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高杉晋吾レポート⑲ルポ ダム難民③超集中豪雨時代のダム災害③森林保水、河川整備、避難,住民の力こそ洪水防止力

      2015/01/01

高杉晋吾レポート⑲
 
ルポ ダム難民③
超集中豪雨の時代のダム災害③
森林保水、河川整備、避難,住民の力こそが
洪水防止力になる。

                                        高杉晋吾(フリージャーナリスト)

 
    三条市の巻

 
新潟県、五十嵐川と信濃川合流点、河川改修の現状をみる
 新潟県による河川拡幅はここから下流3.9キロまで信濃川合流点までである。月岡という町があった。諏訪と並んで低湿地である。この町も水浸しになった。此処が新潟県によって河川改修が行われた最上流の地点である。
 五十嵐川の左岸を少し行くと、信越本線を通り抜け四日町、由利町、島田という地域(写真左、ここはかつて住宅密集地帯であった)に出る。御蔵(おぐら)橋のすぐ下流である。
御蔵橋を右手に見ながら土手から河川敷にでる。対岸は本町。昔は中心街で栄えた町だ。今見える御蔵橋の橋げたで言えば岸から二本目。三十メートルほど川の中の橋げたのあたりまで住宅密集地だったというのだから、今の河川敷光景を見ていると、つい先ほどまで住宅が立ち並んでいたということが信じられない。
人びとは恐ろしい所に住んでいたものである。そのままであれば住民は、今回の水害で悲惨な大被害を受けていたところである。だから2004年7月13日の水害の後に、住民は激怒し、徹底してダム優先、河川整備無視の行政の治水政策を批判した。
その批判の激しさは、もし私がその当時の市長だったら批判に耐えきれず、ただちに辞職しただろうと思われるほど激烈なものだった。その住民による批判の結果がこの河川整備となったのだ。
急なボロボロのコンクリートの階段を河川敷に下りる。
この階段、急な斜面である上に、手すりはないわ、階段がひどく小さく刻まれているわ、で私のような78歳の老人が降りるには甚だ怖い階段だ。『何だこの年寄りを無視した階段は!』等と、ぼやきながらやっと降りる。
対岸の本町に大きな病院がみえる。河川敷に降り、下流をみると2―300メートル下流に五十嵐川が他の川にT字型に合流する地点がみえた。それは、信濃川との合流点であった。このあたりの河川は県営管理区分になっている。
芳賀三男さんが説明する。 「前回の7.13洪水のときまでは、この河川敷はほとんど由利町の住宅密集地帯だったんです」。 三男さんは御蔵橋から、下流の信濃川合流点までを指さしながらそう言った。わずか三・四年前まで、この河川敷が住宅密集地帯だったというのは信じがたい。だが実際にそうだったのだ。今は静かな河川敷であり、私には此処がつい最近まで住宅が密集していた地帯だったことは、言われてもすぐには理解できない。数年前とは全く違う光景を私は見ているのだ。
五十嵐川下流の河川改修、県の努力に頭が下がる、しかし::
三男さんがいう。「7・13水害までは河川敷の中も、土手の高さまで家がいっぱいでしたね。」
私には、そんな光景は別世界の話のように思える。今は「いっぱいあった家」は消え去って静かな河川敷が私の目の前にたたずんでいるだけだ。
私は、しばらくこの光景を見続けていた。新潟県行政、そこに携わる人々はこの河川敷を作るためにどんな努力をしたのだろうか?
