『百歳学入門(206)』-『プロスキーヤ・三浦雄一郎(86歳)と父・三浦敬三(102歳)の世界スーパーマン親子物語➀』★『雄一郎は70歳、75歳でエベレストに登頂成功』●『敬三は77歳でキリマンジャロ登頂、88歳でヨーロッパ屈指のオートルートを完全踏破、99歳でモンブランスキーで滑降の鉄人親子』
2018/02/23
『百歳学入門(206)』ー
三浦さん、エベレストに登頂、史上最高齢80歳の夢実現
http://www.sankei.com/life/news/130523/lif1305230020-n1.html
論説委員・木村良一が読む『三浦雄一郎の肉体と心 80歳でエベレストに登る7つの秘密』
http://www.sankei.com/life/news/150301/lif1503010023-n1.html
三浦雄一郎氏 世界最年長登頂し8201m滑降へ
[2018年1月30日11時13分 紙面から]
https://www.nikkansports.com/sports/news/201801300000276.html
三浦雄一郎さんが世界七大陸の最高峰でスキー滑降を成し遂げたのが1985年、53歳の時である。
そのあと、達成感から気が抜けてしまったのか運動をやめた。近くの「飲み放題食べ放題」の焼き肉店で腹いっぱい食い飲む不摂生な生活が続き、気がついたら体重は九〇キロ近くも増え、生活習慣病的な「おデブちゃん」となり果てた。
六十代になった頃、狭心症の発作に襲われ入院し、本人は死ぬかとおもった、という。
65歳の時の健康診断では身長164センチ、体重85キロ、血圧95~155、体脂肪率39・5パーセントの完全な肥満型となっていた。
そのころ、一緒に生活していた90歳を過ぎた父・敬三さんはまだまだ夢を追って、挑戦を続けていた。
スーパーおじいちゃん″の異名をとっていた敬三さんは、77歳の喜寿を迎えた際にキリマンジャロ登頂に成功、88歳の米寿ではヨーロッパ屈指のオートルート(山岳スキールート、全長120キロ)完全踏破に成功していた。
三浦さんが65歳になった1998年ごろには、敬三さんは5年後の白寿(99歳)でモンブラン山系最長のバレーブランシュ氷河(全長24キロ)をスキーで滑降する計画に挑戦するとして、日々トレーニングにはげんでいた。
三浦さんは父の100歳を前にしての衰えることのないチャレンジ精神に心を打たれ,自らの不甲斐なさを悔いた。
ちなみに敬三さんはこの後、モンブランスキー滑降にも成功し、100歳を過ぎても、まだまだ年間120日以上もスキーを滑っていた。
2004年7月には、トレ-ニング中に転倒して、鎖骨を折ったが、これまた1から出直トレーニングをはじめた。この時の敬三さんの足の骨密度はなんと60代だった、というから驚く。
三浦さんは父親と比べて我が身を深く反省した。「おれも病気を治して、世界一の山一エベレストを70歳で挑戦してみよう」とやる気にスイッチが入った。
早速、トレーニングのつもりで家のそばの藻岩山(500m)に上ったが、足は痙攣するし、息切れ不整脈で脂汗が出るわで登れなかった。
「六十五歳で五〇〇メートルの山を登れなかったじいさんが8848メートルのエベレストを登れ走ら、こんな面白いことはない」と、生来楽天家の三浦さんは「プラス思考」で走り出した。
当時のエベレスト登頂者の死亡率は14%で、これは20-40代のベテランの登山家での数字で、70歳でのエベレスト登頂の死亡率はどのくらいになるのか、70歳の挑戦は初めてで、大きなニュースになった。
三浦さんは片足5キロ、両方10キロ、これに25キロのリュックサックを背負って歩くトレーニングから始めた。
人間は何歳になっても筋力や体力を向上させることができる。いくら歳をとっていても運動するのに遅すぎることはない。
「人は1日寝たきりでいると筋力が3パーセント低下し、1か月何もしないと30パーセントもの筋肉が落ちる。逆に効果的な運動を半年続けると、5歳若返る。1年続けると、10歳若返る」と三浦さんは言う。
三浦さんは当初は25キロほどの荷物を背負って登れなかった藻岩山にも、半年後には1時間ほどでのぼるようになった。めきめき体力、筋力は回復し、そして1年後には血糖値などのすべての数値もよくなってきた。
狭心症など全部直った。ひざは人工関節にしなさいというのが、足首に重りをつけて歩いているうちに、筋肉がついて半月板も復活して痛みも完全に取れた。
エベレスト登頂ごろの骨密度はなんと23歳となっていた。
つづく
関連記事
-
-
<歴史クイズ> 明治政財界裏面史に登場する桂太郎と新橋芸者お鯉との恋
明治政財界裏面史に登場する桂太郎と新橋芸者お鯉との恋 前坂 俊之(ジャーナリスト …
-
-
『Z世代のための帝王学の研究①』★『天皇皇后両陛下はチャールズ英国王の招待を受けて、6月22日から8日間,イギリスを公式訪問される。」★『歴代天皇で最初に外国訪問をされたのは昭和天皇が皇太子(19歳)時代の1921年(大正10)3月から、約半年間にわたってヨーロッパを視察された』
天皇皇后両陛下はチャールズ英国王の招待を受けて国際親善のため、6月22日から8日 …
-
-
百歳学入門<159>「100歳まで元気な人」はやっている? たった3つの意外な長寿法』●『101歳よく食べ歩く、記憶鮮明「おしゃべり好き」』●『世界一の長寿者の大好物はチョコレートだった!? 122歳まで生きたフランス人女性の食卓』●『 健康寿命を延ばす「10の方法」 生活習慣と食事、運動がカギ!』●『高齢者の「貧困率が高い国」1位韓国、日本4位』●『むのさん逝く ジャーナリズムを貫く』
百歳学入門<159> 「100歳まで元気な人」はやっている? たっ …
-
-
『オンライン/昭和史研究』★昭和天皇による「敗戦の原因分析」②『軍備は平和確保のための一手段である』ところがその軍備の力を使用したがる軍人があった」★『なぜ日本人種は嫌われたかー白色人種の有色人種に対する優越感、日本人の独善性、日本人の教養の不足、日本人の宗教の異なること』
2015/07/ …
-
-
日本リーダーパワー史(608)日本国難史にみる『戦略思考の欠落』④『明治維新後、世界に初船出した日本丸はどこを目ざすべきか』―明治のトップリーダーの『インテリジェンス』長期国家戦略「富国強兵」政策はビスマルクの忠告から決まった。
日本リーダーパワー史(608) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』④ 『明 …
-
-
日本リーダーパワー史(671) 日本国難史の『戦略思考の欠落』(53) 「インテリジェンスの父・川上操六参謀総長(50) の急死とその影響➁ー田村 怡与造が後継するが、日露戦開戦4ヵ月前にこれまた過労死する。
日本リーダーパワー史(671) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(53) …
-
-
速報(43)『10分ですぐ分かる』◎日本民族の生死がかかる!『浜岡原発の虚実』『必見ビデオー広河隆一が語る』
速報(43)『10分ですぐ分かる』◎日本民族の生死がかかる!『浜岡原発の虚実』 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(99)記事再録/『今から10年前の日本の状況は!・』★『2009年4月(麻生内閣当時)のーリーダーと知識人不在の日本の悲劇―脳死状態の日本』
2009/04/16   …
-
-
日本恋愛史における阿部定事件ー「私は猟奇的な女」ですか「純愛の女」ですか
日本恋愛史における阿部定事件ー「私は猟奇的な女」ですか「純愛の女」ですか 前坂俊 …
