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地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

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『オンライン講義/140年前の外国新聞 (フランス紙『ル・タン』)がズバリと指摘した<死に至る日本病>とは』★『①論理的な学問なし②記憶力、詰め込むだけの教育③理性的学問では小学生レベルの無能な学者を量産④優柔不断で論理性のない人間ばかり⑤新しい状況に適応できない、実際的な良識にかけた人間を作っている』

   

(記事再録)

1874(明治7)年5月23日付 フランス紙『ル・タン』

報道の『日本便り」

<140年前の日本人分析―日本の政治、教育の欠陥を

ズバリと指摘>

現在も延々と続く政治混乱と教育貧困の

日本の死に至る病>

 前坂 俊之(ジャーナリスト)

日本人の欠陥・・『日本病』とは

① 彼らの理解力の鋭さとすばやさは.驚くべきものだ。また知識が欠けているわけでもない。その教育は確かに初歩的なものだが、きわめて大規模に、くまなく十分に普及している。大変貧しい娘ですら.小説を満喫している。

② 日本人には何が欠けているのだろうか?彼らに欠けているのは.論理の技術だ。そしてそれは.人類の精神が中国的とアーリア的の2つに分かれるという,われわれにとって重大な結果をもたらす問題がない限り、1つの方法なのだ。彼らの教育制度は.ただ記憶力だけを対象としている。

③ 頭脳は無秩序、無分別に中国古典一式を詰め込み.覚えることができることはすべ暗記し,歴史学は日付を覚えること.教学は計算方法を覚えること,論理的な学問は全くない。

④ 逸話の収集.あるいは政令の編さんがすべて。それが師弟にとって理想なのだ。かつての大君による変化のない統治は.人間の自立の発展を停滞させたが,同時に理性の発展を停滞させた。

⑤ それは.理性的学問の分野では.小学生と同じくらい無能な学者を作ることを目的とした,計り知れない政策だ?たように思える。われわれがあまりに長くスコラ哲学にはまり込んでいたのと同じように,日本は中国的教養主義にはまり込んでおり.依然として自らのルネサンスを待っているのだ。

⑥ こうした制度が人々の精神の中のばく然とした優柔不断で不完全な事実を必ず残してしまうことは.容易に理解できる。さまざまな事実を脈絡なく押し込まれれば.論理的な能力はなくなり.たどたどしい物言いが同じ言葉のくり返しに変わるだけで.成熱することはない。

⑦  学校を卒業するときには,新しい要素に同化できない,古い要素でできた欠陥のある精神になっており.その性格に応じて半睡状態か妄想状態に陥る。そうした人物には.実際的な良識が欠けている。

1874(明治7)年5月23日付 フランス紙『ル・タン』

日本便り 江戸 3月30日

嵐が日本を吹き抜けた。内閣の長・岩倉具視によってあおられた嫉妬心.朝鮮との戦争の口実,いくつかの国内の不満は,南部で力によって倒すしかない内乱を引き起こした。反徒はその同盟者に相談することなく血気盛んに自己表明を行ったものの,党派の主だった長が態度を保留したため.その動きは佐賀の小さな町で全く孤立し.その地で天皇の軍隊はある種の勝利を得た。(佐賀の乱)

はっきりしない戦闘の後で,反乱軍は自分たちが支持されていないことを知り.解散を決意した。そして完全に姿を消したために1人も捨身にならなかった。正規軍の長として派遣された天皇の従兄弟は.容易に得た栄光に包まれて帰遷した。暴動の起こった地方は静まり,あらしは去った。

もうその思い出と,多分考慮すべき教訓以外は残っていない。公的な世界は安定を取り戻した。人々はそれを喜んでいるが,それはもっともなことだ。なぜならもしその動きが悪化して内乱になっていたら.すでに非常に骨の折れるものとなっているこの国の発展が完全に停止した可能性があったからだ。