芳賀三男さんは淡々と話している。「7・13水害まではこの河川敷に住んでいた人たちは『立ち退いてください』という県の提案には賛成しなかったんです。何度も県は説得したようですよ。でも住民は立ち退きには反対したんです。前回の大水害で、家が流されるわ、水没するわ、というひどい経験をした結果、県の言い分が理解され、それで住民は立ち退きに賛成したんです」
私は、立ち退きを求められても、長年住み慣れた住宅や地域から立ち退きたくないという住民の心情は当然だろうと思う。だが、そういう心情を理解しながらも、立ち退かない場合の惨状を見通して反対する住民を説得した県行政の努力についてもようやく理解できた。この県の努力を無視しても軽視してもならないばかりか、頭が下がるような努力だと思える。
私がそういうと三男さんは、「そうですよ。立ち退きを中国の三峡ダム事業のように国家強制による『出て行け』方式はとれませんからね」といった。
私は、この問題に対する評価は、公平で冷静である必要があると思う。この河川改修事業は、県が行ってきたダム至上主義と、その中で無視されてきた河川整備事業に対する住民の批判があったからこそ、その批判に押されて進められた事業だということである。その後、いくつかの事情が調査の結果、分かってきた。
住民が激しい意見を三条市に提起したからこそ、それまでの政官財のダム至上主義ではなく、住民の意見に発する森林整備、河川敷整備の事業こそが優先されたのである。
国の治水政策の予算付けにダム至上主義、河川整備無視ないしは軽視の事実が露骨に表れている。国も行政も森林保全と河川改修につけるべき予算を放置して、ダムにのみ予算を付けるシステムを作っているのである。
国の河川改修事業の予算は河川改修事業とダム建設に分かれている。そしてダム優先の予算付けとなっており、河川改修事業は堤防強化や改修が社会的に問題化されてから後の「ことのついで」という予算配分の格差=「個所付け」によって行われている。(日弁連、「意見書」参照)私の胸の中では、目の前の河川改修事業の跡をみながら、そういう確信が広がって行ったのである。
7・13水害後の様々な行政行動と市民
一つは、2004年7月13日の水害後に三条市民からとられた水害に関するアンケートの内容だ。アンケートに対する意見は1500人近い回答が寄せられている。
この内容は
「治水のために作られた笠堀ダムと大谷ダムが洪水から自分たちを守ってくれると信じてきたが、実際は守ってくれないどころか、激しい放水によって、洪水を激化して市民に甚大な被害を与えた」というダム批判である。
また、「この水害の際にとられた当時の市長など行政責任者の洪水警報措置や、避難措置の無責任さと無能さに対する怒り」である。つまり、国家の治水政策が巨大資本の利権となるダム建設を至上課題として、住民の命を守る森林、河川の整備を、怠ってきたことへの批判なのである。
このアンケートのほとんどは、行政の治水政策に対する激烈きわまる批判に満ちている。現在の福島第一原発に対する怒りが、2011年9月19日の6万人大集会に象徴される国民的怒りに結実した事実に極めて似ている。
二つ目は、その後、この批判を受けて、県による五十嵐川河川改修計画によって行われた由利町付近の住民立ち退きの実行結果である。私たちが見た五十嵐川と信濃川合流点の由利町等付近の河川改修と住民立ち退きの成果が、洪水に対する五十嵐川の治水効果を高めたという住民の信頼回復効果は決して見逃せない。
数十軒、数百軒の立ち退きを求め実行した県の英断は、政界や財界、官界の下請けのようなお役人の有様を徹底して批判している私にも、果断な行為であり、成果だと理解できる。私はこの河川改修効果を目指した行政の最近にない努力に惜しみのない拍手を送る。この成果は、決して過小評価してはならず、大きく評価すべきだと思う。
