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『オープン講座/ウクライナ戦争と日露戦争➂』★『ロシア黒海艦隊の旗艦「モスクワ」が撃沈された事件は「日露戦争以来の大衝撃」をプーチン政権に与えた』★『児玉源太郎のインテリジェンス・海底ケーブル戦争』★『マルコー二の無線電信発明(1895年)から2年後、逓信省は東京湾56キロの通信に成功、海軍艦艇の遠距離無線通信を完成』★『連合艦隊の32艦すべてに世界最新式の三六式無線電信機を配備した』★『日本海海戦で世界海戦史上最高のパーフェクト撃滅を達成した東郷平八郎司令長官』★『世界的な情報通信網と通信技術、インテリジェンスと英米日の三国同盟で日露戦争に勝利した』

      2022/04/20

  2011/11/30    日本リーダーパワー史(213)記事再録

児玉源太郎のインテリジェンス戦争

 

ところで、ここでもう一度、児玉源太郎のインテリジェンス戦争に戻ってみる。

 

ロシアが出資している『大北部電信会社』英国が手薄な極東地域に目をつけ、ロシア・ウラジオストックから日本まで海底ケーブルをひき、日本から上海まで延長すれば、中国―東南アジアーインドーアフリカ―ヨーロッパーアメリカの世界一周回線ができると、ロシア政府と結び、明治2年十月に子会社を作った。この子会社で「ウラジオストックー長崎」、「横浜―長崎―上海―福州(福建省)―香港」までの回線の建設、「ロシアが将来、北京までひく陸上電信線をこの海底ケーブルに接続する」との計画を立て、日本側の無知につけ込んで強引に30年契約を押しつけ、不平等条約となっていた。

 

明治27年の日清戦争当時の日本の国際通信網は朝鮮半島の大陸線のみで、東京から朝鮮に電報を打つ場合でも、まず、直通戦で大北電信の長崎局につくと、陸上用の信号から海底ケーブルの信号に大北電信社員が打ち変えて、呼子に送り、ここから海底ケーブルで大陸へつなぐという形をとっていた。

 

大北電信はロシアと深くつながっており、機密情報がロシアに筒抜けになるばかりか、英国、米国と日本の外交機密情報、軍事機密情報がこれらの回線を通してスパイされる危険性が高かった。

児玉源太郎は三国干渉(明治28年4月)直後に陸軍省内に『臨時台湾灯台電信建設部』を設立、自らその部長に座って特急で取り組んだ。

① 独自の海底ケーブル布設船を持ち、本土と中国大陸・朝鮮半島間に海底ケーブルを布設して大本営と戦地の連絡を緊密化、スピードアップする。

② 九州と台湾を日本独自の海底ケーブル技術で結び、台湾からイギリスのルートとつないで、大北電信などはパスして世界と通信できる独自ルートを作る。

③ そのため、専門施設を作って必要な海底ケーブルを備蓄しておく――などの大方針を示した。

英国製最新鋭の本格海底ケーブル布設船『沖縄丸』(総トン数二二七八トン)をすさまじい勢いで督促して明治29年4月に竣工させた。

 

児玉部長はすぐ総延長2800キロにのぼる海底ケーブルを英国に発注し、長崎に大規模な貯線槽施設をつくった。これに対し、ロシアの大北電信は、「日本人にはできないので、自分たちにまかせろ」と冷笑したが、児玉は最高機密であるので一切無視してどんどん進めた。

まず、『沖縄丸』が長崎に到着した明治29年七月から、九州南端の大隅半島から奄美大島を経て沖縄・那覇まで欧米人の技術指導も全く受けずに独自に海底ケーブル完成させた。そこから陸上の施設、さらに沖縄から石垣島、台湾の北端の基隆までの海底ケーブルの幹線を布設、種子島、屋久島などにもつないで明治30年7月には総延長千八百キロを完成した。

ケーブルが完成すると同時に通信電信機の開発が必要になるが、これも逓信省電気試験所技師・松代松之助が独自に取り組み、現波式の電信機を完成した。ここに児玉指導のもとに世界の水準に負けない長距離海底ケーブル回線の布設に成功し、陸軍の対ロシア『有線通信情報戦争』の準備体制が整った。

『できるはずがない』とタカを食っていた欧米の関係者は驚愕した。英米以外の国にはまだ困難といわれた長距離ケーブル回線の布設を技術支援を全く受けずに独力で布設、電信局の設置、電信機の国産かまですべてやってのけたことに驚嘆した。

 

