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『リーダーシップの日本近現代史』(236)/百歳現役入門― 団塊世代は元気な百歳をめざそう, <健康長寿の秘訣はこれじゃ>『「少くして学べば、則ち壮にして為す有り。壮にして学べば、則ち老ゆとも衰へず。老いて学べば、則ち死すとも朽ちず」(佐藤一斎)』

      2020/01/01

 

 /記事再録

晩年こそ新たな人生の始まり・自らの意思で、よりよく生きてこそ真の長寿

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<「百寿者百話」前坂俊之 海竜社(2008年)まえがき>より

 

世の中で、長寿を望まない人はいませんが、ただ長生きすればよいというものでもありません。生命体として生かされた結果、長生きしたというのでは、単にこの世に長く生存したというだけに過ぎません。

人間としていかに生くべきか、必死に努力して自らの意思で、よりよく生きてこそ、真の長寿に値するものですし、最期まで元気で天寿をまっとうできれば、こんな幸せなことはありません。
人類は大昔から長寿を夢見てきましたが、人間は果たして何歳まで生きられるのでしょうか。専門家の研究では、百二十歳までは生きられるというのがどうやら定説のようです。

日本はいまや世界一の長寿国であり、二〇〇七年の平均寿命は女性で八十五・五歳、男性は七十九・五歳です。また、人口の約四人に一人が六十五歳以上という世界一の〝超高齢社会″を迎えようとしています。
百歳以上の人は英語で(センティナリアン=Centenarian)(百寿者)といいますが、日本の 「センティナリアン」は約三万二千人にのぼり、毎年増加の一途です。つまり、日本では誰もが平均寿命より少しがんばれば、「ノナジェナリアン=Nonagenarian (九十歳人、卒寿者) や「センティナリアン」 の仲間入りができる時代になったわけです。

このせいもあってか、わが国では老人問題がいまや重要なテーマになっています。社会保険庁の年金記録問題や、老人の介護問題、後期高齢者医療制度、健康で長生きするには

どうすればよいか、老後の健康、生活をどうするか、アンチエイジング、おひとりさまの老後、美容、健康本、長寿食などなど……、老いも若きも最大の関心事となっています。
テレビ、マスコミはこうした問題を連日大きく取り上げていますし、書店に行っても大きなコーナーに平積み状態です。

ところで、ひとつ不思議に思うことがあります。これらの本の多くが、平均寿命の半分ほどの若い専門家や医者らによって書かれていることです。

自ら主張する健康法を実践した結果、九十歳、百歳まで長生きしたというのであれば、信頼性はより高まりますが、そのような例は少ないようです。

 

「医者の不養生」という言葉があるように、実際に百寿者や「ノナジェナリアン」たち自身から、その健康法、処世訓を開きたいのですが、残念ながらこの手の実証的、歴史的な「センティナリアン」研究、死生学が日本にはまだ少ないのです。

これまで日本では千年以上も短命時代が続いていたためで、ついこの三十年ほど前から急激に訪れてきた世空の長寿国、超高齢化社会の到来に、老生学、死生学が追いついていないのが実状です。
日本の歴史の中で、どのような長寿者が実在していたのかを調べた長寿歴史学さえありません。

真の長生きの秘訣は百寿者に聞け

確かに若い人の研究やマウスを使った実験結果も参考にはなりますが、元気な百歳おじいちゃん・おばあちゃんの体験談、健康法が実践に裏打ちされているだけに千鈞の重みがあります。

人間、年をとるのは誰もが初めての経験ですし、死ぬのも初めての経験です。それだけに、病気は医者より病人に、人生は老人から、長生きは実際に長寿の「センティナリアン」「ノナジェナリアン」から聞くのが筋ではないでしょうか。

