前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

新聞と戦争一日本の大新聞は15 年戦争をどう報道したのか、新聞の良心は・・

   

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2002年10月
静岡県立大学国際関係教授・前坂 俊之
Ⅰ 大東亜戦争終結から五十年、歴史復讐が始まる
① 2 年後の1995 年は太平洋戦争終結から50 年年こ当たる。ここでは太平洋戦争と書
いたが、正式には「大東亜戦争」であり、アジア、太平洋の広い地域で戦争が行われ、日
本の兵士、市民の死傷者約300 万人、アジア全体でも約500 万人以上にのぼる被害者
を出した。
② 「大東亜戦争」を「太平洋戦争」と言い換えているように、「アジア」への視点、アジア
の被害、多大な迷惑をかけたことへの反省の視点が欠落している。戦前も戦後もー貫し
たアジア蔑視、無視の姿勢は変わらない。反省もしない「加害者日本」への不信、批判が
アジア隣国からいつまでたっても消えない。
③ 冷戦体制の崩壊によって、第2 次世界大戦の終結で封じ込められていた「歴史のパ
ンドラの箱」が開いた。それはボスニア紛争に象徴されており、近い将来、韓国、北朝鮮
の統一によって、歴史の亡霊が再びよみがえってくる。
Ⅱ 日本の新聞は15 年戦争をどう報道したか
「歴史に学ばない国民は亡びる」とは吉田茂首相の言葉だが、戦争を知らずして、平和を
語ることはできないし、又、過去を知らずして、将来を語ることもできない。
「水に流す」「過去を忘却する」のが日本人の国民性であり、特に、その無責任体制と加
害者意識の欠落、忘却症は被害を受けたアジア各国との意識のギャップを抜き難くして
いる。 歴史の教訓に学ばぬ国民は再び歴史に裁かれるし、同じ誤りをくり返す危険性
が高い。
(イ)日本の新聞は15 年戦争の報道について、自ら検証したのか。残念ながらこの「新聞
の死んだ日々」について、自らの恥部として、ふれていないし、自らの戦争責任もタブー
視したままである。
(ロ)新聞の戦争責任についての日本、ドイツの比較
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ドイツは第二次世界大戦中にナチスに協力した新聞は戦後、全部廃刊となり、新聞人
も全員やめた。ユタヤ人虐殺についての責任を永久に追及しているドイツと日本の差は
大きい。
(ハ)日本の新聞と8 月15 日
8 月16 日付け敗戦の日の毎日新聞西部本社版の新聞の2 面は、白紙のまま発行され
た。16 日から20 日まで5 日間、表裏の各所が白紙という異例の紙面が続いた。当時の
高杉孝二郎編集局長(西部本社)は「昨日まで国民を戦争にかりたてていたペンで、今さ
ら何を書ける。昔なら切腹ものだ。埋め草は一切いらぬ。発表ものだけでいく」とこの白紙
の発行を続けた。
高杉局長は本社に対して「戦争をあおった新聞の責任をとって国民に謝罪せねばなら
ぬ。本社は解散、毎日新聞ほ廃刊、それが出来ぬならば、役員と局長以上の幹部は即
時、辞職せよ」と主張した。8 月29 日、毎日は新聞の戦争責任をとって奥村社長、高田主
筆、高杉局長、束京、大阪の編集主幹ら5 人が辞任した。
朝日は8 月23 日に「自らを罪する弁」という社説を掲げて戦争責任について国民に謝
罪。村山社長以下、全重役、局長、論説主幹らが総辞職した。11 月7 日付の社説「国民
と共にたたん」で戦後の再出発を誓った。
Ⅲ 15 年戦争と新聞の戦い、屈伏、協力の3 段階について
ジャーナリズムの戦いは、「5・15事件(昭和7=1936 年)で9O%終わり、2.26 事件(昭
和11=1936 年)で100%終わった」といわれる。
(イ)第一期(昭和6 年-11 年)満州事変から2.26 事件まで
戦争へ発展する小さな芽のうちに、これをつぶしていないと、大きく発展した段階ではも
う遅い。この点で15 年戦争の発火点となった満州事変で「新聞が一斉に砲列を敷いて軍
部の暴走を阻止、あるいは抵抗していたならば、歴史は変わっていたのではないか」―と
いうのは朝日の戦争中の責任者・緒方竹虎の戦後の自責の念による回想だが、この第
一期では戦争へと大きく発展する過程で、毎日、朝日などの大新聞は軍部と二人三脚で
