『リーダーシップの日本近現代史』(147)再録★日本国難史にみる『戦略思考の欠落』③「高杉晋作のインテリジェンスがなければ、明治維新も起きず、日本は中国、朝鮮の二の舞になっていたかも知れない」
2015/11/22 日本リーダーパワー史(607)
日本国難史にみる『戦略思考の欠落』③
前坂 俊之(静岡県立大学名誉教授)
西郷隆盛、高杉晋作のインテリジェンス、と突破力がなければ、明治維新も実現できなかった。日本は中国、朝鮮の二の舞の西欧列強の植民地になっていたであろう、と前回書いた。その理由を1つ上げる。高杉晋作のインテリジェンスについてである。
高杉は文久2年(1862)5月に同藩の許可を得て植民地となった上海に渡った。そこで目にしたのは西欧人から奴隷扱いの中国植民地の惨状で「シナ人はほとんど外国人の使用人。日本もこんな運命に見舞われてはならない」(上海日記)と危機感を募らせた。この時、中国での太平天国の乱で身分や職業に関係ない国民軍が活躍していたことに奇兵隊創設のヒントをつかんだのだ。
これは幕府の上海調査団というべきもので各藩から参加し、長州藩は高杉、鍋島藩は中牟田倉之助(後の海軍軍令部長)らが200年以上の鎖国が解けて、初めて外国に行った。 文久2年(1862)5月6日一行を乗せた「千歳丸」(蒸汽船)は1週間かかって長崎から上海についた、これよりほぼ2か月間、高杉は上海の植民地の状況を調査する。その時の調査日記が「遊清五録」などで鋭く中国人の置かれた状況をとらえており、そのインテティジェンスの高さがうかがえる。その日記、記録を他の参加メンバーのものと合わせて見てみよう。
上海の港に近づくと、多くの外国商船や軍艦で埋まって、煙突や帆柱が林立、埠頭には、城郭のような高層建築がずらりとならび、アジアではなくヨーロッパそのものの都市が建設されていたのに、一行は度肝を抜かれた。
「上海の実情と奴隷状態の中国人」ー表面はイギリス,フランスの植民地の威容、一歩裏に入ると塵糞の山、黄浦江には動物,人間の死体が浮いている酸鼻極まる」
以下、大宅壮一の「炎が流れる②」文芸春秋藉、1964年)の中からの要点抜粋である。
『「千歳丸」が波止場にくると、中国人が大勢見物にやってきた。そして日本人が町を歩くと、あとからゾロブロとつきまとった。中国人がまず驚いたのは、日本人の頭のマゲで、これを指さしてわらいこけたが、日本人のほうでも、中国人は「頭に50㎝以上のしっぽをたれ(弁髪のことをいう)、その姿に腹を抱えて笑いあった」という。
上海を豪壮だといっても、それは表通りだけで、ちょっと裏衝に入ると「塵糞うずたかく、足をふむところなし。人またこれを掃(はらう)うことなし」というありさまである。
一行がいちばん困ったのは水である。黄浦江はきたなく濁っていて、イヌ、ウマ、ヒツジなどの死体が浮かんでいるが、これに人間の死体もまじっている。しかも中国人はこの水をのんでいるのだ。当時、上海にはコレラがはやっていて、日本人のなかからも三人の死者が出た。死体はムシロに包んで道ばたにすてられていて、炎暑のおりから「臭気鼻をうがつばかり、清国の乱政、これをもって知るべし」と書いている。
ところで、高杉らは、上海滞在中には精力的にあちこち見学してまわった。
町を歩いていて、西洋人が向こうからやってくると、中国人はたいてい道をゆずっているのを見て、高杉は憤慨した。租界地には柵があり『犬と中国人は入るべからず」の看板があった。ここは、植民地なのである。
「ここは中国の土地であるが、実質はまったくイギリス、フランスの属国である。もっとも、首都北京は遠く離れているから、あるいは中華の美風が残っているのかもしれないが、しかし、これは中国だけの問題ではない。いまに、日本もこの国の二の舞いをふむことになりそうだから、ゆだんは禁物だ」と高杉は日記に書いている。
上海の城壁は、高さは約五メートルくらい、周囲が約6キロ、ヤグラには清国旗がひるがえり、大砲をそなえつけているが、城門を守っているのは、英仏の軍隊である。そこにいあわせた中国人たちに向かって、高杉と同行したサムライが「中国では、どうして外人に城を守らせているのか」ときくと、みんなだまりこんだ。そのうち、一人が答えた。
「この前、〝長髪賊″(大平天国の乱)が攻めこんできたとき、李鴻章はこないし清国軍は遠くはなれたところにいたので、やむをえず英仏の力を借りたのだ」という。
「それにしても、どうして外人のバッコをおさえないのだ。これでは、かえって清朝が外人におさえられていることになりはしないか」これにたいして、だれも答えるものはなかった。
別な日に、城内を見物してかえろうとすると、すでに城門がしまっていた。しかし、フランス人たちは日本人と見て、門を開いて通してくれた。すると、土人(中国人)がこれに便乗して通ろうとしたが、許さなかった。ちょうど、そこへ中国の役人が外からカゴにのってやってきて、フランス人が制止するのもきかず、通りぬけようとしたので、仏人はムチでたたきのめし、ひききがらせた。これを見みた高杉は「ああ清国の衰弱ここにいたる。嘆ずべきことなり」
と書いた。上海で高杉らの見たものは、日本にせまりつつある運命であった。
日本への侵略に危機感を一層募らせたのである。
高杉の上海滞在は約2ヵ月に及んだが、帰国すると『政治、軍事対策の報告書』を長州藩庁に提出している。
