日韓両国の対立が激化、韓国が軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を一方的に破棄した。このニュースを見ながら、吉田茂の次の言葉が浮かんできた。★『 (外交の鉄則)「およそ列国間の関係に百年の友なく 又、百年の敵なし、 今日の敵を転じて明日の友となすこと必ずしも 難(むつかし)からず』
『昭和の大宰相・吉田茂のリーダーシップと先見性、国難突破力』 ①『(1945年敗戦)「この敗戦必ずしも悪からず」と勇気と今後の戦略を提示したその国難突破力を見習え』★
2016年2月10日/日本リーダーパワー史(665)
『昭和の大宰相・吉田茂のリーダーシップと先見性、国難突破力』 ①
(1945年敗戦)「この敗戦必ずしも悪からず」
と勇気と今後の戦略を提示したその国難突破力、
「ピンチはチャンスなり」
(外交の鉄則)「およそ列国間の関係に百年の友なく
又、百年の敵なし、
今日の敵を転じて明日の友となすこと必ずしも
難(むつかし)からず」
<以下は永野信利「吉田政権2616日【上】」行研2004年刊、(37-48Pの概略)より>
第1条 吉田の真骨頂は、国際情勢を見抜く鋭敏な国際感覚があり、
上司の命令に盲従せず、自分の信念に基づいて行動した。
- 大正3年(1914)、第一次世界大戦が勃発し、日本政府は中国に対華21ヵ条を要求した。21ヵ条は旅順、大連、南満州鉄道の租借期限を九十九年間延長するよう求めるなど中国の主権に踏み込んで、中国各地で排日運動がまき起こった。中国共産党の誕生となる五・四運動はここに始まった。吉田はこの要求に対して反対運動を行い、ワシントン勤務の辞令を取り消され、大臣官房文書課長心得の閑職に左遷された。
第2条―米英との関係を悪化させ、国益を害する国際連盟脱退に反対する。
- 昭和6年(1931)9月、関東軍が満州事変を起こし、政府は翌年に満州国を承認した。国際連盟はリットン調査団を派遣して日本の侵略を認める報告書をまとめた。内田康哉外相は議会答弁で、「国を焦土としても主張を貰徹する」と言明し、新聞も一斉に追従し国際連盟脱退論一色となった。しかし、吉田は「連盟脱退は、米英との関係を悪化させ、国益を害する」と反対意見を述べたが、日本は国際連盟から脱退した。このあと、内田外相は、吉田に駐米大使に就任を求めたが、吉田は内田の主張をを嫌い就任を断った。
第3条―国内がヒットラーブームにわく中で、日独伊防共協定は、対英米戦争を起こすとして反対する。
吉田は昭和11年(1936)、駐英大使を拝命した。このとき日本政府は日独防共協定の締結を推進し、在外の主な大使から意見を聴取したが、吉田だけは反対の態度をとった。「協定を結ぶことは、明らかに日本が枢軸側に伍することを意味する。これは将来、日本は英米を向うにまわして戦わねばならぬ羽目に陥る危険がある」吉田茂『回想十年』第一巻)国内でヒットラーブームにわいている中で、吉田は国際政治力学を鋭く見抜いていた。
第4条―和平工作を逮捕されても、屈せず最後まで続ける信念と闘志をもつ
昭和14年(1939)、駐英大使を退官した。外交官として数々の体験を積んだ吉田が辿りついた世界観は「英米と協調しなければ日本の国益は守れない」との確信だった。
大半の政治家、知識人、言論人が翼賛体制になびく中で、吉田は対英米戦争を回避させるため、親交のあるグルー駐日米大使やクレーギー駐日英大使に会って事態打開を側面から説いて回った。(「回想十年」第一巻)。
しかし、吉田らの戦争回避工作は実らず、東条内閣は昭和16年12月8日、太平洋戦争に突入した。緒戦は大勝利で、国中が真珠湾攻撃の戦果に沸きかえっていた。だが吉田は冷静に戦況の行く末を憂え、勝利は一時的なもので、いずれ日本は壊滅の道を辿ると判断し、鳩山一郎、岩淵辰雄(政治評論家)、近衛文麿、牧野伸顕、原田熊雄、鈴木貫太郎らに呼びかけて、東条勢力の排除を狙った。憲兵の眼が光る中で、東条に歯向かうのは命がけの勇気である。
昭和20年(1945)に入り日本の敗北は決定的になった。昭和天皇は事態を憂慮し、近衛文麿ら重臣の意見を聴取することになった。この近衛内奏文に吉田は「敗戦だけならば、国体まで憂うる要なし。最も憂うべきは、敗戦に伴うて起る共産革命」とつけくわえて2月14日、提出した。
この結果、吉田は憲兵隊に連行、取り調べを受け長期拘留された。5月末にやっと不起訴となり、仮釈放された。以後も、不屈の闘志を燃やし「和平工作」を続けた。
-
第5条―日本歴史始まって以来の大敗北にも負けず、
-
「この敗戦必ずしも悪からす」と勇気と今後の戦略を提示
-
したその国難突破力、「ピンチはチャンスなり」
敗戦は国民の大半を茫然自失然させたが、吉田は意気軒昂、勇気凛々,見通し全開で早くも日本再建に思いをめぐらした。吉田は米軍先遣隊が日本に上陸する前日の8月27日、親友・来栖三郎に次のハガキを送った。
「わが国の負けっぷりも古今東西未曾有の出来栄といえましょう。日本再建の気運も自ら生まれてきて、軍部の政治のガンの切開除去、政界明朗化か国民道義の昂揚、外交自ら一新すること、科学振興、米資本誘致により経済、財界は立直り、ついに帝国の真髄一段と発揮すれば、この敗戦必らもしも悪からず、…」(外務省外交史料館別館所蔵)