協力し、ほんの一部「福岡日日新聞」などがだけが抵抗した。ジャーナリズムは敗走し、
全体的にはなだれをうって挙国一致へ協力をしたのである。
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(ロ)第二期(昭和12~16 年)日中戦争から太平洋戦争の勃発まで。新聞は統制時代に
入り、ペン部隊、内閣情報局の傘下にがっちりと組み込まれる。言論の自由は99%息の
根を止められた。
(ハ)第三期(昭和16~20 年)太平洋戦争開始から敗戦まで。「新聞の死んだ日々」。二
六種類もの言論統制の法規によってガンジガラメにされ、大本営発表、ニ重三重の検閲
によって、言論報国、新聞はウソを書き続け、プロパガンダと化した。
・以上の3段階で、メディアの報道の自由の首は絞められていくが、最大のターニングポ
イントとなった満州事変を新聞はどう報道したのか。どこまで戦ったのか。ここが抵抗の
ぎりぎりラインである。
Ⅳ 新聞の協力と抵抗
日本を亡国におとし入れた満州事変。中国への侵略は昭和6 年9 月18 日に関東軍の
謀略によって引き起こされた。
その背景には「満蒙の特殊権益論」がある。日露戦争で手に入れた満鉄の権益、日本
の対ロシアへの防衛線としての満州の立地条件、鉄鉱、石炭など豊富な満州の資源に
対して、長年の日中関係の悪化によって中国では「反日」「排日」「日本商品のボイコット
運動」など起こり、中国ナショナリズムが高まってくる。
それに加えて満鉄の赤字、大陸経営の危機もあり、関東軍は石原完爾、板垣征四郎ら
のコンビが「満州国」独立を計画、満州事変をその突破□にしたのである。
(イ)当時の新聞、全国紙は「朝日」(東京朝日、大阪朝日)「毎日」(東京日日、大阪毎
日)しかないが、どうだったのか。
「朝日」は米騒動や普選運動をリードし、リベラル、自由立憲、反軍の色彩が強く都市部
のインテリ読者らに立脚していたが、一方、「毎日」は商業地、農村部に強く、軍部寄りで
「反朝日」に立っていた。
「満蒙は日本の生命線」(当時のキーワード)は松岡洋右が最初に議会で演説したもの
だが、「毎日」はこのキャンペーンを行った。満州事変勃発までには中村震太郎大尉殺害
事件、万宝山事件など前哨戦として起こり、日中関係は緊迫、新聞は戦争ムードをあお
り、対中国世論は硬化していく。特に、毎日が強硬路線を展開する中で、「大阪朝日」の
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高原操編集局長は逆に軍部を批判して、戦争ムードを抑制していた。
(ロ)満州事変の報道について朝日の転向
「毎日」は勃発と同時に関東軍の軍事行動を正当防衛として即承認し、強硬姿勢に終
始する。又、中国側が国際連盟に提訴して国連が事変に介入することも断固排撃した社
論を展開した。
逆に、「朝日」は最初は軍事行動の拡大には慎重な姿勢を見せたが、途中で「木に竹を
ついだ」ように180 度転換し、『満州国』の独立を容認した。
満州事変前までは軍部への批判的な雰囲気もあった新聞界は「軍部自身が予想した以
上の絶大なる協力」によって、挙国一致して満州事変を支持したのである。
(ハ)朝日の180 度の転換の裏には一体何があったか。その背景には陸軍幹部と一体と
なった右翼の総本山「黒竜会」の内田良平による「大阪朝日」攻撃と脅迫があり、その暴
力、テロを恐れてた朝日は手のひらを返したように屈伏したのである。一昨年出版された
「朝日新聞社史」にはその経過が詳細に書かれている。
〔経過〕 9 月18 日 満州事変勃発
19 日 笹川貞一、大阪朝日訪問
24 日 内田良平、大阪朝日訪問
25 日 村山長挙社長出席して重役会開催
10 月1 日 社説「満州緩衝国論」の掲載
高原編集局長はそれまでの「満州は中国の一部」という社説を180 度転換して、軍部の
認める「満州独立論」に切り換えた。
10月12 日 「満州事変については絶対批判を許さず」の重役会決定
13 日 編集局内で重役会決定の内容を高原局長が説明した。
高原編集局長は「軍部に協力するのか」の社員からの抗議にも「船乗りには“潮待ち”と
いう言葉がある。いかんながら、われわれもしばらくの間、潮待ちする」と回答、毎日・本