しかしこのように新潟県の河川整備を評価するからと言って、間違えてはならない重要な観点がある。
忘れてはならない、住民の批判が県を河川整備に動かした
この県の努力は効果を上げた。だが、この効果は『ダムが洪水から住民を守る』とダム建設一点張りで山林の保水力整備や、河川改修を怠った「ダム至上主義」の効果では全くないという事実である。
この新潟県河川整備の成果は、従来のダム至上主義、河川整備無視の治水政策を住民から激しく批判され、『住民の命を守ることを優先し、住民の意見に従った河川整備事業を治水史上初めて県が行なった結果生まれた成果である。
熊本県球磨川でも住民がダム批判と森林と河川整備の主張を強烈に行った結果、「荒瀬ダム撤去、川辺川計画の輝かしい中止」という成果をかち取った。
私の見解では、「住民の意見によって行われた河川整備」こそ、今回の大洪水の中で最も重視しなければならない総括点である。だが県はこのことを総括していないように見える。河川整備と森林保水力の再生を住民の意見にしたがって進めると、ダムなどはなくても大半の洪水を防ぐことが出来る。そのことを忘れると、ダムは依然として有害な結果を齎し続けるだろう。
芳賀誠一氏、夫婦で営々と築き上げた工場、一億五千万円の被害
午前8時半、宿泊した新幹線燕三条駅前のホテルニューグリーン燕三条を芳賀三男さんの車で出発した。国道289号線を東へ。石上大橋を渡る。この付近も今回、2011年7月末の大水害でかなりな浸水があった。だが河川改修のおかげで大被害は免れた。
南四日町の芳賀誠一氏の工場は低湿地であるために被害を受けた。南四日町は五十嵐川から、約一キロほど離れた信越本線三条駅付近の町である。此処も長年にわたって夫婦で築き上げた工場が水浸しになった。被害額は一億三千万円だという。
洪水多発のデルタ地帯、景観の岩山、八木が鼻
(写真左、下田地区の景観の象徴、八木が鼻)  江口、萩堀上流、道の駅漢学の里を目指して島田町、由利町、等、立ち退きをした地域を対岸に眺めながら、芳賀三男さんの車で一路289号線を東へ。やがて国道東三条駅付近で南下する。諏訪地区の渡良瀬橋鉄橋の橋脚には洪水で流された流木が巻きついてコンクリートの円柱の下部に引っかかっている。
土手の下には大きな土嚢が並べて積まれ、土手は崩壊し、河川は砂利が流出して岩盤がむき出しになっている。午前9時、 ふーど工房ゆうこ、五十嵐祐子さんに紹介されて「下田直販所」三条市庭付に、近藤洋子(ひろこ)さんを訪問した。
この地域の説明をしておこう。
五十嵐川は福島県会津郡只見町、新潟県三条市と魚沼市との境目付近にある守門岳の東北東4キロ付近《《越後三山国定公園》に水源がある。この水源9キロ下流に大谷ダムがある。笠堀ダムは大谷ダムの東北東2キロ余、五十嵐川から分かれた支流笠堀川に設置されている。
笠堀川と五十嵐川が合流したあたりの新丹楓橋(しんたんぷきょう)から下流は曲がりくねりながらも北北西に下る。そして、五十嵐川は東から流れてきた駒出川に合流し、そこでほとんどゆるいL字型に左折する。
そこは長野という地区であり、此処が駒出川と五十嵐川、ほとんど同じ場所の少し西に守門川が五十嵐川に合流する。このほかにも北五百(きたいも)川、南五百(みなみいも)川等もこの長野という地点で合流し、県の水位観測点があるいわばデルタ地帯なのである。
このあたりに八木が鼻という平地にいきなり険しい崖を持った岩山が天狗の鼻のようにそびえたっている。それらの極めて特徴を持った山や川の光景がこの長野地区の特徴を引き出している。観光的には素晴らしい光景を持った地域であるが、いかにも水害多発地帯の光景でもある。
そのすぐ下流に『漢学下田の里』があり、其の下流1キロメートルあたりに鶴亀橋がある。これらの幾つもの川が五十嵐川北側の岸にぶつかるのであるから素人眼にも水害を予想させる地形である。
白鳥の里森町、「用水路危険の予感が当たった」