- ①西欧の近代的な軍隊組織、兵器、訓練を、清国軍や〝太平天国軍〃と比較して、日本軍の方が強いと結論しているが、このままでは日本軍といえども、西欧の軍隊に歯がたたないから、兵器ばかりでなく、軍隊組織そのものにも大改革の必要がある。
- ②新しい陸軍とともに、強力な海軍を持たねばならぬ。鎖国以後、日本には、幕府や各藩にも海軍がなかったので、そのあいだに世界の海軍は異常な進歩を示している。
- ③ 〝長髪賊〃【太平天国の乱】をめぐる内乱の実態と、西欧のアジア侵略との関係を研究し、近い将来に迫りつつある日本の姿をそこに見た。内乱をおさえるのに、外国の経済的、軍事的援助を求めるというのは、結局、国を滅ぼすもとだということを痛感した。
この『外国の経済的、軍事的援助を求めことは国を滅ぼす』-との「自立,自尊,独立」「他力本願ではなく自力本願」「知合合一の吉田松陰,松下村塾の革命思想の実践」という高杉のインテリジェンスこそが明治維新のトリガーとなり、日本の植民地化を防いだのである。
高杉はこの上海旅行で得た結論を、長崎で即実行した。
上海港で、英仏の大砲をのせて蒸気で走る軍艦の威力を目の当たりにした高杉は、外国船との海戦では、これがなければ太刀打ちできないと、藩庁の了解もとらず12万3千ドル(日本金にて約7万両)もする蒸汽船を独断で買いつけてしまったのだ。これには藩庁も唖然として、どこにそんな金があるのか、とかんかんに怒り高杉に破約を命じたが、高杉は、「破約せよというなら、腹をきるほかない」といって断固拒否、抵抗した。
この件で長州藩でのオオモメの事情を知ったアメリカ商人は驚き、自から破約を申し出たので、この取り引きは破棄されてしまう。
ところが、その後、日本を取り巻く軍事的な事態は一層切迫し、長州藩も横浜の英国商「1番館」を通じ、15万ドル(約8万両)を投じて、300馬力のものを一隻購入した。これが「壬戎丸」で、その幕府軍を倒すことに成功するのである。
高杉のインテリジェンスと先見の明、それに大胆不敵な行動力と突破力がなければ、維新の回天はあり得なかったのである。
つづく
関連記事
-
-
知的巨人の百歳学(130)ー『昭和の大宰相・吉田茂の健康長寿の秘訣ジョーク集』➂ 歴代宰相の中で一番、ジョーク,毒舌,ウイットに 富んでいたのは吉田茂であった。
記事再録2016年2月3日日本リーダーパワー史(658) 『昭和の大宰相・吉田茂 …
-
-
『オンライン/藤田嗣治講座』★『1920年代、エコール・ド・パリを代表する画家として、パリ画壇の寵児となった藤田は帰国し、第二次世界大戦中には数多くの戦争画を描いたが、戦後、これが戦争協力として批判されたため日本を去り、フランスに帰化、レオナール・フジタとして死んだ』
2010/01/01 前坂 俊之(静岡県 …
-
-
『Z世代への戦後80年の研究講座②』★『東京裁判で検事側証人に立った陸軍の反逆児・田中隆吉の証言①』★『1941年12月8日、真珠湾攻撃前後の陸軍内、東条内閣の動向を克明に証言している』
2015/05/17   …
-
-
「Z世代のためのウクライナ戦争講座」★「ウクライナ戦争は120年前の日露戦争と全く同じというニュース②」『日露戦争の原因となった満州・韓国をめぐる外交交渉決裂』●『米ニューヨークタイムズ(1903年4月26日 付)「ロシアの違約、日本は進歩の闘士』★『ロシアの背信性、破廉恥さは文明国中でも類を見ない。誠意、信義に関してロシアの評判は最悪だから,これが大国でなく一個人であれば,誰も付き合わないだろう』
2016/12/24   …
-
-
「湘南ダイビング挑戦したい日記」じゃ(8/11)伊豆大瀬崎のダイビング「数十万匹のスズメダイの巨群と遊ぶ」エビちゃんからのクールビデオ
鎌倉カヤック釣りバカ日記番外編― 湘南ダイビング挑戦したい日記じゃ …
-
-
日本リーダーパワー史(435)なぜ安倍自民党政権は福島原発事故の未来,廃炉風景に目をつぶるのか。
日本リーダーパワー史(435) なぜ安倍自民党政権は福 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(307)★『国難リテラシーの養い方③/ 辛亥革命百年⑬/『インド独立運動革命家の中村屋・ボースをわしが牢獄に入っても匿うといった頭山満』★『ラス・ビバリ・ポースの頭山満論』
2010/07/16&nbs …
-
-
知的巨人たちの百歳学(112)-『早稲田大学創立者/大隈重信(83歳)の人生訓・健康法ー『わが輩は125歳まで生きるんであ~る。人間は、死ぬるまで活動しなければならないんであ~る』
『早稲田大学創立者・大隈重信の人生訓・健康法― ➀語学の天才になる …
-
-
終戦70年・日本敗戦史(82)大東亜戦争の真実「ドイツ依存の戦争実態」<他力本願の軍首脳部の無能ぶり>②
終戦70年・日本敗戦史(82) 敗戦直後の1946年に「敗因を衝くー軍閥専横 …
-
-
『日本最強の参謀とは一体だれか?』ー「「其日庵主」「もぐら」こと魔人・杉山茂丸」の経済雄弁術⑦ 』★『細かい数字を百年の国策に取り交ぜ、談論風発、相手を煙幕に巻く」』★「下村海南(朝日新聞副社長の証言)(『雄弁』1938年(昭和7)9月号)
逗子なぎさ橋珈琲テラス通信(2025/11/14am700) &n …
