片野勧の衝撃レポート(37)太平洋戦争とフクシマ❿「ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ」原発難民<下>➉
2015/01/01
片野勧の衝撃レポート(37)
太平洋戦争とフクシマ❿
≪悲劇はなぜ繰り返されるのかー
★「ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ」
原発難民<下>「軍国少女として・・」⑩
南相馬市小高区に住んでいた佐藤千春さん(84)も震災に遭い、現在、東京都練馬区旭町で避難生活を送っている。小高区は福島第1原子力発電所から半径10~20キロ圏内の地区だ。
ここはJR小高駅をメインとした小さな町で多くの建物は倒壊した。また余震で斜めに傾いたり、倒壊したりした建物も多い。異様な空気に包まれた町並みである。佐藤さんに話を聞いた。
――空襲体験はお持ちですか。
「当時、近くに焼夷弾が落とされましたが、直接の被害は受けていません。戦争の記憶といえば、7月10日の仙台空襲です。仙台の空が真っ赤に燃えているのが相馬からもよく見えました」
佐藤さんは軍国少女として育った世代だ。彼女も『続々 花だいこんの花咲けど』に「軍国少女」と題して随筆を書いている。少し、長いが、その要点を書く。
――「1942年12月8日。小高小学校6年の教室ではアメリカの地理の勉強をしていた。担任の先生は『今朝早く、日本はアメリカと交戦状態に入った』と少し青ざめた顔で言った。
当時、女学校では軍服を縫っていた。故障の多いミシンに手を焼く毎日だった。ある時、シンガポールから戦利品が届いた。軽快な音を立てて、滑るように動いていた。こんなに優れた性能の機械を作る国と戦っていたのか。新しい驚きと発見に頭の中で何かがはじけた。
空襲警報が鳴ると、奉安殿の護衛についた。直立不動である。九州の中学生が護衛中、機銃掃射によって死んだ。胸が震えた。私も死ぬのかと思った。
戦争が終わって福島師範学校に入学した。学生集会の許可を取るためGHQ(連合国総司令部)本部(今の福島市・教育会館)に行った。寒い日で、私たちは震えながらその建物に入って驚いた。そこはまるで春のように暖かく、人々はワイシャツの袖をたくしあげて働いていた。
全館暖房の思想を持たなかった私は、しばらくその衝撃から抜け出せなかった。いい匂いのする清潔なトイレの中で私は呆然となった。そして初めて私は戦争に本当に負けたのだと思った」
簡潔。明瞭。事実。名随筆である。まさに体験こそ文章の生命といってよい。事実が持つ重みにはかなわない。震災についても聞いてみた。
――津波はどうでしたか。
「津波は近くまで来ましたが、実際は見ていません。しかし、友人は死にました。行方不明の人もいます。家を流された人もたくさんいます」
人間がいなくなったゴーストタウン化した南相馬市小高区。犬や猫、そして牛たちが置き去りにされている町だ。復興は遅々として進んでいない。今なお、避難生活を余儀なくされているのだ。
太平洋戦争時の情報操作と同質
政府も東電もダメなら、マスコミもダメと佐藤さんは一刀両断。
「マスコミは町の惨々たる状況に目を向けず、『政府』大本営の発表を鵜呑みにし、無定見な情報を流したことは、太平洋戦争時の国民に対する情報操作と同質のものです。一体、いつまで私たちを脅かすつもりなのですか。同じ過ちを繰り返してはいけません」
佐藤さんの怒りの声を聞いていて、私は戦時中の震災報道を思い出した。戦時中は新聞やラジオなどに厳しい報道管制が敷かれていた。
――昭和19年(1944)年12月7日午後1時35分ごろ、熊野灘沖を震源とするマグニチュード7・9の地震が発生した。死者・行方不明者は1223人。
そのうち、戦闘機などの軍需工場が集まる名古屋市、愛知県半田市で計約300人が死亡。その多くは勤労学徒だったが、これらの被害は「極秘」「厳秘」とされた。翌日の朝日新聞は1面トップに「大元帥陛下御精励」という見出しで昭和天皇の写真を大きく載せた。
一方、米国ではニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストは1面で「地震で日本の戦時産業大打撃」と大きく報じた。このように戦時中の日本は「流言飛語に惑うことなく戦力増強に邁進せよ」「口外してはならない」という緘口令が敷かれていたのである。
隠蔽体質は戦前とそっくり
今回の東日本大震災では、さすがに口封じされることもなく、報道されている。しかし、政府や東電から発せられる情報を見ていると、その本質は戦前とあまり変わっていないように思える。
メルトダウン(炉心溶融)も放射能の拡散予測システム(SPEEDI)データも長く国民に知らされなかった。この「官報複合体体質」や「情報隠ぺい体質」は戦前とそっくりではないのか。
