ウ
ヌードル』は社長が大統領の親しい友人で、大統領を応援しています。この2 紙はたく
さんの情報を国民に提供しようとしていると思います」と分析する。
「一番国民に影響力を持っているのは『ウヌードル』だ。独立し自由化され、民主かさ
れた新聞で、多くのテーマの幅広い情報が書かれている」とモンゴル・ジャーナリスト
同盟会長・バトオルシホウ氏(51)はいう。
また、ホュレルバータ博士は「社会主義時代の憲法にも言論の自由を保障する条文
はあったが、実際に守られることはなかった。九二年の新憲法でも同じように言論の
自由は盛り込まれ、少し進歩して新聞が自由に発行できるようになった。以前は逮捕
されることを恐れていたが、以後は自由に活動できるようになった。二〇〇〇年の憲
法では言論の自由はさらに保障されたが、一方では政府の一番の政策がメディアを
チェックすることで、特に法務省がメディアの政策、財務的内容を厳しくチェックしてい
る」という。
民主化のバローメーターはメディアの自由度によるが、今回その格好の人物である
モンゴルの代表的な反権力ジャーナリストの一人のアキム氏に会った。同氏は一九
九〇年から週刊紙『イルトフチョ』(暴露)を発行、スクープ記事などによってモンゴル
報道研究所の読者の内容の評価順位でも第2位に入り、部数は二万四千部とよく読
まれていた。ところが、そのスクープ記事によって政府から圧力がかかり九九年八月
に休刊に追い込まれた。
そのスクープは①一九九六年六月に掲載された「一九二一年から八十年間で人革党
によって五万人近くが殺され、裁判にかけられた」という記事で証拠資料とともに掲載
した。この記事に対して、人革党は名誉毀損として八万二千ドルの損害賠償を訴え
た。
②一九九四年の「バカバンディ大統領は中国スパイか」という記事。同大統領が通訳
なしで二人きりで中国人スパイと別荘地で話をしていた、というモンゴルKGB の文書
をスッパ抜いた。これは中国のスパイをKGB が電話盗聴している中での会話から発
覚したもので、中国スパイは「大統領は信頼できるひとです」と話していた、という。こ
の記事でアキム紙は逮捕された。
③一九九六年にKGB が次の国会活動を調査していた内容をすっぱ抜いたもの
以上の記事などで逮捕、裁判にかけられ三十五,六回裁判所に呼び出しを受けたア
キム氏の新聞は休刊に追い込まれた。「未だにモンゴルのメディアには自由がない。
どの新聞も本当のことを伝えていないので、インターネット新聞を始めた」という同氏
は、今はインターネット新聞「モンゴリア・オンライン」を創刊して、国民に真の情報を
伝えている。
「社会主義時代には書けなかったし、書けばすぐ刑務所に入れられた。確かに、民主
化で自由に書ける権利を与えられた、一歩前進です。今は書いて逮捕、罰金でも裁
判所で争うことができる。裁判では記者たちが多数で応援に来てくれて助かった。前
だったら、応援者まで全員捕まった」という。
モンゴルの新聞が抱えるもう一つの問題は地方への配達である。ウランバートル27な
どでは町のあちこちに新聞スタンドがあるが、日本のような個別配達はない。28モンゴ
ル郵便公社(郵便局)が新聞の配達を、二四%の手数料をとって行っており、読者は
私書箱に郵便とともに送られてくる新聞をとりに行くシステム。地方への輸送はウラン
バートルから飛行機で各県の中央まで運び、そこからヘリコプターで地方のサウリ
(基地)まで送り、さらに遠い田舎まではバイクか車で運んでいる。29
地方では二,三週間遅れで、冬の時期には一ヶ月遅れになることも珍しくない。それ
でも識字率が高く、情報に飢えて何より新聞の好きな遊牧民はむさぼるように新聞を
読む。広大で人口の少ない同国では郵便のネットワークの販売活用しかないが、多
額のコストがかかる。新聞の総発行部数では九二から三年間は大きく伸びたが、九
五年からはその三分の一に急減した。
「経済的な貧困で広告を出す企業がまだ育っていないし、販売のコストも高い。新聞
代も国民にとっては安くないなどで、全体の新聞部数は減っている。採算がとれてい
る新聞はほとんどないのが実情です」と「ビジネス・タイムズ」編集長・サラントゥヤーさ
んは話す。30
Ⅶ モンゴルのテレビ、ラジオの現状
一方、モンゴルの放送、テレビ、ラジオについてはどうなのだろうか。
テレビ受像機台数は九六年で十一万五千台、ラジオは三十五万台であり、遊牧民が
多いだけに人口千人当たりではテレビは四十六台、ラジオは百四十台と低い。放送
の主流はテレビとなりつつあるが、ラジオの比率が依然高い。テレビ視聴世帯は約三
〇万世帯という。そうだとすれば、ほぼ六,七〇%の家庭に普及している計算だ。(表
2)
地上波テレビは国営モンゴル・テレビ局(MRTV)が全国放送を一チャンネルでしてい
るほか、首都ウランバートルでは市営の「ウランバートルTV」、民間放送は「25チャン
ネル」31「イーグルTV」(アメリカの投資でできたテレビで両国五十%ずつの合併会
社)32など二局がある。
98年の『プレス法』によって新聞はすべて民営化されたが、テレビははずされた。「モ
ンゴル・テレビ局」(MRTV)、「モンゴル・ラジオ局」(MRRO)は依然、国営放送で政
府機関「モンゴル・ラジオ・テレビ指導局」の下にある。モンゴルは全国二十一県あり、
各県ごとにテレビ、ラジオ局があり、地方会議委員会が指導している。
首相が指導局長を国会議員の中から任命し、指導局長はテレビ、ラジオ局の局長を
任命する権限を持っている。唯一、全国放送の「モンゴル・テレビ局」は午前八時から
夜の十二時まで、ラジオは朝七時から夜十一時まで放送をしている。
三年前からテレビ受信料制度が導入され、「モンゴル・ラジオ・テレビ指導局」が地方
へも集金人を派遣して受信料を集めており、ウランバートル市内では家庭では月七
十セント、ラジオは無料で、全世帯の六十%がこの受信料を払っているという。集めら
れた受信料は七十%を指導局がとり、残りの三十%を他のテレビ局のウランバート
ル・テレビ、イーグル・テレビ、25チャンネル・テレビに分配している。
社会主義時代は政府から百%予算がおりていたため、CM はほとんどなかったが、今
では二,三十分の番組では二つのコマーシャルが入る。一時間の映画では三分間の
CM が入り、CM の収入はモンゴル・テレビ局の収入になる。モンゴル・テレビ局、ラジ
オ局の予算全体の内訳は政府から十五%、残りの八十五%は自分たちで得ている、
という。
モンゴル・テレビ局の報道部門は「MM エージェンシー」である。同エージェンシーは1
967年に同局の情報課になり、1993年にMM エージェンシーとなった。業務は国内
ニュース、(一般ニュース、特集ニュース)、海外ニュース,統計、技術の3つ。1週間
に70分から110分間のニュースを担当している。モンゴル・テレビ局が1 ヵ月に制作
している番組の27・5%を制作、同局から予算を分けてもらっている。33
