前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『リーダーシップの日本近現代史』(264 )/『日本画家・奥村土牛(101歳) は「牛のあゆみ」でわが長い道を行く』★『スーパー長寿の秘訣はクリエイティブな仕事に没頭すること』★『芸術に完成はあり得ない。要はどこまで大きく未完成で終わるかである』

      2020/01/27

 

  

知的巨人の百歳学(141)

『60歳から代表作を次々に出した奥村土牛』

芸術に完成はあり得ない。要はどこまで大きく未完成で終わるかである

前坂 俊之(ジャーナリスト)

 

長寿の秘訣は年を忘れること、年など考えるヒマもないほど熱中することです。60歳で定年になって、家でブラブラ退屈して、何もすることのない人は生に退くつして長生きしない。生きがいがないからですね。

クリエイティブな仕事をしている人にとっては定年に関係なく、毎日毎日が連続、継続で生きがいのある創造的な仕事をしているので長生きが多い。特に、画家には長寿が多く、晩年になってもなお、すぐれた作品を制作する作家たちが数多くいます。

芸術活動にはもちろん年齢制限などはなく、旺盛な創作意欲と創造力が長寿パワーとなって『生涯現役』『老いてなお創造力は衰えず』となるのです。もともと『老いると体力同様に創造力も衰える』と考えるのは誤解です。自分も年齢的には前期高齢者というわくにはいる年となりましたが、創作への情熱はますますわいてくることに逆に驚いています。奥村土牛に関心をもったのも、60歳過ぎてからのことです。

画家の年齢を調べてみると、確かに長寿者が多いね。長生きする職業を列挙すれば、画家はトップに来るでしょう。物書き、文筆家は画家ほど長生きでないと思うのはストレスがたまるのと、原稿料が安いせいでしょうね。

主な画家の年齢をざっと拾ってみただけでも
ピカソ92歳、シャガール90歳、ミロ90歳ミケランジェロ89歳、ダリ86歳、モネ86歳、マティス85歳。日本では平櫛田中107歳、小倉遊亀105歳、北村西望(102歳)、上村松篁98歳。東山魁夷90歳、岩橋英遠90歳、横山大観89歳、小野竹喬89歳、中川一政98歳、梅原龍三郎98歳熊谷守一97歳などなど。これいがいにもゴロゴロいます。

「牛のあゆみ」で我が道を行く

奥村土牛 101歳(1889年2月18日~1990年9月25日) 日本画家です。彼は自伝『牛のあゆみ』 で次のように語っている。

「私の仕事も、やっと少し分かりかけてきたかと思ったら、いつか八十路を越してしまった。かつて横山大観先生に、『天霊地気』という書を頂いた。
私は日ごろからこれを座右の銘としているが、最近は一層、この深い意味のことを思うのである。私はこれから死ぬまで、初心を忘れず、拙くとも生きた絵が描きたい。むずかしいことではあるが、それが念願であり、生きがいだと思っている。芸術に完成はあり得ない。
要はどこまで大きく未完成で終わるかである。余命も少ないが、一日を大切に精進していきたい」

この言葉は、八十四歳の時のものなので、さらに十七年にわたって毎日毎日、

土を耕す牛のごとく精進して百一歳での長寿を達成した。まことに立派であろう。

奥村土牛という変わった名前は、父が寒山の詩「土牛、石田を耕す」から取った、という。土牛が丑年生まれであり、謹厳実直な生き方を息子に望んでのことであった。

土牛は何度も死にそうになった遅咲き芸術家である。幼い頃は病弱で、貧血とひきつけを繰り返し、主治医から気をつけないと十五歳まで持つまいといわれた。40、50歳ちかくまで長い間、貧乏に耐えて創作活動に専念していた。

長寿の画家に共通するのは、この貧乏というのもある。貧乏だから食えない。そのためには描かねばならない。描いて描いて描きまくる。それでも食えない。この下積み、画業の修行が高みに連れて行くのであろう。北斎のごとく、平櫛田中のように。

さて、土牛は日本美術院の同人にもなって、てこれからという五十一歳で、大病をして、一時は急性肺炎で重体にまでなったが、九死に一生を得ている。

長く、梶田半古門下の小林古径に師事した。大森の小林古径師の画室に住みこんで、日本画や東洋古典の高い精神的境地に眼を開かれると同時に、セザンヌに魅了されて、セザンヌに関するものなら何んでもというほどに打ちこんだ。

若い時は貧乏から抜け出ることができなかった。自信を持った作品以外には一切発表しなかったからだ。家族の話では「一年に二枚くらいしか描けませんでしたので。これはという作品ができないと、画商にも渡しませんでした。写生はよくいたしましたけれど、よそに出す絵は二枚ぐらいがやっとでございました」

土牛は絵を描きだすと、自分で満足できる絵ができ上がらないうちは、家庭の生活、子供がどうあろうと見向きもしないという絵一筋の厳しいところがあった。

芸術に完成はあり得ない。要はどこまで大きく未完成で終わるかである

その技法は刷毛で胡粉などを100回とも200回ともいわれる塗り重ねをし、非常に微妙な色加減に成功した作品が特徴とされる。日本画とセザンヌ的芸術の融合と昇華という大事業を田を耕す土牛の粘り強く百歳まで続けたのである。

作家。近藤啓太郎によると、「煙草は好きでした。火鉢が全部埋まるくらい吸いがらがたまって、相当なもんですね。一日、七、八十本以上吸ってたんじゃないですか。年寄りはあまり水なんか飲みませんけど、ちょっと前まではコップに氷をいっぱい入れて、サイダーをがぶがぶと毎晩のように飲んでいました。三回くらい死にかかって、大観先生、小林先生なり、いらっして、本当にお葬式の用意までしたくらいですからね」ということのようだ(『奥村土牛』岩波書店一九八七年)。

