片野勧の衝撃レポート(47)太平洋戦争とフクシマ⑳『なぜ悲劇は繰り返されるのかー 福島県退職女性教職員の人々(上)
2015/01/01
片野勧の衝撃レポート(47)
『なぜ悲劇は繰り返されるのかー
福島県退職女性教職員「あけぼの会」の人々(上)
片野勧(ジャーナリスト)
記録集『伝えたい 福島の3・11』
福島県退職女性教職員あけぼの会(以下、あけぼの会)は東日本大震災から2年2カ月後の2013年6月1日、記録集『伝えたい 福島の3・11』を出版した。
私はその記録集を会長の池田芳江さん(71)から贈ってもらって読んだ。怒り、悲しみ、悔しさ……が込められている1編1編(全部で119編)に私は心を動かされた。
さっそく、私は池田さんに会うために立川市から車で福島市上浜町の教育会館へ向かった。今年(2014)6月30日――。教育会館に着いたとき、時計の針は午後4時20分を回っていた。
池田さんは、その記録集発刊に際して、次のような一文を寄せている。
「私たちは東日本大震災と津波、原発事故がいかに過酷なものかを、身をもって体験しました。二度とこのようなことを繰り返してはなりません。…(中略)私たちは、この日のことを忘れることはできません。忘れてはいけない日です」
「この日」。2011年3月11日午後2時46分――。千年に一度といわれる宮城県沖を震源とするM9・0の大地震によって東京電力福島第1原発1、2、3、4号機はメルトダウン。そして水素爆発。チェルノブイリ原発事故に匹敵するレベル7という大事故を忘れてはならないと言う。
さらに池田さんは続ける。
「多くの人たちは着の身着のままで避難しました。避難場所も示されず、正確な情報も知らされずに高放射能の地域に避難した人たちもいました。病院や介護施設の人たちは置き去りにされ、その多くは高齢者でした」
学校に戻れない子どもたち
事故から4年が経とうとしているのに、今なお15万人を超す人たちが避難し、2万人近い子どもたちが県外に転出している。その上、狭い仮設住宅の過酷な生活はいつまで続くのか。事故収束の見通しも立っていない。池田さんは書いている。
「被災地の子どもたちはもとの学校に戻れず、慣れない学校で学び、被災地以外の学校でも、子どもたちは屋外活動を制限され、のびのびと学習活動ができず、体力の低下も見られます」
「8・15」。終戦の時、池田さんは2歳。戦争体験の記憶はない。しかし戦前、戦後、「あけぼの会」の多くの人たちは満足に勉強もできなかった体験を持つ。池田さんも学校に戻れない福島の子供たちを見て不憫に思えて仕方ないと言う。そして、こうも語る。
「あけぼの会双葉支部と相馬支部小高地区の会員も避難生活を続けています。ほとんどの会員は避難場所を転々としました。誰もが長年、生活を積み上げた場所で、老後は穏やかに過ごそうと思っていました。このような生活を強いられるとはだれが思ったでしょう」
「骨になっても家に帰れない」
「あけぼの会」は大震災から3カ月後の2011年6月に県総会を開いた。県外に避難している会員も出席していた。その中の一人が語った言葉。
「私は骨になっても家には帰れないと思います」
墓には放射線量が高いために立ち入ることができない。本来なら、生まれ故郷に納骨されるのに、避難区域になっているために埋葬できない――。この悲痛な言葉を池田さんは一生、忘れられません、と言った。私は尋ねた。
――避難している人たちの中には故郷に戻ってきている人もいるようですが……。
「確かに一部、戻っています。しかし、多くの人たちは戻れないのではないでしょうか。戻ったとしても、同じ敷地内で親と子が別々に仕切られていたりして、以前のような一家団欒の雰囲気はありません。また同じ町内なのに、指定区域されたところと、そうでないところでは補償も違ったりして、新たな課題も持ち上がっています」
原発事故は家族の絆や地域のコミュニケーションを奪った。今、一番の課題は人と人とのコミュニケーションと池田さんは言う。さらに言葉を継いだ。
「環境相(当時)の石原伸晃さんは『あとは金目でしょ』と言いました。ホントに私たちをバカにしていますよ」
福島第1原発事故に伴う除染廃棄物の中間貯蔵施設建設をめぐる福島県側との交渉について語った言葉だ。池田さんは札びらで被災者の頬を引っぱたくような物言いに怒りを込めていた。
人類と核は共存できない
「あけぼの会」は1987年から毎年「反核・軍縮・地球を守る県集会」を開催し、「人類と核は共存できない」「負の遺産を残さない」という思いを一つに、原発に関する学習や行動を行ってきた。