九〇年十一月に任命されたモンゴル・テレビ局・エンヘバト局長は「私が就任して以来、
番組の内容、編成を大幅に変えました。それまでは小さい子供が国会議員の顔を知
り、何の議論をした人かも知っていたほど政治をテーマにした番組、国会議員の討論
番組などが数多くありましたが、政党の喧嘩、議論ばかり放送するのは子供や青年
の教育にもよくないので大幅に減らしました。国内、世界のニュース、スポーツ番組、
視聴者が自由に意見を言える番組や社会批判のドキュメンタリー番組なども増やしま
した」という。34
これまでは社会主義的な政治優先の放送が続けられ、政党の宣伝番組が多かった
のである。
同局の十階ほどのビルは九十年にロシアによって建てられたものだが、老朽化がひ
どく建物内部の壁は剥げ落ち、階段の手すりの鉄は赤茶けてさびつき、昼間でも廊下
には照明が少なく真っ暗。テレビの撮影機や中継器、機材機器、スタジオ施設もロシ
アやハンガリー製だがどうみても二十年以上も前の驚くほどの旧式のおんぼろばかり。
エンヘバト局長は「老朽化した機材を何とかデジタル化したいのですが、予算がない
ので出来ない。日本のODAの無償援助で七百万ドルをお願いしています。何とかな
りませんか」と日本への強い期待をにじませながら最後に懇願された。35
Ⅷ まとめー政治的コントロールと開放、自由のはざまでー
今回の新聞、テレビ関係者のヒアリングを通して、モンゴルメディアの発展と混乱、矛
盾のただなかににあるその若々しい息吹きを実感した。それはモンゴルのメディア業
界が社会主義的な政治的コントロールと市場メカニズムの導入との間での引き裂か
れ、対立、緊張、馴れ合いの狭間で揺れ動く「ねじれ構造」の中での複雑な姿の一端
が垣間見えた。
モンゴルの民主化の十年は混乱、混迷を脱し新しい時代へ向かう今は過渡期にある。
今回痛感したのはモンゴルのメディアが置かれている物理的な環境の貧しさである。
それに、長年の社会主義的メディアの体制、構造、組織、人的構成、システムはまだ
完全に崩壊しておらず、混乱、移行期にある。人々のメディアへの意識も社会主義時
代からさして成長、変化していない。特に、かんじんの広告のスポンサーが生まれ、メ
ディアが自立できる経済的なバックグラウンドが未だモンゴル経済市場には育ってい
ない。政治、経済の未成熟、広大な国土と拡散した少ない人口などの地理的な条件
などさまざまな要因がメディアの発展を阻害している。それに規定されたメディアの自
由化の道のりの困難さを痛感した。モンゴルのメディアがこのような混乱、模索からど
う脱していくのか、今後の成り行きを注意しながら見守りたい。
(注)
(1)「ウネン」編集長・ガンバット氏へのインタビューなどによると、同紙は1920年11
月10日に「モンゴリ-ン・ウネン(モンゴルの真実)」としてソ連のイルクーツク
で創刊された。同年6月にモンゴル人民党(人民革命党になったのはあとにな
ってのこと)が組織され、その機関紙として刊行された。2000年に創立80周
年を迎えた。80年間同紙は人民革命党の宣伝をしてきたし、今もしている新
聞という。以前は4頁だったが、昨年から8頁に倍増、スタッフは60人(内専門
記者は30人)。昨年からは新聞のあり方を全面的に見直して市場の民主化、
文化、芸術などあらゆる分野にわたって報道することを政策とした。以前にこ
の新聞を予約していたのは全員人革党員であった。現在の人民革命党の党
員は10万人。人革党員と一般読者の比率は半々という。収入は予約販売で
60%、広告で40%。
人民革命党の組織は最高責任者が書記長でその下に指導委員会がある。こ
の指導委員会メンバー11人)を選ぶのが小会議(187人)である。同紙の60
人の社員の中で人民革命党党員は10人だけ。
(2)T・ナムジン著、村井宗行訳「モンゴルの過去と現在(下巻)」日本モンゴル民族博
物館1998年11月刊 171-172頁。
(3)同上
(4)田中克己『モンゴルー民族と自由』岩波書店(1992年刊)204-213頁
(5)同上
(6)W・シュラム編「マスコミの自由に関する四理論」(東京創社、内川芳美訳 197
3年刊)
(7)T・ナムジン著、村井宗行訳「モンゴルの過去と現在(下巻)」171頁。この代表的
な事例がモンゴルの著名な研究者ダムディンスレン著『ロシア語―モンゴル語
辞典』の付録の記述が問題となり、社会主義を灰色に描くものとして告発され、
付録部分は削除された。また、金岡秀郎『モンゴルをしるための60章』明石書
店2000年刊210頁参照
(8)「民主化が問うジャーナリズムの本質」松田忠徳、アジア読本「モンゴル」(1997
年12月発行、河出書房新社)148-149頁
(9)「政治民主化への道のり」松田忠徳、アジア読本、「モンゴル」130-133頁
(10)松田「民主化が問うジャーナリズムの本質」147-8頁
(11)同上148-149頁
(12)松田忠徳『モンゴルー甦る遊牧の民』社会評論社(1996年刊)62-63頁
(13)同上
(14)松田「民主化が問うジャーナリズムの本質」149頁
(15)同上149 ―150頁
(16)同上
(17)モンゴル報道研究所はデンマーク政府がモンゴルメディアの民主化の支援のた
め300万ドルを提供して96年に設立された。モンゴルメディアのモニタリング、
調査、レポートの発行やジャーナリストの教育、研修、語学研修、印刷所も持
っている。研究所の活動にはソロス基金、ドイツのアデナウアー財団、米アジ
ア財団などが資金を提供している。
(18)Press Institute Monitoring Section『Monitoring Mongolian Media 2000』
(19)モンゴル報道研究所の調査では「ウネン」の発行部数は不明となっているが、
ウネン」編集長・ガンバット氏は今は1日1万部の発行という。5年前は部数は
2500部から3000部にまで落ち込んだが、2000年10月1日から4頁を8頁
に増やしたお陰で予約読者が急増したという。「ウネン」は大部分が予約読者
で、80%が地方の読者という
(20)「セルレーグ(目覚まし)」のバヤルムンホゥ氏はいう。
「週刊紙の中では一番成功している。一回の発行部数は4万部で、注文の数は
2万4千部。以前はエロ新聞をだしたこともありましたが、今は特別インタビュー
などを注目人物にして特色を出している。国民が何を知りたがっているか、そ
の興味に答えるような紙面作りをしている」「ズーニィー・メデー」(世紀ニュー
ス)の株を20%取得したので、そちらでも出版する」と意欲をみせている。
(21)ホュレルバータル博士への8月30日のインタビューより。「ウランバートル新聞」
は1990年に設立された。ウランバートル市の人民革命党の実行委員会
の新聞で、同博士が社長をしていた。99年5月に同博士がモンゴル伝統統

