前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

終戦70年・日本敗戦史(80)戦後70年―決して忘れてはならないマッカーサー、蒋介石の寛大な処置③

      2015/05/27

 

終戦70年・日本敗戦史(80)

戦後70年―決して忘れてはならない敵国の寛大さに感謝―

「戦後日本が一早く経済復興ができた理由は以下のおかげなのだ」➂

「東洋のモラルは他人にいいことをしても黙っていろ、いつまでも口にするものではない」

というのである。(蒋介石の言葉)

  • 中華民国・蒋介石は「徳をもって怨みに報いる」と宣言、日本への報復禁止②戦争賠償の放棄③占領軍派遣を中止。
  • マッカーサーの米国一国支配の日本占領政策によって、ドイツ、朝鮮のような分断国家になることを免れた。
  • ソ連はあくまで北海道占領、日本分断を企てたが、マッカーサー、蒋介石が共産化を一致して阻止した。

以下は「蔣介石秘録⑭日本降伏」(サンケイ新聞社、1982年刊)205―207Pより。

ソ連、日本の分割支配をねらう

米軍による日本単独占領に、終始反対したのはソ連である。すでに終戦直前から、ソ連はソ連軍極東総司令官ワシリエフスキーを日本占領軍最高統帥の候補に推薦するなど(第1巻参照)、なんとかして日本にソ連軍を派遣しようと画策した。ソ連は派兵によって日本を分割支配し、ドイツや朝鮮と同じように、日本を分裂国家にすることをねらったのである。

一九四五年九月十日から、ロンドンで開かれた米、英、仏、中、ソの五カ国外相会議の席上、ソ連外相モロトフは、突然、この問題をもち出し、米、英、中、ソによる四カ国共同占領に改めるよう要求してきた。

このときは中国外交部長・王世けつが、米国国務長官バーンズと打ち合わせたうえ、強く反対し、モロトフの要求をタナ上げにした。このあともソ連の画策はつづき、ソ連の駐日代表団がマッカーサーにたいし「マッカーサー将軍がどうあろうと、ソ連軍は日本に進駐する」とどう喝し、逆にマッカーサーから「そうなればソ連代表団全員を逮捕、投獄する」と警告される一幕もあった。

一方、中国にたいしては、米国は戦争終結後から、日本への派兵を要請してきていた。当初、ウエデマイヤーから、陸軍十個師団、空軍の派遣の要請があり、中華民国はとりあえず陸軍青年軍三個師団で日本派遣軍を編成することを決定した。

一九四六年三月には、ウニアマイヤーからの覚書によって、六月中に一万五千人を派遣することが本決まりとなった。 しかし、この派兵は、直前になって、中国の決断により中止された。

ソ連、朝鮮で赤化工作

その理由は、ますます露骨となったソ連の日本占領の野心を封じるためである。もし中国軍が日本に進駐すれば、ソ連は必ずこれを言いがかりにして赤軍を進駐させようとするに違いないと判断したからである。

当時、東北に属すわったソ連は、占領下の北朝鮮で赤化カイライ政権工作を行い、つぎは日本をめざしていた。全世界赤化をたくらむソ連に、日本占領の口実を与えてはならなかった。

はたして、理由づけを失ったソ連は、一九四六年八月、スターリンからじきじきトルーマンにたいし、ソ連軍による北海道北部占領を公式に要求してきたが、トルーマンはこれを拒否している。

行政院長・蒋経国は、自著「中日関係係追記」(日本語訳は「中華民国断腸の記」)の中で、日本への占領軍派遣中止と賠償放棄について、およそ次のように述べている。

~当時米軍から、占領軍を出さないかという相談があった。われわれが占領軍を出すといえば、反対する者はだれもいなかったであろう。しかし、ソ連もまた、あくまでも交戦国としての権利を主張して、軍を出すにちがいない。

そうするとこれは、東西ドイツ、南北朝鮮のように分裂し、収拾できない混乱に陥るだろうということで、わたしたちは米国1カ国軍による占領を建議したのである。

これは戦後の日本にとって、きわめて大きな問題あると、わたくし(蒋経国)は思う。

このほか、賠償放棄などを含め、この二十数年来のなりゆきをふり返ってみると、ここ百年間の中日関係の中でも、両国がこれほど友好的に協力してきた時代はなかったのではないだろうか。