「おじいちゃん、おばあちゃんの口癖」ーじいさまのカミナリ、小言」「おばあさんの知恵袋」こそ、長寿の秘訣の宝庫なのです。この本は「天寿の秘訣はセンチィナリアンに聞け」をコンセプトに作ったものです。
八十、九十歳を超えてもなお生涯現役で活躍した人たち、百歳を超えてもライフワーク、創作活動に最後まで情熱を燃やした励んでいた芸術家、五十歳過ぎから起業して世界的な大企業を創った実業家、百歳まで世界の山々を滑走した冒険スキーヤー、老いてますます活躍した政治家、作家、市井の人たちなど、日本の近現代社会で活躍した健康長寿、生涯現役の達人たちを調べてみました。

その中から、五十、六十代の人たちに大いに参考になる生き方、養生法を実践した七十人を選びました。
そこに共通するものはちょっと意外な事実でした。

①丈夫に生まれて、病気にかからなかった元気者は意外に少ない。逆に、病弱だったが、病気を克服して天寿をまっとうした人が多い。
②食事は粗食、腹八分、少食のほうが、長生きし、創造的な活動を続けられる。
③したいことをやる、好きなことに熱中していると年も忘れて長生きする。百歳近くまで生きた人の最期は自然死、大往生の例が多い。
④物事を悲観的に考えるよりも楽観的で前向きな人、明るく陽気な性格の人、クヨクヨ考えない人が長生きする。肝心なのは気持ちの持ちようである。
⑤画家、彫刻家などの芸術家や学者で、創造的な仕事をした人は長生きである。これは長生きしたので大きな仕事ができたともいうことができる。
⑥日本の伝統的な食事は世界一の長寿食である。これらは本文を読んでいただければ、こと細かに紹介しています。

 日本の百寿者の原型があった

今や日本の「センティナリアン」は三万二千人に達したといいましたが、一九六六(昭和四十一)年はわずか二百五十二人です。その全員のアンケート調査 (回答率は全体の八〇%、二百一人) があります。

これは、日本では最初の全国百歳調査と思われますが、現在のように長生きさせる医療技術が発達しておらず、飽食の時代、健康長寿が騒がれていなかった時代のものだけに、百寿者のナマの姿を知るうえでもたいへん貴重なデータです(『われら百歳』大平陽介編/家の光協会)。
一九六六(昭和四十一)年で百歳ということは一八六六(慶応二)年生まれです。明治維新(一八六八―慶応三)年)前で、この時代の平均寿命は三、四十歳に満たないことを考えると、百歳とはそれこそ稀有な年齢で、平均寿命八十歳以上の今の百歳とはまるで違うのです。

それだけに、日本人のセンティナリアンの原型がここにあります。その内容を見てみましょう。
①尊属者(父母、祖父母)に長寿者(七十歳以上)がいる人の割合は、三五%で三分の一にのぼり、長寿には遺伝の要素が大きいことを示している。
②健康状態の質問では「どこもなんともない」という完全な健康状態が四分の一。「耳が遠い、聞こ、妄いのが」八〇%、「目がかすむ、見、妄い」四五%、「入れ歯」四〇%「体が不自由」三三%。
③食べものでは、間食する者が五六%、間食しない者三三%。案外、間食が多い。食べ物の好き嫌いは、好き嫌いのない人七三%、好き嫌いのある人二七%で、当然のことながら好き嫌いのないほうが栄養が片寄らず健康によいことを示している。

④「好きな食べもの」で「毎日のように食べているもの」は野菜、魚、果物、菓子、卵、漬けもの、みそ汁、牛乳の順。「毎日食べてはいないが好きなもの」では、魚、餅、肉、菓子、果物。「嫌いなもの」は肉、魚、あぶらものの順、長寿者は嫌いなものがあまりないことを示している。