画業に熱中し、長生きとか長寿など眼中になかったらしい。ところが、幼い頃から何度も死にそうになった体験を持ちつつ、百一歳になるまで長生きしたことになる。
日本美術院理事・理事長。文化勲章受章。実直な人柄で知られ、名誉欲などとは無縁の生活を送る。大の愛煙家。「好きな絵を描いていられれば幸せ」であり、これが長寿の秘訣。

101歳は晩年までも意欲的に創作を続け代表作の多くが、60歳を越えてから描かれていることからも、まさに「大器晩成」の画家である。

百歳長寿を達成した点について

河北倫明氏は

『奥村土牛の場合、養生したというよりも、とにかく、好きな絵のことだけを考えて生きてきた。そのためにはいやなことは一切やらなかった。つまり、ストレスをためないことが長生きの秘訣であったともいえよう。

文化勲章を受章するには、事前の運動資金に何千万円もかかるといわれた時代に、何の運動もしないで文化勲章を受章した稀有な存在といわれたのである。推薦者の家の門前に土下座して回るということが、いかに異常であるかと同時に、どれだけストレスになるか想像に難くない。そんな時間と金があったら、絵を描いていたいというのが、奥村土牛の生き方である。』
と『百寿記念展覧会』の前書きに書いている。

「絵のこと以外にはなにも考えませんので、着物も、うっかりしていて一人で着ますと、裏を着て平気でおります。京都から新幹線で帰りまして、うちの玄関に着きました々ホテルのスリッパをはいていたこともございました」(家族の話)

絵を描くこと以外には一切関心のない画業三昧

が長生きの理由であろう。これが画家や芸術家、創造的な仕事に熱中した人間に共通した点である。

「宴会なども好きではなかったですし、省くものは省いて自分の目標を貫くという強さは感じますね。一番はやはり気力ですね。次に描く一枚に、今まで描けなかったものが描けるんじゃないか、ということの連続で、これまで来ているんじゃないかと思いますが、その気力はすごいですね」(家族の話)

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『 地球の未来/世界の明日はどうなるー『2018年、米朝戦争はあるのか』③『歴代米大統領がこれまで米朝戦争に手を出さなかった理由』★『「選択肢は予防戦争しかない」―米外交誌「ナショナル・インタレスト」の衝撃レポート』★『ジョセフ・ナイ教授は「キンドルバーガーの罠」について警告』

『2018年、米朝戦争はあるのか』③ 『アメリカ国内の米朝戦争への危機感は日本よ …

no image
昭和史の謎に迫る①永田鉄山暗殺事件(相沢事件)の真相

昭和史の謎に迫る① 2・26事件の引き金となった永田鉄山暗殺事件 (相沢事件)の …

no image
『世界戦史史上、空前絶後の完勝だった日露戦争ー山本権兵衛のリーダーパワーに学ぶ』

                             <2009、03,01 …

no image
クイズ『坂の上の雲』 ベルツの『日本・中国・韓国』五百年の三国志②<日露戦争はなぜ起こったのか>

クイズ『坂の上の雲』   ベルツの『日本・中国・韓国』五百年の三国志② …

no image
『リーダーシップの日本近現代興亡史』(228)/グリコの長寿創業者 江崎利一(97歳)『 「私の座右銘は、事業奉仕即幸福!。事業を道楽化し、死ぬまで働き続け、学び続け、息が切れたら事業の墓場に眠る」』

    2012/03/12 &nbsp …

『オンライン/明治外交軍事史/読書講座』★『森部真由美・同顕彰会著「威風凛々(りんりん)烈士鐘崎三郎」(花乱社』 を読む②』 ★『川上操六陸軍参謀次長と荒尾精はなぜ日清貿易研究所を設立したのか』★『鐘崎三郎は荒尾精に懇願して日清貿易研究所に入ったが、その「日清貿易研究所」の設立趣旨は欧米の侵攻を防ぐためには「日中友好により清国経済の発展しかない」という理由だった』

    2021/06/01  日本リー …

no image
日本敗戦史(48)日本兵残酷物語「内務班」,召集令状「赤紙」1枚(約100円)で消耗品として戦場で大量死。映画「二等兵物語」を見て戦争の実態を勉強しよう

日本敗戦史、終戦70年(48)   「終戦」という名の『無条件降伏(全面敗戦)』 …

『Z世代のための百歳学入門』★『芥川龍之介の文学仲間で、大正文士の最後の生き残り作家・小島政二郎(100歳)の人生百歳訓』★『足るを知って分に安んずる』★『いつまでもあると思うな親と金、ないと思うな運と借金』★『起きて半畳、寝て一畳、天下取っても、二合半』

2012/11/23  百歳学入門(56)記事再録  作家・ …

日本リーダーパワー史(846)★記事再録『原敬の「観光立国論』-『観光政策の根本的誤解/『観光』の意味とは・『皇太子(昭和天皇)を欧州観光に旅立たせた原敬の見識と決断力』★『日本帝王学の要諦は ①可愛い子には旅をさせよ ②獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす ③昔の武士の子は元服(14、15歳)で武者修行に出した』

   2011/12/09 日本リーダーパワー史(221)       <大宰相 …

 日本リーダーパワー史(823)『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、 インテリジェンス㊳『日本史決定的瞬間の児玉源太郎の決断力と責任感➉』★『予は、全責任を自己一身に負担し、この責任を内閣にも、又参謀総長にも分たず、一身を国家に捧げる決心を以て熟慮考究の上、一策を案じ、着々これが実行を試みつつある。』

 日本リーダーパワー史(823)『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」し …