だが発展を促進することが.この国のあからさまな目標だった。党派の長がその声明書の中で要求したものをご存じだろうか?それは議会の開設だ。この案は確かに真剣に検討するだけの価値があり.ともかく国家評議会でも討議されたが.結局、最終的でないにしても少なくとも一時的には否決された。われわれは日本の君主政を絶対的な専制政治で.ただ1人の意思の前にすべてがひれ伏すと考えがちだが,実際は全く違う。

その唯一の意思というものは,存在しない。なぜなら元首自身が,その側近のしばしば矛盾する影着力の完全な支配下に覆かれているからだ。さらにもしその唯一の意思が存在したとしても.憲法ほど強力ではないにしろ.いかなる憲章よりも強力な1つの伝統.すなわち世論の尊重の前に砕け散ってしまただう。

われわれヨーロッパ人は.自分たちだけが国民の意見に従って統治を行うという秘密を保持していると思い込んでいる。しかも秘密の漏えいを恐れて,それを役立てようともしないくらいしっかりと保持している。しかし極東にもまた独自の国家体制の秘密があるのだ。

そしてそれは理想的な保証の点でわれわれの込みいった制度よりも劣るとしても.実際的にはより悪い結果をもたらすことはない。それは.ひとことで言えば.家父長的統治だ。「ああ,彼はなんと偉大だったのか。彼は民の父だった」と.
中国の賢者は言った。「まず皆が苦しむことを避けるために.それを調べよ。後家.孤児,捨子にはとりわけそくいんの情を示せ。それが.思いやりのある政治の根本だからだ」と。権現様の法も育っている。私は歴史に残る実例や引用句を無限に増やすことができる

だろうし.またわれわれに法律があるように.ここには国家体制にかかわる遺徳が存在することが一様に証明されるだろう。

それは守られているのだろうか?それが肝心だ。もし守られてなければ,どうなる?と.私にお尋ねになることだろう。ではもしあなたがたの法律が破られたら,どうなる?と,今度は私が尋ねることになるだろう。

法律と道徳という2つの言葉を対置したからには,次のことを言っておく方がよい。それは日本人の精神にはその2つの言葉に対してわれわれが感じる違い.より適切には対照は,ほとんど感じられないということだ。それは権威が父権的な性格であることの直接的な結果の1つだ。

国家と同様,家庭においてもなすべきことと.なすべきでないことは最上位の支配者の意思によって決められる。

彼が命じることが善であり.彼が禁じることが悪なのだ。子供は.盗みと,本をインクで汚すことが等しく禁じられている場合.その2つの行為を区別するだろうか?日本人も同じなのだ。無帽での外出の禁止と.加重窃盗とは日本人にとり.多少の違いはあるにしても.決して明白な違いではない。

ヨーロッパで広く見られる代議制との比較

 自らの政治的な諸権利を行使するための第1条件は.その自覚を持つことだろう。国民の意思表明を組織するためにも.自覚が必要だろう。その点に対して.日本で議会設立の考えを促進している者たちは熟考が足りなかったのだ。

この提案は今回はじめて行われたのではない。この提案は1868年にまず2度と再現されることのない結果を生んだ。当時は天皇を事実上の主権者として復活させた革命の直後で.ヨーロッパで広く見られる代議制を自分の国に導入する時期に来ているだろうかと自問するような気分が一般的だった。

合衆国のようにコングレスと名付けるか,イギリスのようにパーラメントと名付けるか?そこで困難が始まった。マキャベリ流の古くからの教育制度によってぼけてしまったかつての大名や公家たちの側は上院を構成する能力がなかったし,他方農民.商人.義人という民衆の側は.政治的な話しを聞いたこともなく.受動的な服従以外の権利があることを推測したこともなかったので.理にかなった選挙というか選挙自体を求めることが難しかったのだ。そこで折衷案が選ばれた。危険や危険が課す経験を伴う革新を真剣に受け入たい場合はそうなるものだ。

かつての地方国はそれぞれ重要性に応じて1人から3人のサムライを.原則的にはその地の大名が選んで選出することになった。実際にはその代議士たちは,1868年の革命の指導者たちによって選ばれた。