山彦一社長は10 月、満州事変は「正当防衛である」という声明をアメリカの二五の新聞
に発表した。
11 月4 日には日本新聞協会が「満州事変は自衛権の行使である」との声明を各国に送
った。
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Ⅴ 戦争報道のおとし穴
(イ) 満州事変当時、すでに新聞は政論新聞からニュース報道中心の新聞にかわって
おり、大衆化、スピード化、客観報道へ進んでいたこと。
このため、事変のエスカレーションを重視、ニュース報道の名の下に次々に大々的に報
道し、関東軍が作り出した既成事実を追認していく結果になった。
気がつくと、とんでもないところまできている。客観、ニュース報道=速報性の持つ陥穽
にはまってしまった。
(ロ)戦争は新聞にとって最大のニュースであり、部数も大幅に伸びる。
(ハ)当時のハイテク(伝送写真)、中国からの飛行機による戦況写真のピストン輸送、写
真号外などの大量の発行、センセーショナルな報道、それによる部数の増加。
(ニ)朝日、毎日の全国紙化による情報の寡占化、読売はこの段階では東京のローカル紙
でつぶれる寸前を正力松太郎の経営才覚で大きく部数をのばしていた。
(ホ)過当競争⇒朝日の反軍的記事に各地の在郷軍人会が不買運動を起こし、これに毎
日も加わって、朝日の足を引っ張り、部数が落ち込んだ。これも「朝日」が反軍反戦の社
論を転換した一因となった。
こうした要因以上に新聞の大々的な報道によって国民の問に熱狂的な中国に対する排
外熱、戦争熱のナショナリズムが高揚した。新聞の『挙国一致報道』が世論をあおる結果
になった。
高原操局長の「今は潮待ち」の時であるという発言にも、満州事変を支持する世論の高
まりという 「潮」をみて、このファシズム、愛国心の大きなうねりに逆らえないという、自分
が作りだした状況に逆にのみ込まれていく結果になった。
5.15 事件から2.26 事件にかけての新聞
(イ)宮沢喜一前首相が半年ほど前の政治改革法案をめぐって混乱する政局をみて、犬
養毅首相がテロで倒された5.15 事件の頃の政治的状況が似ていると発言したことがあ
った。
6
新聞にはアクセルとブレーキの二つの役割がある。
大きく報道することによって、国民に広く真実を知らせ、その結果、状況を既成事実化し、
より状況が発展拡大していく。アクセルを踏んだのと同じで、新聞の報道が真実をより大
きく「あおる」結果になりセンセーショナリズムと批判されるのもこの点である。逆にブレー
キ役となり、誤った事実や方向へ行こうとするのを止める役割も持つことは言うまでもな
い。
満州事変で一挙に噴き出した軍部の中国侵略と、それを熱狂的に支持した国民。マスコ
ミも挙国一致で支持し、気がついてみると状況は抜きさしならぬことになっていた。
Ⅵ 暴力とテロの頻発で言論人は縮み上がる
暴力とテロが頻発する。右翼による個人、新聞への攻撃がひんぴんとある。当時、朝日
の情報局に日本刀を持ったヤクザが乱入して、編集幹部が斬られて重傷を負うという事
件もあり、新聞社も自衛策として記者が木刀や日本刀、スティックを護身用に持って自衛
するという手段に出ていた。
(ロ)外圧としての言論弾圧と内圧としての自己規制、自己検閲、言論萎縮の問題
これまで新聞は、外圧としての権力側の言論弾圧を強調しすぎていなかったか。確かに
明治の保安条例以来、日本の新聞は極度に制圧され、昭和に入って特に、15 年戦争下
では、言論取締法規によってガンジガラメにされていたために、真実を書こうにも書けな
かった?との弁明が聞かれる。確かにその点もなくはない。
「5.15 事件や2.26 事件のテロや暴力に記者は戦慄してベンを投げた。これに右翼に
よる度重なる個人襲撃があり、特高と憲兵による無法極まる妨害で記者のペンと口を封
じてしまった」
「陸軍省詰めの記者ほその異動すら社では行えなかった。一人の記者を動かすにも陸
軍報道部長が必ず社へどなりこんだ。情報局、陸海軍は記事の扱いかたから見出しまで
にわたって、大小をこと細かく指導した。『もう勝手にしろ!』というのが心ある記者の捨て
ゼリフだった」
これは山根真治郎・東京新聞編集局長が昭和20 年12 月に「日本新聞報」に書いた「新
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聞に戦争責任はない」いう文章の一節である。
