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日本リーダーパワー史(282)『尖閣問題を巡る世論の高まり、衝突をリスク管理せよ、日中外交失敗を繰り返すな』

   

日本リーダーパワー史(282)
 
<尖閣諸島問題を考える視点>
 
『尖閣諸島問題を巡る世論の高まりハンドリングを誤れば
安全保障を脅かす(田中 均
 
<歴史教訓>大正、昭和戦前の日本の政治は、中国に対する干渉、
不干渉の二つの陣営に分裂し、不干渉組の外務省高官、リーダーが
次々に襲撃され、「反中」「反日」のテロがエスカレート、
戦争に発展した。この外交失敗を再び繰り返してはならない」

 
                     前坂 俊之(ジャーナリスト)
●『かつてなく盛り上がる尖閣諸島購入議論の不安要素中国や台湾に対して
失敗できない「外交上の手立て」
(ダイヤモンドオンライン>田中 均 [日本総合研究所国際戦略研究所理事長] 
2012年7月18日
 
●『寄付金口座に2週間足らずで約4億円が流入!「尖閣諸島の購入」
に殺到する国民の本音』」
 
●『未解決の重要外交懸案をいつまで積み重ねるのか?
日本は「国民感情の罠」からの脱却を』
http://diamond.jp/articles/-/20347?page=4
 
<以下は毎日新聞きっての海軍記者で、昭和戦前の政治を目の当たりに取材して
きた新名丈夫(
19061981)の「昭和政治秘史」(1961年、三一書房)の一部である。

 
歴史教訓・大正、昭和戦前の日本のテロ事件史は,中国問題が背景にあった
 
 大正、昭和戦前のほとんどすべての暗殺、テロは、当の下手人や直接の黒幕は自覚しなかったであろうが、中国問題が裏の背景になっていることである。
 そもそも日本の右翼は、大陸間題から生まれたものであった。明治時代の玄洋社、黒竜会など、みなしかりである。
 
日本の政治史をつらぬく一つの法則は、昔から、大陸を支配するものが、日本の政権を支配したことである。たとえば、北朝と足利氏の勝利は、明国の財力をバックにしていた。日露戦争後、すなわち帝国主義時代に入っていらいは、日本の政党政治の勢力の消長は、満鉄をにぎることによって左右された。(今中次麿他著「ファシズムと軍事国家」中、今中論文「ファシズムと独占資本の支配について」一九五四年、勁草書房
 
 清朝を倒した辛亥革命(1902年、明治四十四年)以後、すなわち大正に入っていらい、日本の政治は、中国に対する干渉、不干渉の二つの陣営に分裂した。
 そのようななかで、国内では、中国に対し、不干渉、国際協調の立場をとる要路者がつぎつぎに襲撃され、大陸では、日本の干渉、侵略を挑発するテロがくりかえされてきた。
 
日本暗殺史のなかで、ほとんどの人が忘れているのが、大正から昭和の初期にかけての、外務省首脳部に対する数多い襲撃事件である。
 
    ちょうど100年前の1913年(大正二)九月五日、外務省政務局長・阿部守太郎
刺殺事件は日中戦争への序曲となった。
 
犯人は福岡県生まれの18歳の少年で、翌日、中国の大地図をひろげ、その上で割腹自殺、遺書により南京における中国兵の暴動と日本人殺害を憤慨、外務省の態度を手ぬるいとして阿部局長を襲撃したものとわかった。
 
 捜査の結果、岡田の背後には支那浪人・岩田愛之助の教唆ありとみられ、岩田は無期徒刑をされたが、大正十三年、減刑の恩典に浴して出獄した。(昭和五年十一月、浜口首相を狙撃した佐郷屋留雄は愛国社盟主となっていた岩田の乾分で、岩田は政友会の森恪(もりかく)と関係があった。)
 
 阿部は日本の対中国外交政策上、忘れてはいけない人物である。明治四十四年、第二次西園寺内閣が成立したとき、外相内田康哉と政務局長であった阿部は「対支(満蒙)政策」を作成、平和外交の大方針を樹立した。
 
 「満蒙に対しては、あくまで領土的企画を排し、平和的方法によって利権の伸張をはかり、かくて中国と親善関係をはかることに努め、なおロシアとの協調関係を維持し、中国に対しては日英同盟の線に沿って英国と協調し、この方策を遂行するために軍部を押えて外交の統一をはかるべきである」というのであった。
 
 大正二年、山本権兵衛内閣で外相となった牧野伸顕は当時の日本の経済的劣位を考慮して国際協調、対中国平和外交を堅持し、阿部はそれがため、さらに「意見書」を作成、「満蒙問題の解決といっても、南満洲とそれに接する内蒙古などを獲得する企ては、支那の承諾を得ることができず、支那領土の保全を約した日英同盟やフランス、ロシア、アメリカなどとの諸協約に反する。