⑤食事量では「腹八分」が七五%、「腹七分」一五%。「腹いっぱい」六%。
⑥酒を飲む人は二五%、飲まない人は四四%で、飲む人も一、二杯が大多数である。
⑦入浴は好きな人が六五%、嫌いな人五%で、圧倒的に入浴が健康によいことを示した。
⑧性格については「ものごとにクヨクヨしない」五三%、「仕事好き」四六%、「他人にすぐ同情する」四二%、「世話好き」三八%、「何でも心配する」二三%、「人のことはかまわない」一〇%。
「物事にクヨクヨしない」、つまり神経質でなく、気持ちがおおらかで、楽天的な人が多い。また「仕事好き」が男女ともに相当数を占めており、百歳現役の意欲的な生活態度がうかがわれる。その一面、世話好き、他人への同情心など、あたたかい心の持ち主が多かった。

百寿者を目指すための六つのアドバイス

佐藤一斎https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E4%B8%80%E6%96%8E

の『言志晩録』第六十条に、「少くして学べば、則ち壮にして為す有り。壮にして学べば、則ち老ゆとも衰へず。老いて学べば、則ち死すとも朽ちず」とあります。

佐藤一斎は徳川幕府の儒学者の最高権威で八十六歳の長寿を保ちました。「若くして学べば、成人して何事か成し遂げるであろう、壮年にして学べば、年をとっても老いない、老いて学べば死んでも、その志は受け継がれていく」というもの。まさに、このとおりではないでしょうか。
五十歳、六十歳からでも強い志を持って学び続ければ、老いても衰えることなく、充実した輝かしい人生を送ることができるのです。「五十、六十、洟たれ小僧、八十、九十人間ざかり、わしも百歳これからこれから」という平櫛田中の有名な言葉があります。

団塊世代が大量に還暦を迎えますが、六十歳などは、

老後の始まりではなく、まだまだ第二の成人式。

「黄金の晩年」 に向けスタートしたばかりの青年期といってよく、これからがいよいよ人生本番です。「晩年こそ新たな人生の始まり」なのです。
長生きも富士山登山と同じです。富士登山五合目の駐車場までは車で簡単に誰でも行くことができます。還暦を迎えた人々は、ここからは自分の足で一歩一歩しっかりと、まずは平均寿命の八合目の 「オクタジェナリアン (Otagenarian)」 (傘寿者・八十歳入) を目指して登るのです。ついで九合目の 「ノナジェナリアン」を (これは富士山では四五度の急角度の山道となりますが、これも)克服し、何とか頂上の「センティナリアン」を目指しましょう。
この本は天寿を極めるためのガイドブックとして作りました。読んでますます元気がわいてくる、勇気を与えられる本になれば、こんな幸せはありません。
最後に、アメリカのセンティナリアンたちからのプレゼントです。「百歳まで生きる六つのアドバイス」を紹介しましょう(『100万人100歳の長生き上手』トーマス・T・パールズ著、日野原重明監訳/講談社)。
①年齢によって生き方を変えないこと。逆に、その可能性を最大限活用しましょう。
②圧倒的多数の人が八十五歳まで生きる遺伝子を持っています。健康的な生活があなたとセンティナリアンの遺伝的な差異を補い、人生における病気と無縁の期間を最大限、延ばすことができるのです。
③高齢になるほど、体力と筋力を維持するトレーニングが大切です。増加した筋組織は脂肪を燃焼させ、心臓病になる危険性を減少させます。
④常に、新たなことに挑戦しましょう。脳の異なる部分を使うこと。第二の職業についたり、ボランティア活動、音楽指導、著述、旅行などをするのもよいことです。
⑤果物と野菜を重点的にとり、肉、バターなどの飽和脂肪酸、マーガリンなどの水素添加脂肪(硬化脂肪)、甘いお菓子を極力減らして、肥満を避けましょう。
⑥ストレスをうまく解消しましょう。センティナリアンはごく自然に心理的ストレスを排除できるのです。ユーモアや瞑想、運動、楽観主義などはストレスを発散する重要な手段となります
では、みなさん、一緒に「センティナリアン」を目指して、長生きの富士山に一緒に登ってみませんか。

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究, 湘南海山ぶらぶら日記

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