前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

★5『 京都古寺巡礼のぶらり旅!』『秀吉ゆかりの「京都醍醐寺」全動画案内30分(9/3)』―わが 『古寺巡礼』で深く感動した古刹、庭園③』1150年前に建てられた5重塔(国宝)の燦然と輝く、建築美の極致

   

『 京都古寺巡礼のぶらり旅!』

『秀吉ゆかりの「京都醍醐寺」全動画案内30分』―わが

『古寺巡礼』で深く感動した古刹、庭園です③』

 京都外国人観光客へのおすすめベスト第1位の「世界文化遺産.醍醐寺」

のすべて➀

                1150年前に建てられた5重塔(国宝)の燦然と輝く、建築美の極致

 

醍醐寺のパンフレットによると

 

真言宗醍醐派の総本山。醍醐寺は貞観16(874)年に弘法大師の孫弟子、理源大師・聖宝(しょうぽう)が創建した。

山岳信仰の霊山であった笠取山(醍醐山)に登った聖宝は、白髪の老翁の姿で現れ理源大師・聖宝た地主神・横尾明神(よこおみょうじんより)、

こんこんと水(醍醐水)が湧き出るこの山を譲り受け、准底(じゅんてい)・如意輪( によいりん)の両観音を刻み、山上に祀った。

それが醍醐寺の始まりである。

開創後、醍醐・朱雀・村上の三代にわたる天皇の深い帰依によって山上に薬師堂、五大堂、山下に釈迦堂、法華三昧堂、

五重塔などが次々に建立され、山上山下にまたがる大伽藍が完成した。通称、山上を上醍醐、山下を下醍醐と呼んでいる。

以後も、皇室をはじめ貴族や武士の支援を得て、三宝院をはじめとする諸院や種々のお堂が建立され、真言密教の中心的寺院と

して多くの信仰を集めている。

しかし、長い歴史のなかで何度も火事にあい、応仁・文明の乱では五重塔を残して下醍醐は焼失、上醍醐も荒廃。

ながらく復興に至らずにいたが慶長3(1598)年の春、豊臣秀吉が開いた「醍醐の花見」を契機に秀吉と秀頼によって

金堂や三宝院、また、山上では開山堂や如意輪堂などが再建された。

 

江戸時代に入ると、醍醐寺歴代座主が居住する三宝院が、幕府より当山派修験の本山であると明確に位置づけられた。

そのことにより、山への信仰が高まり、一時衰退していた修験道も再び活気を取り戻していった。

明治維新後の「神仏分離令」や「修験道廃止令」などの数々の法難で大打撃を受けたが、歴代座主の尽力により、

開山以来、醍醐の教えは燈し続けられ現在に至っている。

一千百有余年の歴史をもつ醍醐寺は、日本仏教史上枢要な位置を占め、長年護り続けられてきた寺宝類の多くは

国宝、国の重要文化財の指定を受けている。平成6(1994)年にはユネスコの「世界文化遺産」に登録された。

 

 

醍醐寺の塔頭の一つである三宝院は、定賢、義範、範俊の三人の師から法を授かった醍醐寺第14世塵主・勝覚僧正が、

平安時代の永久3(1115)年に創建したもので、その後、鳥羽法皇の御願寺になった。

室町時代には3代将軍・足利義満の猶子である満済准后(醍醐寺第73世座主)が、三宝院を醍醐寺の中心的な役割を担う本坊にした。

満済の活躍は醍醐寺だけに止まらず、公武の調整を図りながら室町幕府の義満、義持、義教の将軍を補佐した。

その影響力は絶大で、6代将軍・義教をくじ引きで争いなく誕生させるなど、

安定した室町時代を陰で支えたことなどで知られる。

しかし、満済准后没後には京都を中心に応仁の乱(1467-1477年)が起こり、醍醐寺はもちろん、三宝院も大きな被害を受け、

それ以降、本格的な復興をげることができずに130年以上の時が過ぎていった。

慶長年間に入った頃、豊臣秀吉と親交のある義演准后(醍醐寺80世座主)は、慶長3(1598)年春、秀吉によって催された

「醍醐の花見」を契機に、醍醐寺の復興を秀吉に願い出た。

 