さらにかかる領土獲得計画が日本に及ぼす影響は、支部国内で日本商品の排斥をうながし、対支経済活動は妨げられ、支那市場を目標とするわが工業は最大の打撃をうけることになる」

 
 「外交は政府の方針を基礎とし、もっぱら外交機関によっておこなわれるべきで、他の機関が、政府と争いながら別の措置をとるべきものではない。陸海両省、参謀本部、軍令部も政府の方針に従い、これを妨害してはならない。むしろこれを援助すべきである。とくに満洲では、外交は領事がおこなうべきで、関東都督、朝鮮総督(いずれも当時陸軍将官)、満鉄などが独立にこれと矛盾する方針をとってヾ国家の方針を妨げてはならない」
 
 日露戦争後の満洲、中国に対する政策に、このような方針を打ちだした阿部、西園寺、牧野などに対する陸軍の反感がこの時から生まれた。
 
 とくに大正二年、中国に第二革命が勃発して、北方の袁世凱の軍と南方の革命軍が衝突するや、陸軍はそれに乗じて現地で挑発事件をひきおこし、中国軍と衝突して、それを口実に出兵、満洲を占領しようとたくらんだ。
 
その挑発から中国側の衰州・川崎大尉監禁事件、漢口・西村少尉拘禁事件、南京の日本人殺害、国旗侮辱事件などがおこった。
 
両国の緊張、対立、紛争は一層エスカレート、両国のナショナリズムが暴発してテロと武力衝突が繰り返された。北支駐屯軍司令官・佐藤鋼次郎は「兵器を使用すべき適当の時機」という訓示までおこなって強硬方針を打ちだし、内地では陸軍が国民党や右翼を動かして対中国干渉運動をおこさせ、頭山満、内田良平らが指揮した日比谷の「国民大会」の流れは外務省や外相官邸を襲撃、かれらの扇動に乗って阿部政務局長襲撃がおこなわれたのであった。
 
    大正八年十月三十一日、霞ヵ関外相官邸外の爆弾事件―天長節夜会当夜、会場の外相官邸裏手のロシア大使館門前で爆弾を破裂させ、巡査一名、通行人二名を負傷させた事件があった。犯人は警視庁刑事課長・正力松太郎(戦後、衆議院議員、読売新聞社主)ら指揮のもとに捜査の結果、中国人、日本人4人を逮捕、収監した。ところが、四十一年後の昭和三十五年十月にいたって林なる人物(68歳)が「自分が外相内田康哉の軟弱外交に憤慨してやったものであることを「大勢新聞」(十月六日)に発表した。
 
林は大正九年六月三十日、衆議院召集当夜、当時内幸町にあった議事堂正門に爆弾をしかけて爆破、迷宮入りとなった事件の当事者でもあった。
 
③大正九年九月四日、外務省通商局長斎藤良衛狙撃事件-中国の賠償支払遅延を憤慨した凶漢の犯行であった。
 
    昭和四年十一月二十九日、中国駐割公使・佐分利貞男の怪死事件-用務のため帰京、幣原外相と打ち合せを終わり、帰任をまえに箱根富士屋ホテルに一泊、その夜怪死。ピストルが枕元にあったが、佐分利の物ではなかった。
 
弾丸は、左のこめかみから右へ貫通していた。佐分利は、中国における日本の治外法権撤廃を幣原と打ち合せのため帰国したのであった。事件は迷宮入りとなったが、幣原は生前、〝他殺″を信じて疑わなかった。
 
    大正十年十一月四日、原敬刺殺事件-犯人中岡艮一.(数え年十九)は、原敬へのテロは,中国問題が背景であったからけしからぬと大塚駅助役にそそのかされたといっているが、その背後にーワシントン会議における軍縮と山東還付という国際協調、対中国友好政策が大きな問題になっていたことを見なければならない。
 
 犯人中岡はこのとき、こんなことをいっている。
 「あれほどの人物であるから、もし自分で腕をのばして突くと、自分の腕と短刀の切っ先きとの間に約二尺ほどののびができる。そののびる瞬間、首相は私の腕をハタとはたくにちがいない。そこで私はからだごと突撃したのだ」
 
 「ファシズムがさけばれだした昭和の数々の事件も、たとえば、昭和五年十二月の浜口首相狙撃事件は「ロンドン軍縮に関する統帥椎干犯」が動機とされ、七年二月の蔵相井上準之助射殺事件は「恐慌と財閥の横暴」が云々されたが、いずれも根本問題は、民政党の「国際協調、対中国不干渉」の幣原外交打倒が事件の背景になっている。
 
昭和七年の五・五事件にいたっては、犬養首相が、軍部のデッチあげた「満州国」を認めようとせず、せいぜい日本が権益をもつ「特殊地帯」にする程度で中国に交渉しようとしていたことが、軍部の憎しみを招いたのであった。それが真相である。
 

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