前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

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「知的巨人の百歳学」(145)―『世界史を変えた「真珠王.御木本幸(97歳)の長寿健康法」★『「ないないづくし」の三重県の田舎の海で、日本初代ベンチャービジネス王に輝いた御木本の独創力をエジソンも大絶賛。ノーベル賞級の大発明!』★『ミキモトパールの発明が20世紀・中東の「石油の世紀」きっかけとなった』

   

世界史を変えた「真珠王.御木本幸(97歳)の長寿健康法」

                                                                       前坂 俊之(ジャーナリスト)

三重県鳥羽の神明湾の養殖場で、御木本幸吉(36歳)、うめ(29歳)夫婦は人工真珠の種を埋め込んだアコヤ貝を開けていた。莫大な借金をつぎ込み「狂っている?」「大法螺吹(おおほらふき)きや!」と周囲から疎んじられながら、徒手空拳で真珠の人工養殖に取組んで、早や5年がたった。

来る日も来る日も何百というアコヤ貝を開くが、中は一向に変化はない。すでに何万個のアコヤ貝の殻の山ができていた。1893年(明治26)7月11日、うめが相島(現在の真珠島)の養殖場でいつものように開けた貝の中にピンクに輝くものがあった。驚いたうめは大声で幸吉を呼んで確認すると、紛れもない半円形の5ミリほどの真珠ができていた。人工真珠が世界で初めて誕生した瞬間である。

「その時歴史が動いた」風に言えば、1893年のこの7月11日こそ、わが国ではじめて世界的なベンチャービジネスが誕生した歴史記念日なのである。

御木本幸吉は1858年(安政5)1月、三重県鳥羽でうどん屋の長男に生まれた。1878年(明治11)、21歳の時、当時、東海道はまだ鉄道が開通していなかったため、徒歩で11日かけて上京し、文明開化の風が吹く東京や横浜の異人街などを2カ月間、商売と新知識の吸収、勉強に出かけた。
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ここで、外国人たちがアワビや干魚、海産物などを高額で買いあさり、中でも天然真珠が世界の王侯貴族、金持ちたちが愛する女性へ贈る最高のアクセサリーであり、高価な輸出品であることを知った。

当時、御木本の地元の伊勢志摩の天然真珠は乱獲によって、水揚げが激減していたので、このままでは志摩の名物が絶滅してしまう」と、漁民たちは危機感を募らせていた。商才に長けた幸吉は異人街でみた世界の真珠の人気に目を見張り、人工真珠の養殖を思い立った。

天然真珠はアコヤ貝の中に偶然、異物が入ると、貝は身を守るために真珠層(炭酸カルシウム)を分泌し、異物を包み真珠層を幾重にも重ねて円形の真珠を形成する。

この過程を人工的に再現できれば、人工真珠が出来るのではないか。1888年、30歳となった御木本は日本の最初の動物学者で水産養殖にも詳しい東大理科・箕作佳吉博士の指導を受けながら、英虞湾の孤島に一家で移住して、全財産をつぎ込み真珠の養殖に取り組んだ。

明治26年に半円真珠の養殖に成功したのに力を得て、さらに天然の真珠に近い真円真珠の開発に悪戦苦闘した。赤潮、冷水の発生によって養殖貝が全滅する被害に何度も襲われながら、そのたびに借金を増やして血のにじむ努力を重ねた。

1905年(明治38)に真珠養殖技術の完成にこぎつけた。真珠の養殖を志して28年、幸吉はすでに48歳となっていた。

「資源もない」「金もない」「情報もない」「技術もない」の「ないないづくし」の環境で、御木本は独力で三重県のへんぴな海で真珠養殖にチャレンジして、成功を収めた。

1905年(明治38)、明治天皇が伊勢神宮に行幸し、御木本の養殖場をご覧になった際、御木本は「世界中の女性の首を真珠でしめてご覧にいれます」と大見得を切ったが、その通り、ミキモト・パールの大部分は日本を代表する高価な輸出品として、外貨を大いに稼いだ。1927年(昭和2)にニューヨーク、次いでロンドン、パリにも出店するなど海外販売網を築き、日本企業の海外進出のさきがけ的な存在となった。

