前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

「老いぼれ記者魂ー青山学院春木教授事件四十五年目の結末」(早瀬圭一、幻戯書房)ー「人生の哀歓が胸迫る事件記者の傑作ノンフィクション!』

      2018/05/24

 

「老いぼれ記者魂: 青山学院春木教授事件四十五年目の結末」

(早瀬圭一、幻戯書房,273P 2018年3月刊)

前坂俊之(老いぼれジャーナリスト)

あとがきに「これがわが人生最後の1冊となるであろう」と書いている。

あれ、早瀬氏の絶筆なのか?と驚いた私は、「巻を措(お)くあたわず」で2時間で一気に読了した。登場人物はいずれも毎日新聞での旧知の先輩、同僚であり、その半世紀にわたる来し方と終活に深い感慨を覚えた。

1973年3月の春木事件発生当時、著者は毎日新聞社会部遊軍記者として取材陣に加わり、青山学院関係者の間を駆け回った。のちのサンデー毎日時代にはこの事件を題材にした石川達三の「七人の敵が居た」(同誌1979-80年連載)では、助手役をつとめた。

1982年、早瀬氏は「長い命のために」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。新聞記者兼作家として、今もノンフィクションライターのトップランナーで独走してきた。1111一方、早瀬氏が尊敬する鳥井守幸氏は1979年8月、「サンデー毎日」編集長となり、独自のスクープを連発する。

中でも春木事件に注目し特別取材班を編成して「冤罪キャンペーン(7回)」をはり、1981年7月には出所後の春木氏との独占インタビューを行い、この事件の冤罪の核心部分の全証言を引き出し、その後、独力で再審請求弁護団を結成して奔走してきた。

しかし、無実を訴えてきた春木老教授は、94年1月にアパートの1DKで壁に「死して戦う」との墨書を残して84歳で孤独死する。鳥井氏は毎日を退職後、大学教授、テレビキャスターとして華々しく活躍したが、その後病気になり、放浪の旅に出て、行方が分からない、という。

事件以来、すでに半世紀が経過した。

歳月人を待たず。老いされば人生行路の終着駅が見えてくる。75歳を超えた早瀬氏は最後の仕事に鳥井氏の志を継いでこの事件に決着をつける旅にでた。本書は春木事件追跡の記者物語でもあり、その正義派新聞記者の友情物語でもあり、著者のたそがれの挽歌でもある。

ロッキード疑獄(1976年)が起きた際、「政官財マスコミ癒着」の構造汚職という言葉が生まれた。

1980年代に免田,財田川、松山事件の死刑再審無罪事件が連発した際も日本型の司法の冤罪構造が問題となった。

➀警察の見込み捜査と自白強要、非科学的捜査

②マスコミの犯罪報道の犯罪

③検察の証拠隠し、証人潰し

④「疑わしきは罰す」の裁判官の体質

⑤警察、検察、裁判所一体の強固な司法癒着構造である。

春木事件は今騒がれているセクハラ事件の嚆矢といえる。

しかし、その内実はよくある美人局事件の複雑系である。青山大という有名私学のアメリカ帰りの国際法の老教授(63)が女子大生を研究室で暴行、レイプしたというハレンチな事件として、マスコミは大騒ぎしたが、冤罪の構造が丸見えの事件である。

➀「大学の先生が女学生を自分の研究室に連れ込んだならば強姦も、和姦もない。起訴される。」「男女の間でトラブルになったら男の負けだ』(後藤田正晴元警察庁長官)の警察の見込み捜査。

②事件のカギをにぎる春木の下にいた大学助手0は逮捕1週間後に春木の無実を訴えて担当弁護士や学長に「自分も含む反春木派の仕組んだ陰謀であるとの報告書』を提出したが、東京地検が逮捕して、潰した。