党の党首だったために首になった。
(22)Press Institute Monitoring Section『Monitoring Mongolian Media 2000』
(23)渡辺武達「草原の国・モンゴルの言論・情報環境」『マスコミ市民』1998年10月
号、秋野豊「ユーラシアの世紀―民族の争乱と新たな国際システムの出現」
日本経済新聞社2000年刊220-231頁「モンゴル」の項を参照。
(24)ホュレルバータル博士はこう指摘する。「このプレス法ではモンゴル・テレビ・ラ
ジオ局の民営化されなかった。モンゴル憲法では言論、報道の自由は盛り
込まれているが、得た情報を正しく提供する義務が全く入っていない。199
2年のプレス法によってこの部分が入るかと思いましたが、盛り込まれなか
った。このため、公務員が情報を知らせてはいけないということになっており、
誰も正直に情報やデータを出さない状態が続いている。情報公開の考えが
ない。(政府への批判記事を書いた場合はどうなるのか、との質問にたいし
ては)いろんな形で圧力がかかる。罰金や税金、名誉毀損という形で、裁判
にかけられる」
(25)http://userpage.fu-berlin.de/^corff/im/Landeskunde/john.html『Mass Media In
Post-Revolution Mongolia』(William)「新聞はまだ党派性から脱していない。大
部分が政党や政治的な組織と結びついている。印刷機や印刷材料も新聞発
行の必要資源に接近を妨げられている。放送は依然として政府にコントロー
ルされている。衛星や国内ラインの中継には役立っている。放送、電話通信は
技術の未熟やモンゴルの経済的な危機の直面によって起きる複雑性に妨げ
られている。
(26)日本貿易振興会海外調査部『続新生モンゴルー市場経済移行期の光と影』20
00年刊8-9頁、日本貿易振興会海外調査部『モンゴル研究会報告書―新
生モンゴルの挑戦』2001年刊を参照。
(27)同国の首都・ウランバートルには全人口の3分の1が集中し、メディアもここに集
中する。「同市には日刊紙はもちろん、週刊紙、旬刊紙が100ほど登録され
ており、正直いって新聞が多すぎる状態です。そのうち淘汰されるでしょう」
とイシ所長はいう。
(28)藤田博司「民主化への大きいな期待と遠い道のりーモンゴル最新新聞事情」
『新聞研究』98年6月号
(29)「ウネン」編集長・ガンバット氏も地方へは同紙がよく出ているが「モンゴル郵便
会社を通して各県の中心まで、そこから郡やバグまでは地方の人たちが車
や馬で何とか届けている状態です」という。
(30)サラントゥヤーさんは「1994年から1996年の間に新聞の種類が非常に少なく
なった。今は1000ほどあり、そのうち310が定期的に発行されているが、総
部数は減っている」「新聞の購読が落ちた原因は国民の生活の窮乏がある。
1つのパンの値段は240トゥグリクにたいしてこの新聞は300トゥグリクです。
それに殺人や犯罪ばかりの記事が書かれていては読む人も飽きてしまいます
よ」
(31)同局は1996年9月に開局、5人の「モンゴル・テレビ局」、「モンゴル・ラジオ局」、
ウヌードル新聞社の記者が出資して出来た。スタッフは60人。放送時間は午
後7時半から4時間半から5時間。独自のステーションを持ちウランバートル市
を放送範囲にしている。主な収入は広告でまかなっている。同局局長・アルタ
イ氏は「テレビ局は規模ではなく番組の質,政策だ。モンゴル・テレビは特定の
政党のものになっていて,100%真実を報道できない。われわれと競争には
ならない」という。
(32)同上博士へのインタビューから。「イーグル・テレビはニュースが簡単で、非常に
面白くしてスピーディに提供して、技術、記者の能力が高いテレビである。た
だ、
最近能力のある記者を首にしたので、今後どうなるかは不明だ。同テレビの問

