前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

知的巨人の百歳学(117)ー『米雑誌「ライフ」は1999年の特集企画で「過去1000年で最も偉大な功績をあげた世界の100人」の1人に、日本人では唯一、浮世絵師の葛飾北斎(90歳)を選んだ』(上)

      2018/12/08

『世界ベストの画家・葛飾北斎(90歳)の創造力こそが長寿力となる』★『北斎こそ世界を席巻する「ジャパンアニメ」「ジャパンクール」の元祖』

 

前坂 俊之(ジャーナリスト)

私は富士山マニアである。

2017年(平成29)12月25日に故郷の岡山に新幹線で帰省した。この日は青空がクリーンに広がり雲一つない。雄大、壮麗な富士山の全景がくっきり見えるのではと胸おどった。

新幹線で三島駅を通過すると、富士山が徐々に姿をあらわす。富士駅付近では5合目までは雪化粧した富士山全景がパノラマ的にスピード変化して、富士川鉄橋をわたるまでのビデオを15分間ほど感動しながら撮影した。

1970年代(昭和40年代)には製紙工場相手に住民の『富士公害裁判』が起きた。そのころは富士市内に林立した製紙工場の多数の煙突から黒煙がもくもく上がり、富士山の姿もカスんで見えないほどで、高度経済成長を驀進中の「日本経済大国」「工業立国」と裏腹の「公害大国」日本の現実を象徴する風景であった。

明治以来の外国人による日本イメージの代表は「フジヤマ,芸者ガール」だが、富士山人気は今も変わらない。

富士山は日本の多様性に富む自然の代表であり、自然崇拝教の日本人の信仰の対象であり、日本人の美の心そのものであると思う。

富士山ほど芸術家に愛されたものはない。富士山は永遠の生命であり、普遍的な美を見て、生涯描き続けた長寿芸術家も数多い。葛飾北斎(88歳)、横山大観(89歳)、片岡球子(103歳)、中川一政(97)らである。

米雑誌「ライフ」は1999年の特集企画で「過去1000年で最も偉大な功績をあげた世界の100人」の1人に、日本人では唯一、浮世絵師の葛飾北斎を選んだ。

90年のその生涯に、版画、肉筆画、挿絵、漫画など森羅万象3万点以上を描いた北斎は西洋絵画を超えた表現技法を創造し、ゴッホらフランス印象派の画家たちに多大な影響を与えた。今、世界を席巻する「ジャパンアニメ」「ジャパンクール」の元祖そのものである。

北斎は1760(宝暦10)年9月、江戸本所割下水で石工の子に生まれた。

本所はもともと葛飾郡に属しており、のちに葛飾の姓を名のった。「われ幼少よりものの刑状を写すクセあり」で、5,6歳のころから絵心があり、19歳で浮世絵界の大物・勝川春草に弟子入り、役者絵などを学んだ。はじめは、絵はあまり売れず、貧乏暮しが続き、唐辛子や暦を売り歩いたりしたこともあった。

ちょうどその頃、北斎は三十代の半ばに達していたが、画狂への道を歩むことになるエピソードが伝えられている。「ある人から子供の端午の節句のお祝いに鯉幟(こいのぼり)の絵を頼まれて描き、金2両を得た。貧乏暮しの身にこれを無上の宝物と受け取り、ここで一念発起したのである。

飯島虚心著『葛飾北斎伝』によると、北斎はたちまち志を一転し、生涯画工として世を終ることを誓い、それからというもの、朝はやくから筆をとって人の寝静まる夜更けにおよび、腕が萎え、眼が疲れるまで仕事を続け、ソバ二杯を食べてから寝るというぐあいで、この夜食のソバ二杯の習慣は死ぬまで続いたという(木原武一『人生最後の時間』(葛飾北斎)PHP文庫2002年192-193P)

39歳で北斎を名乗り、浮世絵から大和絵など幅広いジャンルを手がけ、滝沢馬琴とコンビを組んだ挿絵で売れっ子となった。その後も常に新しいジャンルへの研鑽、技巧の研究に余念はなかった。

美人画で有名な喜多川歌麿は北斎より若かったが、54歳と若くして亡くなった。一方、北斎は齢五十をこえてますます円熟期に入り、まず「北斎漫画」(絵手本)を完成した。これは人間、歴史、風俗、風景から動物、植物、生物など森羅万象3191点にのぼるスケッチ集で、いわば『イラスト版、マンガ版の大百科事典』とでもいうべきもので、北斎の本質をつかむ的確なデッサン力が示されている。

 

ヨーロッパに輸出された『日本陶器』の梱包材として、浮世絵がたくさん入っていたが、1856年にフランスの石版家ブラクモンがパリでこの1冊を目にして大きな衝撃を受けた。一躍「ホクサイスケッチ」として、ヨーロッパ中に広がり、北斎の名を世界的にした。特に、フランス印象派には大きな影響を与えた。

北斎のすごいところは絶えず発展、進歩を目指して精進・研鑚を続け、晩年にますます本領を発揮したことである。

北斎は晩年の達人である。

1831(天保2)年、72歳になった北斎は『富嶽三十六景』の連作の第1作を発表した。
遠近法、デフォルメ、ダイナミックな構図という『北斎マジック』を集大成したもので、その驚異の動体視力で迫力ある波頭を描ききって、「あか富士」を加えた「冨嶽百景」(続編を含めて46点)を76歳で完成した。これは歌川広重の「東海道五十三次」と好一対をなす浮世絵の傑作であった。