一方、海軍の取り組みも素早かった。

イタリア人・マルコーニが無線電信の実験したのは明治二八(一八九五)年八月で、翌年十二月には英国でイギリス陸海軍の関係者の見守る公開実験で通信に成功し、世界の関係者に衝撃を与えた。

早速、逓信省電気試験所は、マルコーニが無線電信機を開発してわずかだが距離164メートルで成功した。マルコー二の発明から2年後のこと。逓信省は実験を重ねて明治三三年に東京湾の津田沼と横須賀の五六キロメートルの通信にも成功、海軍の艦艇が利用できる遠距離無線通信に成功した。

 

一方、仙台の第二高等学校物理教授にマルコーニの無線電信を熱心に研究していた木村駿吉(一八六六~一九三八)がいた。駿吉の父は幕府の軍艦奉行で威臨丸提督となり勝海舟らと太平洋を横断した木村芥舟(一八三〇~一九〇一)である。駿吉はその二男で、明治二一年に東京帝大物理学科を卒業、明治二七年から三年間には米国ハーバード・エール両大学に留学した秀才であった。その後、二高教授として無線電信機を買い入れ実験に打ち込んでいた。

同じ頃、米国滞在中の海軍大尉秋山真之もマルコーニの無線電信に大いに関心を示して「清国や韓国と交渉して無線電信施設設置権を獲得せよ」との意見書を軍事課長におくっていた。この意見書は閣議で了解され、両国と交渉したが失敗に終わっていた。さすが、秋山大尉だけに鋭い情報感度を示している。

電波監理委員会編「日本無線史第10巻『海軍無線史』」(昭和26年)によると、海軍省では、明治三二年一〇月に海軍軍令部が中心となって無線研究の第一人者の逓信省電気試験所の松代松之助と木村駿吉の2人を海軍に引っ張り、翌年年二月には海軍無線電信調査会が発足し、第一回実験はこれまた無線通信の積極的な導入に理解を示した山本権兵衛海相が出席して行った。

海軍の実用計画では通信距離八〇カイリ(144キロ)を目標として、艦艇間、陸上と艦艇間の通信距離の延長と、無線電信機の改良を急ピッチで進め、日露戦争一年前の明治三六年になってようやく木村製の改良新式機(三六式無線電信機)を完成した。木村はこの無線機を使いこなすため、艦船に乗り込んで本番さながらのテストを繰り返し、電信員の練度アップに取り組み、必勝態勢を築き上げた。

ここで日英軍事協商の「共同信号法、電信用共同暗号を定める」の無線技術供与が活きてくる。

山本英輔海軍中尉は、一九〇二年に当時三〇海里の通信が可能とされたイギリス地中海艦隊旗艦の無電機の見学を許され、受信機の中枢であるコヒーラー(電波検知機)に少量の水銀が使われていることなどを知り、無線機の改良した。一九〇三年末にはイギリス海軍で使用予定の最新式継電器を日本でも採用して、通信距離は八十から一挙に二百カイリにまで延びた。

各艦艇に無線電信を取り付ける工事を秘匿するため、民間工場に委託せず海軍工廠造兵部で昼夜兼行で急ピッチにすすめた。こうして連合艦隊(第一,第二、第三艦隊)の三十二艦すべて、駆逐艦、仮装巡洋艦に至るまで世界最新式の三六式無線電信機を装備した。

無線通信の活用には技術要員も欠かせない。海軍省は明治三六年、田浦水雷術練習所(横須賀市)で無線電信術の教育を行い第一回練習生80人を養成した。ところが、配属された各艦艇の無線室の衛生状態は芳しくなく、昼夜、突貫の激務のために病人が続出して電信員が不足したので、明治37年末に急きょ四〇人を追加養成して、何とか日本海海戦に間に合わせることができた。

 

日露戦争が開戦となり、翌年二月にかけて、児玉がつくっていた海底ケーブルの布設隊などによって、戦地や近海諸島の無線機を備えた望楼や海底ケーブルが敷設された。佐世保―大連間1200キロ、松江―元山間850キロ、北海道―樺太島間430キロに加えて、対馬海峡に330キロを張り巡らせ、対馬、沖の島、角島などの望楼間の連絡線として220キロの海底ケーブルで二重三重の情報キャッチ、連絡体制が築かれた。世界初の情報通信海戦となった。

 

日本海海戦の周辺海域に網の目状に哨戒、偵察艦を配置し、すべてに無線機を配備してバルチック艦隊の一刻も早い航行地点の把握に全力を挙げたのである。五月二七日未明、哨戒任務に当たっていた信濃丸が、バルチック艦隊を発見、「敵ノ艦隊、二〇三地点二見ユ、時二午前四時四十五分」との暗号電報を発した。