第6条―「およそ列国間の関係に百年の友なく、又百年の敵なし、
今日の敵を転じて明日の友となすこと必ずしも難からず」
9月17日、吉田は、緒方竹虎から「外務大臣になってくれ」と要請された。こうして吉田は戦後政治の表舞台に踊り出た。吉田の手元には上司幣原喜重郎から「終戦善後策」と題する意見書が届けられており、吉田は全面的に同意した。
「凡そ列国間の関係に百年の友なく、又百年の敵なし、現に連合諸国間にも幾多の重要案件に関して利害を異にする所あり、終に抗争対立するの徴(きざし)なしとせず、又、戦時に抗争対立せる諸国間にも迫て時局の進展に従ひ相互の協力、支持を要する問題に直面することあるべく、わが施策がよろしきを得たれば、今日の敵を転じて明日の友となすこと必ずしも難からず、孤立政策はわが国歩伸張(国力発展)上、得策ならざるが故に、われは終始列国離合の動向に注視し、好機に乗じて局面展開を図る用意をする必要がある」(幣原「終戦善後策」)
吉田はヤルタ体制を誇示する連合国が今後、離合することを見透かし、日本の再建策を論じる幣原の眼力に感服した。吉田は自分の日本再建策と重ね合わせ、「戦争に負けて、外交に勝った歴史はある」と闘志を燃やした。
関連記事
-
-
長寿学入門(219)ー日本ジャーナリスト懇話会(2018/3/23)で『60,70歳から先人に学ぶ百歳実践学入門』を講演『私の調査による百歳長寿者の実像とは・・』★『「生死一如」-生き急ぎ、死に急ぎ、PPK(ピンピンコロリ)をめざす。』
日本ジャーナリスト懇話会 2018年3月23日 『60,70歳から先人に学ぶ百 …
-
-
『オンライン講座/日本は新型コロナパンデミックを克服できるのか(下)』★『欧米紙はIOCを「ぼったくり男爵」と大批判』★『「無観客大会」へ 会議は踊る、されど決せず』★『「ホテルに缶詰め、食事はカップ麺と欧州選手団から非難殺到」』★『スペイン風邪の苦い教訓』★『「大谷選手の100年ぶりの快挙」』
『オンライン講座/日本は新型コロナパンデミックを克服できるのか(下)』 …
-
-
『オンライン鈴木大拙講話』★「東西思想の「架け橋」となった鈴木大拙(95歳)―『『長寿の口癖は「わしは死神と競走で仕事をする」★『死を恐れるのは仕事を持たないからだ。ライフワークに没頭し続ければ死など考えるヒマがない。死が追ってくるより先へ先へと仕事を続ければよいのじゃ』』★『禅は「不立文字」(文字では伝えることができない)心的現象』★『「切腹、自刃、自殺、特攻精神は、単なる感傷性の行動に過ぎない。もつと合理的に物事を考へなければならぬ」
前坂俊之×「鈴木大拙」の検索結果 28 件 http://www. …
-
-
知的巨人たちの百歳学(114)長谷川如是閑(93歳)「他からわずらわされぬ悠々自適の暮しが健康法」「「老人になって子供に帰ったのではなく、20歳前後の気持を持ち続けているだけ」
知的巨人たちの百歳学(114) 長谷川如是閑(93歳)の悠々自適 「他からわ …
-
-
◎<リバイバル釣り動画記事再録>「鎌倉カヤック釣りバカ日記」(2017/11/10)ーイナダ(35㎝)、シイラ(30-40㎝、30匹)、カワハギ5匹、ソーダカツオ3匹と爆釣
2017/11/15、記事再録 <201 …
-
-
★『生涯現役/百歳学入門』(163)「日本は高齢社会」のウソ。NHKが故意に作り出した幻想のカラクリ』●『貧乏生活を選んだ億万長者』●『 大半の財を寄付し、身なりを構わないハリウッドスターは誰』●『老人ホームと保育園が一緒になったら 奇跡が起こった(米・シアトル)』●『年間50万人の高齢者が失踪、1日あたり1370人・中国』●『裸で眠ると健康でリッチになる、その4つの理由とは』●『早ければ早いほどいい、40-50代から始はじめる『健康な老後への備え』』
★『生涯現役/百歳学入門』(163) 「日本は高齢社会」のウソ。NHKが故意に作 …
-
-
『鎌倉釣りバカ人生30年/回想動画録』⑮『10年前の鎌倉沖は豊饒の海だった』★『鎌倉/天然生活ーカヤックフィツシング・海岸散歩・・ときどきブログ書き、食えなかったら喰うな!魚つりにいき、筋トレダイエット日記 』
2010-12-30 記事再録 『釣り時々・原稿』『原稿、時々釣り』ー食えなかっ …
-
-
知的巨人たちの百歳学(177)記事再録/『創造力こそが長寿となる』★『葛飾北斎(89歳)「過去千年で最も偉大な功績の世界の100人」の1人に選ばれた』(米雑誌ライフ、1999年特集号)➀
葛飾北斎(89歳)「過去千年で最も偉大な功績の世界の100人」の1人 「ジャパ …
-
-
「オンライン・日本史決定的瞬間講座➅」★「日本史最大の国難・太平洋戦争に反対し拘留された吉田茂首相の<国難逆転突破力>の研究』★『鈴木貫太郎首相から「マナ板の鯉はビクともしない。負けっぷりを良くせ」と忠告され「戦争で負けて、外交で勝った歴史はある」と外交力を発揮した(上)」
第3章 吉田茂(89歳)「戦争で負けて、外交で勝った歴史はある」 …