確かに、このようなテロ、暴力、記事の書きかたまで、外圧があったことは間違いない
が、新聞自体、果たして記者自身はこれとどこまで戦ったのか。
外圧によって萎縮して、自己規制、自己検閲して、テロや暴力を恐れて「これを書くとや
られるのではないか」と必要以上に恐れて書かなかったのではないか。つまり、過剰に恐
怖心をもって、自己規制しすぎたのではないのか--この点こそ問題である。本当に書
けなかったのか。書こうとしなかったのか。
Ⅶ メディアの敗北の真の原因は3つある。
昭和11 年末に毎日新聞に合併された「時事新報」という明治、大正にかけては「日本
一の時事新報」とうたわれた新聞がある。
この編集局長で海軍記者として有名な伊藤正徳は、昭和9 年の「新聞総覧」に新聞の社
説が最も宿指すべき時に「出来なかったJ その不甲斐なさを自ら反省しながらその原因
を3 点あげている。
① 新聞人の勇気の欠如
② 言論に対する抑圧
③ 新聞の大衆転化
この中で、①特に伊藤は「新聞人の勇気の欠如」を嘆いて「新聞人が勇気を欠いたこと
は争えない。一般にみて、必要以上に遠慮し回避したことは争えない。刃物に刃にふれ
ることを警戒して、手を出さず、無為に傍観した例は少なくない。言論生命のために、進
攻的な勇気はあえて求めないにしても、防御の筆陣を包囲的に展開する程度なら当然、
新聞人に要求されてしかるべきであろう」と述べている。
まさにこの通りで、必要以上に遠慮して、自己萎縮したのではないか。この「自主規制現
象」は、昭和天皇の病気報道をみても今だに続いている。
・ 時事新報・近藤操社説部長の証言
8
2.26 事件以降、朝日、毎日、読売などの大新聞が沈黙して、軍部、テロ批判に口を閉ざ
していた段階で、10 カ月近くにわたって60 本の社説で軍部批判のペンをとった「時事新
報」の近藤操社説部長は戦後の回想でこう述べている。
近藤社説部長は軍部批判の社説を書きながら、おっかなビックリで、毎日、万一の場合
を考えて、新しいサラシの巻いて出社していたが、結局、1 回しか抗議が来なくて逆に拍
子抜けしたという。
こうした経験から、「各紙が筆をそろえて批判直言したならば、軍部や革新官僚に対す
る批判効果は必ずあったに違いない。しかし新聞は萎縮して、その言論責任を果たさな
かった」と述べている。
・ 作家広津和郎の証言
2.26 事件の時に作家の広雄和郎が「中央公論」でり「百長的な笑い」と題して痛烈な新
開批判の文章を番いている。
「第一の不満は今の時代に新聞が本当の事を言ってくれない不満です。日本のあらゆる
方面がみんなサルグッワをはめられたように何も言わない。
信じられない記事を書くことに煩悶している問はまだいい。信じられない記事を書かされ
て何しろこれより外、仕方がないから』といわんばかりの八百長的な笑いをエヘラエヘラ
笑っているに至っては沙汰の限りです」
以上のように、2.26 事件で、日本の言論は完全に息の根を止められたのである。
Ⅶ 日独伊三国同盟から太平洋戦争へ
2.26 事件以降、日中戦争、日独伊三国同盟、ヒトラーによる第2 次世界大戦勃発、ヨー
ロッパ戦線の拡大で、日本は「バスに乗りおくれるな」となだだれをうって、坂道を転がる
ように戦争に向かっていく。
新聞は沈黙したまま時局に流されていく。三国同盟が太平洋戦争への直接の原因とな
ったが、緒方竹虎は「三国同盟が調印された時、日本の新聞の幹部の大多数はこれに
反対であったろうと思う。日本国中、一つの新聞すらも腹に反対を抱きながら、筆で反対
を唱えなかったのはいかなる悲惨事であったか」と書いている。
太平洋戦争が始まると新聞は完全に国のよる宣伝機関になり下がり、緒方自身も「(戦
争に突入して)逆に良心の負担は軽くなった」と発言している。
9
新聞が戦争への道を抑止できるのは、戦争への開始までである。問題は戦争が始まっ
てからではなく、戦争へいたるまでの一歩一歩の過程でジャーナリズムがどれだけ歯止
めをかけたのか、抑止力を発揮したかである。
次々に起こる現象に流され、その追認に追われるだけでなく、現象の奥にひそむものを
的確に見抜く見識、冷静な批判力こそ最も求められるものである。
Ⅸ・日本の新聞の特質(これまでのまとめと総括)