9時過ぎに、道の駅『漢学の里しただ』に着いた。この道の駅は普通の道の駅ではあるが、駅名が風変りであるだけではなく、広い敷地内にアカデミックな雰囲気を漂わせる「漢学の里」という茶褐色の立派な建築がある。
これは下田が大漢和辞典の編纂者である諸橋轍次博士の生家であることを顕彰して建てられた「諸橋轍次記念館」である。この記念館のネーミングが単なる観光誘致や買い物客の単純な慾に働きかける浅い名前付けではないので、却って観光客の興味を深めている此処の事務室で私を近藤洋子(ひろこ)さんに紹介してくれたふーど工房ゆうこ《新潟名物「笹団子」にエコの新風を吹き込んだ》脱サラの五十嵐祐子さんに会った。
この笹団子は、地元の言葉で言えば、ごぼうの葉(ごんぼっぱ)をゆでて砕いて餅に入れる等の新工夫をした。笹団子の名前はきんぴら笹団子というのが通称だ。これ又,とてもおいしいが一風変わった個性派でエコな笹団子を作りだし発展している。
私が、下田に何とか人脈を求めてインターネットをひいた結果、下田のふーど工房ゆうこを探り当てたのである。その結果、五十嵐祐子さんにご紹介いただいたのが、今回の調査で最高のコーデイネーターとなった近藤洋子さんである。名刺の肩書をみると下田郷地域コーデイネーター、余暇ナビゲーターとある。地域の人々を結びつける興味深い仕事だ。
近藤さんの車で早速、小島文男さんを森町集会所に訪れた。
隣家が流された、森町集会所に泊まり込み、洪水対策
小島さんは森町自治会の会長であり、五十嵐川漁業協同組合の総代だ。小島さんは五十嵐川の鶴亀橋付近には集まる白鳥の餌付け等の世話をしている白鳥を愛する会の代表でも(写真左、五十嵐川崩壊光景)      ある。白鳥の餌付けは五十嵐川、鶴亀橋のすぐ下流右岸でやっているが、この餌付の小屋も水害で流されてしまった。白鳥餌付け小屋があった跡付近の五十嵐川の岸辺は、激しい洪水でテトラポットが流されて、激しい洪水の流れで漂着し、ガシャガシャに叩きつけられ堆積しているように見え  る。これが森町集会所までの水害被害の生々しい光景であった。
森町の集会所は五十嵐川にかかる鶴亀橋の右岸、白鳥の餌付けを小島さんがやっていた小屋の裏手にあった。餌付けをやっていた小屋付近には大量の土嚢が積まれている。 和室で卓を挟んで、恰幅の良い小島さんは柔和に語る。
小島さんは「私の親は魚釣りが大好きで、川のそばが良いというので川のそばに住んでいます。今までは洪水でも床上浸水はなかったです」という。
『今回の洪水では7月28日から洪水が激しくなっていましたが、私は家にいました。7月29日には水量が少なくなって、やれ安心と思っていました。所が7月30日の朝、4時30分頃、どうッと隣の家が流されたんです。流されるまで何秒もかかりませんでした。私としては森町の自治会長という立場がありまして、資料が流されないように自治会経費の帳簿等を二階に上げていましたが、危険なので書類を持ち出して集会所に避難しました』
小島さんは、それから集会所を仮住宅にして洪水被害対策を必死で行なった。「ダムはいけないねえ。県はこの問題では何もしてくれないよ。市は仮設住宅や緊急食糧の配慮をしてくれましたがね」と小島さんは怒りをにじませる。
噴流する土砂、風圧が主婦を弾き飛ばした
私たちは午前10時頃、牛野尾地区副自治会長の熊倉直信さん(63歳)を訪れた。彼に会った場所は牛野尾ふれあいセンターという集会所である。
牛野尾地区は、魚沼市と三条市の境界にある守門岳《1637メートル》から五十嵐川に向けて北に流れる守門川左岸の地域、大谷ダムから約4キロメートルの地点だ。
私が感動させられたのは、この地域の住民の協力し合う力である。その住民の力を洪水のさなかにまとめ上げて熊倉さんの地域リーダーとしての献身ぶりにも圧倒される。