 

この無電が第三艦隊旗艦厳島にキャッチされ、朝鮮半島南端の鎮海湾にいた旗艦三笠へと転電されたため、司令長官東郷平八郎のもとには約20分後の午前五時〇五分には到着した。10年前にあった日清戦争で日本軍は初めて電信を活用した。平壌陥落の情報は現地から大本営まで六時間二十分を要したのをみれば、無線通信のスピードが飛躍的に向上したことがわかる。

 

この歴史的な瞬間を三笠司令部の参謀は次のように伝えている。

「厳島から三笠に転電した無線電信が入ってくる。いよいよ来たな、お互に思わず『おめでとう』とあいさつする。『今度は本当だろう』『いい時刻に来たものだ』後甲板はにわかに気色立った。東郷大将は前衛に敵艦の位置を報告すべく命じ、第一、第二艦隊に対し『敵第二艦隊見ゆ、直に出港用意総汽関に点火せよ』と命令がくだされた」
午前六時の出撃にさいして、東郷司令官は東京の大本営に、『敵艦見ユトノ警報二接シ、連合艦隊ハ直二出動、コレヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ナレドモ波高し』と打電した。この電報は近くの望楼の無線機に伝えられ、海底ケーブルー陸上電線によって東京へ送られた。
日本海海戦中、最も多くの電文を受信し、傍受したのは軍艦「出雲」である。5月27日は117通、28日は112通、29日は65通にのぼっており、戦況の推移がどの艦船にも手にとるようにわかるという無線通信の威力を示した最初の大海戦であった。
東郷司令長官は6月20日に第一発見の「信濃丸」に感状を送った。また、旗艦三笠の秋山真之中佐も木村駿吉技師に感謝の手紙を送った。
『日本海海戦の大勝は兵器の効能もすこぶる大きなものがありますが、中でも無線電信機の武功は抜群なりについては小生等の深く貴下に感謝するところです。信濃丸の電信を感受したる我々の歓喜はたとえようもありませんでした。
司令部員がこの海戦において奉公の応分を尽し得たりとすれば、その武器は無線電信機と鉛筆と二脚機であり、特に貴下に対し深厚の謝意を表するゆえんです」
 

ところで、バルチック艦隊は無線通信をどう活用していたのだろうか。

日本海海戦前後に、バチック艦隊は艦隊内でも無線通信をおこなわず、日本艦隊の通信に対しても妨害をくわえなかったことに、日本側は驚いた。

その原因については、前掲「海軍無線史」によると、ドイツ側から出たらしい話として、バルチック艦隊はロシア本国を出発する前にドイツテレコム会社から無線電信機を購入して装備して、ドイツ技師を乗り込ませて通信の任務をさせていたが、艦隊がマダガスカルに来るまでにドイツ技師は、同艦隊の軍紀の乱れに愛想をつかし、このまま乗っていてはどうなるかもわからないと不安になり同島で離艦したという。

この逃げ出したドイツ技師をロシア兵たちはネズミが逃げ出したと軽蔑したというから、ロシア側は情報通信の重要性を全く理解していなかったのである。(今回のウクライナのITデジタル戦争に対してロシア側は20世紀のアナログ戦争で敗れたのと同じ)

当時のロシア側のインテリジェンスや通信技術は、英国、米国にくらべて大幅に立ち遅れていた。日露戦争直前、ロシアの植民地になっていた満洲で日本の軍事諜報員がごく近距離に打った電報が届くのに四日もかかったり、その内容も間違いだらけだった。義和団事件のころ、ロシアが支配していた地域をドイツが代わって占領すると、通信事情は大幅に改善されたというほど、ロシアは伝統的に通信、精密、IT技術に弱い国なのである。

 日露戦争の前に英国に次いで米国もサンフランシスコから太平洋を横断してハワイーミッドウェイーグアムーフィリピン間の超長距離海底電信ケーブルを完成させており、この回線を利用して、米国や英国などで外交戦を展開した金子堅太郎や戦費調達の外債発行で奮闘した高橋是清、「明石工作」の明石元二郎の機密暗号連絡も日本政府との間でスピーディーに行われた。
この世界的な情報通信網と通信技術、そこにもられた叡智の結集(インテリジェンス)と英米両国の全面的な日本応援が日露戦争の奇跡的な勝利をもたらしたのである。

 

 

 

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