『オンライン講座/百歳学入門』★『日本一の大百科事典『群書索引』『広文庫』を出版した物集高量(朝日新聞記者、106歳)の回想録②」★『大隈重信の思い出話』★『大隈さんはいつも「わが輩は125歳まで生きるんであ~る。人間は、死ぬるまで活動しなければならないんであ~る、と話していたよ』
国語学者・物集高量(106歳)の思い出話は超リアルだよ。
大隈さん(大隈重信1838―1922)は私が惚(ほ)れこんだ人物の、まあ筆頭ってとこでしょうねえ。
大隈さんに初めてお目にかかったのは、日露戦争が終った1905年(明治38)九月でした。このときは親父に連れて行ってもらった。
大隈さんの風采はね、顔がタンスのように赤黒くって大男、ロをへの字に結んでいるの。で、髭はというと、これがちっともない。それでも、やっぱし日本の大将って顔に見えるんですよ。
二度目はその年の十一月で、こんときはあたし一人で行ったんです。当時は、(東大)文科などを出ると職が見つからないんですねえ。そいで、大隈さんに就職を頼みに行ったってわけ。
大隈さんが来客と会う場所は広い洋間なんですが、大隈さんは一段高いとこにテーブルを前にしてどっしり腰掛けている。だから、学校の先生のようなんですねえ。
でそばには大きな松葉杖が立てかけてある。これは、テロにやられた右足が義足になってるからなんです。この時代の政治家なんて、それこそ命がけだったんですよ。
そいでね、そのテーブルの前には、椅子が20ほどあるんですが、これが来客用なんです。あたしが行ったときも17人ほどの先客がいましたよ。
なにしろ客が多いから、一人ひとり会ってたんじゃ、さばききれないんでしょうね。だから、ほかの人との対話がすっかり聞こえちゃうんです。
ある人がね、
「閣下のお宅の庭は坐ったままでも、ずいぶん遠くまで見渡せますねえ」と話を切り出す。すると大隈さんは、「ああ、これは西洋式の庭園なんだよ。日本式だと、築山があって池があり、途中、東屋で休んでというような歩く庭園だろう。そんなのは面倒だから、ワシは坐ったままで楽しめる西洋式にしたんだ」といちいちこと細かに答えるんです。
「ところで、お前の用件は何かね」と次々に指名していく。
「はい、わたしはヤギの乳を売ろうと思っている者でございます。ヤギの乳は牛のものと違い、味もよく、また大変に飲みやすいように思われます。そこで、ぜひ閣下にご試飲いただいたうえで、閣下が愛用という宣伝文句を使用させていただきたく存じまして」
「そうか、よしよし、そんなことならワシを大いに利用してかまわんよ」
別の人が「このあいだお伺いしたとき、閣下のお宅の玄関先に観音様の像がありましたが、きょうはございません。いかがなさったのでしょう」と聴いた。
するとね、
「あ、あれか。欲しいという者がいたので譲ってやったよ。大隈のうちの玄関に置いとくと、くだらない物でも立派に見えるらしい。キミたちも何か売りたいものがあったら、オレのうちの玄関に置いとくといいよ。骨董なんてものはね、その置き場によって値がつくもんだ。人間だってそうだよ、坐っている椅子によっては、そいつの価値がいろいろと変ってくるのさ」との軽妙な答えに物集さんはすっかり魅了された。
今度は物集さんに「ところで、君は何しにきたのかね」と指名された。
「はい。大学(東大)を出て今後の進路を見つけるにあたり、まず、社会というものを知らなければならない、その社会を知るには、新聞記者になるのがいちばんだ、と父が申します。大隈閣下は東京毎日新聞をやっておいでになるので、ぜひ就職をお願いたしたく参上いたしました」
すると大隈さんは即座に
「よしわかった。田中穂積(後の早稲田大総長)だから、あの男に紹介してやろう」
そういってね、「ちょっと、ワシについてこい」と松葉杖をつきながら廊下に出たんです。
そいで、廊下の高いとこにある電話に手を伸ばすと、大隈さんは、自ら新聞社に電話をかけ、田中穂積さんを呼び出してね、
「いまから、物集の小倅(こせがれ)がなァ、お前のところとへ行くから、いいように取り計ってやれ」っていってくれたんです。このときは嬉しかったですねえ、大隈さんほどの人が、わざわざ不自由な足を運んでくれて、見てる前で就職を頼んでくれたんですものね。結局、これは実現しませんでしたが、。
次にあたしが大阪朝日に入社してすぐのころの明治四十年六月に、大隈さんが大阪に来た時に『はなや』という超一流の旅館に泊まっていたところを取材に行きました。ここでも同じように大勢の人が集まっていた。清国留学生学部が出来ていた早稲田大学だけあって中国(清国)の話題になった。
大隈さんはこんな話をしてました。
「日本が中国を攻めるなんて、こんな愚なことはない。中国は四億の人間、一日に一万人ずつ殺したって、とても殺しきれるってもんじゃないよ。そういうパカなことをするよりも、金を使って片ッ端から中国の土地を買い占めた方が利巧だね」と、
ま、なんとも物騒な話で、内容的には賛成しかねましたが、その合理性には秀れたものがあったと思いますねえ。
たとえば大隈さんは、新開とか雑誌などを自分じゃ読まないっていうんです。みな、秘書に読ませて肝腎なとこだけを聞く。それはねえ、新聞や雑誌などを読めば無駄な記事も目に入る、その時間がもったいないって考え方なんですよ。