1926年(昭和2)2月、69歳の御木本は欧米視察旅行にでかけニューヨークでエジソンと会見した。世界の発明王エジソンは「私はダイヤモンドと真珠だけはどうしても発明できなかった。ミスターミキモトの人工真珠の発明は世界の驚異です。」と絶賛され、御木本は大感激した。来日した世界のVIPがこぞって真珠島を訪れたが、御木本は大いに歓迎して、外国人とのコミュニケーションに抜群の才能を発揮した。

 

御木本の成功の秘訣は当時の最新のメディアの新聞、電話、ラジオを活用したこと。

➀「ねりたくって」行え(考え抜き、練りに練って戦略を練る)

②「商売は仕入れにあり」「信用が第一」

➂「商機を逸すな」

――を口癖にしていた。

「新聞のニュースは朝刊ではおそい。夕刊を早く読め」が持論で、店員を新聞社の近くで待機させ、夕刊を入手して事務所まで配達させた。電話もいち早く導入し、事務所、自宅、工場のほか毎日散歩する山の中にまで電話ボックスを設置。散歩中に考えを練って、思いついたことを山からすぐかけてきた。

ラジオは朝6時のニュースから、1日九回のニュースを必ず聞いていた。来客中でも失礼といって、ニュースの時問が来ると聞いて事業のタネにしていた。それを自分で「ねりたくつて」て戦略を立てた。

④「情報、金、時、人は活かして使え」

また、独自に築いた幅広いネットワークからは活きた情報を収集していた。「活きた」と言う表現を良く会話の中で使った。「活きた話はないかい「金や時は活かして使え」とか「人は活かして使うものだ」と言っていた。

70歳過ぎても1日30人近くの来客が次々にあり、その人たちの話であろうと、部下の話であろうと、地位や男女の別に関係なく活きた話であるならば、熱心に耳を傾けた。

孫の三代目御木本美隆氏は「何で誰よりも早く知っており、何ごとについても結論を持っている人」と評した。

御木本の晩年の自宅応接間には幸吉の尊敬する発明主トマス・エジソン、ラジオの発明者マルコニー、米国の大富豪で97才の長寿を達成したロックフェラー1世の3人の写真が大きく掲げられていた。その前には大きな地球儀が置いてあり、そのすぐ横には大きなホラ貝が地球儀に向けて置いてあった。来客向けに「俺は世界中にホラを吹くのだ」という茶目気たっぷりの演出で、幸吉はこの地球儀を片手でクルクル回わして「俺は毎日世界中を飛びまわっているのだ」とホラを吹いてはけむに巻いていた。

➄「わしは天才でも、超人でもない、世界の大海師だよ。世界の女性の首を真珠で巻いてみせる。「ホラを吹くが嘘はつかぬ」「ホラを吹いて吹き当てよ」と吹きまくった。

 

⑥独自の金銭感覚、使い方を身につけ、無駄な金は一切使わなかった。

大正六年(1917)十二月、故郷の鳥羽で大火があり、百十六戸が類焼した際には、蒲団1000枚を被災者に贈ったばかりか、徳島養殖場の作業員十数名を呼び寄せて催災地の整理に当たらせた。それまで四メートルしかなかった道路を二倍にまで拡張し、その民有地は言い値で買い取って町に寄付した。

従業員に対しては「親展賞与」というボーナスをよく与えた。封筒に五百円、千円、二千円、五千円を入れ、臨時に用事を頼んだときとか、特別の働きをした際に自ら手渡した。金額の多寡にかかわらず、幸吉から渡された親展賞与の袋を、家宝とした職員は数多い。巧みな人身掌握術である。

中国上海に支店を開いた際には、中国の真珠商150人を日本人クラブに招待して披露宴を催し、中国側もその答礼として2日間の宴席を開いた。その一日目の宴会の際に、真珠をちりばめた衣服をまとった80名ほどの中国の芸妓を登場させた。

2日目の宴では、中国の10銭銀貨、20銭銀貨を大量に用意させ、芸妓が幸吉にあいさつにくると、用意させておいた銀貨を手づかみにし、一握りずつ芸妓にプレゼントした。芸妓たちが喜んだのはいうまでもない。この話はあっという間に中国全土に広まり、幸吉の「大人ぶり」と話題となり、上海支店の最高のPRにもなった。