しかし、原発事故は起こった。見えない放射能は大気、土壌、海洋を汚染し、人々から土地や住まい、働く場を奪った。
「この事故を引き起こした責任をうやむやにするわけにはいきません。未だ原子炉内の状況もわからず、事故収束の見通しも立たず、福島県民は怒っています。にもかかわらず、政府は大飯原発の再稼働を認めました。福島に住む私たちは、原発事故と向き合い、多くの皆様と連帯し、『脱原発』にむけて行動していきます」
こう語る池田さんの言葉を聞いていて、私は破局的な原発事故の中で、いま何が問われているのかを感ぜざるを得なかった。
「そして」と池田さんは遠くを見つめながら、続けた。「もし、原発事故さえなければ、こんなことにならなかったのに……」。
外はすっかり日が落ちていた。私は池田さんと別れて、福島市内の宿泊先に向かった。私は車を運転しながら、池田さんの遠くを見つめる視線は何だろうと、考えた。その視線は、安全神話にどっぷり浸かって安全対策を怠ってきた東京電力と歴代政府に向けられていたのではないのか、と思った。
96歳の避難生活
同じ悲劇を繰り返してはならない――。
私は、この記録集に引き込まれた人がいる。その一人、志賀ヨシさん。大正7年8月24日生まれの96歳。彼女は避難生活のことを、こう書いている。それは短文だけれども、私の心を揺さぶった。
翌7月1日。私は志賀さんに会うために福島県いわき市泉ヶ丘へ。午前11時30分を少し回っていた。
「耳がちょっと遠くなってね」
聞こえにくくなった耳に神経を集中させながら、ヨシさんは語り始めた。
「私は浪江町樋渡で生まれ育ち、ずっと浪江町で生活してきました。車の運転も92歳までやっていましたが、家族が心配するので止めました。その代わり、死ぬまで好きな絵を描いて楽しもうと思っていた矢先に、この原発事故です」
ふるさとで生活し、浪江で死にたいと願っていたヨシさん。しかし、その夢ははかなく消えた。
「でも、泣き言ばかり言ってもしようがない。避難先の二本松市の100円ショップで絵具を買い、絵を描き始めました。その後、調子が出てきたので、50号のキャンパスを購入し、安達太良山の絵を完成させました」
避難先で絵を描けた喜びをヨシさんはこう表現した。さらに続けた。
「息子は99歳までがんばれと言ってくれていますが、私は100歳までがんばります。目標は100歳展です」
平和って、いいな!
ヨシさんが歩き続ける「絵画の道」――。「平和って、いいな! この年になって絵が描けるなんて思わなかった」と言って、戦時中の辛い話をし始めた。
「私は国のために死んでもいいと思っていました。ですから、消防団から防空壕に逃げろ、といわれても逃げませんでした。でも、爆弾が落とされた時は、怖かったです。その時、お腹は大きかったです」
――どこで空襲に遭ったのですか。
「浪江でした。よく戦闘機が飛んできました」
テーブルの真向かいに座っていた長男の雄一さん(73)は口添えした。「そのころ大熊町夫沢に磐城飛行場がありました。そこをアメリカ軍の戦闘機に狙われたんです。私が4、5歳の時です」
原発の地に眠る軍事要塞
8・15敗戦までの間、軍事要塞化していた、その磐城飛行場跡に立地したのが東京電力福島第1原発である。しかし、当時の住民は磐城飛行場の実態をほとんど知らなかった。いや、知らされていなかったというのが実態だろう。
――昭和15年(1940)4月、国家の命令によって突如、陸軍で飛行場建設を決定。住民11戸は移転させられた。地元の青年団、消防団、大日本愛国婦人会、学徒などが勤労奉仕させられ、半ば強制的に工事が進められた。
昭和17年(1942)の春、宇都宮飛行学校磐城分校として発足。昭和20年(1945)2月、磐城飛行場特別攻撃教育隊として独立。20代の青年兵士たちは日夜、猛訓練を強いられ、お国のために戦死し、「軍神」に祭り上げられたのである。
「たくさんの青年兵士がおりましたけれども、何のための訓練だったか分かりませんでしたね」とヨシさんは言う。
戦意高揚のために戦死者を「軍神」とたたえても、戦争が終われば放置するのが、この国のやり口。特定秘密保護法が施行されれば、防衛や外交、スパイ・テロ防止と称して、原発や軍事に関する情報は封印されてしまう恐れがある。
大臣や官僚らは自分に都合の悪い情報を隠してしまう。これはまさに「戦時体制」そのもの。秘密体質は昔も今も全く変わっていないのだ。
つづく
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