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日本リーダーパワー史(358)『憲法9条(戦争・戦力放棄)の最初の発案者は一体誰なのか⑤』 マッカーサーか幣原喜重郎か?

   

日本リーダーパワー史(358
 
          『わずか1週間でGHQが作った憲法草案
 
<クイズ>『憲法9条(戦争・戦力放棄)の
最初の発案者は一体誰なのか⑤
 
前坂 俊之(ジャーナリスト) 
 
1946年(昭和21)の憲法制定から70年近くがたったが、この間、最も激しい論争を呼び、毎回の改正論議でも最大の焦点となっているのが9条の『戦争・戦力放棄』条項である。

昭和戦後の日本の行動原理を作った理想主義的なこの平和憲法の項目は一体誰が作ったのだろうか。「マッカーサーによって押し付けられたものだ」、「GHQだ」「いや,幣原喜重郎首相だ」「昭和天皇によるものだ」などなど。

その最初の発案者をめぐっても長年論争が続き、決着はいまだついていない。謎に包まれたままの9条のルーツを検証する。
 
① マッカーサー元帥の説
 
いうまでもなく、占領政策実質取り仕切って、運営していたのはGHQ(連合国総司令部)であり、その最高司令官はマッカーサーである。憲法の条文や内容が誰の発案であれ、それを採用し決定する最終権限をもっていたのはマッカーサー自身である。
 
それだけに、「マッカーサー憲法」「占領憲法」「GHQ憲法」『平和憲法』といわれるように、当初は日本人の多くが憲法9条はマ元帥の発案だと思っていた。
 
昭和21年2月3日にマッカーサーは『憲法の3原則』を提示して、ホイットニーに憲法改正(GHQ草案)の作成を命令したが、そこに戦争・戦力放棄条項(9条)が初めて盛り込まれていたからだ。
 
この時のマッカーサー3原則は
 
① 天皇は、国家の元首の地位にある。皇位の継承は、世襲である。
② 国家の主権的権利としての戦争を廃棄する。
日本は、紛争解決のための手段としての戦争、および自己の安全を保持するための手段としてのそれも放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。いかなる日本陸海空軍も決して許されないし、いかなる交戦者の権利も日本軍には決して与えられない。
③  日本の封建制度は、廃止される。
 
―などとなっており、この第2原則の戦争廃棄条項が元帥の意向であることは、『幣原がいいだしっぺだ』と元帥がいうまでは誰も疑ってみようともしなかった。
 
この9条は「マッカーサーが発案したもの」というのはGHQと渡り合った日本側の松本蒸治国務大臣、や芦田均、吉田茂外相、楢橋渡官房長ら政府要人と、元帥の取り巻きだった GHQのケーディス大佐、シーボルト、リゾーらも証言している。
 
吉田茂外相は「マ元帥の考えで加えられたものと思う。幣原首相との会談で意気投合したことはあったと思うが、幣原首相が申し出たものではないと思う」。
 
佐藤達夫は「幣原首相が具体的な提案をしたとは思わないが、両者が意気投合してことは事実であろう」
 
幣原首相の秘書官・岸倉松は「幣原は9条条項には全く関係していないが、彼の戦争放棄の彼岸がマ元帥を深く感動させて、これが動機となってGHQ案に規定されたものだと確信する」とそれぞれ憲法調査会などで述べている。
 
この9条原案は1月12日にマ元帥に届いた『SWNCC-288号指令』(日本の占領政策基本)には入っておらず、戦争・戦力放棄がワシントンの意向ではなかったことを示している。
 
その分、余計にマッカーサー説が強くなるが、この3原則に基づいて9条条文を書き上げたケーディス大佐も『戦争放棄はマッカーサー元帥のアイデアであった」と肯定し、対日理事会米国代表から駐日大使になったW・シーボルトも「戦争放棄を言いだしたのはマッカーサーで、幣原首相は意外な内容に当惑した、と聞いている。
 
マッカーサーは、当時、占領をできるだけ早く、1,2年で終えたいと考えおり、その使命は日本を再び米国の脅威にならぬようにすることなので、侵略戦争をしないと憲法に明記させれば使命を達成できると考えたと思う」と書いている。
 
「私はホイットニー将軍から聞いたが、これはマッカーサー元帥のアイデアだといっていた。ところが、一九五〇年には、幣原首相のアイデアであり、元帥はそれを喜んでうけいれた、と聞かされた。くり返すが、最初に聞いたときは、マッカーサー元帥がいいだしたということだった」 とGHQのフランク・リゾ一大尉は述べている。
 
