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「トランプ関税と戦う方法論⑩」★『4月16日朝、赤沢亮正 経済再生担当大臣がワシントンへ出発』★『日露戦争でルーズベルト米大統領は日本を積極支持し、ポーツマス和平講和を実現させた』★『1905年、旅順陥落、奉天会戦で敗北してもロシアからの和平講和の仲介要請がない』★『そのため、ル大統領は6週間の休暇を取り、熊撃ちに出かけた』★『日本海海戦大勝利にル大統領は歓喜し、熊皮を明治天皇にプレゼントした』

      2025/04/16

米トランプ政権の関税政策をめぐり、4月16日朝、担当の赤沢亮正 経済再生担当大臣がワシントンへ出発した。17日(日本時間)にベッセント財務長官と通商代表部のグリア代表との交渉に臨むことになった。

16日,米国に出発する赤沢担当大臣は、自民党の会合に出席し、政府の交渉方針を説明した。 赤沢大臣「国難とも言うべき事態なので、この状況をなんとしても乗り越えなければならない。一日一日と、我が国の企業の利益が削られているような側面がある。少しでも早く関税の見直しについて申し入れをして実現していきたい」と語った。
交渉では、アメリカ側が求めている▼農産物の市場開放や、▼自動車の非関税障壁などについて議論される見通しであるほか、▼為替についても意見が交わされる可能性がある。
ただ、政府関係者は「会談の時間は限られていて、交渉の進め方や考え方の共有にとどまる」とも話していて、関税見直しへ道筋をたてられるかは不透明だ。

以下は「日露戦役秘録」(金子堅太郎講演、博文館,1929年刊、291頁)より。
 1905年(明治38)1月、旅順が陥落したが、ロシアは講和の依頼をルーズベルト大統領にするだろうとはヨーロッパでも、アメリカでも思っていた。ところがなかなか講和をする模様がない。そこでルーズベルトはか今度はフランスの外務大臣デルカッセに頼んで、もう旅順も陥落したから、ここで講和談判をしてはどうかということをロシアに申し込んだ。
 
そうするとデルカッセの返事に、ロシア政府はなかなか講和談判などをしようという考えはない。そのわけはクロバトキンが四十万の兵を奉天に集中しており、なおロジェストヴェンスキーもいまやアジアの海岸に行きつつある。
このロジェストヴェンスキーが日本海に近付くや否や、クロバトキンは奉天から四十万の兵をもって大山軍に当る。そうして一戦の下に大山の全軍を撲滅してしまって、一兵一卒でも大陸には残さぬ。
 
 そうしてバルチック艦隊が対馬海峡に突進して東郷艦隊を全滅し、日本と朝鮮との連絡を断つ決心であるから講和談判などは思いもよらぬというけんもほろろのあいさつであった。そこでルーズベルト大統領も困って私(金子堅太郎)を電報で呼びましたから、ワシントンに行ったところが、実はこれのことである、これは奉天の戦で、向うは終局の決戦をするつもりであるから、しばらく奉天の戦までは待っているよりはかはないと、こう言っておりました。
 それからだんだん日露の両軍が戦闘準備をして、三月十日のあの大激戦があった。その戦でとうとう日本が奉天を占領して、ロシア軍がハルビンに退却した。そこでルーズベルトは電報をもって、私にワシントンに来るように言いましたので、行きましたところが、大統領は自分の部屋から飛び出して来て、私の右手を取って、
 
Greatest Victory!「偉大なる勝利」と非常な喜びで握手を強く致しました。
 
これで今度はもう戦はかねて言った通り、奉天で終局した。今度の大激戦でかく偉大なる勝利を得た以上は、今度はロシアが必ず講和談判をするであろうから、まずこれで日本のためにぼくが尽くし甲斐があったと私に言いました。ルーズベルトは非常に奉天の戦勝を喜んでおりました。
 
 しかるに、時日は過ぎましたけれども、ロシア政府から講和の斡旋を大統領に頼む模様もなく、バルチック艦隊も日本海に来らず、それで一向講和談判の兆候もみえず、そうするとルーズベルトから三月二十日に私にちょっと会いたいから午餐(食事会)に来てくれという手紙が来た。
私はワシントンの大統領の官邸に行き、午餐の後、相ともに別室に行くとそこに陸軍大臣のタフトもおった。ルーズベルトが言うには、
 
☆ルーズベルト大統領は休暇で熊狩りへ
 
「実は我輩は六週間の休暇をとって、今からコロラド州の山の中に熊狩に行く。今のところ別に講和談判が始まる様子も見えないから、六週間熊打ちに行く。その留守中は陸軍大臣のタフトに大統領の権限を委任してあるから、ぼくの留守中に用事があったらすべてタフトと相談してくれたまえ。

ぼくは熊狩りに行くときには一切外部とは電信、手紙の往復はせぬ。山の中に入って一切、人間社会と交渉せぬ。急用があったならばタフトに、ぼくにすぐ帰れということを言ってくれたまえ。そうすればすぐに帰ってくる。それを君に話そうと思って呼んだのだ」