点はキリスト教を宣伝していることで、モンゴルの多くの人々がこれを批判しい
る」
(33)国営モンゴル・テレビ「MM」通信社編集長・D ENKHTUYA(エンヘトゥヤー)氏
のインタビューによると、「スタッフは70人。カメラマンは7人でカメラは5台。記
者は20人。午後8時のニュースは20分間,それ以外は10 分間。午後8時
のニュースは30%が海外ニュース、70%が国内ニュース。それ以外は国
内、海外とも半分半分。スタッフの身分は公務員。予算は独立しており、モ
ンゴル・ラジオ・テレビ指導局の下に存在して、ラジオ、テレビ局と同じ」。
(34)モンゴル・テレビ局・エンヘバト局長のインタビューでは「新番組として夜11時か
ら1時間でニュース、いろいろな情報を得られる番組を作って一番の人気番
組になっています。週2,3回、10分間ですが、『開いているマイク』という視
聴者の意見をそのまま放送する新番組も作りました。『テレビ、ラジオプログ
ラム』という番組宣伝の週刊新聞も週3,4千部を発行し人気を博していま
す」
(35)98年の『プレス法』では実現しなかったが、モンゴルテレビ局、同ラジオ局、モン
ゴル国営通信社『モンツァメ』の民営化についても検討されており、「第一の目
的は公共機関に構造をかえること。政治の介入を除くために指導局に代わっ
て新しく指導委員会を作る。2002年の国会に提出したい方針です」とエンヘ
バト局長いう。
35