諸侯の主だった家老(封臣)の中で量も影響力があり,その部族や最も人気のある人物だった。彼らは民意を.それが代表され得る範囲で代表していたと言うことができる。

彼らは議事院という名の議会を構成した。その創設の目的は政袷的問題について国民感情を知ることと.その意見を聞くことだった。その人教には定員があった。その仕掛については.定まってはいなかったが.今日悪名の高い,受任者の判断に任せるという不都合に陥ることはなかった。各大名はその方がよいと判断したとき.つまり宮廷から命じられたときは.自分の国の代議士を召還することができたのだ。

ごらんのとおり.これは議会というよりむしろわが国の往時の一般三部会の一種だった。彼らは絶対、政府が好むような御しやすい評議員であり,人は彼らの気まぐれに服する必要なくその苦情に耳を傾けることができ,またわずらわしくなったり役に立たなくなったら龍免することができるのだ。

議事院は1868年に当時まだ天皇が住んでいた京都で結成され,1869年に元首と共に江戸に移って居を構え.そこでまさにイギリス下院やドイツ議会のように国家の長によって厳かに開院を宣言された。

その最初の会期は,西洋の数か国でも注目された。しかし皆さんがご存じの.モンテスキューの時代と変わらないおめでたさで「もしペルシヤ人になれれば」などと常に自閉している.わが国の同業各紙には注目されずに終わった。

不幸にもこの類のない議会にお目にかかることはなくなった。まもなく政府の見解と代表たちの願望の間に非常に際だった対立が現れたからだ。

国際関係の発展に都合の良い諸提案が受任者の間からあからさまな抵抗を受けた。彼らはまさに宮廷が外国人に対して戦争を行っている時期に選ばれた者たちで.政府が信念を変えたときも,自分たちの最初の信念に忠実なままだったのだ。

ヨーロッパ人に対する.また導入された急激な変化に対する明らかな敵意によって議事院は.一種の服従を知らない帝国議会になる運命を余儀なくされた。国土の新しい区分は.議事院抜きで決定された。

またハラキリ(腹を割くこと)廃止提案209人中200人の反対を受け.両刀差しの禁止が230人が全員一致の票決で拒否されたとき,この自称議会は政府の改革計画を補助することができないと判断され,無期限に延期された。

そして再開されることはなかった。それ以来はっきりと廃止されたのだ。なんの華々しさもなく生まれ.静かに生き.種やかに死んだのだ。

かくも容易に国民の代表をその芽のうちに積み取ることができたということ自体.民衆の精神がそれを求めていないという逆の証拠すら示しているようだ。

ところでその点については.良民の必要を本当に自覚した改革でない限り良い改革ではないということだ。民主的統治という形態は民主主義国にしかなじまず,議会という形態は法に対する造詣の深いい国民にしかなじまない。

私は先に,法の権威からの独立と権威に対する優越に関して,その概念が依然としていかにあいまいな状態で揺れ動いているかを述べた。民主主義に関しては.そのいかなる兆候も存在せず.たとえ、いっかそれが出現するとしても,現在の日本は,それがよって立つべき土台.すなわち啓発され自立したブルジョア階級を欠いているのだ。

古い身分制度は.その法律の中に依然として姿をとどめ.法律の中からそれを排除するのは一朝一夕のことではないが.風俗慣習の中では生き生きと存在している。

一方の裸にされ力の衰えた貴族階級と.もう一方の商人.職人.労働者という平民の間にすき間が存在しているが.それは時がくれば,学校教育を受けた大名の子弟と.今は全く公的な役割に就くことが認められていない裕福な商人から成る中産階級によって埋められることになるだろう。

天皇は最近.わが同胞のプレダラン氏が建てたそういう人物の1人が持つガス工場を訪れた際に.その時がまもなく告げられることを示そうとしたといわれる。しかしながらそれはやはり.せかさずに援助するしかない、ゆっくりとした動きの1つであり,その成功のためには.少々情熱的な法体系を渇望するよりも,ある期間を待つ方が良いのだ。

