前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

片野勧の衝撃レポート(47)太平洋戦争とフクシマ㉒『なぜ悲劇は繰り返されるのかー福島県退職女性教職員「あけぼの会」(<波乱万丈の人生>

      2015/01/01

 

片野勧の衝撃レポート(47


太平洋戦争とフクシマ㉒

 

 

『なぜ悲劇は繰り返されるのか

福島県退職女性教職員「あけぼの会」の

人々(下)<波乱万丈の人生>

 

 

 

片野勧(ジャーナリスト)

 

 


 私は、この記録集でもう一人、心を揺り動かされた人がいる。吉田冨子さん。91歳。いわき市内郷内町のマンションで息子夫婦と孫2人の5人暮らし。訪ねた時には時計は午後4時30分を指していた。
 「私の人生は波乱に満ちています」
 どんな波乱? と私は尋ねた。返ってきた言葉。


 「大正12年、関東大震災の年に生まれ、小学校に上がった昭和6年に満州事変が起こり、女学校に入った翌年の昭和12年に支那事変が起きました。そして卒業した翌年の昭和16年に第2次世界大戦が始まりました」

吉田さんは県立磐城高等女学校(現・県立磐城桜が丘高等学校)の出身。当時、通学は汽車で1時間。

卒業後の昭和17年、教員が病気になり、欠員ができたため頼まれて富岡国民学校の教員になる。当時は師範学校(今の福島大学)に入学する希望者は少なく、多くは日立の軍需工場に行っていた。

 

教員資格の2次試験で、「この細胞は何ですか」と試験官に聞かれた。「竹です」と答えた。「女学校はどこですか? えっ、磐女!」と身を乗り出し、「さすがですねえ」と感嘆する試験官の姿に、「えっ、正解したのは私が最初なんだと、私もその反応に驚きました」と吉田さん。

昭和18年2月、顕微鏡を覗かせられ、答えた時の出来事だった。2次試験も通り、吉田さんは60歳になるちょっと前まで教員生活を続けた。

 

結婚5カ月で夫は戦死

 

結婚はこの年の昭和18年(1943)。それから5カ月後に夫は戦地へ赴いた。中国の湖南省だった。
 「しかし、それが最後の別れになりました」
 吉田さんは昭和24年(1949)、本隊(会津若松29連隊)が帰ってきたのに、ずっと連絡もないから千葉県の稲毛の引き揚げ援護局に行った。すると、局の若い将校が中支の地図を広げながら、「彼は野戦病院を転々として、終戦の時は湖南省湖北の野戦病院にいました。本隊は東海岸で全員、集団自決しました。間違いありません」と説明してくれた。終戦1週間後のことである。


 しかし、上からの命令で「戦死した」とは言えないのだという。明らかに国策による戦死なのに。吉田さんは怒りを込めて言う。
 「戦死したと分かっていても、国は自分たちの保身のために口止めするなんて……」

戦死公報がきたのは15年後の昭和34年(1959)、軍の引き揚げ業務が終わった後だった。

 

一度は死のうと思ったが……


 吉田さんは結婚した翌年(1944)の4月、男の子を出産した。吉田さんの証言。

「夫に先立たれ、本当に辛かったですね。1学期が終わって、夏休みに入ったら、列車に飛び込んで死のうと思いつめていました。しかし、通信簿を出さないうちは、子どもたちにすまないと思いました。また家の近くの仏浜海岸へも行きましたが、やはりここでも死ねませんでした」

 

吉田さんは両手で顔を押さえる。その語る一言一言は、私の胸に刺さる。その時、「ピーンポーン」――。玄関のチャイムが鳴った。集金の人のようだ。「ちょっと待ってください」と言って吉田さんは席を立った。

腰は少し折れ曲がっているが、足取りはしっかりしていた。玄関までは20歩はあろうか。用を済ますと、こちらにまた急いで戻る。

 

津波や原発で亡くなった教え子たち

 