⑥事業発展のためには独自の健康法を実践して、97歳の長寿を保った。

もう1つ、忘れてならないのは御木本の偉大さは、明治の経済人の中でも最も長寿であったこと。独自の健康法、食事法を実践して、96歳8月の長寿を保ったことだ。

「真珠王」として世界的名声を得て巨富を築いた幸吉の最終目標は、97歳まで長生きしたロックフェラー1世(スタンダード石油を創設し、世界最大の石油会社に育てた世界一の金持ち)を上回ることだった。そのため71歳からは「御木本式健康7ヵ条」を考案、晩年まで続けていた。

 四十年間を通じて毎朝五時に起床。朝食前には二本杖での連動をし、水浴を欠かさず、夜は上腹部から「腹部に向かってのマッサージを約数十回したのち八時に就寝。

② 60歳までは主食は麦飯三杯、サツマイモ一椀。61歳からは麦飯一杯に減らした。副食に朝は味噌汁2杯、生卵1個、昼は野菜もの、夜は魚または鳥肉と梅干し11個。

③ 酒、煙草は厳禁。

④ 盛夏でも腹巻を離さず、厳寒にはシャツを着用せずジユバン、股引を着用して薄着に徹した。冷暖房機器などには頼らない。

➄ 夜の宴会などはもってのほか、いかなる場合にも午後10時には床に就く。列車の旅は好きで利用するが、夜行列車は睡眠を妨げるので乗らない。

⑥ 寝室は二階または高台を選び、厳寒の時でも風通しのいい場所を選ぶ。

⑦ 風呂は一番風呂に限る。1年に数回は健康診断を受ける。

⑧ 夏は伊勢朝熊山で約二週間の避暑をし、英気を保つ。

こうした健康法によってか、八十八歳の時には、真珠養殖を見学に訪れた進駐軍の兵士の目の前で、海女たちと一緒に見事な水泳を披露ていした。

九十歳頃の食事は「朝は3分目、昼は2分目、夜は「うまい物は2箸残す」で、さらにダイエットを進めた。

「ホラ話」や冗談も健康法の1つ

ホラ話は知識と教養ばかりか、世情にも通じていなければ「ふけない」。そのため日頃から書籍や新聞には目を通し、ネタを仕込んでいた。

文相を歴任した牧野伸顕(吉田茂の義父、内相、外相)が幸吉宅を訪れたとき、「わしが昔から愛蔵している尾形光琳の屏風をご覧にいれましょう…」と、部屋の障子をさっと開けた。

眼下に広がる鳥羽湾内の島々を指さし、「どうですかな、光琳が描いたよりも美しい枝ぶりの松があるじゃありませんか」と幸吉。そこで牧野も「なるほど、なるほど。まさに光琳の屏風絵ですな。第1にセモノをつかまされる心配もなく、第2にナフタリンがいらん」と、二人で大笑いした。

総理大臣となった原敬と、京都から車中が一緒になったときの話。原が「君、得意のホラ話はないかね」と注文してきた。すると幸吉は「総理は日本に三ミというもののあることをご存知ですか」とたずねた。

原が首をひねっていると、幸吉が「三ミとは三井のミ、三菱のミ、そして御木本のミですよ」と説明した。これには少しムつとした原は「しかし三井も三菱も何億という金を持っている。そこへ君のミを入れるのはホラはホラでも、ちょっと度が過ぎてやしないか」。

「総理、私は年に三百万個の真珠を養殖している男ですぞ。一個百円としてそろばんを弾いてご覧なさい。三井や三菱など問題じゃありませんよ。その上、私のミは、人を敬ぅ意味の御という字です。だから同じミでもわしが筆頭になるのです。これでダボラでないことがおわかりになったでしょう」1本とられた原首相は苦笑するばかりだった。

最後に「世界史をかえたミキモト真珠」の歴史秘話を紹介する。

それまで天然真珠の産地はアラビア湾の奥のクウエ―ト沿岸に限られて、世界市場を独占していた。御木本の発明で、クウェートの真珠漁業は壊滅する。窮地に陥ったクウェート王家は、それまで拒んできた外資による石油探鉱を許可した。まもなく大規模油田が相次いで発見され、世界のエネルギー地図が塗り替えられて、「石油の世紀」が始まったのである。

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究

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