前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『オンライン/百歳学入門講座』★『日本超高齢社会の過去と現在ー(1)<70年前の昭和20年代【1945-55年)までは人生わずか50年だった日本(1)』

   

   『日本超高齢社会の過去と現在ー(1)

     前坂俊之(ジャーナリスト)

2010年1月27日記事再録

<Q1>それでは、日本人の寿命の歴史的な変遷について話してくれますか。明治以後の平均寿命はどうだったのでしょうか。

『そうですね、酒井シヅ「病が語る日本史」講談社[2002年]などによりますと、日本で平均寿命の統計が出たのが明治二十四年(1891)のことですが、このとき男は42歳、女は43歳です。その前の明治十九(一八八六)年では平均寿命は男女とわずか約33歳というデータがでています。正岡子規が結核で死んだのは明治三十五年九月で34歳です。

だから、明治、大正期には夭折の詩人や歌人が多かった。俳人・正、明冶45年4月には石川啄木がやはり結核で二十六歳の若さで亡くなっています。明治の文豪・夏目激石が胃潰瘍で死んだのは大正五(1916)年12月に49歳ですから、明治の日本人の寿命は男女ともわずか約40歳前後だったんですよ。
平均寿命がなぜこんなに低かったのか、まずあげられるのはコレラ、天然痘、赤痢、結核、梅毒などの伝染病の蔓延であり、乳幼児の死亡率の異常な高さです。

 大正時代、昭和10年代になっても、寿命はほぼ横ばいで、40歳から余りのびていません。国民的な詩人となった宮沢賢治は昭和八年(1933)九月、「病のゆゑにもくちん いのちなり みのり に棄てば うれしからまし」など辞世2句を残して、岩手県花巻市の自宅で肺結核で三十七歳の若さで命を終えている。翌九年九月には「命短き 恋せよ 乙女」の大正浪漫を代表する画家・詩人の竹久夢二も五十歳で同じく結核で亡くなっているんですね。

昭和十年(1935)になって、やっと平均寿命は男が四七歳、女が五十歳に伸びてきます。乳幼児の死亡が減少したためですが、太平洋戦争が始まり、終戦の昭和20年には、なんと、男24歳、女37・5歳とガタ落ちになります。
ただ、平和になると平均寿命はすぐ回復するんですね。平均寿命が五〇歳をこえるのは戦後になってのことを覚えておく必要がありますね。

昭和二十二年が五〇歳、二十六年に六〇歳代に、四十六年に七〇歳代に突入して、ぐんぐん伸びてきますが、乳幼児の死亡の低下、伝染病の減少、特にそれまで死の病といわれた肺炎や結核への抗生物質の登場が大きい。国民全体の栄養状態がよくなると、高度経済成長の波と同時に、平均寿命も驚異的にのびていったのです。

1970年(昭和四十五)前後から、長寿国の仲間入りをして、六十年には男女とも世界一の長寿に。平成十二年には男七七・六歳、女八四・二歳であった。

四十年で平均寿命は先進諸国の中で最下位から一気にトップになりました。経済大国化と長寿大国はコインの両面なんですね。歴史的に見ると、明治、大正、昭和戦前記「戦争の時代」は「人生30年時代」といってよく、半世紀かかって昭和戦後期の平和の時代になって「人生80年」時代に3段飛びしたわけです。

2010年1月28日記事再録

日本超高齢社会の過去とは(1)<60年前までは人生わずか50年だった日本(2)>

<Q2>・・・なるほどね。長い歴史の中でも、長寿になったのはごくこの半世紀の現象であったのが、よくわかりました。ではもっと古い時代、江戸時代の寿命はどうだったのでしょう。

『これも、酒井前掲書などでは、江戸時代は信頼できる統計がないため、全国的な平均寿命はわかりませんが、飛騨高山地方の寺の過去帳をもとに行われた部分的な調査では、江戸後期の百年間のこの地方の平均寿命は、男二七・八歳、女二八・六歳です。信州諏訪地方での別の統計では江戸後期では男三六・八歳、女二九・〇歳となっています。

なぜここまで短命かというと、生まれても、乳幼児が天然痘や消化不良で多くがなくなっていた。兄弟姉妹が6、8人と生まれても、半分も残らない。天然痘を無事に乗り越えたときに、はじめて誕生を祝い、名前をつけた地方もあったほどです。

生まれても一人前に成長するまでに大変だったので、こどもの成長にあわせた753とか通過儀礼がたくさんあったんですね。
だから、この幼少期の死線を突破すれば、人生50年とある程度長生きしていたんです。芭蕉はちょうど五十歳で亡くなっていますが、当時でも7,80歳を越える人も珍しくなかった。貝原益軒は八十五歳の長寿ですが、亡くなる前年にライフワークの『養生訓』を書き上げています』