――ところで、今回の津波で亡くなられた教え子はいますか。

「亡くなりました。T君は仏浜海岸に近いアパートで休んでいるところを津波に呑まれました。奥さんとお子さんも一緒だったそうです」

富岡町で自転車やオートバイの修理を仕事にしているO君はどうしている? とお姉さんに尋ねると、「原発事故で新潟に避難していたけれども、仕事がなくて将来を悲観して首を吊りました」と。

吉田さんは教え子たちの名前が書かれたノートをめくって懐かしそうに眺めていた。教え子は約1000人。私もそのノートを見せてもらった。そこには細かい字で一人ひとりの名前がびっしりと書かれていた。吉田さんは語った。

「O君は終戦の翌年、私が受け持ったときの生徒です。本当にいい子でしたが、可哀そうにね」

 

私は吉田さんを見ていて、これが東北の人かと思う。理不尽な目に遭いながらも、じっと我慢する。私のような一介のもの書きに対しても最善を尽くそうとしている姿に頭が下がった。

あけぼの会のスローガンは、「教え子を再び戦場に送らない」ことを一番に掲げているという。そんな教え子が津波や原発事故で命を落としてしまったことは本当に情けなく悲しい――。吉田さんの表情に悔しさがにじんでいた。

 

怒りと悲しさを俳句に

 

吉田さんは原発事故でふるさとを追われ、各地を転々とした。川内村の診療所に1晩、集会所に2晩、郡山の嫁の妹のところに20日間、お世話になった。そして今、住んでいるいわき市のマンションへ入ったのが2011年4月。

吉田さんの喜びは俳句を詠むこと。震災後、枕元にノートとペンを置き、思いつくままメモした。それを記録集『伝えたい 福島の3・11』に寄稿した。

たとえば、それは原発でふるさとを追われた憤り。

<原発の弾けて郡民飛び散りぬ>

「原発を逃れて沖縄へ行った人もいました。私の親せきの人は大阪へ逃げました」と吉田さんは言う。福島の人たちは全国に散らばって、ばらばらになっている家族は多い。その怒りと悲しさを詠んだ句で、原発によって今までの平和な生活がすべて失われ、被ばくを避けて故郷を離れなければならない辛い思いが痛いほど伝わってくる。

 

あるいは、鶯の鳴き声と豊かな自然を詠う句もある。それは避難しているマンションの一角にある木に毎朝、一匹の鶯が決まった時間に「ケキョ、ケキョ」と鳴く、その声に目を覚ます時の句。

<幼鶯に起こされ寝床這い出ずる>

「鶯がそばまで来て鳴くんです。私は故郷を離れ、不安なときもあります。しかし、鶯の鳴き声を聞くと、心が洗われるのです」

吉田さんにとって鶯と自然は大きな救いなのだろう。

最後に、もう一句。教え子が今、どこにいるのかを詠んだ句。

<友は何処四方八方糸手操る>

「イモちゃん、どこへいったかな、連絡してきてね。幸恵ちゃん、竹で編んだ人形傘、ありがとう」。教え子たちは皆、ばらばらになってしまったけれども、また再会しようね――という思いがこもった句である。            

 

片野 勧

1943年、新潟県生まれ。フリージャーナリスト。主な著書に『マスコミ裁判―戦後編』『メディアは日本を救えるか―権力スキャンダルと報道の実態』『捏造報道 言論の犯罪』『戦後マスコミ裁判と名誉棄損』『日本の空襲』(第二巻、編著)。『明治お雇い外国人とその弟子たち』(新人物往来社)。8.15戦災と3.11震災』(第三文明社 2014

 

 - 戦争報道 , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日本リーダーパワー非史(969)「厚労省の不正統計問題」は「不正天国日本」を象徴する事件』★『大本営発表ではウソの勝利を発表し、戦果は米戦艦、巡洋艦では一〇・三倍、空母六・五倍、飛行機約七倍も水増した』★『昭和の軍人官僚が国をつぶしたように、現在の政治家、官僚、国民全体が「国家衰退、経済敗戦」へ転落中であることを自覚していない』

