『オンライン/京都清水寺の貫主・大西良慶(107歳)の辻説法』★『人生は諸行無常や。いつまでも若いと思うてると大まちがい。年寄りとは意見が合わんというてる間に、自分自身がその年寄りになるのじゃ』
百歳学入門(191),記事再録
前坂 俊之(ジャーナリスト)
人生は諸行無常や。いつまでも若いと思うてると大まちがい。年寄りとは意見が合わんというてる間に、自分自身がその年寄りになるのじゃ。
「一〇〇年に一度の大和尚」と慕われた良慶の説法のおはこは「心に愛、世に和」であった。
激動の戦前も核兵器を巡る危機が懸念された戦後も、宗教者の良心に従って反戦、平和の道を一筋に歩んできた。
出身は奈良県、法相宗勧学院を卒業後、二五歳で興福寺の住職となり、三九歳で清水寺の住職になり、以来、亡くなるまでこの寺で過ごした。
良慶は1904年(明治37)の日露戦争では従軍僧を務め、二〇三高地
https://ja.wikipedia.org/wiki/203%E9%AB%98%E5%9C%B0
で頂上に造られた難攻不落のロシア要塞めがけて、下から数万人の日本軍の歩兵が三八歩兵銃を片手に死んでも死んでも突撃を繰り返し、機関銃で数万人が皆殺しにされた凄惨な死屍累々の地獄絵を見てきた。
日本兵の遺体から流れ出た血が川とように流れ「三途の川」と化しあちこちのくぼ地に「血の池」地獄ができ、203高地の攻撃ルートの広い斜面地一帯の崖、砂地は真紅の鮮血で染まりこの世の地獄と化した。
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災≪10万人以上が死亡、行方不明)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
の時は上京して救済活動にあたっている。
後年、目をわずらったのはこの時の灰塵が原因と言われ
ているが、こうした体験とこの人が熱心に展開した社会事業やベトナム反戦平和運動とは無縁ではなく、一九六〇年の安保闘争では、条約改定反対の署名集めに自ら街頭に立った。
「心に愛、世に和」の実践である。人生を達観していた。慈悲の心にあふれ、食事などはお粥、豆腐、梅干という質素なもの、すっかり悟りの境地にあった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
百歳学入門(53)清水寺貫主・大西良慶(107歳)の『生死一如』10訓-人問いつか死によるんやから、死ぬことなんか考えてないの』
2012/11/04
百歳学入門(53)
清水寺貫主・大西良慶(107歳)の『生死一如』10訓-
『ほっといたって、人問いつか死によるんやから、死ぬこ
となんか考えてないの!』
http://www.maesaka-toshiyuki.com/longlife/2093.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E8%89%AF%E6%85%B6」
① 人間おおむね「漸機」と「頓知)」ー近道を考えると 大けがする。
② 頓知にはやらず、ゆっくりゆっくり
③ ゆっくりしいや。
④ ほっといたって、人問いつか死によるんやから、死ぬことなんか考えてないの!
⑤ 長生きの秘訣は三つ。「よく食べる」「よく眠る「よく働く」
⑥ ありがとう、というて、生きることが極楽やの。
⑦ 「血眼(ちまなこ)になってする努力なんて、しないほうがいいんだよ」
⑧ 「もっとゆったり、のんびり、おおらかに生きなさい」
⑨ 「こだわらずに生きなさい」
⑩ 「花は咲き、鳥は鳴き、虫ははい、すべて〝いま″に満足している。
やっぱり〝いま〟が最高やな」
大西良慶 おおにしりようけい 百七歳 1875・12・21~1983・2・15京都清水寺の元貫主。日露戦争で従軍憎として出征した後、日中仏教交流の道を開き平和運動に尽力したほか仏教界の要職を歴任。
観音様とともに生きた109年。大西良慶和上http://www.kiyomizudera.or.jp/yodan/vol13/
関連記事
-
-
知的巨人の百歳学(119)-『元祖スローライフの達人・超俗の画家/熊谷守一(97歳)』★『文化勲章もきらいだが、ハカマも大きらい。正月もきらいだという。かしこまること、あらたまること、晴れがましいことは一切きらい』
知的巨人の百歳学(119)- 『元祖スローライフの達人・超俗の画家/熊谷守一(9 …
-
-
『オンライン講座/日本陸軍・失敗研究』★『大東亜戦争敗因を 陸軍軍人で最高の『良心の将軍』今村均(大将)が証言する②』★『陸海軍の対立、分裂」★「作戦可能の限度を超える」★ 「精神主義の偏重」★「慈悲心の欠如」★ 「日清日露戦争と日中戦争の違い」★「戦陣訓の反省」
2016/05/25 日本リーダーパワー史(7 …
-
-
『日本の運命を分けた<三国干渉>にどう対応したか、戦略的外交の失敗研究』⑯』★『 三国干渉で日本は窮地に陥る』★『ハゲタカのような三国干渉(恫喝武力外交)に一杯食わされた』★『川上は「戦争とは血の流れる政治であり、外交とは血の流れない戦争である」(モルトケ極意)を会得していなかった』
逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/11/14am1100) 鐙摺海岸より富士 …
-
-
日本リーダーパワー史(724)ー『歴代宰相の器比べ』元老・山県有朋はC級宰相①「日本陸軍のCEO」と同時に派閥を作って老害ボスで君臨、政治指導をそっちのけで、趣味の庭づくりに狂熱を傾け,『椿山荘」,「無隣庵」「古希庵」など生涯、9カ所の大別荘、大庭園を造った。①
日本リーダーパワー史(724) 山県有朋天保9年~大正11年 (1838~192 …
-
-
『オンライン講座/財界巨人たちの長寿・晩晴学①』★『渋沢栄一、岩崎久弥、大倉喜八郎、馬越恭平、松永安左衛門―『<〝晩成〟はやすく〝晩晴″は難し>』★『晩晴は人生そのものを第一義とし、真に老いに透徹した達人でなければ達し得ぬ人生最高の境地こそ〝晩晴〟である』
2012/12/29 百歳学入門( …
-
-
名リーダーの名言・金言・格言・苦言・千言集(14)『大黒柱に車をつけよ』(岡田 卓也) 『迷うようなことに、迷うな』(石川一郎)
<名リーダーの名言・金言・格言・苦言 ・千言集(14) 前 …
-
-
日本リーダーパワー史(103)名将川上操六⑯日清戦争の大本営で見事に全軍を指揮する
日本リーダーパワー史(103) 名将川上操六⑯日清戦争の大本営で見事に全軍を指揮 …
-
-
日本リーダーパワー史(623) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 ⑰『川上操六参謀本部次長がドイツ・モルトケ参謀総長に弟子入り、何を学んだのか③『ドイツ・ビスマルクのスパイ長官』 シュティーベルとの接点。
日本リーダーパワー史(623) 日本国難史にみる『戦略思 …
-
-
日本リーダーパワー史(179)<国難突破力ナンバー1の出光佐三の最強のリーダーシップ>『逆境にいて楽観せよ』①
日本リーダーパワー史(179) 『国難突破力ナンバー1の男 <出 …
