前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

人気リクエスト再録『百歳学入門』(233) -『昭和の傑僧、山本玄峰(95歳)の一喝!➀」★『法に深切、人に親切、自身には辛節であれ』★『「正法(しょうほう)興るとき国栄え、正法廃るとき国滅ぶ」「葬儀は絶対に行なわざること」(遺書)

      2018/07/14

 

  2012/06/01  記事再録

百歳学入門(40)―『百歳長寿名言』

 
     <昭和の傑僧、山本玄峰(やまもとげんぽう)95歳の一喝>
① 自分のために修行する
② 力をもって立つものは、力によって亡ぶ。金で立つものは、金に窮して滅び、ただ、徳あるものは永遠に生きる。
③ 法に深切、人に親切、自身には辛節法であれ。
④ 一日不働 一日不食。(1日働かなければ、1日食わず、食わんでも死なんぞ)

 

           前坂俊之(ジャーナリスト)

<山本玄峰(1866-1961) やまもとげんぽう九十五歳は昭和の傑僧、禅宗の老師。臨済宗妙心寺派の管長となり、後に静岡県三島の龍沢寺の住職>

和歌山県東牟婁郡本宮町で、生まれてすぐ捨て子となるが、近所の人に助けられる。字を習うこともなく、百姓の手伝いや筏流(いかだし)をして成長。眼病にかかり、医者にも失明を宣告されたため、二十二歳で願をかけて四国を裸足で計七回もお遍路に回った。

 

このとき、高知の雪蹊寺(せっけいじ)で行き倒れとなり、「自分は目も見えず、読み書きもできないが、坊さんにしてもらえますか」と和尚に頼み込むと、「親から授かった目は年を取れば見えなくなるが、仏さまからさずかる心の目は一旦開かれれば、つぶれない。お前の心眼は修行次第じゃ」と弟子入りを許された。その後、禅僧となって全国の数々の寺院を再興して回り、臨済宗妙心寺派の管長となり、後に静岡県三島の龍沢寺(りゆうたくじ)の住職となった。

 

玄峰は思想、信条を超えて、「来るものは拒まず」で救済した。一九三一(昭和六)年、血盟団事件の右翼の黒幕・井上日召の弁護に法廷に立ったが、武装共産党のリーダー・田中清玄(その後、日本の黒幕とも呼ばれる)はこの時の玄峰の話を聞いて感激して、弟子入りした。

ある日、老師が「お前は何のために修行するのか」と問うと、田中は「世のため、人のためです」と答えた。

「フーン」また、しばらくたって同じ質問があり、同じ答えをすると、「ばか者、わしは自分のために修行をしとる。人のためではない」と大喝した。

一九四五(昭和二十)年四月、老師は鈴木貫太郎枢密院議長(元海軍大将、侍従長)に会った。「一刻も早く戦争を終わらせなければならぬ。負けて勝つのです」と献策、鈴木は1週間後に首相に就任。八月十二日に鈴木首相の使者が訪れ、終戦の決意を伝えたのに対して、

「これからが貴下の本当のご奉公。忍び難きを忍んで、行じ難きをよく行じて、国家の再建に尽くしていただきたい」との書状を托した。

<法に深切、人に親切、自身には辛節法に探切、人に親切、自身には辛節であれ><一日不働一日不食>

このように老師は人、国家の運命の先の先まで洞察していた禅者であった。

あるとき、寺へ、日本刀を持った暴漢が乱入して老師を殺すぞと脅した。「わしは死に味を 知らぬ。殺すのは勝手やが、いっそ、竹のノコギリで首をひいて、じわりじわりと死なしてもらいたい。じっくりと、死に味を味おうてみたいわ」とゴロリと横になった。度肝をぬかれた暴漢はあっさりと退散した。

 

老師は誰とでもよく会い、よく飲んだ。法要では最後にどうしても酒になる。年をとれば誰でも飲めなくなるが、酒豪の老師は八十歳過ぎても日本酒を一升(「八リットル)あけてもケロッとして泰然自若、春風たい蕩であった。

 