日に日に戦況が厳しくなり、戦線が後退していた時も日本の新聞は敗北を知りながら、報道しなかった。政府の発表をそのまま垂れ流していた。まさに日本のマスコミは軍の広報の役割を果たしていたのである。
公権力はメディアを利用する。メディアを使って言論統制する。原発事故報道もメディアが権力側の「大本営発表」を垂れ流しているのは、その典型例である。
ミッドウェー海戦で日本軍が敗れても、「撤退」ではなく、「転進」という言葉を使い、士気を煽ったのは、ほかならぬマスコミだった。1945年6月23日、沖縄戦で敗れた時も、「いよいよ本土決戦、勝機はわが日本にあり」と大本営発表の戦争礼賛記事ばかり。まるで政府や東電が垂れ流す原発・震災報道とそっくりではないか。
片野 勧
1943年、新潟県生まれ。フリージャーナリスト。主な著書に『マスコミ裁判―戦後編』『メディアは日本を救えるか―権力スキャンダルと報道の実態』『捏造報道 言論の犯罪』『戦後マスコミ裁判と名誉棄損』『日本の空襲』(第二巻、編著)。『明治お雇い外国人とその弟子たち』(新人物往来社)。
(つづく)
関連記事
-
-
「Z世代のための日本最強リーダーパワーの勝海舟(75)の研究③』★『勝海舟の西郷隆盛バカ話はメチャおもしろい』★『ガザ戦争(死者3万5千人)フランス革命(約2百万人)、米南北戦争(61万人)と比べて、最も少ない明治維新(約7千人)の立役者は西郷隆盛と敗軍の将・勝海舟』★『明治維新は世界にも例のないほどの「話し合いによる民主的、平和革命」だった』
現在進行形のイスラエル対ハマスの「ガザ戦争」の死傷者数は5月13日 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(183)記事再録/★「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など外国紙が報道した「日韓併合への道』⑯「伊藤博文統監はどう行動したか」(小松緑『明治史実外交秘話』昭和2年刊)①
2015/09/03   …
-
-
『日本リーダーパワー史』(1236)『トランプ次期大統領、石破首相の内憂外患② 』★『トランプ政権始動ー閣僚人事で報復、復讐か!』★『トランプ氏との会談を求めた石破首相』★『石破首相の「リーダパワー?」が問われている』(11月15日までの情報分析です)
●「お前はクビだ!」 (B)「この人事は大変な問題になるそうですね!?。トランプ …
-
-
日本リーダーパワー史(379)児玉源太郎伝(2)●『国難に対してトップリーダーはいかに行動すべきかー』
日本リーダーパワー史(379) 児玉源太郎伝(2) ●『国難に対してトッ …
-
-
片野勧の衝撃レポート(79)★『 原発と国家―封印された核の真実⑫(1985~88) 』 チェルノブイリ原発事故30年(下)
片野勧の衝撃レポート(79)★ 原発と国家―封印された核の真実⑫(1985~8 …
-
-
『オンライン/日本リーダーパワー史講座』★『明治維新から152年ーこの間に最高のリーダーシップを発揮した人物は一体誰でしょうか?、答えは「西郷隆盛」ではない、弟の西郷従道ですよ!ウソ、ほんとだよ』★『『バカなのか、利口なのか』『なんでもござれ大臣」「大馬鹿者」と(西郷隆盛は命名)『奇想天外』「貧乏徳利」(大隈重信いわく)』
2015/01/01日本リーダーパワー史(512)記事再録 ★「フリ …
-
-
「オンライン外交力講座」日本リーダーパワー史(396)『中国が恫喝・侵略と言い張る台湾出兵外交を絶賛した「ニューヨーク・タイムズ」 (1874(明治7年)12月6日付)」★「日中韓150年対立・戦争史をしっかり踏まえて外交力を再構築せよ⑤
2013/07/20 …
-
-
『オンライン現代史講座/日本最大のク―デター2・26事件はなぜ起こったのか』★『2・26事件(1936年/昭和11年)は東北大凶作(昭和6ー9年と連続、100万人が飢餓に苦しむ)が引き金となった』(谷川健一(民俗学者)』
『2・26事件(1936年/昭和11年)は東北大凶作(昭和6ー9年と連続、100 …
-
-
「今、日本が最も必要とする人物史研究➂」★『日本の007は一体だれか』★『日露戦争での戦略情報の開祖」福島安正中佐➂』★明石元二郎の「明石謀略」は裏で英国諜報局が指導しており、福島安正、宇都宮太郎(英国駐在武官)がバックアップした。
日本リーダーパワー史(553)記事再録 前坂 俊之 …
-
-
日本リーダーパワー史(683) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(62)『世界史の中の『日露戦争』<まとめ>日露戦争勝利の立役者―児玉源太郎伝(8回連載)
日本リーダーパワー史(683) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 …