「厚労省などの統計不正問題」 前坂俊之(ジャーナリスト) 一九四一(昭和十六)年 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(1)記事再録/日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(元寇の役、ペリー黒船来航で徳川幕府崩壊へ)ー日清、日露戦争勝利の方程式を解いた空前絶後の名将「川上操六」の誕生へ①

    2015/11/18 /2015/11/2 …

no image
終戦70年・日本敗戦史(126)大正年間の日中関係の衝突と変遷ー戦前までの「大日本帝国」は「軍事大国」「外交低国」であった。

終戦70年・日本敗戦史(126) <世田谷市民大学2015> 戦後70年  7月 …

『Z世代のための歴代宰相の研究②』★『桂太郎首相の実像と虚像』★「ニコポン、幇間(ほうかん)」ではない、真の「人間学の 大家」「胆力のあった」桂太郎首相の実像』

ホーム >  人物研究 > 2013/ …

no image
日本リーダーパワー史(839)(人気記事再録)-『権力対メディアの仁義なき戦い』★『5・15事件で敢然とテロを批判した 勇気あるジャーナリスト・菊竹六鼓から学ぶ②』★『菅官房長官を狼狽させた東京新聞女性記者/望月衣塑子氏の“質問力”(動画20分)』★『ペットドック新聞記者多数の中で痛快ウオッチドック記者出現!

日本リーダーパワー史(95) 5・15事件で敢然とテロを批判した 菊竹六鼓から学 …

世界/日本リーダーパワー史(908)-『メジャーリーグの星になれ!奇跡の大谷物語⑥」-『100年前にハリウッドを制した「セッシュウ・ハヤカワ(早川雪洲)」は大谷の先例!

 大谷は「ロスアンゼルスNO1のスターになってもおかしくない」 100年前にハリ …

no image
『オンライン講座/日本陸軍・失敗研究』★『大東亜戦争敗因を 陸軍軍人で最高の『良心の将軍』今村均(大将)が証言する②』★『陸海軍の対立、分裂」★「作戦可能の限度を超える」★ 「精神主義の偏重」★「慈悲心の欠如」★ 「日清日露戦争と日中戦争の違い」★「戦陣訓の反省」

 2016/05/25  日本リーダーパワー史(7 …

『オンライン/ベンチャービジネス講座』★『日本一の戦略的経営者・出光佐三(95歳)の長寿逆転突破力(アニマルスプリット)はスゴイよ➄★ 『徳山製油所の建設で米国最大の銀行「バンク・オブ・アメリカ(BOA)」からの1千万ドルの融資に成功』★『出光の『人間尊重』経営は唯一のジャパンビジネスモデル』★『独創力は『目が見えないから考えて、考え抜いて生まれた』★『87歳で失明からよみがえった「奇跡の晩年長寿力!」』

  アニマルスプリット(企業家精神)を発揮 その後、出光はすることなす …

日中北朝鮮150年戦争史(6) 日清戦争の発端ー陸奥宗光『蹇々録』の証言②『頑迷愚昧の一大保守国』(清国)対『軽佻躁進(軽佻浮薄)の1小島夷(1小国の野蛮人)』(日本)と互いに嘲笑し、相互の感情は氷炭相容れず(パーセプションギャップ拡大)が戦争へとエスカレートした。

日中北朝鮮150年戦争史(6)  日清戦争の発端ー陸奥宗光の『蹇々録』で読む。 …

“Lecture on Japanese Political History for Generation Z” ★ “Fifty-year collusion between the former Unification Church and the Liberal Democratic Party as seen from the perspective of foreign newspapers such as the New York Times” ★ “Using pseudo-religion and anti-communist movement as signboards, it is practically an anti-Japanese inspirational rip-off” Business” to form a “conglomerate” (giant global enterprise)”

2022年9月10日 『Z世代のための日本政治史講座』★『ニューヨークタイムズな …