(写真右、土砂崩れで崩壊した守門川近辺の民家)「牛野尾地区には、右岸の四キロくらい東から、新しく作られた農業用の牛野尾用水路が流れて入ってきます。その用水路が、豪雨で溢れるんです。百年に一回の増水を考えて作られた水路だったんですけど、竣工式が行われた去年の12月にやったら、今年の六月に水害で溢れた。用水路を、やっと復旧したら、今回の水害でまたあふれました。」
 熊倉さんは洪水の場合、用水が危険だと感じていた。牛野尾地区では沢から増水した場合、住居地区に流れず、守門川に流れるように状況に応じて開閉されるようにいくつかの堰が作られている。熊倉さんは、増水し始めた用水路の水が守門川に流れるように堰のゲートを開け始めたが、増水が激しく、手に負えないようになってきた。
熊倉さんは雑貨店を営む藤崎節雄(ときお)自治会長と一緒に、山沿いの危険個所の住民への避難を伝えて歩いた。
一軒の危険個所の住宅に駆けつけたときである。背後の沢でめりめりっと木の裂ける音や岩や立ち木や土砂が崩れる轟音がした。
その家の中に主婦がいることが分かっていたので熊倉さんらは大声で「逃げろ!」と叫んだが、山の崩れる音で、叫び声はかき消された。
家の中にいた主婦も山の轟音に気がついて、真っ青になって玄関から走り出した。その時である。彼女が山の方を振り返ると、巨大な山が、木立のまま、噴煙としぶきを上げて、ものすごい勢いで崩れてきた。次の瞬間、彼女はその土砂崩壊の風圧で弾き飛ばされ、熊倉さんの近くまで飛んできて肩を激しく打った。その人家は土砂が流れ込んで押しつぶされた。彼女の隣家も周辺の家も土砂で押しつぶされた。
危険個所の住民は、動けない年よりを背負って、すべてこの牛野尾ふれあいセンターに逃げ込んだ。「ここまで来ることが出来ない人は、比較的安全な雑貨屋さんや、近くの農家に避難しました」
「住宅が流されるぞ!守れ!」重機の総動員、住民の力
だまって聞いていた近藤洋子さんは、私の顔を見ていたずらそうに笑って言った。
『ねえ高杉さん。このあたりのお年寄りは並みのお年寄りとは違いますよ。農業で鍛えていますからねえ!』
近藤さんによれば、この地域では80歳に近い人も水田の作業を日常的に行っている。老人といえども農作業で鍛えた人が多いのである。私は「寝たきり」とか、杖をついて歩いている年寄りのイメージがあったのだが、ここでは、そんなイメージは通用しないようだ。
だが、住民たちの一致した協力と、緊急時の熊倉さんのような実質的なリーダーの存在が緊急事態における地域住民の災害時における鍵である。私にも、そのことが痛感された。熊倉さんたちにとって困ったのは洪水によって、あらゆる情報が途絶えたことである。 守門川沿いの牛野尾より上流の集落は、濁沢、早水、律谷、遅場等である。それらの集落は洪水時には牛野尾以外は停電し闇の中であった。
「電気がない。電話が通じない.食べ物、灯火、紙おむつ、ミルク、トイレットペーパー、衛生用品、介護を要する老人の数。これらを人数掛ける七日分を自分が自衛隊県の供給を求めなければならなかったですよ。」
熊倉さんはその時のことを思い出すように溜息をついた。「いやあ、携帯も中継基地が壊れて通じない。住民が直面しているすべての問題が私の所に集中してくるんですよ。結局は私の体重は洪水が終わった一週間で7キロ以上は減っていましたよ」。
ちょうど健康診断の時期だったので病院で測ったら何と7キロもやせている。私は体重が減っているのは知っていたので驚かなかったが病院側はびっくりして『貴方の体重が異常に減っている。もしかして体重計が異常なのかも知れませんが::』と聞いてきた。
私は『大丈夫です。私の体重は洪水対策で動き回ったから減っているんです。体重計の問題じゃありません。』って言いました。そのくらい洪水の間に私の体重は減ったんです」

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