幣原喜重郎説

 
以上のような「マッカーサー首謀説」が主流だった中で、当のマ元帥本人が「幣原首相が憲法9条の言いだしっぺである」と、言い出したので話はややこしくなった。幣原説については彼一流のドラマティックな表現で、自伝の中で次のように書いている。
 
昭和21年1月24日の正午、 幣原喜重郎首相は、マッカーサーの事務所を訪れて会談した。幣原は『新憲法にはいわゆる非戦条項を含めることを提案した、憲法を日本にいかなる軍事機構-どんな種類の軍事機構-をも禁じるようなものにしたい』と語った。
 
『こうすれば、旧軍部は、再び権力を握る手段を奪われ、世界は日本が再び戦争をおこなう意思を決してもたないことを知る。日本は貧乏な国で軍備に金を注ぎ込む余裕はない。残されている資源はすべて、経済を活性化させるのに使うべきだ、と思う』と述べた。
 
マ元帥は息も止まるほど驚いた。

長年、『戦争は諸国間の紛争を解決する手段として時代遅れである』とマ元帥自身感じていた。6つの戦争に参加し、何百という戦場で戦ってきた元帥は『私の戦争への嫌悪感は、原子爆弾の完成で、最高潮に達していた』と語ると、今度は幣原が驚く番だった。彼は涙を流しながら、「世界は、私たちを非現実的な夢想家として、あざけり笑うでしょうが、100年後には予言者として呼ばれることでしょう。」

(『マッカーサー回想録』、昭和39年版、朝日新聞社)
 
 この幣原説はマ元帥がトルーマン大統領に解任された後の1951年5月5日の上院軍事・外交合同委員会でも証言しており、幣原自身も自伝『外交50年』(読売新聞社、昭和26年刊)で次のように認めている。
 
『あの憲法の中に、未来永劫、戦争をしないように政治のやり方を変えた。戦争を放棄し、軍備を全廃して、どこまでも民主主義に徹する、見えざる力が私の頭を支配した。よくアメリカ人が日本へやって来て、新憲法は、日本人の意思に反して、総司令部から迫られたんじゃないかと聞かれるが、私の関する限りそうじゃない、誰からも強いられたんじゃない』
 
 また、ホイットニー准将は、この会談には同席していなかったが、著書「マッカーサー」の中で次のように書いている。
 
「幣原が辞した後、すぐ私は部屋に入った。マッカーサーの表情によって、何か重大なことが起きたことがすぐわかった。元帥の説明では、幣原は憲法起草では、戦争と軍備を永久に放棄する条項を加えるのを提案した。元帥はこれに賛意を表しないではいられなかつた。
 
戦争は時代おくれで、廃止すべきだというのが、彼の燃えるような信念であった。幣原首相の考えが、彼をひどく喜ばせた。そこで、憲法草案の準備を進めるよう私に指令を下したとき、彼はこの原則を加えなければならぬと私に頼んだ」さらに「マッカーサーの第二原則は元帥が幣原との会談後に書き留めたおおざっぱな概要であった」とも述べている。
 
 幣原首相の無二の親友の枢密顧問官・大平駒槌が息女の羽室ミチ子に語った回想談もこれとほぼ同趣旨である。
 
「(1月24日)幣原が自分はいつ死ぬかわからない、生きている間にどうしても天皇制を維持したいが、協力してくれるかとマッカーサーたずねると、約束してくれたので、ホッと一安心。かねて考えた世界中が戦争をしなくなるのは戦争を放棄する以外にはない、と話しだした。マッカーサーは急に立ちあがって、涙をいっぱいためて、『そのとおりだ』と言い出したので、幣原は驚いた。
 
 マッカーサーはできる限り早く戦争放棄を世界に声明し、天皇をシンボルとすることを憲法に明記すれば、列国もとやかくいわずに天皇制にふみ切れるだろうと考えた。これ以外に天皇制を続けていける方法はないと、二人の意見が一致したので幣原も腹をきめた」。
 
この幣原説の主張はマ元帥、ホイットニー、入江俊郎らである。
 
一方、これを、真っ向から否定するのが幣原と行動をともにしていた側近の松本蒸冶国務大臣や芦田均、吉田茂らで、その理由は幣原がマ元帥にそのような話をしたならば、当然自分たちにもそのことを伝え、指示があるべきだが、それが全くなかったこと、また、閣議での憲法論議になった時も、9条説を唱えなかったし、発言もなかったこと、発言を裏づける行動をとっていないことを指摘する。
 
さらには幣原は軍の存在を肯定する意見書を出すなど9条発言とは矛盾した行動をとっており、松本は『軍の廃止はGHQからの押しつけで、政府は相当反抗したのだが、マッカーサーが幣原であるというのはまったく逆である』と、マ元帥の「幣原すり替え説」を主張する。
 

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