前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

生涯現役の達人・渋沢栄一(91歳)の晩年・長寿力に学ぶー「死ぬまで活動をやめないという覚悟をもて』

   

生涯現役の達人・渋沢栄一(91歳)の晩年・長寿力に学ぶ
 
                            前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
3・11ショック以来、政治家、経済人のリーダーシップが問われている。ちょうど88年前に東京を直撃した関東大震災(大正12年(1923年)9月1日)の時、『日本株式会社の父』,『財界の大御所』渋沢栄一は83歳。兜町や飛鳥山の邸宅、事務所は全焼した。
 
家族は老齢と健康を心配して埼玉の郷里に避難をすすめた。すると、渋沢は「バカなことをいうな!。わしのような老人は、こういう時にいささかなりとも働いてこそ生きている申しわけが立つようなものだ。それを田舎に行けなど卑怯千万な!これしきの事を恐れて八十年の長い間生きてこられたと思うのか。あまりといえば意気地のない」と怒鳴りつけた。
 
 東京復興計画の後藤新平(内相)と手を組んで栄一は早速、まだあちこち火の手があがる町に出て、財界トップとして全面協力し、陣頭指揮に立ちあがった。九月九日には商業会議所と国会とが共同で「大震災善後会」が発足させ、救済寄付金の募集や救護活動、被害状況の視察や罷災者の慰問など目の回る忙しい活動を老齢をものともせず続けた。

さすが、幕末、明治維新、日清、日露戦争の動乱と修羅場を切り開いてきた財界トップだけに、今回の東電や政治家、経済人比べてその決断とスピードは段違いである。

 
いうまでもなく渋沢栄一(一八四〇~一九三一)は日本ではじめて株式会社を作り、生涯、第一国立銀行(日本銀行)、王子製紙、東京瓦斯ガスなど500社以上を創立した『日本資本主義の父』である。平均寿命が40歳代という明治期に九十一歳という長寿を記録した『財界の大御所』として生涯現役を貫いた日本最高の偉人といってもいい。
 
私は3・11ショック以来、この「渋沢栄一の晩年突破力」に感激し、自分でできることは何かーと考えた末に、『日本のメルトダウン』(ガンバレ、日本)なるHPを立ちあげた。さらに、災害、原発事故の当事者に取材して動画で『youtube』で発信することを思いついた。即実行あるのみと、ビデオカメラ、三脚、パソコンなど30万円ほどで買い込み、福島原発の技術者からの動画取材を悪戦苦闘しながら4月23日にアップした。70歳前のネットブログビデオジャーナリストの再デビューである。

さいわい『youtube』からの反響は大きく、問い合わせ、リンクの要望が多くよせられた。
私の座右銘は『いまやらねば いつできる。わしがやらねばだれがやる』(平櫛田中)と『少なくして学べば壮にして為すあり 壮にして学べば老いて衰えず 老いて学べば死して朽ちず』(佐藤一斎)の2つで、このビデオジャーナリストは体力の続く限りやりたいと思っている。
 
ところで、渋沢翁の生涯現役・晩年長寿学を調べてみると、ますますその凄さに敬服の念を強くした。あれだけ公私両面で人の何倍も大車輪で生きてきた渋沢はもともと体はあまり頑健でなかったという。すぐに風邪を引く。腹痛をよく起こしでゼンソクもあった。

六十四歳から翌年に掛けての長患いでは一時危篤に陥り、徳川慶喜(最後の将軍)が駆けつけて手を握り涙をこぼす一幕もあった、という。還暦(60歳)や古稀(70歳)のころの栄一は、自分の寿命が九十を超えるとは毛頭思っていなかった、という。

 
それが『国難来るー関東大震災』ではあれだけの決然たる行動力と気概を示したのだから、その気魄には圧倒される。
関東大震災からから4年後。87歳となった渋沢は『健康法』についての新聞のインタビューにこう答えている。

「若返って元気になるには、不断の活動が大切です。つねに計画を立て、六十から九十のあいだに実行することです。同時に節制も大事で、活動が過度にならないように注意する。活動と節制とが、車の両輪のように調和してこそ、元気の要素がえられる。
 また精神的に、憂いかあってはいけない。現状に満足し、穏健で平和な毎日を送る。煩悩、苦悩、すべて快活に愉快にというのが、わたしの秘訣です。酒は飲まない、食物に好き嫌いはない。暇を見て経書(儒学の経典)を読むくらいですね」
 
この見事な教えを3つ目の『座右銘』としているこの頃である。
 
ところで、渋沢はなぜ長生きしたのか、彼の伝記を調べているうちに松浦玲『還暦以後』(筑摩書房、2002年)にその記述の一部があった。ちなみにこの松浦の『還暦以後』は晩年を如何に生きるべきか考え出す60歳以上のものには必読の名著と思う。
 
この『渋沢栄一』の項目によると、『渋沢栄一は、慶喜公伝の編纂を急がせた。慶喜公は高齢、自分も高齢、二人が生きているうちに仕上げようというのである。とくに栄一は「著者」なのだから、途中で死んでは本にならない。
 