秀吉は「醍醐の花見」の後には紅葉狩り、また翌春には、後陽成天皇の行幸を仰いでの花見を計画していたことから、

義演准后の願いを快く引き受けた。三宝院や伽藍の復興は秀吉亡き後も秀頼に引き継がれ、その援助のもと、復興

された。

特に、三宝院の庭園は、秀吉自らが縄張りし、覇者の証とされた名石「藤戸石」を聚楽第から運び込むなど

、天下人の庭として知られている。

現在、庭園は特別名勝・特別史跡に指定されている。 また、表書院の東側の一段高い建物は純浄観、

さらにその奥には本堂があり、快慶作の本尊・弥勤菩薩、真言宗を開いた弘法大師・空海、醍醐寺を開いた理源大師・聖宝が祀られている。

 - 人物研究, 健康長寿, 湘南海山ぶらぶら日記

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
新刊『伊藤博文直話』(新人物往来社編) 新人物文庫(2010年4月刊)を刊行しました。政治家必読の教科書じゃ

暗殺直前まで語り下ろした幕末明治回顧録 新刊『伊藤博文直話』(新人物往来社編)  …

no image
日本リーダーパワー史(862)『日本の「戦略思想不在の歴史⑯』まとめ記事『世界史の中の元寇の役(文禄の役、弘安の役)6回』

 日本リーダーパワー史(862) まとめ記事『世界史の中の元寇の役(文禄の役、弘 …

『Z世代のための<憲政の神様・尾崎咢堂の語る「対中国・韓国論①」の講義⑨日中韓150年三国志―尖閣問題のル―ツの研究(パーセプション・ギャップ)―尾崎咢堂の「『朝鮮(韓国)は助けて、支那(中国)は討て』②

    2013/04/03 &nbsp …

no image
「プラゴミ問題」(プラスチックスープの海)ー今すぐにでも取り組まなければ「海洋国家日本」「魚食民族日本人」の明日はないと危惧する 

  「プラゴミ問題」(日本海はプラスチックスープの海)         …

no image
日本リーダーパワー史(366)<まとめ・正木ひろし>生涯かけて司法の正義、人権擁護のために戦った最高の人権弁護士

 日本リーダーパワー史(366)   <まとめ・正木ひろしに …

『オンライン/明治維新講義★『明治維新の元勲・大久保利通の性格は典型的な武士気質の「寡黙不言・決断断固実行型」★『ほとんど口をきかない。いつも葉巻タバコをふかし、全く寡黙で、周囲から恐れられた。』

    2016/11/09/ 日本リー …

新著刊行しました !★『人生、晩節に輝く(長寿逆転突破力)』(日経新聞出版社 2022年6月刊 1700円+税)★『渋沢栄一は「人の生涯を重くするか、軽くするかは、一にその晩年にある。人は晩年が立派でありさえすれば、世間はこれを許してくれる』  

   前坂俊之著『人生、晩節に輝く(長寿逆転突破力)』(日経 …

日本敗戦史(41)『太平洋戦争の引き金を引いた山本五十六のインテリジェンス』

  日本敗戦史(41)『太平洋戦争の引き金を引いた山本五十六のインテリジェンス』 …

『オンライン講座/独学/独創力/創造力の研究③』★『「鎖につながれた知の巨人」南方熊楠の全貌がやっと明らかに。今こそ地球環境問題/エコロジー思想の元祖・南方熊楠に学ぼう(下)

  前坂 俊之(静岡県立大学名誉教授)   ●[宮武外骨と奇 …

no image
『鎌倉散歩通』ー『さわやかな新緑の5,6月、鎌倉古寺、自然を訪ねてぶらぶら散歩は楽しいよ』

 ―鎌倉散歩通ー 『さわやかな新緑の5,6月、鎌倉古寺、自然 を訪ねて …