二、三年前(1970年)、わたしは日本を訪問たし折、多少そういったことを話し、帰って父(蒋介石)に報告たところ、ひどく叱られた。

「東洋のモラルは他人にいいことをしても黙っていろ、いつまでも口にするものではない」というのである。(同書207P)

 

 - 健康長寿, 現代史研究 , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ㉞ 』●「ドイツの脱原発:環境保全と国際競争力のジレンマ」(川口マーン惠美氏)

  『F国際ビジネスマンのワールド・ウオッチ㉞ 』 &nbs …

『鎌倉絶景サンセットチャンネル』★『鎌倉材木座海岸のゴールドラッシュ・サンセット(22023年1月5日午後4時40分)

  鎌倉材木座海岸のゴールドラッシュ・サンセット(22023年1月5日 …

no image
中国への旅―新旧中国の歴史・現在・将来への3Dの旅

中国への旅―新旧中国の歴史・現在・将来への3Dの旅 前坂 俊之(ジャーナリスト) …

『 F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(203)』★『2017/5月、6、7年ぶりに、懐かしのアメリカを再訪した』★『NYでは、コニーアイランドとNathansのホットドッグやシーフード、ブルックリンとイーストリバー、9.11 跡地、Staten島往復と自由の女神、 セントラルパークと5番街、有名教会見学、タイムズスクエア周辺ウオーキングとカフェ巡り。』

逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/10/07/am8) 2017/05/10 …

no image
<F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(207)> 『7年ぶりに、懐かしのアメリカを再訪,ニューヨーク めぐり(5月GW)⑤』 『2階建バスツアーでマンハッタンを一周』ブルックリンブリッジを通過、 イーストリバーを右手に、国連ビルを見上げ、 トランプタワーを見て、セントラルパークに向かう➀

 <F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(207)> 『7年ぶりに、懐 …

no image
日本リーダーパワー史(762)名門「東芝」の150年歴史は「名門」から「迷門」、「瞑門」へ 『墓銘碑』経営の鬼・土光敏夫の経営行動指針100語を読む② ー『やるべきことが決まったならば執念をもってとことんまで押しっめよ。問題は能力の限界ではなく執念の欠如である』 ★『六〇点主義で速決せよ。決断はタイムリーになせ。決めるべきときに決めぬのは度しがたい失敗だ』

  日本リーダーパワー史(762)   名門「東芝」の150年歴史は「名門」から …

no image
人気記事再録/日本天才奇人伝②「国会開設、議会主義の理論を紹介した日本最初の民主主義者・中江兆民―②<その眼中には、国家のほかは何ものも影じない。兆民は伊藤博文、大隈重信ら元老連をコテンパンに罵倒す>

                    前坂 俊之(ジャーナリスト) …

★『オンライン講義/コスモポリタン・ジャパニーズ』◎『192,30年代に『花のパリ』でラブロマンス/芸術/パトロンの賛沢三昧に遊楽して約600億円を使い果たした空前絶後のコスモポリタン「バロン・サツマ」(薩摩治郎八)の華麗な生涯』★『1905年、日露戦争の完全勝利に驚嘆したフラン人は、日本人を見るとキス攻めにしたほどの日本ブームが起きた』

ホーム >  IT・マスコミ論 > & …

no image
◎<タイ駐在の若きM国際ビジネスマンのアジアレポート➀>『タイの経済/生活ぶりは・・大卒の初任給が20,000バーツ/月。約7万円です』★『日産Note(小型車)で70万バーツ。月給よりも高いスマートフォンもこちらでは当然、生活必需品で、皆、ムリして買っています』

  <タイ駐在の若き国際ビジネスマンのアジアレポート➀>    野水弘 …

no image
知的巨人たちの百歳学(180)記事再録/「巨人政治家、芸術家たちの長寿・晩晴学③」尾崎行雄、加藤シヅエ、奥むめお、徳富蘇峰、物集高量、大野

 2012/12/31  百歳学入門(64) &n …