 慶喜については、この危惧が当った。完成前の一九一三年(大正二)七十七歳で病没する。ところが渋沢はなんと九十二まで生きたのだった。
 健康とは言えなかった。すぐに風邪を引く。腹痛が頻繁で喘息もあった。約束を断り自宅や別荘で療養することが多い。

六十四歳から翌年に掛けての長患いでは一時危篤に陥り、慶喜が駆けつけて手を握り涙をこぼす一幕もあったようだ。還暦や古稀のころの栄一は、自分の寿命が九十を超えるとは毛頭思っていなかったのである』とある。長生きしようと思っても、これは自分の養生、節制ではどうにもならない天寿なのである。

 
渋沢の九十のときの日課を見てみると、午前六時から七時に起床。午前八時から八時半に朝食。午前九時から十一時まで読書し、午後は仕事で外出。昼食はとらない。午後五時から六時に帰邸し、午後六時から七時に夕食。食後は十時まで読書して、十時から十一時までに就寝する。ちなみに渋沢は、昼寝、仮眠などをいっさいしなかと、いう。
 
「老人になれば、若い者以上に物事を考え、楽隠居をして休養するなどということは、絶対にしてはいけません。逆に、死ぬまで活動をやめないという覚悟が必要なのです」とも語っており、一喝される思いである。
 
 
 
 
 

 - 健康長寿 , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

「Z世代のための『人生/晩節』に輝いた偉人伝』★『日本一『見事な引き際の『住友財閥中興の祖・伊庭貞剛の晩晴学①『「事業の進歩発達を最も害するものは、青年の過失ではなく、老人の跋扈(ばっこ)である。老人は少壮者の邪魔をしないことが一番必要である』★『老人に対する自戒のすすめ』 

  2010/10/25  日本リーダーパワー史( …

[ Z世代のためのAI(人工知能)を上回る天才脳の作り方②」★『世界の発明王」エジソンは小学校で先生から「成績が悪い、劣等生だ」と叱られれ、以後、小学校には行かず、母親から「百科事典」(今でいうならGoogle)を基に教育を受けた。天才、リーダーは学校教育では作れない』★『秀才、優等生よりは、落ちこぼれ、落第生の方が天才になれるのよ』 

2018/02/03『オンライン講座/独学/独創力/創造力の研究➄』  …

no image
百歳学入門(45) 『日本長寿健康参考文献決定版90歳代、100歳越えの歴史有名人の関連本一覧』

百歳学入門(45)    『日本長寿健康参考文献決定版 90歳代、10 …

★『鎌倉で名庭園発見!』-鎌倉で『桂離宮!』を体験できる「一条恵観山荘」★『古都鎌倉とは対極の370年前の一条恵観山荘庭園(国指定重要文化財)ー京都のみやび(雅)を伝える庭園』

鎌倉で『桂離宮』を体験する「一条恵観山荘」 ーその『優美な姿に感動す」 11月1 …

『世界漫遊/ヨーロッパ・パリ美術館ぶらり散歩』★『オルセー美術館編』★『オルセー美術館は終日延々と続く入場者の列。毎月第一日曜日は無料、ちなみに日本の美術館で無料は聞いたことがない』

    2015/05/18 &nbsp …

『Bathing in KAMAKURA SEA』<2011/3/11/福島原発事故4ヵ月後、『梅雨明けて夏本番、海よ!鎌倉材木座海岸のシーズン開幕-逗子市小坪沖でサバが大漁だった』★『15年後の鎌倉海は海水温の上昇で和賀江島、逗子マリーナ沖の海藻がほぼ全滅、磯焼けで根魚が激減している』

  2011/07/10/「3・11福島原発事故より4ヵ月」記事再録、 …

no image
知的巨人の百歳学(127)ー禅の達人・鈴木大拙(95歳)④『1945年8月『日本敗戦』の混乱をみて <言葉を言い換えて事実の本質忘れて、無責任となる感情的な行動(センチメンタリズム)を脱せよ。感傷的でなく、もっと合理的、論理的に考なければならぬーと警告した。。

日本リーダーパワー史(279)   『日本沈没・崩壊は不可避なのか』- …

『Z世代のための米大統領選連続講座⑱』★『米大統領選挙直前、緊急情報!(11月5日)』★『最後の世論調査結果では両者は「横一線」僅差で並ぶ!』

逗子なぎさ橋珈琲テレワークー「北斎流富士山ウオッチ」(11月5日am700) 前 …

no image
「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日本の新聞が伝えた日英同盟」③「協約は純然たる攻守同盟」-と加藤高明〔明治35年2月12日 時事新報〕★『常に『光栄ある孤立』を誇っていた大英帝国が、国を開きてわずかに四十年、欧米人の眼よりすれば小弱国、半開化の日本と一蓮托生の協約(日英同盟)を結んだことは、日清戦争、三国干渉、北清事変を通して日本の真価を認めたため』

  ★「日本の歴史をかえた『同盟』の研究」- 「日本の新聞が伝えた日英同盟」③ …

明日の台風7号の鎌倉稲村ケ崎ビッグサーフィンが楽しみだよ(23年8月9日)―この動画は台風2号通過後(6月3日)の稲村ケ崎サーフィンです。

明日の台風7号の鎌倉稲村ケ崎ビッグサーフィンが楽しみだよ(23年8月9日)―この …