ということであった。それから三人寄って話しているうちにルーズベルトは、
 
 「ぼくはちょっと公文に署名しなければならぬから失礼する」
と言ってデスクのところに行って署名をしていた。その間にタフトと私がストーブの前に立って四方山の話をしているとタフトがストーブの上の壁にかけてある額を指して、
 
 「この額がコロラド州の山の中の絵だ。あそこにぞろぞろ歩き回っているのが熊だ、大統領はあの熊を打ちに行くのだ」
 「それじゃあぼくは熊打ちは止せと大統領に勧告したい」
こう言ったところが署名していたルーズベルトの耳に入ったのであろう、署名の手を止め私を顧みて、
 「止めろというのはどういうわけか」
 
 「なぜかといえば君も知っているだろう。イギリスの記章は獅子、アメリカは鷲、ロシアは熊である。そのロシアの記章たる熊を米国大統領の君が日露の戦争中に打ちに行くということは、穏当でない。とりもなおさずロシアを打つということになる。ゆえに厳正中立を標ぼうする大統領としては止した方がよかろうと思う」
 「ぼくは熊打ちよりもロシアを打ちに行くのだ」
 「それなら大賛成。どうか君が熊を沢山打ってくるようにぼくは祝福する」
と言うと、ルーズベルトは、
 
 「ぼくがコロラドで沢山熊を打ったならば、今度来るロジェストヴェンスキーの艦隊は日本の海軍のために打ち沈められる前兆だ。ぼくは沢山とって来るから待っていたまえ」
と言って別れた。
 
 

★日本海海戦勝利にル大統領喜び、熊皮を明治天皇にプレゼント

 
それが三月二十日です。果たせるかな後日すなわち五月二十七日にはバルチック艦隊が日本海にてあの通りに潰滅した。
五月十八日まで待っても艦隊がまだ日本の近海に来ぬ。ルーズベルトがちょっとワシントンで午餐を一緒にしようというから私は行った。いつものとおり最初は夫人や子供達と一緒に飯を食って食事を終えた。ところが、「実はこの間の熊狩りの報告をしようと思って招いたが、大きな熊を三頭、中小取まぜて六頭、都合九頭も捕った」
 「それは大成功だ」
 「ロジェストヴェンスキーも近々日本の近海に来るはずだが、日本の艦隊がこれを打ち沈める吉兆はもはや実現した」
 「それならぼくはその熊の皮を一枚その記念にもらいたい」
 
 「折角だがそれはやれない。ぼくはすべて猛獣狩に行って捕ったときの獲物は、親類でも友達でも一匹もやらぬことにしているから遺憾ながら君にもやれない」「しかしぼくは是非欲しい。ぼくはそれをもらっても自分で所持する考えではない」
「何にするのだ」
「君は先般熊狩に行って熊を撃つのはロシアを打つつもりだと言い、今日これだけの獲物があったのはロゼストウエンスキーの艦隊を日本の艦隊が打ちつぶす前兆だと言うから、ぼくはこれをもらって帰朝したとき、わが天皇陛下に献上したいと思う。ぼくは自分の私有物する気は毛頭ない」
 「なるほど、天皇陛下に献上するか、それなら一番大きいのを上げよう」
と言って大いに喜びました。その日官邸を辞し去るに臨み、
 「君が日本に帰るまでによく皮を柔らかにして目の球も入れて、生きているそのままに見るようにするから、君が帰朝するときこれを持ち帰って、天皇陛下に献上し、この熊皮についての事柄を奏上してくれたまえ」と言いました。それで講和談判もすんで私が帰朝するとき大統領にいとまどいに行きますと、
その献上の熊の皮を託されました。それから帰朝し、拝謁仰せ付けられましたとき、陛下にそのことを直奏(じきそう)いたしまして、これがルーズベルトがコロラド州で打ち取った熊の皮の一番大きい物で、ロジェストヴェンスキー艦隊の全滅の吉兆だと大統領が申しておりました品でございます
と奏上致しましたところが、陛下は大変なお喜びで、その熊の皮を明治四十五年七月三十日の崩御まで、お学問所の次の間に敷かせられて、ルーズベルトの記念として長く御愛用になりました。
 
そうしてその御返礼として平和回復後、初めて全権大使としてワシントンに行く青木周蔵子爵に託してお品物を賜わった。その品物は当時の宮内大臣田中光顕伯に御沙汰があって、田中光顧さんから私に相談がありましたから、私は、
 
「ルーズベルトは武士道を尊信しているがゆえに、日本の緋鍼(ひきどうし)の鎧(よろい)をお贈りになったら、定めし喜ぶでありましょう」と申して二人で相談をして、緋鍼の大鎧を探し出して上奏し青木大使に託して、熊の皮の御返礼として御贈進になりました。ルーズベルトは明治天皇の賜物として非常に喜びました。長くて大切に保存しているということを私は聞きました。

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