最晩年になっても全国の寺、霊場への伝法の旅を続けていたが、疲れが出たのか亡くなる半年前に病に伏せた。病床で断食、断水を始めて、弟子に「禅坊主の死に方を見せてやる」と別れを告げた。

「生きてください」と田中清玄らが涙ながらに訴えると、病人とは思えない力で、田中を殴りつけた。驚いた弟子たちが「正月早々、死なれては困ります、みなが迷惑します」と必死で止めると「そうかな。迷惑するというんなら、もう少し生きて、熱からず寒からぬ時を選んで、

人間狂言の幕を閉じよう」と断食を解いた。

五月二十八日に、会いにきた田中に「これから往生する。師匠の命日じゃ」と言い放った。六月三日午前一時、当番で看病していた者にブドウ酒を頼んで、おいしそうに飲み干し、「旅に出る、着物を用意しろ」と言って十五分後に亡くなった。
遺書には「正法(しょうほう)興るとき国栄え、正法廃るとき国滅ぶ」「葬儀は絶対に行なわざること」とあった。

生活禅とは・・・

 

坐禅を行(ぎょう)ずるといっても、何もそう七面倒くさいものではない。形よりも心、心さえそれにあれば、行住坐臥、日常茶飯みなことごとく坐禅である。仏壇がなくとも、どこにも仏さまはござる、経文がなくとも、どこにも経文は満ち満ちている。

 

坐禅堂に坐るばかりが禅ではなく、床の間に向かっても坐禅、机に向かっても坐禅、汽車、電車に乗っても坐禅、そういうようにとらわれる処がなければ、寝床の上でも立派に坐禅はできる。

 

むかしから、茶禅一味、剣禅一味などともいわれておるが、そんなものばかりではない、喫茶、喫飯皆これ禅定の手段ならざるはなく、語黙動静(どもくどうしょう)、しゃべるのも、だまるのも、うごくのも、うどかないのも皆これ禅、われわれの日常生活はすべてこの中に在る。

 

坐禅せば四条五条の橋の上

往き来の人もそのままに見て

8時間も眠れば良い

 

ねむりも飲食と共に、なかなか大切なもんじゃ。

それかといって、

朝寝して 夜寝るまでに昼寝して あいまあいまに居眠りをする

 

これじゃ、どうにもならん。一昼夜を三分して八時間働き、八時間休みというのなら、あとの八時間をゆっくり眠ればそれで十分だろう。われわれ坊主の修業ではもっともっと切りつめるが、一般人の無理のないところで、八時間労働なら、八時間睡眠で沢山。それ以上はいわゆるムサボリになる。ムサボリからよい結果が生まれる道理はない。

腹八分というのが飲食のいましめなら、眠りの方も八分だっていいだろう。

 

早くねて、早くおきる、夏でも冬でも、ましてや春眠、暁を覚えずで、朝寝の床は年柄年中恋しいものだが、そこを八分目に切り上げて、はね起きる。心気の爽快は、決して「朝起き三文の得」どころじゃあるまい。

 

新幹線などのるな、「鈍行列車」に限る

忙しい忙しいで、何をそう急いでござるのだ。忙 しい忙しいは、たいてい、忙しくなるよう、前になまけたのか、手違いをおかしたのか、または性分でそう騒ぎ立てるだけのことだろう。そうでなければ、一人前の仕事以上に、あれもこれもと、人の分まで欲張って抱えこむからの報いである。

忙しい忙しいで目をまわしている人も、ゆっくりゆっくりやるだけのことをやってる人も、そうそう 仕上げる仕事の分量にはかわりはないものさ。わしはなんでも、急ぐということをしないで、その代り時間をムダにせず、人手をムダにせず、物をムダにしないで、ゆっくり構えて九十何年とこの世を歩みつづけてきた。

人間何もそう先を急いで、息せき切るには当たらない。鈍行列車でも、急行列車でも行き先はみな同じで、急行券の座席券のと、よけいな心配のいらないだけ鈍行の方が得、ことに「浮世列車」は何より楽しいのじゃな

「三毒」を去る

 