さらに人民を自ら統治する立場に貴くためには,統治階級を作り出すだけでは十分ではない。その階級が,必要な資質を備えていることも欠かせないのだ。必要な資質とは,理解力.知識.権利の自覚,理念の見識の確かさだ。日本人に欠けている資質は.この最初のものではないことは確かだ。

 彼らの理解力の鋭さとすばやさは.驚くべきものだ。また知識が欠けているわけでもない。その教育は確かに初歩的なものだが、きわめて大規模に、くまなく十分に普及している。

最下級の人夫も自国語を読むことができ.しかも立派に読むのだ。大変貧しい娘ですら.小説を満喫している。権利の自覚については.解放された人間にとって,これほど速く発達するものはない。

では日本人には何が欠けているのだろうか?ああ!われわれ自身を省みればよい。日本人は極東のフランス人である.という言葉は何度もくり返された陳腐な表現だが,同時に1つの重大な真実を含んでいる。彼らは.われわれの美点のほとんどと.われわれの欠点の大部分を持っているのだ。

 彼らに欠けているのは.論理の技術だ。そしてそれは.人類の精神が中国的とアーリア的の2つに分かれるという,われわれにとって重大な結果をもたらす問題がない限り、1つの方法なのだ。彼らの教育制度は.ただ記憶力だけを対象としている。

 頭脳こ無秩序、無分別に中国古典一式を詰め込み.覚えることができることはすべ暗記し,歴史学は日付を覚えること.教学は計算方法を覚えること,論理的な学問は全くない。逸話の収集.あるいは政令の編さんがすべて。それが師弟にとって理想なのだ。かつての大君による変化のない統治は.人親の自立の発展を停滞させたが,同

時に理性の発展を停滞させた。それは.理性的学問の分野では.小学生と同じくらい無能な学者を作ることを目的とした,計り知れない政策だ?たように思える。

われわれがあまりに長くスコラ哲学にはまり込んでいたのと同じように,日本は中国的教養主義にはまり込んでおり.依然として自らのルネサンスを待っているのだ。

教育という問題について.その歴史と日本がヨーロッバの影響を導入した新しい方向から検討することは.別の考察を必要とするだろう。これについては日を改めて述べることにしよう。

 

 これが現状であり,こうした′制度が,人々の精神の中のばく然とした優柔不断で不完全な事素を必ず残してしまうことは.容易に理解できる。滋養を与えられるというよりむしろ詰め込まれ.さまざまな事実を脈絡なく押し込まれれば.論理的な能力はなくなり.たどたどしい物言いが同じ言葉のくり返しに変わるだけで.成熱することはない。

学校を卒業するときには,新しい要素に同化できない,古い要素でできた欠陥のある精神になっており.その性格に応じて半睡状態か妄想状態に陥る。そうした人物には.実際的な良識が欠けている。

100人の愚者と900人の妄想家に出会う間に.その言葉の最良の意味で積極的な人と呼ばれる人物に出会うことは,1度もないのだ。

したがって日本のこれからの文明という建築物は.土台から.すなわち教育制度から建て直す必要がある。それまでは国民にさまざまな制度の見せかけを与えることはあり得ても.国民が使えないような議会政体を与えることはないだろう。

したがって.いまはなきかつての議事院の代わりとして頼りにされたのは,代議制議会ではなく,左院という元首によって選ばれた評議会だった。左院は.参議が構成する最高評義金の下におかれた国家評議会だ。なぜなら左院は国家評議会同様,政府提案のものであれ.自らのメンバーの発義によるものであれ.法案を繰り上げるからだ。その構成は議長.副議長.4等級に分かれた評義員と.4等級に分かれた聴講員から成っている。左院の権限が明確に定められていなかったために,その議会は長い間、実を結ばなかった。

