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地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

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『Z世代のための最強の日本リーダーシップ研究講座(47)』★『日露戦争に勝利した伊藤博文の知恵袋・金子堅太郎(農商務相)とルーズヴェルト米大統領の「友情外交インテリジェンス」★『日本海海戦勝利に狂喜した大統領は「万才!」と 漢字でかいた祝賀文を金子に送った』

   

 

   記事再録

24年5月3日am7時、逗子なぎさ橋珈琲店テラスから眺めた富士山絶景

金子堅太郎が語る(「日露戦役秘録」1929年 博文館)より

ルーズベルト大統領はバルチック艦隊の接近を危惧す

それから五月の初めに大統領が午餐を共にしたいから来てくれと言ってきました。この午餐には大統領の二家族と、私と、それから二、三の友達、ならびにかつて日本に来たビゲローという人がおりました。

食後、大統領が、「実に日本の陸海軍の軍人の勇武には驚き入った。日本国民というものは実に偉い人種である。」としきりにほめた。それから食事が済んで、例の通り二階の書斎に上っていろいろ外交上の話をしたときに、ルーズベルトがこう言った。

「私はかつて君に言ったとおり、ロシアは奉天の戦であの通りの大敗北をしたから、無論講和を請うだろうと思っていたが、いまだに請わぬ。請わぬのみならずロシアからの報告を見ればバルチック艦隊(ジェストヴェンスキー指揮)がアジアの海岸からだんだん日本に近寄ると、停泊港で受取ったところの報告により、彼がヨーロッパを出てくるときとはよほど意見が違って、艦隊の数といい、兵力といい、日本の艦隊は恐るに足らぬから必ず対馬海峡がどこかで日本の東郷艦隊を全滅してしまいましょう。

クロバトキンは奉天では負けたけれども、ハルピンに五、六十万の兵隊をもっているから、北方から坂落しに来て、今度は大山軍をことごとくアジアから駆逐する。そのときに至って初めて講和談判をする。今は講和談判をする時期ではない。いずれはロジェストヴェンスキーのバルチック艦隊の運命によってきまる。

これが日露両国の決勝戦である。日本がこれに負ければとにかく、勝てば講和談判になる。これが一番必要な時機である。実はロジェストヴェンスキーの艦隊が日本海に近づくことについてはぼくも非常に憂慮している。

もし日本が負けたならば、講和談判はいかになるか、ぼくは憂慮に堪えぬ。この海戦がすなわち最後の決勝戦である。そこで君に忠告したいことがある。これはどうか日本政府に君から言ってもらいたい。

●ルーズヴエルト大統領は東郷艦隊を二つに分けての海戦を勧めた

ぼくは今度ロジェストヴェンスキーの艦隊と日本の艦隊との戦でどっちが勝つか分らないと思う。全体ロジェストヴェンスキーの勢は偉いものである。君の方にも勝算はあろうけれども、もし日本が必勝を期するならば、ぼくはここに日本政府に忠告したい。

それはぼくが日本の軍事についてかれこれいうのはさし控えるべきであるけれども、これまで日本のために働いてきたから、これだけは日本の政府にぼくの意見を通じてもらいたい。決してぼくが日本の戦略にくちばしを入れるというわけではない」と断わって言った。

ルーズヴエルトはかつて海軍次官として経験があるから、海軍のことは十分承知している。そこでいうのに、「ぼくの考えではロジェストヴェンスキーは対馬海峡を一直線に乗り切ってウラジオストックに入るであろう。これに反して東郷艦隊はロシアの艦隊が一直線に進んでくるのを、対馬海峡かどこかで丁字形の陣形をもって応戦するかもしれぬ。そうすると向うは一直線にきて日本艦隊の真中を突いて、その主力艦をつぶし、日本艦隊を中断して両方に打ち割って、その間を突き抜けてウラジオストックに逃げ込んだならば大変である。

それであるからこのT字形の戦術を止めて、日本の艦隊を二つに分けて、一隊は朝鮮海岸に寄せ、一隊は北九州に並べ、対馬又は壱岐の海岸に潜航艇、水雷艇を沢山置いて、ロジェストヴェンスキーの艦隊が来たならば、左右から水雷艇で撃ち、そうして本当の戦は海峡の真中に来た頃を見計らって両方から挟み撃ちにしてはどうか。

丁字形では向うの主力で衝かれるから不利である。ゆえにぼくはこういう戦術を考えた。これはひとりぼくの考えだけではない。アメリカの海軍の戦術家も同意見である。これを君どうか日本政府に通知してくれたまえ」と熱誠をもって言った。それで私はただちに暗号電報をもって日本政府に通知した。

ところがこれは後で聞きましたが、日本の東郷大将はルーズヴェルトの意見とは反対に別にみるところがあって、やはり丁字形でこれを迎え撃って、あの通りに全勝を得た。これについて帰朝後島村速雄、加藤友三郎、いずれも当時東郷大将の参謀長又は参謀になっていた人たちや、海軍側の友人に聞くと、日本でも丁字形で撃つか、あるいはルーズベルトの言うように二つに別れて挟撃ちにするかということについては随分議論があって、東郷艦隊の幕僚中にも意見が別れていて、最後まで決まらずにいたが、いざロジェストヴェンスキーの艦隊が来たから出て行くというときに、東郷大将の命令で左に行けというので左に行ったということを聞きました。

これは東郷大将の偉いところであの丁字形をルーズベルトは危ぶんでいたのに、その戦略を用いて敵を全滅したということは、全く東郷大将の策略がよろしかったのと、又我が将校、水兵の武勇なる結果であると私は思うのであります。