北斎は『富岳百景』を発表するに当たって、その奥付に「七十五齢 前北斎為一改招紺を改画狂老人卍筆=山沢印=」とわざわざ大書した。

「己6才より物の形状を写すの癖ありて、半白の頃(ころ)より数々画図を顕すといヘども、七十年前画く所はやや実に取るに足るものなし。七十三才にして、梢(やや)禽獣虫魚の骨格、草木の出生を悟し得たり。
故になお八十才にして益ます進み、九十才にして猶其奥義を極め、一百才にして正に神妙ならんか。百有十才にしては一点一格にして、生るが如くならん。願くは長寿の君子、予が言の妄ならざるを見たまふべし。画狂老人卍述」と。

つまり、「私は6歳より物の形をうつす癖があったが、70歳以前に書いたものは取るに足らない。73歳となった今やっと、禽獣虫魚(動物昆虫魚類など)の骨格、草木を書けるようになった。だから今後とも80歳にしてますます進み、九十才にして奥義を極め、一百才にして正に神妙ならんか。
百有十才にしては一点一格にして、生るが如くならん。願くは長寿の君子、予が言の妄ならざるを見たまふべし」と言うのである。この言葉に70歳を前にした私はハッとした。何歳になってもさらに高みを目指して日々精進していた北斎の不屈の意志と努力がほとばしっており、慄然たる思いに打たれた。

つづく

 - 人物研究, 健康長寿

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『鎌倉カヤック釣りバカ/タコ日記』★『大ダコがキス細竿にかかり、船べりに吸着し格闘10分』『大アジ(30㎝)をゲット』★『タコ刺し、タコ料理法を伝授しますよ』』

  2013/07/19  「カヤック釣 …

no image
湘南海山ぶらぶら日記―『台風5号によりこの夏一番のビッグウエーブ がきたのかー稲村が崎サーフィン(8/8)全中継①波は肩、頭くらい(1,5-2mか)

 湘南海山ぶらぶら日記 台風5号によりこの夏一番のビッグウー がきたのかー稲村が …

日本リーダーパワー史(652) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(45)日清戦争勝利、『三国干渉』後の川上操六の戦略➡『日英同盟締結に向けての情報収集に福島安正大佐をアジア、中近東、アフリカに1年半に及ぶ長期秘密偵察旅行に派遣した』

  日本リーダーパワー史(652) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(45)  …

『Z世代のためのオープン自由講座』★『ドイツ人医師ベルツによる日中韓500年東アジア史講義➂』★『伊藤博文の個人的な思い出④ー日本人の中で伊藤は韓国の一番の味方で、日本人は韓国で学校を建て、鉄道や道路や港を建設した』

2010/12/05 の 日本リーダーパワー史(107)記事再録 伊藤博文④-日 …

『オンライン/日本リーダーパワー史講座』★『明治維新から152年ーこの間に最高のリーダーシップを発揮した人物は一体誰でしょうか?、答えは「西郷隆盛」ではない、弟の西郷従道ですよ!ウソ、ほんとだよ』★『『バカなのか、利口なのか』『なんでもござれ大臣」「大馬鹿者」と(西郷隆盛は命名)『奇想天外』「貧乏徳利」(大隈重信いわく)』

 2015/01/01日本リーダーパワー史(512)記事再録 ★「フリ …

『オンライン/75年目の終戦記念日/講座』★『1945年終戦最後の宰相ー鈴木貫太郎(78歳)の国難突破力が「戦後日本を救った」』★『その長寿逆転突破力とインテリジェンスを学ぶ』

  2015/08/05 日本リーダーパワー史(5 …

no image
日本リーダーパワー史(150)空前絶後の名将・川上操六(24)ーインテリジェンスの父・川上の決断力のすごさ

 日本リーダーパワー史(150) 空前絶後の名将・川上操六(24)   …

『Z世代のための日本恋愛史における阿部定事件』★『男女差別、男尊女卑社会での、阿部定の「私は猟奇的な女」ですか「純愛の女」ですか』★『「あなたは本当の恋をしましたか」と阿部定はわれわれに鋭く突きつけてくる』

前坂俊之編「阿部定手記」(中公文庫,1998年刊)の解説より、 「阿部定、何をや …

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ ウオッチ(231)』-『懐かしのエルサレムを訪問、旧市街のキリスト教徒垂涎の巡礼地、聖墳墓教会にお参りす』★『キリスト絶命のゴルゴダの丘跡地に設けられた教会内部と褥』

『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ ウオッチ(231)』   ・ …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(111)/記事再録☆日本リーダーパワー史(868)『明治150年記念ー伊藤博文の思い出話(下)ーロンドンに密航して、ロンドン大学教授の家に下宿した。その教授から英国が長州を攻撃する新聞ニュースを教えられ『日本が亡びる』と急きょ、帰国して止めに入った決断と勇気が明治維新を起こした』★『ア―ネスト・サトウと共に奔走する』

    2018/01/01 &nbsp …