だが最近の政令でその権限は明確に定められ.どのような案を発案でき.どのような政令を発布に先立って審議するかが設定された。またそのメンバーは政府各省に対応した区分に振り分けらかた。このすばらしい改革は最上の称賛に値し,他の多くの改革同様.全く騒々しくはないが.重要で有益なものだ。この改革は官僚たちにのしかかっている仕事に秩序と方法を導入し,法案の審議に.それが唯一受れ入れることができる光と公平さの保証を与えることだろう。

この評議会のために、この国でフランスの名声を最も高めている人物の1人ブスケ大尉が評議員補佐として働いている。彼はたぐいまれな中国学者であり・疲れを知らぬ闘士であり、改革の熱心で誠実な協力者でもあるが・こ言語の特性を究めるだけではあきたらず、国民の特性を究めることができたのだ。

公権力を点検すると.革命期のスタイルで民の声と呼ばれるものが入る余地はほとんど残っていないように見える。しかしながら.それが完全に無根されていると信じることは誤りだろう。民の声を聞く方法はたとえ不完全でも.存在するのだ。この点で.それは人々が設立を提案しているものよりもすぐれている。政府は世論に対し最大の配慮を払っており.政府の審議に多少なりとも加わる者たちは.政府が世輪と正面衝突しないよう気遣っていることを日々目撃している。

不評を買うおそれのある手段の場合,まず布告を出して次に待つ。地方や街から報告がくる。そうする根拠があれば決行し.その必要があれば見合わす。その後で新しい試みを行う。結局.国民全体に強い印象を与える政令はそれが引き起こし得る影響を推し量らない限り公布しないのだ。

さらに.以上の処置を講じた上で,甚だしい不義が生じれば.政令が実施されないこともある。

新聞の発達はすばらしい

また天皇の治世にある1つの開明の要素が欠けているわけではなく、日々驚くべき速さで発達している。それは新聞だ。江戸で発行されている日本の新聞はすでに多数にのぼっているが,その中には的確で鋭い批判を見ることができる。これは日本人の国民精神のほとんど知られていない側面の1つだ。

そして常にわれわれを引き付けるあの露骨でしんらつな言葉も見ることがで

きる。風刺画も引っ込んではいない。道化者はときには賢いこともある。先の大蔵大臣が辞畿した当時,日本の犬がヨーロッパの犬と出会った。「おまえは.ほんとに幸せ者だ。おまえときたら,人になでられ.好かれ.いい肉ももらえる。-ところがおれは.足げにされるか邪険にされるだけだ」

「それはおまえがやり方を知らないからさ。おまえはだれに対してもキャンキャンはえる。おれの方は泥棒にはえついても,正直者はほめてあげるのさ。おれと一緒に来いよ.いいやり方を教えてやろう」。

2匹の仲間のこっけいな江戸散策だ。日本の犬は,役所の前を通り過ぎるとき・1度ならず静かにという命令を無視する。ついに大蔵省に到着した。そこでこの強情者の四つ足は,大声でほえ立てる。「何をするんだ.このろくでなし」「おまえはこん棒にはほえつけと言ったじゃないか」

ジャーナリズムの世界で相当素直な表現が流行していることがわかる。しかしもし法令集だけを信じるべきだったら.ジヤーナリズムは絶対的な抑圧体制下に生きていることになっただろう。だがそれは実施できないが故に.実施されない政令の多くのlつなのだ。いくつかの抜粋から判断していただこう。認可.事前検閲.署名の義務.等は省略する。

「第10条.当局の機構を攻攣すること.法に異義を唱えること.外国の主張を頑なに主張し政府の改革精神に口出しすることを禁ずる」

「第11条.発布された法律または政令に.新聞・雑誌で不適当な注釈を加えることを禁ずる」

「第12条.政府を侮辱または妨害するためた道徳律を引用してはならない」

「第13条.人をまどわせたり堕落させることを禁ずる‥.」

これくらいにしよう。

これを完成させることは.わが国の夢みがちな権威主義者たちに任せればいいだろう。

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究, IT・マスコミ論

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