最後に大隈さんにお会いしたのは、明治四十二年の一月元旦でしたね。
国府津の別荘に訪ねたんです。そこは駅から五、六丁行ったとこにあってね、海に画した豪華な平屋建てでしたよ。そこでも、やっぱし大勢の訪問客なんです。
で、あたしは新年のご挨拶も早々に、すぐ帰ろうとすると、奥さんが、「物集さん、ちょ?とお残りになってください一っていうんですね。で、何ごとだろうと思っていると、「これは鶴のお雑煮ですから、ひとつ召しあがれ」ってお膳が出されたんです。普通、お雑煮といやァ、かしわなんか入れましょ、それが、これは本物の鶴の肉を入れたもんなんです。(鶴は千年、亀は万年という長寿の縁起物)
http://kotowaza-allguide.com/tu/tsuruwasennen.html
といったって、別に美味しかありませんでしたが、沢山の客の中からあたしだけが選ばれたってことが嬉しくってね、感激しながら食べたもんです。後にも前にも、鶴の肉を食べたのは、このとききりでした。
ところで、大隈さんは会うたびごとにこんな話をよくしてましたよ。
「ワシは百二十五歳まで生きるつもりだ。なぜかといえば、動物は己れの成長期の五倍はきるのだから、人間の成長期は25歳なので百二十五まで生きてあたり前なんだ」
あたしゃ、そのころは漠然と聞いてましたが、今にしてみれば、まんざらデタラメとも思えませんねえ。ただ、大隈さんは八十いくつかで亡くなっちまいましたから、自説を証明するってことはできなかったわけです。
そういえば、あの大隈講堂の高さっていうのは、百二十五尺(一尺は30㎝)あるそうですねえ。してみる大隈さんは本気で125歳までいきるつもだったのかもしれませんね」
以上は物集高量著『百歳は折り返し点ー軽妙な筆舌と書き下ろし自伝』(日本出版社、1979年、23ー28P)
膨大な日記を書いていた。
それは「百歳は折り返し点」の自伝の「年表の総まくり」部分にほんの一部だが収められている。そこにはハチャメチャ人生と学者をやめて、文筆業の「ペンは1本、はしは2本」と食えない晩年の赤貧状態が断片的ににつづられている、永井荷風の「断腸亭日乗」と同じく、女好きの「老いらくの恋」の赤裸々に記しているのがなんとも面白い。
独居老人となった物集は月三万円の生活保護を受け、週二回訪問するホームヘルパーの世話になりながらも、家財道具も一切ないボロボロの家にいた。
関連記事
-
-
速報(225)●(必見動画)『低線量長期内部被曝を防ぐため子供、被曝弱者を移住させよー『内部被曝研』が緊急提言』
速報(225)『日本のメルトダウン』 政府は『内部被曝』の危険性を直視せよ &n …
-
-
日本リーダーパワー史(282)『尖閣問題を巡る世論の高まり、衝突をリスク管理せよ、日中外交失敗を繰り返すな』
日本リーダーパワー史(282) <尖閣諸島問題を考える視点> &n …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(326)★『新型コロナパニックへの歴史的対処法』★『最悪の事態(日露戦争)を想定して戦略を組んだ児玉源太郎、山本権兵衛の国難突破力』★『無能は先輩、老害将軍を一層、い日露開戦4ヵ月前に連合艦隊司令長官に、クビ寸前の舞鶴司令長官の東郷平八郎を大抜擢』★『日本海軍の父・山本権兵衛を縦横無尽に 活躍させた底抜けの西郷従道海相の大度量』
日本リーダーパワー史(821)『明治裏面史』 ★ 『「 …
-
-
『オンライン講座/野口恒の先駆的なインターネット江戸学講義(19)』★ 『日本再生への独創的視点・江戸のネットワ-ク社会に学ぶ 日本のノマド学』★『ノマド(移動の民)は日本の歴史や社会の主流ではなかったが、彼らのパワ-とエネルギ-は日本の社会に変化と活力を与えてきた』
2012/06/07 記事再録 日本再生へ …
-
-
安倍<多動性外交>の行方は(1/31)「靖国参拝・ダボス発言は成功か失敗か」「NHK新会長「従軍慰安婦発言」動画座談会(70分)
日本リーダーパワー史(471 ) <安倍<多動性外交? …
-
-
裁判員研修ノート⑤ 八海事件の真相は?!=真犯人は出所後にウソを告白した(上)
裁判員研修ノート⑤ 八海事件の真相は=真犯人は出所後にウソを告白した(上) …
-
-
★日本リーダーパワー史(579)◎(再録)<日本歴代最高の戦略家>「日清・日露戦争の勝利の方程式を解いた川上操六(陸軍参謀総長、日本インテリジェンスの父)とはいったい何者か(1回→46回)一挙大公開、
&nb …
-
-
『オンライン/新型コロナパンデミックの研究』-『2021年東京五輪は是が非でも開催、成功させて、日本のデジタル底力を発揮し世界の未来を明るくしよう』★『1964年東京オリンピックを成功させた田中角栄のリーダーシップと突破力』(7月1日)
1964年東京オリンピックと田中角栄 前坂 俊之(ジャーナリスト …
-
-
軍神・東郷平八郎の真実
1軍神・東郷平八郎の真実静岡県立大学教授 前坂 俊之1 『タイム』の表紙に掲載さ …
-
-
○わが愛する名作「人生劇場」を書いた 豪放磊落<男の中の男>「尾崎士郎」記念館(大田区山王町1-36)を訪問
○わが愛する名作「人生劇場」を書いた 豪放 …