ぼんのう(煩悩)というものは、それこそ数限りもない。むかしから八万四千の煩悩といい、百八の煩悩ともいっている。人間がゼイタクになるにつれて、ふえることはあっても、へることはあるまい。手っ取り早いところで、われわれには、まずいわゆる三毒の煩悩はまぬがれない。八万四千から百八、百八から大マケにマケての三毒煩悩であるが、こいつを分かりやすく分析すると、つまりは貪、瞋、痴(どん・しん・ち)になる。

 

それから仏教の訓えには「八正道」というのがある。正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定と申すものだ。すなわち、正理を観じて外道邪見を破ること、正理を深く観じ察すること、邪悪を行なわず正しい行ないを保つこと、清浄に自活して俗塵不潔を離れること、正道を修めて勤勉不退なることなど。いろいろとむずかしくいってあるが、要するに仏の心を心として、三毒を去り、スコヤカに生きるということである。

 

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本メルトダウン脱出法(785) 「人口爆発がもたらす「水」の足りない未来」●「世界経済は再び「ブロック化」するのか」●「3つの重要会議から読み解く 習近平政権中期の分水嶺」

 日本メルトダウン脱出法(785) ワタミとユニクロ「ブラック企業」批判後の 明 …

no image
百歳学入門⑫<日本超高齢社会>の過去とは②・・・<半世紀前までは人生わずか50年だった日本>

百歳学入門(12) <日本超高齢社会>の過去は・・・<半世紀前までは人 …

no image
池田龍夫のマスコミ時評(28)「抑止力」一辺倒の危うさ-  新防衛大綱の「動的防衛力」

池田龍夫のマスコミ時評(28)   「抑止力」一辺倒の危うさ&#821 …

no image
日中朝鮮,ロシア150年戦争史(51) 副島種臣外務卿(外相)の証言③『明治の外交ー日清戦争、三国干渉から日露戦争へ』★『ロシア朝鮮支配の陰謀・奸計で山県外交手玉にとられる』

   日中朝鮮,ロシア150年戦争史(51) 副島種臣外務卿(外相)の …

no image
日本リーダーパワー史(623) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 ⑰『川上操六参謀本部次長がドイツ・モルトケ参謀総長に弟子入り、何を学んだのか③『ドイツ・ビスマルクのスパイ長官』 シュティーベルとの接点。

 日本リーダーパワー史(623)  日本国難史にみる『戦略思 …

『日本の運命を分けた<三国干渉>にどう対応したか、戦略的外交(外交の要諦 )の研究』㉒』『★『歴史の復習問題ー日清戦争『三国干渉』後に、 ロシアは『露清密約』(李鴻章の巨額ワイロ事件)を結び遼東半島を入手、シベリア鉄道を 建設して居座り、日露戦争の原因となった』

2016/09/19 /中北朝鮮150年戦争史(35)再録 世界一の買 …

no image
『南シナ海問題 での中国の立場』を呉士存 中国南海研究院院長/于鉄軍 北京大学国際戦略 研究院副院長/張新軍 清華大学法学院副教授が 6月24日、日本記者クラブで講演し、 記者会見した。(動画2時間)

  呉士存 中国南海研究院院長/于鉄軍 北京大学国際戦略 研究院副院長 …

『日中歴史張本人の 「目からウロコの<日中歴史認識><中国戦狼外交>の研究⑦』★『ロシア(旧ソ連)は簡単に『北蒙古(モンゴル)』を手に入れ中国へも手を伸ばした」』

2015/01/01/記事再編集 以下は坂西利八郎が1927年(昭和二)二月十八 …

no image
日本リーダーパワー史(54)辛亥革命百年③『日本は覇道から王道をめざせ』と忠告した孫文②

日本リーダーパワー史(54) 辛亥革命百年―『日本は覇道から王道をめざせ』と忠告 …

no image
『オンライン世界が尊敬した日本人講座』<1億人のインド不可触民を救う仏教最高指導者・佐々井秀嶺 >★『「私は求道者。寺などいらぬ。最後はとぼとぼ歩いて、道端で石にけつまずいてどこかの道で行き倒れて死ぬか、草の中で死ねれば本望です」という。』

 2013/09/24  の記事再録 <歴史読本(2009年 …