Oは一転して「催眠術にかけられたようなでたらめの作り話を書いた」と報告書の内容を否定、検察は不起訴処分とした。これなどは典型的な検察の冤罪手口である。

③事件のポイントは強姦されたという(T子)、T子に迫られての和姦(春木)との食い違いだが、バブル期の「地上げの帝王」最上恒産の早坂太吉がレイプ後に即座に現れて恐喝する手口は、典型的な美人局事件であることがうかがえる。T子は最上恒産会長の娘とあってみれば、この事件の背景がくっきりと見えてくる。

④春木に2回にわたって暴行、強姦されたT子が手紙を添えたバレンタインのチョコレートを贈っている矛盾は、和姦の証拠でもあろう。物的証拠の少ない事件で唯一の証拠物(下着その他)の鑑定も不十分で、裁判官は無視した。

⑤春木はT子を美人局ともしらず、見事にだまされた点を率直に証言していて真実性が感じられるが、T子の証言は矛盾撞着しており、その背景の捜査も不十分で、冤罪事件特有の矛盾だらけの内容である。

本書の前半部分ではこうした事件と裁判の経過、冤罪のプロセスがわかりやすく、簡潔に書いている。

また、事件を生んだ背景である『白い巨塔』と並ぶ「学閥の虚塔」の大学内部にも早瀬氏一流の緻密な取材で鋭いメスを当てている。

青山学院大とは「年間100人以上の情実入学が院長の裁量で組織的に行われていた」(毎日新聞スクープ1982年1月18日付)という「魑魅魍魎の世界」であり、この学内派閥の熾烈な戦いと青学のすぐ隣にある『最上恒産』の早坂の地上げ工作の陰謀とがミックスされた事件の可能性が高い。

著者の「45年の目の答』

最後に近い第5章「時間」で膨大な事件、裁判、関係資料を読みこなし、関係者にも総当たりして、事件の真相をつかんだ著者の「45年の目の答』が示されている。

T子の動機は春木が進めていた国際部に勤めたい一心での接近ではなかったかとみて、67歳となっているT子の追跡に全力を挙げ「名簿屋」から手に入れた高校の同窓会などの名簿で片っ端から電話して居所を探し出し、ついに発見する。恐る恐る電話するといきなり本人が出た。

 早瀬氏とA子の息づまる電話対決シーンは圧巻の迫力

この電話を切られれば、最後の糸は切れてしまう。少しでも長引かせて事件をの核心に迫りたいベテラン事件記者とA子の息づまるこの電話対決シーンは圧巻の迫力である。

押し問答が続き、なんの質問にも「答える必要はありません」「記憶にありません」と肚の座った返事が返ってくる。17,8分の会話の中盤で、いきなり

T子が「あなたはおいくつですか」と問いただしてきた。一瞬たじろいだ早瀬氏は「もう70代後半です。あなたよりも1回り上です。そろそろ死んでもおかしくない歳です。その晩節に私なりに、春木事件に決着をつけたいのです」と答えた。

「それがあなたの記者魂ですか・・」とT子は切り返した。

すでに70近くになったT子の冷静沈着な受け答えに、著者はタジタジしながら、裁判で、春木教授がT子にやり込められた姿がダブって見えてきた。

筆者も事件、裁判ドキュメントは数多く読んできたが、この電話での1問1答ほど人間性の本質と老いの哀歓がにじみ出たやり取りを読んだ記憶はない。ハラハラドキドキの見事なハイライトシーンである。

そして、エピローグ。

早瀬氏は鳥井氏に早速、ケイタイから電話し、留守電に報告した。たどたどしい声で、5分間のメ―セージを入れてくださいとある。「鳥井さん、T子の居場所を突き止めたよ。危険水位ギリギリのまで調査したよ・・」とT子の近況、生活ぶりを手短に伝えた。

最後に「聞いたら電話してほしい、本来なら会って話したい、どこか施設にいるならば会って話したいよ」と86歳になった鳥井先輩に訴えるラストシーンには涙が止まらなかった。圧倒的な読後感の残る作品である。