<Q3>そうしますと、還暦、古稀、喜寿、米寿などこれまでの寿命観は現代と相当ズレてきてるということですね。

『女性は85歳、男性は79歳で約4人にひとりは65歳以上という人類史上でもこれまでなかった老齢社会となり、周りがお年寄り、老人だらけとなると、年齢観、寿命観もいままで通りにはいきません。

六十歳の還暦といっても、まだまだ若い、青年のままの人が多いですよね。七十歳、古希(古来まれなり)ではなく、最近では70歳で亡くなるとが早死にですねと、逆にお悔やみをいわれる始末ですね。

長命と長寿は違うんです。寝たきりの生活や認知症になって、命長らえるだけでは本人も回りも惨めだ、明日への希望と夢を失わず、生涯現役で最期まで仕事なライフワークに燃焼してこそ、長寿は輝かしいものになりますね』

「確かにね。古希は、中国唐代の「詩聖」とよばれた詩人『杜甫』(とほ)(712~770)の「曲江詩」の中にある「人生七十古来稀なり」に語源は由来します。

日本でいうと奈良時代であり、今から千二百年以上も前の人。このころの平均寿命は約30歳ほどではないでしょうか。それから見ると70歳は確かに、古来まれな長寿だし、七十七歳の喜寿、八十八歳の米寿、90歳の傘寿もしかり、いずれも古代中国から伝えられたこの寿命観、人生観が日本に入ってきて、いまも相変わらず使われているわけで、年齢の認識ギャップは大きく広がっているわけです。

つづく

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『1951(昭和26)年とはどんな時代だったのか』 <講和条約、日米安保締結、独立から再軍備の「逆コース」へ>

                                         …

no image
日本リーダーパワー史(52)名将・川上操六―日清戦争前夜の戦略⑧

  <クイズ『坂の上の雲』> 名将・川上操六―日清戦争前夜の戦略について⑧   …

no image
知的巨人の百歳学(160)記事再録/「ミスター合理化、財界の荒法師、行革の鬼」といわれた土光敏夫(91歳)のモーレツ経営10訓

    2012/12/10 &nbsp …

no image
『オンライン/日本経済150年史での代表的経営者の実践経営学講座』★『日本興業銀行特別顧問/中山素平(99歳)昭和戦後の高度経済成長の立役者・中山素平の経営哲学10ヵ条「大事は軽く、小事は重く」★『八幡、富士製鉄の合併を推進』『進むときは人任せ、退く時は自ら決せ』

  2018/05/12 /日本リーダーパワー史( …

no image
オンライン動画/昭和戦後史を決定的に動かした人物講演動画』★『元東大全共闘議長・山本義隆講演会 (1時間40分)』★「近代日本と自由 ―科学と戦争をめぐって―」 2016年10月21日(金)

  チャンネル大阪自由大学 チャンネル登録者数 1720人 山本義隆講 …

no image
百歳学入門(156)生死一如、生きることは毎日死に向かって行進中。 「生き急ぎ、死に急ぎ、エンディングス トーリー」を考える。『 健康寿命が真実を示す~日本は寝たきり年数ワースト1位!?』●『どうなる? 日本の「死」と葬儀』

百歳学入門(156) 生死一如、生きることは毎日死に向かって行進中。 「生き急ぎ …

『オンライン/ベンチャービジネス講座』★『日本一の戦略的経営者・出光佐三(95歳)の長寿逆転突破力、独創力はスゴイよ④』★ 『国難に対してトップリーダーの明確な態度とは・・』★『終戦の『玉音を拝してー➀愚痴を止めよ。愚痴は泣き声である②三千年の歴史を見直せ➂そして今から建設にかかれ』★『人間尊重の出光は終戦であわてて首切りなどしない。千人が乞食になるなら、私もなる。一人たりとも首を切らない」と宣言』

  国難に対してトップリーダーはいかにあるべきか。 1945年(昭和2 …

no image
速報(395)『日本のメルトダウン』『米機関などへのサイバー攻撃、中国人民解放軍が』2月 19日 安倍首相への公開書簡-』

速報(395)『日本のメルトダウン』   ●『米機関などへのサイバー攻 …

『わがビッグファイト・フィッシング回想録②』鎌倉カヤック釣りバカ・筋トレ日記(2016/10/22)約1ゕ月ぶりに材木座海岸を午前7時過ぎにスタート。『さかなクンと遊ぼうよーぶつぶつ,ボケボケ解説中継だよ②』

●『いきなり竿をひったくり、ソーダカツオにぶち切られる。 残念、あとはカモメと遊 …

no image
速報(39)『日本のメルトダウン』54日目ー『後藤政志氏の福島原発最新報告と原発報道(動画ビデオ)』

速報(39)『日本のメルトダウン』54日目 ◎『後藤政志氏の福島原発最新報告と原 …