  • 日本海海戦勝利に狂喜した大統領は「万才!」と漢字でかいた祝賀文を金子に送った。

  • 待てども暮せどもロジェストヴェンスキーは来ない。ところが五月の二十七日は土曜日である。私はいつまで待ってもロジェストヴェンスキーの消息がないから、土曜・日曜の二日は秘書一人を伴い、一人はニューヨークに残して、アトランチック・シティーの海岸に行って休養しようと思って、かの地に行きその晩は友だちの家で晩餐に招かれて夜の11時ごろホテルに帰った。すると、まだ旅客が起きていてホールに皆集まっていた。私の顔を見るや否や事務員が飛んで来て赤の電報(外国電報は赤い紙である)その電報を見せた。それを見ると私がニューヨークに残しておいた秘書から打った電信である。今日、バルチック艦隊と日本艦隊と衝突した。そうしてその電報の趣意はこうであります。

『長崎駐在のアメリカ総領事の電報によれば、ロジェストヴェンスキーの艦隊と東郷艦隊と対馬海峡で衝突した。敵の軍艦六隻を撃沈し九隻を捕獲し東郷艦隊無事』

という電報である。そのとき旅客は皆私の周囲に集まってこれを見せろというから、それを私が読み上げるや否や、そこにいた男女はわあわあ言って万才を唱え、そうして私を食堂に連れて行って思い思いにシャンペンを抜いて、万才、万才、日本の大勝利と絶叫した。

夜の十一時過ぎ旅客の男女は知ると知らざるとを問わず、皆万才を唱えシャンペンを抜いて喜んだ。ところが喜んだのは喜んだがあまり電報がよすぎる。六隻を撃沈し九隻を捕獲して東郷艦隊無事とある。

あの大戦争に多少は事実より誇大に言ったかもしれないけれども、東郷艦隊無事とはあまりよすぎる。明日にでも本当の電報が来て、ひょっと間違っていたら大変であると思った。この電報はアメリカの総領事が長崎から打ったので、それが一番先にアメリカに来た。

その晩は私は興奮してあまり嬉しくて寝られない。とうとう夜が明けて東天が白々になったから一番汽車で帰ろうと思ってアトランチック・シティーのステーションに来てみると、駅待ちの電報がニューヨークから来ていた。それを見ると沈んだロシアの軍艦、捕獲したロシアの軍艦の名前まで書いてある。これで本当だということが分かった。

そうして列車に乗っている旅客は知ると知らざるとを問わず私の坐席に蝟集(いしゅう)して皆私の手を握って、大勝利でめでたいめでたいと言う。わずか三十分ばかり汽車が行くと、もう号外を汽車の中に売りに来る。そうして私に買ってくれと言う。

それからニューヨークの停車場に着くと、この私の五尺三寸(160cm)の小さい体が七尺以上(2m以上)になったように自分も思いました。通行人が私の顔を見るとわいわい言って万才を唱えた。それから向う河岸にボートで渡って馬車に乗った。左右のアメリカ人の家には日の丸の旗が立っている。又通行人が私の顔を見れば帽子を取って万才、万才と言う。

実にこのときの有様は偉いものであった。そこで帰りましてただちに天皇陛下に祝辞を申し上げた。それは田中宮内大臣を経て電報を打ちました。「米国人は日本海軍の大勝利をもって世界未曽有となし狂喜雀躍、願わくは微臣の祝詞を両陛下に上奏あらんことを請う。」

それからしばらくすると今度はルーズベルトから手紙が来た。その手紙をちょっと読み上げますが、こういう文句であります。

 「謹啓 今回の大勝利は貴兄にも定めてご満足のことと察し申しあげます。かのトラファルガーの戦勝、もしくはスペインの 「無敵艦隊」(Invincible Armada)の撃破もこの大勝には遠く及ばずと愚考いたします。

今後三週間内に御出府の機会がありましたら 、一度お会いしたいとおもいます。今朝、竹下海軍中佐の訪問に接し たまたま海軍大臣もきて、竹下中佐の辞し去られるをみて 中佐こそは多幸をうらやましく思いました。 日本人全体、まことに日本海軍の将士は今や

欣喜雀躍(きんきじゃくやく=こおどりして喜ぶこと。ほとんど手の舞い足の踏むところを知らざるの感あると語り申された

 敬具

1905年5月30日

万才!!!

 ワシントン大統領官邸

セオドール・ルーズヴェルト

男爵 金子堅太郎殿

手紙の中に「万才」と書いて圏点(けんてん=強調する点)を三つも打ってあります、よほど嬉しかったものとみえる。そこで三週間のうちに都合がついたら来てくれといいますから私は行った。行くや否や手を握って、実に未曽有の大海戦にあの通りの勝利を得ようとはぼくは思わなかった。

その電報が来たときにはルーズベルトは電報を持って自分の官房にいて来客に会ったが、午前から午後まで来る人ごとに東郷艦隊の勝利の模様をいちいち説明して、ほとんど自分は日本の海軍の大将のような気持でいたが、かえりみれば自分はアメリカの大統領である。それに日本の海軍の戦の事ばかり朝から晩まで話していて、何も公務が手につかなかったといった。よほど嬉しかったとみえる。これがこのバルチック艦隊の全滅のときの真相である。

そこでルーズベルトが申しますには、もうこれでいよいよ講和談判になる。陸軍はあの通り、海軍でもこの通り、ロシアが頼みと思ったバルチック艦隊が全滅したから、これは講和談判になる。これからぼくが一肌脱いで両国の間に尽力しよう。こう言ってこれから講和談判に着手致しました。

 

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