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究, IT・マスコミ論 , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(123)/記事再録★『ニューヨークタイムズが報道した日韓150年戦争史』☆1895(明治28)年1月20日付『ニューヨーク・タイムズ』 ー 『朝鮮の暴動激化―東学党,各地の村で放火,住民殺害,税務官ら焼き殺される。朝鮮王朝が行政改革を行えば日本は反乱鎮圧にあたる見込』(ソウル(朝鮮)12/12)

    2019/07/04 &nbsp …

知的巨人たちの百歳学(145)『94歳、生涯現役・長寿の達人・生涯500冊以上を執筆、日本一の読書家、著作家』の徳富蘇峰(94)に学ぶ 「わが好きは朝起き、読書、富士の山、律儀、勉強、愚痴いわぬ人」

知的巨人たちの百歳学(145) 再録『94歳、生涯現役・長寿の達人・生涯500冊 …

no image
日本リーダーパワー史(77) 『超高齢社会日本』のシンボル・107歳平櫛田中翁に学べー<その気魄と禅語>

日本リーダーパワー史(77) 『超高齢社会日本』のシンボル・107歳平櫛田中翁に …

no image
日中北朝鮮150年戦争史(14)日清戦争の発端ー陸奥宗光の『蹇々録』で読む。日本最強の陸奥外交力⑦『朝鮮農民の置かれた状態はどうだったのか?』→『貪官汚吏の苛欽誅求(きびしく、容赦ない取り立て)な税金の取り立てにより「骨髄を剥ぐ」悲惨、過酷な惨状だった。

 日中北朝鮮150年戦争史(14)  日清戦争前『農民たちの置かれた状態はどうだ …

no image
名リーダーの名言・金言・格言・苦言・千言集⑦『お客さまに尊敬されよ』(稲盛和夫)『トップは役員会に出席するべからず』(本田宗一郎)

<名リーダーの名言・金言・格言・苦言 ・千言集⑦>       前坂 俊之選 & …

『リーダーシップの日本近現代史』(334)-『地球環境異変はますます深刻化」★『豊穣の鎌倉海も海生物が激減、魚クンたちは逃げ出してしまったよ』●『米離脱後のパリ会議の行方はどうなる』

  2017/12/27 「湘南海山ぶらぶら日記」記事再録 …

no image
日本リーダーパワー史(114)初代総理伊藤博文⑩ 外国新聞の人物評『外国人をこのみ、丁寧にあつかう人』

日本リーダーパワー史(114)   初代総理伊藤博文⑩新聞人物評『外国 …

no image
『オンライン講座』「延々と続く日中衝突のルーツ➈の研究』★『中国が侵略と言い張る『琉球処分にみる<対立>や台湾出兵について『日本の外交は中国の二枚舌外交とは全く違い、尊敬に値する寛容な国家である』(「ニューヨーク・タイムズ」(1874年(明治7)12月6日付)』

    2013年7月20日/日本リーダーパワー史 …

no image
記事再録/日本リーダーパワー史(846)ー『原敬の「観光立国論』★『観光政策の根本的誤解/『観光』の意味とは・『皇太子(昭和天皇)を欧州観光に旅立たせた原敬の見識と決断力』★『日本帝王学の要諦は ①可愛い子には旅をさせよ ②獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす ③昔の武士の子は元服(14/15 歳)で武者修行に出した』

2017/09/23日に書いた日本リーダーパワー史(846)★記事再録『原敬の「 …

『Z世代のための鈴木大拙(96歳)研究講座』★『平常心是道』『無事於心、無心於事』(心に無事で、事に無心なり)』★『すべきことに三昧になってその外は考えない。結果は死か、 生か、苦かわからんがすべき仕事をする。 これが人間の心構えの基本でなければならなぬ。』    

   2018/12/14  記事再録/ …