(1) 日本の新聞は、世界でも例のないほどの数百万部から1000 万部以上という巨大な
全国紙から、地方紙まで「新聞王国」を形成している。
これをみても、商品としての新聞は確かに成功し、完成しているが、果たしてジャーナ
リズムとしてどこまで完成しているか、言論の自由という点ではどこまで機能しているの
か。
国にも新聞にも特有の「病気」がある。例えていえば日本が15 年戦争を引き起こし、亡
国したのは外的要因もさることながら内部矛盾、国民性などの「病気」によって起こったも
のと言えるし、戦後にまともになったのは米国という外圧によって、徹底して手術が行わ
れたからである。
日本は自らの「病気」を自己で克服し、直して「免疫」ができたわけではない。免疫がなけ
れば再び伝染病によって病気が再発しないとも限らない。
一時期、戦後民主主義がうたわれ、昭和の戦前と戦後は180 度転換して、断絶している
ことが強調された。ところが、この大手術をした米国が最近、強調しているが、日本人の
国民性は、政治システム、政と官の構造的癒着の問題など、戦前、戟後は断絶している
どころか、一貫してその根底の部分では同じではないのか。
新聞も同じく自らの「病気」を克服はしているのか。新聞の体質は虚弱であり、先の「昭和
天皇の病気」の際など、その病気が再発したのをみればわかる。
(ロ)清沢洌は戦時下の「暗黒日記」を書き続けたジャーナリストだが、日記の中で「この
敗戦によって日本国民は果たして賢明になるであろうか」との疑問を何度も呈している。
清沢は日本人の特性として「官僚主義、形式主義、あきらめ主義、権威主義、セクショナ
10
リズム、精神主義、道徳的勇気の欠如、感情中心主義、島国根性など日本人の劣性は
戦後何十年かたって果たして克服されるのだろうか」と書いている。
残念ながら清沢の疑問は戦後半世紀以上たっても変わっていない。
(ハ)日本の新聞の大勢順応、画一性、迎合性 一つの有力なムード、雰囲気ができか
かると、新聞はそれに反対できないムードになり迎合していく。戦時下の新聞はしかりだ
し、戦後の左翼に迎合した点や中国報道を見ても指摘できる。新聞が迎合してあおり立
てると、ますますその空気は増幅されていき、圧倒的な空気、世論となり、少数派、批判
的なものは排除され、抹殺されていく。この大勢順応、画一化は挙国一致報道となってあ
らわれる。国民は自らに相応しい政治を持ち、ジャーナリズムを持つといわれるが、日本
の国民性とも照合している。
<紙面づくりにおいても、この画一化、同じ考え方を全面的に押しつけるのではなく、いろ
いろな考え方、少数意見も同じ紙面の中で紹介していく。社論として統一するのもいいが、
各記者の意見、多様な言論を紹介して、意見をたたかわせていく紙面づくりが必要であ
ろう>
(ニ)日本の新聞の持つ閉鎖的な体質、ナショナリズム、インターナショナリズムの欠如、
西欧コンプレックスとアジアへの優越感など。
戦争中のウソの発表の代名詞となった大本営発表。このウソ情報のタレ流しは今の記
者クラブ制度、発表づけ、レクチャーづけ、情報操作へのチェックの弱さとすべてに密接
にからんでいる。記者クラブこそ大本営発表の原型ではないのか。
官庁と財界の癒着は15 年戦争中に作りされたものだが、今は「政・官・財」だけではな
く「政・官・財・マスコミ」の絵癒着によって事態はニッチもサッチもいかなくなっている。
(ホ)日本の新聞は商品としては完成したが、ジャーナリズムとしては未完成品であると
言ったが、言論の自由を徹底して貫き通すことが、新聞の最大の使命であることを忘却
した。
戦後のGHQ のインポデン新聞課長が「日本の新聞が一斉に砲列を敷けば軍部にかくも
たやすく屈伏しなかったのではないか」と質問したことがあったが、新聞人そのものに言
論の自由をあくまで死守するという気概やバックボーンが欠如していた。
新聞同士で、全国紙は全国紙、全国紙と地方紙で互いに足の引っ張りあいに終始して
新聞の企業性にはかり目が向いていた。
11
今はどうなのか。会社主義、お家大事の発想から抜け出しているのか。企業本位主我
が先行して肝心のジャーナリズム精神は脱け殻になっていないかどうか。
一九九五年2月15日

 - IT・マスコミ論

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