 - IT・マスコミ論

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

  関連記事

no image
★『青い地球は誰のもの、青い地球は子どものもの、青い地球はみなのもの、人類のもの、地球の生物のもの、トランプのアメリカ、習近平の中国、安倍さんの日本のものではありません』

  『青い地球は誰のもの、青い地球は子どものもの、 青い地球はみんなの …

no image
終戦70年・日本敗戦史(104)再録<ネット時代の社説論説『本質に迫るための検証報道ーメディアは速報性のワナにはまるな①」

  終戦70年・日本敗戦史(104) 再録 <ネット時代の社説論説『本 …

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(197)『直近のNYTは大隅教授のノーベル賞受賞を多角的に報道(Yoshinori Ohsumi of Japan Wins Nobel Prize for Study of ‘Self-Eating’ Cells )日本の科学ジャーナリズムの貧困とは大違い』●『「社会がゆとりを持って基礎科学を見守って」大隅さんは会見で繰り返し訴えた』

 『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ(197)★ Yoshino …

no image
速報(312)『日本沈没は不可避か!」ー江戸のIT、Web社会から日本再生のヒントを学ぶ①②』(ビデオ座談会80分)

速報(312)『日本のメルトダウン』   『日本沈没は不可避か」ー江戸 …

no image
73回目の終戦/敗戦の日に「新聞の戦争責任を考える③」再録増補版『太平洋戦争下の新聞メディア―60年目の検証③』★『記者は国家登録制に、国体観念を養うために練成実施』★『戦う新聞人、新聞は弾丸であり、新聞社は兵器工場へ』★『朝日社報の村山社長の訓示『新聞を武器に米英撃滅まで戦い抜け』(1943/1/10 )』

「新聞の戦争責任を考える③」再録増補版『太平洋戦争下の新聞メディア―60年目の検 …

ダウンロード
日本の最先端技術「見える化」/チャンネル世界中のロボットメーカーで最も注目されている会社「MUJIN」はロボット自動倉庫構築(無人工場)のプロフェッショナル

日本の最先端技術「見える化」チャンネル 第3回ロボテックス展(1/16、東京ビッ …

2222
「第45回 東京モーターショー2017」―『トヨタの展示ブースの「TOYOTA CONCEPT-愛i』★「TOYOTA CONCEPT-愛i RIDE」

日本最先端技術『見える化』チャンネル  「第45回 東京モーターショー2017」 …

no image
池田龍夫のマスコミ時評(97)◎『東京五輪より、原発被災地復興が最優先課題』(10/21)

   池田龍夫のマスコミ時評(97)   …

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ⑩』『アラブの生活に身を投じたアメリカ合衆国大使(ニューヨーク・タイムズ9/15)

『F国際ビジネスマンのワールド・ニュース・ウオッチ⑩』   『アラブの …

no image
コミュニケーション論【マスコミ】ⅣA(2)

1 コミュニケーション論【マスコミ】ⅣA(2)  2004,4,21       …